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フィアンセバトル  作者: きなこ
10章 ナファイラ
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ナファイラ3

 銀髪に灰色の瞳。通った鼻筋。薄い唇。先日紹介された見合い相手の顔を思い出して、ジェシカはうっとりとしながら目を瞑った。

 年はジェシカより二つ上の二十一。背が高く、剣の腕も立つらしい。ここまでの条件は完璧である。同じ王族同士、カミルやデュークのように身分違いと言われることもない。

 ただひとつ。気に入らないのは、これがお見合いだということ。

 だが、実を言ってしまえばそんな憂鬱が気にならない程、彼はカッコイイ。


「ジェシカ様っ。そんなにお顔を緩めないでくださいましっ。間抜け顔が際だつでございますっ」

 条件反射的に頬を引き締めたジェシカであるが、ボリュドリーの指摘の意味を考え、眉間に皺を刻んだ。

「ボリュドリーさん。間抜け顔というのは、少し酷いと思うんですけれど」

 彼女に意見をするのは勇気がいるらしく、恐る恐るシーガルが言葉を発する。

 ボリュドリーは眼鏡を人差し指でずり上げながらじろりとシーガルを見やるが、何も言わなかった。


「粗相のないようにお願いするでございますよ。シーガル殿も、しっかりと監視なさって下さい」

 今からジェシカはナファイラに会いに行く。ジェシカはウィルフに数週間ほど滞在し、この縁談の結果を出すということになっているため、ナファイラとの交流を図らなければならないのだ。

「あちら様もどうして猶予などを下さったのでございましょうか。長く接すれば、必ずぼろが出るでございましょうに……」

 ぶつぶつと横で呟くボリュドリー。引っかかる箇所はあったが、相手にする気も失せていたため、ジェシカは聞き流すことにした。


 準備が整ったジェシカは部屋をあとにした。傍らにはアリアと同様に、護衛という名目でシーガルの姿もある。

「ナファイラ様が、良い方だと良いですね」

「うーん。外見はとっても私好みなんですけれど、まだ性格は分からないんですわよねー」

 唇に手を当て、天井を仰ぐ。縁談の席で少しだけ会話をしたが、差し障りのない言葉しか交わしていないため、その人となりは分からない。


「ただ、レティは結構気に入っていたみたいですわ。だから、きっと私好みですわよ」

「レティ様が気に入っても、ジェシカ様好みかどうかは分からないじゃないですか」

 苦笑混じりのその言葉に、ジェシカは小首を傾げた。なんのかんのであの妹とは男の好みが似ているような気がするのだが、面倒なので説明は省いた。


 シーガルの案内でナファイラの私室を訪れる。

 部屋から出てきたナファイラは表情を崩さないままに頭を下げる。形の良い唇から発せられたのは当たり障りのない挨拶の文句であった。


「えっとぉ~、一緒にお茶でもいかがでしようか? 美味しいお菓子を戴きましたの」

 ボリュドリーに指示された通りにお誘いをしてみると、ナファイラは無感動にひとつ頷いた。


 部屋の中に案内される。

 彼の部屋は飾り気ひとつもなく、アリア城で言う国王の執務室によく似ていた。壁を覆い尽くす本棚に、大きめの机。机の上にあるのはファイルケースと分厚い本である。


「もしかして、お仕事中でした?」

「いや。この縁談もあるため、特に仕事は請け負ってはおらぬ」


 奥の部屋に案内をされる。そこには丸テーブルといくつかの棚がある。奥にもう一つ扉があるが、その先はおそらく寝室であろう。

 窓から差し込む光に曝された、切り花の入った花瓶。それが目に入り、ジェシカは瞬きをした。飾り気のない部屋の中に存在する控えめな花に、何となく違和感を感じつつ。


「今、侍女を呼んでお茶の用意をさせよう」

「大丈夫ですわ。お茶なら、シーガルが淹れますから」

 ナファイラはジェシカの後ろに佇んでいるシーガルを見つめる。彼の視線はシーガルと言うよりは、シーガルのマントにあった。


「アリアでは、魔法兵団員がお茶を入れる物なのか?」

 真面目な顔で妙な質問を投げかけてくるナファイラに脱力しながら、シーガルは荷物の中からお茶セットを取りだしている。

「普通は違いますけれど、シーガルは特別なんですの」

 ジェシカはにっこりとしながらナファイラが引いてくれた椅子に座った。


 ナファイラは無表情のままジェシカの向かい側に腰を落ち着け、横目でシーガルを見る。

 酷く緊張をした様子で、シーガルはサイドテーブルでお茶を淹れはじめた。

「シーガルは何でも出来るので、一家に一人いると、とっても便利ですわよ」

 ますます脱力をする様にうなだれるシーガル。

 ナファイラはふむと唸って、シーガルへと視線をやる。

 その真摯な眼差しに、ジェシカはうっとりとしながら頬を緩めた。


「確かに。護衛が何でも出来るというのは、便利であろうな」

「うんうん。分かって戴けて嬉しいですわ」

 しばらくすると、シーガルについて話し合っていた二人の元にお茶と菓子が届けられる。運んできたシーガルは何とも情けなさそうな顔をしているが、二人とも気にとめた様子はない。


「ナファイラ王子の趣味はなんですか?」

「そうだな。剣と読書といったところであるか……」

「まあ。私も本を読むことは好きなんですわよ」

 ナファイラは特に何かを感じたわけでもなさそうで、ひとつ頷くと紅茶に口を付けた。その仕種はどこか優雅な雰囲気がある。


「あとは、料理をすることも趣味です」

「そうか。……一国の王女が料理をするとは、驚いた」

 驚いたという割には抑揚のない口調。

「そうですか? 妹なんかは、料理長も褒めるくらいに料理が上手ですわよ」

 何故か得意げに言い放ち、ジェシカはそれに対して当たり障りのない返答をするナファイラを見つめた。


 この王子。弟のシェスタと比べるとまともな性格をしているとは思う。他の王族のようにジェシカを見下した態度もとっていない。だが、何故かひどく人間味が感じられない。

 こちらの言うことは聞いている。ジェシカの言葉に対して、一応答えも返してくれる。

 ――だが、何かが違う。


 思考に耽ってしまったことから、ついつい会話がおざなりになる。

 しばしの沈黙のあと、ジェシカは窓側の花瓶を指した。

「綺麗なお花ですわね」

 ナファイラは花に一瞥だけをくれ、「ああ」と無愛想に頷いた。


 会話がとぎれる。


 ジェシカは助けを求めるようにシーガルへと視線をやるが、彼はゆっくりと首を振った。

 話題を見つけることが出来ずにジェシカが困っていると、ナファイラが話題を提供してくれた。どうでも良いような茶飲み話ではあるが、その心遣いは少しだけ嬉しかった。

 少なくとも、ナファイラはジェシカに対して無関心というわけではないようである。ジェシカはそう思うことにした。




 結局、当たり障りのない話だけをして、ジェシカはナファイラの部屋をあとにした。

「どうでしたか、ナファイラ王子の印象は」

 隣を歩くシーガルに問われ、ジェシカは腕を組みながら眉間に皺を刻んで難しい表情を作った。

「無愛想選手権を開いたら、デュークとナファイラ王子、どちらが優勝すると思います?」

 一時間程度話していたが、その中でナファイラは一度も笑わないばかりか、特に表情を崩さなかった。

「……その予想は難しいですね」

 苦笑いを浮かべながら、シーガルはジェシカの考えに同意を示した。




     *     




 何度も何度も差し障りのない会話だけを続け、数日が過ぎた。

 ジェシカからお茶に誘うこともあったし、ナファイラから誘われることもあった。だが、いずれにしてもナファイラがどういった人間であるのかは未だに分かっていない。

「あちら様から何も言って来ないと言うことは、おそらく好印象と言うことでございます」

 やや浮かれたようなボリュドリーを後目に、レティシアはのんびりとお茶を飲んでいる。


「相手の事はともかく、お姉さまの印象はどうなのです」

「うーん。なんだか、よく分からない人って感じですのよね。冷たいってわけでもないと思うんですけど……」

 見合い相手という立場のためか、一応ジェシカのことを気にかけてはくれている。だがしかし、あの無表情には感服するほどである。デュークですら、たまに意地の悪い顔をしたり、面倒くさそうにしたり、多少なりとも表情に変化はある。だが、ナファイラにはそれすらもない。


「クールっていうのかしら?」

「あなたがより好みできる立場ではないでございますっ!」

 ボリュドリーに一喝され、ジェシカはぺろりと舌を出した。


「ナファイラ王子には少々冷淡なところがあると聞きますわね」

 普段、一人で城の中をうろついているレティシアは視線を外へとやる。色々な噂話を耳にしているようだ。

「噂話に耳を傾けるなど、淑女として恥ずべき行為でございましょうっ。気をつけるでございます」

「申し訳ありません」

 微笑みながら素直に謝るレティシアではあるが、あの顔は絶対に反省などしていない。ボリュドリーもそれは分かっているのか、眉がぴくりと動いた。

 ボリュドリーの説教が始まる兆しを見せたため、ジェシカは慌てて立ち上がった。


「さてと。私、ちょっとお出かけしてきますわ」

 返事も待たずに部屋から出て、扉を閉める。

 はぁと息を吐き出し、ジェシカはすぐ近くにあるシーガルの部屋を訪れた。

 部屋にいたのはイ・ミュラーのみであり、シーガルは所用のため外出中らしい。

 部屋に戻るわけにも行かず、ジェシカは仕方なく一人で歩き出した。


 城のあちこちには絵画や彫刻品が置かれている。レティシアによると、どれもが高価な物であるらしい。芸術に疎いジェシカにとっては、その価値はさっぱり分からないのだが、壊さないように注意をする。

 何が素晴らしいのかと、謎の曲線のみが描かれている絵を見上げていると、後ろを誰かが通過していった。

「ん?」

 振り向くと、そこには紫色のショールを纏った銀髪の女の姿があった。


「サーシャ王女。こんにちわ」

 声をかけてしばらくして、ウィルフの王女、サーシャは眠たそうなはんぶん瞳をこちらに向ける。ジェシカ閉じているに気付いたらしい彼女はゆったりとした動作で頭を下げた。

 顔立ちが整っている美人で、細い体躯の儚げな女性である。儚げというよりは、生気がないというか……。


「ここでの生活に、何か不便はありませんか?」

「はい。みなさんにとても良くしていただいていますわ」

 特に食事は来客だというせいもあって、なかなか豪勢なのだ。アリアでは食べられない食材とその料理にジェシカもご満悦である。

「そう、それは良かった」

 薄く笑い、彼女は踵を返す。ジェシカには興味はないようである。


 ふらふらと歩いていくサーシャの後ろ姿を見送り、ジェシカは首をひねった。

「あの王女。風でも吹いたら飛んでいきそうですわね」

 この国の人は変な人が多いと思いつつ、まあいいかと口の中で呟いてジェシカは階段を下りた。


 階段を下りていると、今度はシェスタの姿を発見した。彼もまた、ジェシカに気付いて視線を上に向ける。

 しばし、見つめ合う。

 ふんっとせせら笑うように鼻を鳴らし、彼はジェシカの横を通り抜けて歩いていった。


「……何なんですのよ、今の」

 悔しくなって地団駄を踏みながら、ジェシカはシェスタが消えた廊下へ向かって、べーと舌を出した。

 そして、どしどしと足音を立てて階段を下り、ウィルフ城探索の旅へと出発した。


 ――が。


「あーん。ここはどこですのー」

 ジェシカはすっかり迷子になっていた。


 きょろきょろと周りを見るが、似たような扉が続くだけで何の目印もない。そもそも、食堂と自室の位置関係しか覚えていないジェシカが一人で見知らぬ場所を動くことに無理があった。

 誰かに助けを求めようとも、どういうわけかこの辺りには人の影すらもない。

 ふいに頭をよぎっていくのは、ボリュドリーの声。


「迷子になるなど、あなた様はおいくつでございますかっ。アリア国の名誉を傷つけないで下さいませ」


「あーん。ごめんなさいー」

 泣きべそをかきながら、歩き出すジェシカ。


 甘い香りに誘われるようにして歩いていると、庭園へとたどり着く。煉瓦で花壇が作られ、一部屋分のスペースに色とりどりの花が植えられていた。先程から鼻を刺激していた甘い香りは、おそらくはここの花のどれかなのだろう。

「まあ、とっても綺麗ですわね」

 仰ぐとそこは吹き抜けになっており、ガラス張りの天井の向こう側に青い空を臨むことが出来た。花壇は手入れが行き届いている。


 しゃがんで目の前にある白い花を見つめていると、

「お花はお好きなのですか?」

 唐突に声をかけられる。

 ジェシカはきょとんとしながら振り返った。


 銀色の髪に灰色の瞳。病気でもしているのか、やせ細り、血色の悪い顔をしている。かつてはかなりの美女であったことには間違いがないだろう、四十過ぎくらいの女。


「私、お花は大好きですわよ。でも、花の名前とかを覚えるのは苦手ですの」

 にっこり笑ってそう告げると、女は柔らかい笑みを浮かべてジェシカの横にしゃがみ込んだ。

「名前など覚えなくても、愛でる気持ちだけで充分。……ところで、お見受けしたところ、アリアからのお客様のようですけれど、こんな離れでどうしました?」


 儚げに微笑むその表情に、ジェシカはとある人物との共通点を見つけた。目の前の女性がもう二十も若ければ、サーシャとそっくりになるのではないか。だが、ウィルフの王族は紫色のマント、もしくは服を身に纏っていると聞く。目の前の女性にはそれはない様であったので、彼女の母というわけではないのだろう。


 不躾なまでの視線に気を悪くした風でもなく、女はおっとりと微笑んでいる。

「私の顔に、何か?」

「い、いいえ。なんでもありませんの。おほほ。えっとですね。私、アリアから来たジェシカと申しますの。ここにいるのは……えっと、その……お城が広いので、帰り道が分からなくなってしまっただけで……おほほ」

 後半部分はもごもごと口の中で呟く。


「そう。無駄に広いお城ですからね。私の名はナターシャ。お姫様のお部屋へは、私が案内して差し上げますわよ」

「本当ですの? それは、助かりますわ」

 嬉しくなってぎゅっとナターシャの手をつかむ。彼女は一瞬だけ驚いた様な顔をした物の、「元気なお姫様ね」と言ってくすくすと笑い始めた。


「お見合いでウィルフを訪れたのでしょう? 我が国の王子様はどうでしょうか?」

「シェスタ王子はどうでもいいですけれど、ナファイラ王子はとってもカッコイイ方ですわよね。あんなに美形な人に、私、初めて会いましたわ」

 にへらんと頬を緩ませて、ジェシカは上機嫌に語り出す。かと思えば突然真顔に戻り、尖らせた唇に指を当てる。


「でも、なんだかよく分からないんですわよね」

「と、言うと?」

「……うーん。なんていうか、冷たい様な印象を受けるんですわよね。……でも、話してみると、ちゃんとこっちのことを気遣ってくれているから、根っからの冷血漢というわけでもないようですし……」

 結論から言ってしまうと、やっぱり分からないのである。


 それを聞いていたナターシャは愛でるように花を撫で、寂しそうに笑った。

 ナターシャが撫でているのは赤色の小降りの花。先日、ナファイラの部屋で見た物と同じであった。

「ここでは、自分らしく生きることは叶わないのです。……特に王族であるあの方は、敵と味方を見極めなければなりませんから」

「どうして王族だと、敵と味方がいるんですの?」

 意味が分からずに尋ねてみたが、彼女は薄く笑うだけ。ジェシカは首を傾げながらそんな彼女の横顔を見つめていた。


「王子を、好きになれそうですか?」

 突然の質問に、ジェシカはぽっと頬を染めて狼狽えた。

「そ、そんなの、まだ、分かりませんわよっ。やっぱり、こういうのは勢いとか、きっかけとかがありますし」

 しどろもどろと懸命に言葉を紡いでいる、と――


「母上っ」

 切羽詰まったような声が聞こえ、周りを見回す。どこかで聞いたような声であった。

 ナターシャは苦い笑みを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がった。


 廊下からこちらに向かって走ってくるのは長身の男。必死の形相のその男が身に纏っているのは、紫色のマント。ナファイラであった。

「こんなところで、何をされているのですっ」

 ナターシャの肩をつかみ、労るような視線を向けつつも、声は怒っている。

 ナターシャは困ったような表情を漏らし、その瞳をジェシカに向けた。


「お部屋にお花を届けようと思って」

「そんなことはどうでも良いのですっ。一人で出歩いて、突然発作が起きたらどうなさるおつもりですっ。まして、あなたは命をねらわれ……」

「お客様の前ですよ」

 ぴしゃりとたしなめられ、ナファイラは言葉を途中で止めた。

 ナターシャの視線を追った彼はゆっくりとジェシカの方を向く。初めてそこにジェシカがいたことに気づいたようである。


 ナファイラという王子は、無表情である。クールなところがまた素敵である。……がらがらと、音を立ててそんな印象が崩れていく。

 ナファイラの額には幾粒もの汗が浮かんでいる。もしかすると、ナターシャの部屋を訪れた際に彼女の不在に気づき、走り回っていたのかも知れない。それこそ我を忘れるほど、必死に……。


 視線が合う。

 ジェシカはしゃがみ込んだまま、長身のナファイラをじっと見上げていた。

 しばし見つめ合っていると、彼の顔から表情という物が一瞬にして消え失せる。


「ご機嫌よう、ジェシカ王女。母の話し相手になって下されたようであるな。母は病床の身ゆえ、この場は失礼させていただく」

 姿勢を正した動作で頭を下げ、ナファイラはナターシャの事を抱き上げて踵を返した。


「は、はぁ……?」

 ぱちぱちと瞬きをしながら、ジェシカは彼の背中を見送った。

 申し訳なさそうにこちらを見たナターシャが、ナファイラの肩越しに頭を下げていった。


 彼らの姿が消えてから、ジェシカはいまいち腑に落ちない表情をして立ち上がった。今見た物は夢か、幻か……本気でそんなことを考える。


「あ、そういえば……」

 彼らが消えた廊下を見つめ、ジェシカは呆然としていた。

「あのぅ、私の、部屋は、どこ……?」

 途方に暮れたように呟き、ジェシカはがっくりと肩を落とした。

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