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フィアンセバトル  作者: きなこ
2章 トルタ
6/89

トルタ3

 今日も混雑したクレープ屋へ繰り出したジェシカ姫。


「こんにちはぁ~」

 ようやく最前列に辿り着いたジェシカは、極上の微笑みを浮かべてトルタに挨拶をした。


「いらっしゃいませ、ジェシカさん。昨日は大丈夫でしたか?」

「はい。おかげさまで」

「それは良かった。心配していたんです」


 トルタは甘い顔で微笑む。

 トルタの笑顔に黄色い声が上がるが、ジェシカの耳には入ってこない。彼女に聞こえているのは、耳に心地よい少し低めのトルタの声だけ。


「今日は何になさいますか?」

「バナナチョコでお願いします」

 そう。キャーキャーとうるさい外野なんて気にならない。なぜなら、ジェシカはトルタと二人の世界を作り上げているのだから。


 と――

「ジェシカさん、シーガルさん、ようこそいらっしゃいました!」

 奥から出てきたのはクレープ屋の店長。食べ物屋の店長らしく、清潔感溢れる雰囲気の彼はカウンターからこちら側に出てきて、シーガルの手を取る。

 今までうんざりとしたようにジェシカを見ていたシーガルの顔色が、瞬時にして変わった。


「さあさあ、ジェシカさんは奥へ。ほら、トルタ。ジェシカさんを奥に案内しろっ」

「は、はい」

 店長命令には逆らえないらしく、トルタは苦笑しながらジェシカの事を奥へと案内する。同時にわき起こる女の子達の悲鳴。


「さあ、お待ちかねの、シーガルさんのショーの始まりだぞー」

 嬉しそうな店長の声を聞きながら、ジェシカはにんまりと微笑んだ。

 ジェシカと店長は手を組んでいるわけではないが、なんとジェシカに都合がいいのだろう。


「すみません。前回のシーガルさんの呼び込みで売り上げが伸びたらしくて、店長が調子に乗ってしまって……」

 シーガルの手品もどきの魔法は子供に大反響だったらしい。やはりシーガルは素晴らしいとジェシカは心の中で賛辞を送った。


「ちょっと待ってて下さいね。今、クレープを作ってきますから」

 トルタと話をするのも良いが、やはりクレープも食べたい。そんな思いから、ジェシカは口元をゆるめて笑みを浮かべた。


 しばらくしてトルタがバナナチョコクレープを持って中に入ってくる。

「どうぞ。ジェシカさん」

「ありがとうございます」

 受け取ったクレープからは甘い香りがする。もちろん味も場のムードも、甘い。もう言うことはない。本来ならばここでトルタを口説くなりすべきなのだろうが、美味しそうなクレープの誘惑には勝てなかった。

 ぱくぱくと一心にクレープを頬張るジェシカ。


「ジェシカさんは、クレープが好きみたいですね」

「ええ。もちろん。美味しいんですもの」


 微笑みを返す。

 そう。この雰囲気である。この雰囲気こそ、ジェシカの求めていた物だ。恋人同士が共有できる、二人だけの空間。そんな事を考えて、

「まだ恋人って訳じゃないですわ~」

 1人で照れてつっこみを入れる。


 真っ赤になってそんなことをしていると、訝しげな視線のトルタに顔をのぞき込まれる。

「どうかしましたか?」

 慌ててジェシカは頭を振った。


「いいえ。何でもありませんのっ。そ、それより、このクレープも美味しいですわね」

 そんなジェシカの顔を見て、トルタは吹き出した。

 何かおかしいのかと狼狽えるジェシカに、トルタはハンカチを差し出す。そしてあいている手で自分の口の端を指す。

「ここ。クリームが付いてますよ」

「ま、まあ」

 頬を染めながら、ジェシカはトルタのハンカチを受け取った。慌てて口元を拭い、ごまかすように微笑んでみる。


「そうだ。おなかに余裕があったら、新製品でも食べてみませんか? まだメニューに出す前なんですけれど」

「良いんですの?」

 肯定するような微笑みを向けられて、ジェシカは何度も頷いた。




 その後、トルタは時折店の方にも出ていたものの、シーガルのバイトが終わるまでの間二人は世間話などをしながら楽しい時間を過ごした。

 そして別れるとき、トルタは満面の笑みを浮かべて言った。

「今日は楽しかったです、ジェシカさん。また来て下さいね」

 ジェシカは心の中で驚喜していた。ついに自分にも春が訪れたのだと信じて。




 夕方になって、ジェシカ達は城に戻ってきた。

 城の出入りはシーガルが姿隠しの魔法を使って、騎士達の守る城門を堂々とくぐっている。


 近くに誰もいないのを見計らい、シーガルは術を解いた。

「はぁ~。何度通っても緊張しますわぁ~」

 あまり緊張している様には思えない調子でジェシカが息を吐く。

「俺も、掌が汗ばんでます」

「あら、本当」


 術が解けるのを防ぐため、城の出入りの際にはシーガルがジェシカの手を引いて歩いている。そのため、ジェシカにはシーガルの掌が汗ばんでいるのが分かったのだ。


「しばらくは控えてくださいよ。あんな客寄せ、毎日やっていたら噂が立ってすぐにばれます」

「嫌ですわ。せっかくトルタさんと良い雰囲気ですのに」

 シーガルは渋い顔をする。


「昨日今日と連日じゃないですか。第一、俺が店の定員をやっていたら、トルタさんの仕事を奪って迷惑をかけることになりますよ」

 トルタに迷惑をかけると言う言葉に、ジェシカの心は揺らいだ。だが、トルタに会いたいという気持ちの方が強いのも事実。

 そんなジェシカの気持ちなんてお見通しとばかりに、シーガルは続けた。


「相手の事を考えられない人って、嫌われますよ」

「う……」

「だいたい、トルタさんはあれだけカッコ良いんですから、恋人くらい……」


 そこでぴたりと言葉を止める。

 ジェシカも険しい表情で、シーガルのことを見つめていた。

 そういえばジェシカは肝心なことを聞いていなかったのだ。トルタは今フリーかどうか。いくらジェシカがモーションをかけても、恋人がいるならば無駄な努力となる。略奪愛などはジェシカの趣味ではないし。


「もし、恋人がいたら、しばらくはおとなしくして下さいね」

「恋人がいなかったら、私の好きなようにさせていただきますわよ」

 二人はにらみ合ったまま、口元に笑みを浮かべた。互いに自分の主張に自信があるらしい。


「明日ですわ」

「……明日ですね」

 シーガルの方は気が進まなさそうだったが、約束をした。


 その二人のやりとりを、こっそりと聞いている人物の存在にも気付かないで―― 




 夕食の時間になったが、ジェシカはちっとも食欲がなかった。

 それもそのはず、トルタのところでクレープを何個も食べてきたのだ。お腹にゆとりがあるはずもない。


「ジェシカ、どこか調子が悪いのかね?」

 心配そうにロキフェルが尋ねる。

 ジェシカは曖昧に笑ってみせた。


「ちょっと食欲がないだけですの」

「一体何を間食していたのです?」

 レティシアに問われて、ジェシカは冷や汗を流した。


「今日のシーガルの差し入れはアップルパイでしたの。町で評判のお店の物で、とても美味しくてついつい……」

「どこで食べていらしたのかしら? お部屋の方にはいらっしゃらないようでしたけれど」

 うまくごまかす言葉が出てこなかったので、笑ってみせたが、残念ながらうまく笑うことは出来なかった。

 レティシアは不機嫌そうだ。寝不足なのか、目が半分閉じているようにも感じられる。心なしか顔色も悪い。


「あなたこそ、大丈夫ですの?」

「何がです?」

「あ、あの、顔色が悪いように見えて……」


 レティシアは無言でスープを飲んでいる。

 ジェシカは気が気ではなかった。勘の鋭いレティシアである。迂闊な事を口にすればジェシカが町に出ている事くらいすぐにばれる。しかも、この口振りでは何かに勘付いていると見て間違いない。

 姉としての威厳の問題もあるが、この場合、下手に出る方が利口である。


 レティシアは黙々とスープを口に運んでいる。スープを飲み終えると、口を軽く拭いて立ち上がった。

「レティ。少し休んだ方が良いんじゃないのかい? それに、もう少し栄養もとった方が……」

 さすがのロキフェルも見かねて口を出すが、レティシアはその言葉に従うつもりはないようだ。そのかわり、にっこりといつもの猫かぶり微笑みを浮かべて、スカートの裾をついっと持ち上げる。


「盛りのついた雌猫のおかげで忙しいんですの。それでは、お食事中申し訳ありませんが、お先に失礼いたしますわ」

 優雅な動作で頭を下げ、レティシアは部屋から出ていった。


 ロキフェルは怪訝そうにレティシアが消えた扉を見つめていた。

「レティは猫でも飼い始めたのか?」

「……さあ?」

 ジェシカもまた、首を傾げながら扉を見つめていた。




     *     *     *




 アリア国の軍事機関は騎士団、近衛兵団、魔法兵団の三本柱である。

 そのいずれの機関も城の敷地内にその中枢が位置しており、この魔法兵団の施設は城の敷地の一番奥に構えていた。

 入り口の警護に当たっている魔道士達のローブの裾が揺れる。今は風など吹いていないというのに――


 魔法兵団の施設の一番奥の部屋に、総帥であるイ・ミュラーの部屋がある。彼の体格は全体的にほっそりとしており、目つきが鋭い老人である。髪の色は白。そして、魔法兵団の中でも最高位を表す漆黒のマントを羽織っていた。

 彼は書き物をしていた手を止めて、視線を上げた。


「あまり、俺の部下達をいじめるな」

 彼の言葉と同時に扉が開いた。だが、その向こう側には何もなかった。

「みんな平和ぼけしてるんでな。侵入者がいるかも知れねえなんて、気を配っちゃいねえみたいだ」


 嘆かわしいことだがと続け、イ・ミュラーはにやりと笑った。

 一人の少女の姿が現れる。彼女は少しだけ拗ねたような顔で唇を尖らせた。


「良い度胸してるじゃねえか。魔法兵団員相手に、喧嘩でもふっかける気かい?」

「この魔法がどの程度、人の目を欺けることが出来るかの実験ですの。透明人間というのもおもしろい物ですわね」

 そう言いながら、レティシアはスカートの裾を持ち上げてお辞儀をする。


「お久しぶりですわ、イ・ミュラー様」

「最初に言っておくが、魔道書は貸してやらねえからな」

「……人を一体なんだと思っていますの?」

 じとっと半眼になって睨んでやると、イ・ミュラーはおかしそうに笑った。この老人はかなりの高齢のはずだが、外見も態度も口調ですらも年寄り臭くはなかった。


「お前もシーガルの奴も、つまらねえから嫌いだ。人が教えるもんをあっさりと覚えていきやがって。ちったぁ苦悩しやがれ」

「ご自分の弟子の成長を素直に喜んでくださいな」

「てめえなんざ、弟子に持った覚えはねぇなぁ」

 レティシアはにっこりと笑った。イ・ミュラーはふんっと鼻をならして口をへの字に曲げたが、目は笑っている。


「なんであの冴えないロキフェルから、こんなのが生まれてくるかねぇ。お前の姉のバカさ加減はロキフェルにそっくりだってぇのに」

「……イ・ミュラー様。否定はしませんけれど、人前でそのようなことを言うのは控えてください……」

 けらけらと楽しそうに笑いながら、イ・ミュラーは背もたれに深く寄りかかった。


「で? 魔道書目当てでねえなら、一体何の用件だい?」

「イ・ミュラー様にお願いしたいことがありますの。……お姉様の事なんですけれど」

 神妙そうな面もちで、レティシアは用件を伝え始めた。


 その内容は――

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