ナファイラ9
キャメロン達に置いてけぼりを食らったレティシアは、唇を尖らせながら城内を歩いていた。
ジェシカのことを案じてただ城で待っているだけなど、レティシアには出来なかった。
もしもこの事件の黒幕がイライザならば、レティシアがシェスタからの申し出をあっさりと断ったことも関連しているかもしれない。
だから余計に責任を感じ、自分で出来ることはないかと考えていた。
ちなみに、ウィルフ王の元へは一度訪れてはみたのだが、門前払いにあった。
「……やっぱりこの人に頼るしかないのかしら」
躊躇はあったがそれを抑え、扉を叩いて、呼びかけた。
「失礼いたします。アリアの、レティシアでございます」
しばらくすると中から返事が聞こえる。そして、扉は向こう側から開いた。
扉を開いたのはシェスタに仕えているらしい侍女である。彼女に案内をされ、奥へと誘われる。
部屋は整頓はされているが、物で溢れかえっていた。剣、鎧、本、玩具。本棚を見ると、飽きっぽい主人の気質を示しているかの様に、様々な分野の書物が並べられている。
この部屋の主、シェスタは寝起きなのか、眠たそうな眼でじろりとレティシアを見つめた。普通の人なら働きに出ている時間帯だというのに、仕事にも就かず、堕落した生活を送っているようだ。……まあ、ジェシカも似たようなものかもしれないが、姉の名誉のために言えば彼女は早寝早起きの生活リズムではある。
彼は侍女から受け取った服を身に纏いつつ、行儀悪くテーブルに腰をかける。
侍女が一礼をして下がるのを見届け、レティシアは口を開いた。
「先日の非礼は、お詫びいたします」
シェスタは鼻を鳴らせただけだった。
「単刀直入に申し上げます。昨晩から、姉の姿が見られません。ナファイラ様と、ナターシャ様。そして、イライザ様の姿も……」
シェスタは興味がなさそうに頷いた。彼は手首のボタンを留めるのに夢中の様である。
「イライザ様が、よく利用される別荘の位置でも、ご存じならばと思い……」
「我が母が誘拐犯だとでも申す気か」
「ええ」
ここまで来てごまかしても仕方がない。正直に頷くと、シェスタは手首にやっていた視線を前に向ける。
金色の瞳は、怒りの感情を表していたわけではない。実の母を疑い、彼女の名誉を汚そうとする人物が目の前にいるというのに、バカにしたような侮蔑の表情を浮かべるだけ。
「母上も余計なことを。そのようなことをせずとも、王位は余の物となるだろうに」
この馬鹿王子は本気でそれを信じているらしい。イライザがそのように育てていたとしても、何も分かっていない。世論ではナファイラの支持率の方が圧倒的に高いから、この期に及んでイライザはシェスタのために最後の賭に出たのだろうに。
シェスタが右手をこちらに向ける。
レティシアは無言でシェスタに従った。彼に近寄り、彼の袖口のボタンを留めてやる。
「そなた次第で、協力をしてやろう」
顔を上げると、嫌みったらしい瞳にぶつかる。
「母の居そうな場所を教える代わりに、そなたは余の物になれ。先日の無礼は水に流し、そなたの姉の無事を、母へと進言してやっても良いぞ」
自分の身と引き替えに、万事が解決するかも知れない。一瞬だけ、そんな囁きに心を動かされそうになったが、レティシアは首を振り、それを拒んだ。
「失礼いたします」
くるりと踵を返したその時、シェスタは無造作にレティシアの腕を掴むと己の方に引き寄せた。そして、彼が座っていたテーブルに組み伏せる。力だけでは、どうあっても少年には叶わない。後頭部を打ち、至近距離に迫るシェスタを見上げることになった。
レティシアはシェスタ事を睨み付けた。自分の意に従わないその表情に気付くと、手首を掴んでいるシェスタの手に力が込められる。
「何故、余に従わぬ。他の女はみんな余の言いなりだというのに、お前だけが、何故っ!」
「どうしてあなたに従う必要があるのです?」
「余はウィルフの王子だ。いくらそなたが王女であろうと、アリアごときの王女が余に従うのは、当然であろう」
「あなた、救いようもないくらいのバカですわね。ウィルフの王子という身分だけで、何でも思い取りに行くと思ったら、大間違いですわよ」
シェスタの白い肌が屈辱のせいか、赤く染まる。レティシアの細い手首を握りつぶさんばかりの力をかけられ、さすがにレティシアは顔をしかめた。
「放してっ!」
シェスタ目掛けて衝撃波を放ってやる。無論、手加減はしているので、彼がふっ飛ばされるということはなかったが、状態を仰け反らせる程度の働きはしてくれた。
驚いたシェスタが手を放す。
レティシアは自由になった右手で、力一杯シェスタの頬を張った。
甲高い音が室内に響き、驚愕に顔を歪ませたシェスタが、左の頬を押さえながら数歩後ずさった。
「王族なんてただの飾りなのよっ! なんでそんなことも分からないのよ!」
近くにあった本を手に取り、目の前で立ち竦む王子に投げつけた。それはシェスタの顔面に直撃し、彼は見事にひっくり返った。
「だいたい、何のためにあなたのお母様が危険を冒していると思っているのよっ。全部あなたに王位を継がせるためじゃない。甘えるのも、いい加減になさいっ!」
レティシアは肩で息をしながら、何故か目元に浮かんできた涙を拭い、今度こそ部屋をあとにした。
赤く手跡の付いた手首を撫でながら、自室に向かって歩き出す。悔しいが、今は頼る宛がなくなった。じわじわと込み上がってくる涙。
「おい、待てっ……」
背後から聞こえたその声に、慌ててもう一度目元を拭う。だが振り向くことはせずに、レティシアは早足で逃げた。
角を曲がろうとしたところで、向こう側から歩いてきたサーシャに当たりそうになり、慌てて足を止めた。
彼女は眠たそうな瞳をレティシアからシェスタへと移し、ちょこんと首を傾げる。
「昨晩から、ずいぶんと姿が見えない方がいらっしゃるようね」
レティシアは驚いて、サーシャの事を観察するように見上げた。どこか虚ろな彼女の瞳からは、何も判断することは出来ない。
この王女には頼ることが出来るのだろうか。胸の中で、計算をする。
そしてあっさりと答えは出た。シェスタに頼ろうとした愚を思えば、何も躊躇う必要はない。
「サーシャ王女。……お願いがありますの。今すぐにウィルフ王へ取り次いで欲しのです」
意を決して語りかけると、彼女は再びレティシアへと視線を戻す。
「あなたは、何をなさりたいの? あなたが動くことで、余計な混乱を生じる結果になるだけかも知れないわ」
探るような瞳。レティシアはまだ何も言っていないと言うのに、何故か彼女は全てを知っている。
レティシアは唾を飲み込んだ。
彼女の言うことは分かる。シェスタに直接母親の居場所を聞き出せなかったのだ。あとはウィルフ王を頼るしかない。その結果、イライザの目論見を露見させることとなり、これまでは水面下で争われていた王位継承問題がさらに複雑化するかもしれない。さらには今までは友好とされてきたアリアとウィルフの二国の間に亀裂を生じさせる事になる可能性もある。
「それでも、じっとなんてしていられません。行方不明になっているのは、私の姉ですから」
「たかが血がつながっているだけの相手なのに、何をそこまで熱くなれるのだか」
呆れたように呟くサーシャ。
背の高い、だがほっそりとしていて無機質な人形のような美しさを持つ美女。レティシアはまっすぐに彼女の事を見上げた。強い意志の込められた瞳で。
「私は、お姉さまが大切なのです」
それに心を動かされたという訳ではないのだろう。
サーシャは肩をすくめて歩き出した。
「私は静かに過ごしたいだけ。権力争いの渦中なんかに、巻き込まれたくはないわ」
おそらく、それは彼女の本音。
「ついてらっしゃい。お父様に、会わせてあげます」
レティシアは頷き、彼女のあとを追おうとするが、その腕を後ろから捕まれる。
ぴくりと、レティシアの眉が動いた。
「ちょっと待て。余には、さっぱり話が見えぬぞ」
そんな言葉は無視をして、レティシアは勢いを付けて、彼の腕を振り払った。
「放してって言ってるでしょっ!」
怒鳴りながら、内に込めていた魔力を発散すると、近くに飾ってあった高価そうなツボが破裂し、四方へと派手に飛び散る。
慌てて飛び退くシェスタのことを冷ややかに見つめ、レティシアは踵を返して、歩き出した。
*
謁見室にはウィルフ王はいなかった。
次にレティシア達が向かったのは、王の私室。
「そなたの姉は、本当に攫われたのか?」
呼んでもいないのに勝手に付いてきたシェスタがレティシアに問う。それに関しては、レティシアは返答はしなかった。その可能性が高いと言うだけであって、確定は出来ない。
「おそらくは、コーウェルに、ね」
問いに答えたのはサーシャ。シェスタが短く息を飲む。
レティシアもまた少しだけ驚いて、虚ろな瞳を真っ直ぐに前に向けているサーシャのことを見上げた。
「では、母の仕業と申すか? 」
「意外なことではないでしょう?」
やんわりと微笑む。その表情には生気がまるで籠もっておらず、レティシアには悪魔の笑みのようにも見えた。
「正妃殿は、その地位を守るためなら、何だってするわ」
先ほどは母の名誉を傷つけられても、顔色ひとつ変えなかったシェスタではあるが――おそらくは、レティシアの言を信じていなかったのだろうが――今回は違っていたようだ。眉をつり上げ、腹違いの姉のことを剣呑な眼差しで睨み付ける。
サーシャは出来の悪い生徒を見つめるかのように困ったように首を傾げ、ため息混じりに言葉を紡いでいく。
「二十年以上前。正妃だった私の母は、死んだ。……何者かに毒を盛られたと、私は聞いたわ」
「それが母のせいだとでも言うつもりか?」
「犯人は特定できなかったらしいわよ? ただ、その数か月後、イライザは正妃の座につき、さらに一年ののちにはナターシャが城に上がってきた、らしいわよ」
サーシャは含むような視線をシェスタに向けた。シェスタはサーシャが何を言いたいのかを図りかねているようであったが、彼女はそれ以上は取り合わなかった。
サーシャは立ち止まり、振り返る。
彼女の前には、分厚くて大きな扉があった。王の私室へ続く扉である。
シェスタは何かを考えるように俯いていた。
そんな彼の様子を横目で伺いつつも、レティシアは頷き、目前の扉を叩いた。
サーシャに案内をされてその部屋の扉をくぐると、意外にも、そこには見知った顔が二つほどあった。
「イ・ミュラー様。それに、ボリュドリー様……」
ウィルフ王とイ・ミュラーはチェスの対戦を行っている。駒を動かしている二人を見比べ、言葉に詰まるレティシア。
イ・ミュラーやボリュドリーがここにいるということは、あらかたの話はウィルフ王に伝わっていると見て間違いはないはずだ。それならば、どうして王は何も行動を起こしていない? レティシアの心の中は、その疑問で一杯になる。
こつっ、こつっと、ウィルフ王とイ・ミュラーが駒を動かす音だけが室内に木霊する。
もう一人の在室者であるボリュドリーに視線を移すが、彼女はレティシアと目が合うと、彼女らしくなく、気まずそうに目を逸らす。
意を決し、レティシアは口を開いた。
「ウィルフ王。突然の訪問の非礼をお詫びさせていただきます」
ウィルフ王は初めてレティシアに気付いたとばかりに、視線だけをこちらにやる。
「昨晩から、私の姉、ジェシカの姿が見えません。それと時を同じくして、ナファイラ王子と、彼の母君。そして、イライザ様の姿も消えてしまったと聞きます」
ウィルフ王は無関心のようであった。チェスの駒を動かすのに夢中のようである。そんな態度は、どこかシェスタを彷彿とさせる。
レティシアは、汗の滲む掌を、ぎゅっと握りしめた。
レティシアがこの先を口にすることで、表面上はうまくいっていたアリアとウィルフの関係を悪化させてしまうかも知れない。これが、最後の分岐点である。イ・ミュラーへと視線をやるが、彼もウィルフ王と同様にチェスの基板から目を離さない。つまりは、彼はレティシアの好きにして良いと言っているも同然だ。そう、胸の中で解釈をする。
大きく深呼吸をし、レティシアは言葉を続けた。
「こんな事は考えたくないのですが、イライザ様が、姉の身を拘束しているのではないかと思い、相談をさせて戴きました」
こつ、こつと、駒の音だけが響く。
しばらくして、ウィルフ王は体をレティシアへと向けた。
「何の根拠があって、そのような事を述べる」
「イライザ様と一緒に、その守り役であるコーウェル様達、何名かの近衛兵も行方が分からなくなっていると聞きます」
ウィルフ王は関心がなさそうに唸り、ティーカップを持ち上げ、それを口に付ける。
「イライザは、体の調子が優れぬというので、昨日から療養のために別荘へと出向いておるわ。何でも、ナファイラに毒を盛られたと騒いでおったがな」
返す言葉に詰まり、レティシアは唇を噛みしめた。
ここでレティシアが他国の王位継承のもめ事に対して意見を出すことなど出来ない。冷たい言い方をしてしまえば、ナファイラとイライザ、どちらが野心を持っているかなど、この際どうでもいいのだ。
「そちらの事情は分かりませんし、口を挟む気もございません。私からお願いしたいのは、姉の身の安全と、その捜索です」
「我が国に責任があると申すか?」
さもおかしそうに笑う王。レティシアは真っ向からその視線を見つめた。
「ここはウィルフです。客人の身の安全を守るは、義務でございましょう」
「ならば、その義務が果たせないとあらば、我が国との友好関係も壊すと言うか?」
大人気もなく、挑発でもするかのようにレティシアを見つめる瞳。
レティシアは横目でイ・ミュラーのことを伺った。
彼は口を挟む気などないようである。次の一手を考えるように駒を撫でながら、ボード上から視線を上げようともしない。
ならば好きに言ってしまおう。問題があれば、後から愚かな子供の戯言だと、イ・ミュラーが取りなしてくれるだろう、きっと。
「そのような事態は、私たちとしては望んでおりません。ですが、そちらの王位継承のトラブルに他国の王女を巻き込んだとあっては、そちらの体面も保たれませんでしょう? 近隣の国にも笑われることになりますし、これ幸いと、我が国へと何かを吹き込んでくる国がないとも限りません」
ウィルフ王はレティシアの瞳を真っ向から見つめてくる。その静かな重圧に耐えられなくなって、つい視線を逸らしたくなってしまうが、それを思いとどまり、睨み付けるように視線を返す。
「この一件が、イライザ様か、ナファイラ王子の仕業とすれば、それを解決するにはそれ以上の立場を持つ、王のお力を借りるほかありません」
「ふむ。では、私は何をすればよい」
面白がるように告げるウィルフ王は、やはりシェスタに似ていると感じた。
「初めに申しますと、私はウィルフ王家の内情に干渉する気なんてございません。ただ、一つの方法を提示させていただくとすれば、王が一言次の世継ぎを告げればよろしいのではないかと。王の決定の後にまで、お二方が争うことなどありませんから」
レティシアとウィルフ王は睨み合っていた。
誰も口を挟もうとはしない。
ただ、すべての者が、ウィルフ王の次の言葉を、固唾を飲んで見守っていた。




