ナファイラ2
石造りの、伝統を感じさせる――かなり昔に造られた古い建造物。
目の前に佇む城から感じられるのは威圧感。
ジェシカはぽかんと口を開きながらその城を見上げていた。
「みっともないざます、ジェシカ様」
「みっともないですわよ、お姉さま」
ボリュドリーとレティシアから同時に注意をされ、ジェシカは慌てて口を閉じ、背筋を正した。
ここはウィルフの王都。
本来ならば互いの国の国境ででも執り行われればいい見合いではあるが、色々と都合があってアリアの王女がここまで足労する羽目になってしまった。
仮にも一国の王女が国外に出るのだ。大勢の騎士達が護衛として付き従い、大行列となったこの旅。ジェシカの見合いには本来ならば国王であるロキフェルこそ付き従わなければならないのだろうが、彼は多忙のためこの見合いの引率は辞退している。その代わりに、監視役としてレティシアとボリュドリーが付いてきた。
ジェシカの斜め後方には、魔法兵団の正装をしたシーガルとイ・ミュラーの姿もある。
「まったく。堅苦しいところだな」
辟易としたように呟くイ・ミュラー。それとほぼ同時に、城門が重くきしみをあげて開く。
姿を現したのは青色のマントを羽織った壮年の男。長い黒髪を後ろで一つに縛っている、渋めの二枚目であった。
彼は階段の上からジェシカ達を見下ろし、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ジェシカの前で一礼をし、彼は一同をぐるりと見渡す。
「私はウィルフ近衛兵、コーウェル・ウィンザルドと申します。遠路はるばるよくお越しくださいました」
どう返していいのか言葉に詰まるジェシカに変わってレティシアが口を開く。
「お初にお目にかかります、コーウェル殿。私はアリアの第二王女、レティシア・アリアです。こちらが第一王女のジェシカ。魔法兵団総帥のイ・ミュラー殿。付き人のムサゲーテウス殿、シーガル殿です。ウィルフへの滞在中、何かと面倒をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします」
紹介をされた面々はゆっくりと頭を下げる。それを見て、ジェシカも慌てて頭を下げようとしたが、イ・ミュラーに止められた。
「王がお待ちです。どうぞ……」
コーウェルの案内で、ジェシカ達は歩き出した。
*
正直に言えば、訳が分からなかった――
玉座に座るウィルフ王の姿を見上げながら、ジェシカは悩むように眉間に皺を刻んだ。
ボリュドリーの押しに負けて、見合いをするという話を承諾してしまったからの日々は早かった。ウィルフの王子との見合いということで、城中が大騒ぎになり、新しい服を仕立てたり、旅行の準備に追われたり。社会勉強には行かせてもらえなくなり、礼儀作法を教えるとボリュドリーは一人ではしゃいでいた。もちろん、彼女が気合いを入れるだけ、ジェシカが被害を被ったのであるが。
助けを求めても、レティシアもロキフェルも自業自得と言うだけ。
気づけば、故郷であるアリアから遙か彼方にあるウィルフにいて、こうして他国の王を見ている。
何かをウィルフ王が喋っている様ではあるが、そのほとんどは右耳から左耳へと通り抜けていく。ジェシカにとってはどうでもいいような難しい話には興味がない。例え、それが自分の見合い相手の事だとしてもである。
難しい話はイ・ミュラーとレティシアに任せ、ジェシカはこっそりと周りを見渡した。
玉座に座っているウィルフ王は微妙に色あせた銀色の髪の初老の男。昔は美形だったのかもしれないが、現在見る限りでは顔色の悪いやせ衰えただけの男である。厳格そうで、王としての威厳には満ち溢れてはいる。紫色のマントが目を引く。
王座の横に、もう一つ椅子がある。そこに座っているのはウィルフ王妃のイライザ。見事な銀色の髪を一つに結わえ、きらきらと輝く髪留めで飾っている。その宝石などは見事なのであろうが、どちらかといえば眩しいだけで目に毒である。身に纏っている物は紫色のドレス。化粧を濃く施しており、彼女は観察するようにレティシアを見つめている。
さらに、第一王女だという女が玉座の横に立っていた。名前はサーシャ。銀色の長髪を長く垂らし、額と首元に飾りを付けている。彼女は紫色のショールを身に纏っていた。ぼんやりとしていて、薄い印象を受ける美女。年はジェシカよりも上であろう。
欠伸をしたいのをぐっとこらえ、ジェシカは真顔を崩さないように頬の筋肉に力を入れていた。
「ナファイラは現在北の国境付近の警護の任に就いておる。帰還次第、対面をして戴こう」
事前にジェシカがここに来ると分かっていたというのに、何故見合い相手を呼んでおかなかったのか。少しばかり腹を立てて、文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、
「では、下がってよいぞ」
そんな言葉がかけられ、ジェシカ達はあれよあれよという間に謁見の間から追い出された。
軋みを上げながら重い扉が閉まる。
ジェシカは半ば呆然としながらそれを見つめていた。
「な、な、な……なんで、あんなに偉そうなんですの?」
「お姉さまっ! 滅多なことは仰らないでくださいっ!」
ぴしゃりと言い捨て、レティシアは周囲をはばかるように視線を左右させる。そこにいるのは謁見の間を警護する近衛兵が二人と、イ・ミュラーとシーガル。そしてボリュドリー。
「アリア王家の祖は、ウィルフの王族の分家とされていますの。アリアはウィルフから分かれてできた国。……あちらは、私たちを格下と見下しておりますわ」
さして感慨も込めずに小声で説明をし、レティシアはうんざりとしたように息を吐いた。
「お二方とも。私は用事があるのでお傍にはいられませんが、粗相のないよう、お願いするでございますよ」
レティシアは微笑みながら頷いた。ジェシカもつられてこくこくと頷く。それに満足をしたのか、ボリュドリーは微笑みを浮かべ、ジェシカ達とは逆方向へ歩いていった。
イ・ミュラーも用事があるらしく、別行動を取る事となった。
誰ともすれ違わない廊下を歩きながら、レティシアはちらりと横目でジェシカを見やる。
「お姉さま。ボリュドリー様の言葉ではありませんけれど、問題は起こさないでくださいね。あちらはこちらを見下した言をしますけれど、挑発には乗らないで……」
「それはあんまりな言い様だな」
声は唐突だった。
ジェシカはぎょっとして、レティシアは無表情で、そしてシーガルは警戒した様子で声の方を向く。
彫刻の影から現れたのは、レティシアと年は変わらない位の少年であった。銀色の髪の綺麗な顔立ちの少年。瞳の色は金色。身長は少々低めで、ジェシカよりも目線は低い。濃い水色の上着を羽織り、右の肩に紫色のマントを巻き付け、無造作に垂らしている。
シーガルが膝をつく。
ジェシカがきょとんとする中、レティシアは恭しく頭を下げ、スカートの裾を持ち上げた。
「お初にお目にかかります。シェスタ王子ですね?」
友好的な微笑みを浮かべるレティシア。ただし、ジェシカからすると作った笑みだとすぐに分かるのだが。
シェスタと呼ばれたその少年は興味深そうにレティシアのことを見つめ、軽く頷いた。
「私はアリアの第二王女、レティシアです。こちらが……」
「よい」
片手をあげ、レティシアを制するシェスタ。ジェシカを紹介しようとしていたレティシアは動きを止め、微かに眉を寄せる。
「そちらは兄上と見合いをするアリアの第一王位継承者、ジェシカ・アリアであろう」
「え、ええ。そうですの。よろしくお願いいたしますわね」
挨拶をしながら精一杯の笑顔を作るが、シェスタは興味がなさそうに一瞥をくれただけで、すぐに視線をレティシアへと戻してしまう。
失礼なその態度に唇を尖らせると、シーガルに腕をつつかれた。
「我慢してください」
不本意ながらもジェシカはそれに従う。
「アリアの姫が我が国に来るかと言うから、楽しみにしておったぞ。アリアの姫は美しいと我が国でも噂されておるからな」
それならばどうしてジェシカには無関心なんだ、と腹を立ててシェスタを見やる。ウィルフを訪れるアリアの姫とは、本来ジェシカのことを指すはずなのに。
だが、彼は完全にジェシカなど眼中にないらしい。
レティシアははにかむような笑みを浮かべ、再び頭を下げる。
「もったいないお言葉。痛み入ります」
「いや。アリアの王族のくせに、確かに、小綺麗な顔をしておるな」
俯き加減のレティシアの顎に人差し指を当て、くいっと持ち上げる。レティシアの表情から、一瞬だけ笑みが消えた。
いくら何でもそれは失礼なのではないかと声を上げようとしたが、レティシアの手に制される。
「アリアの姫など……」
「私など、ウィルフの優美な貴婦人に比べれば、がさつなだけの田舎者にすぎませんわ」
可憐な微笑みを浮かべながら、しかしシェスタの言葉を遮っての強い口調の発言に、彼はひるんだように口を閉ざした。
「しばらくはこの城に滞在させていただくことになります。どうか、よろしくお願いいたします」
レティシアは一歩後退し、優雅に頭を下げるとシェスタの横を通り歩いていく。ジェシカとシーガルもシェスタに頭を下げてレティシアの後を追った。
「……それにしても、あの王子。人のことをいちいち見下しているみたいで、感じが悪いですわ」
顔だけを見ればかなりの美形であるが、性格に問題がありすぎる。そういえば、こちらを見下しているというのは、ウィルフ王や王妃の態度の端々にも表れていた。ジェシカの見合い相手もそうなのかと思うと、会うのすら億劫になってくる。
「我慢してください。こんな事で両国の関係を悪化させるわけにはいきませんから」
やがてジェシカとレティシアに割り当てられた部屋へとたどり着く。
「俺とイ・ミュラー様は二つ隣の部屋ですから、何かあったら呼んでくださいね」
シーガルはそう言い残して、廊下を戻っていった。
ジェシカは部屋に入るなり、背伸びをして体の疲れをほぐしにかかった。肉体的にも精神的にも圧迫されて、へとへとなのだ。
「それにしても、レティは辛抱強いですわね~。私、感心してしまい……」
気楽にレティシアへと話しかけた言葉は最後まで続かなかった。奥の部屋へと歩いていったレティシアが足下のゴミ箱に蹴躓いていたのだから。
レティシアは表情のない顔をして、足下のゴミ箱を見つめている。そして、力一杯ゴミ箱を蹴り飛ばすと、何食わぬ顔をして奥へと歩いていってしまった。
「あの子……実は、はらわたが煮えくりかえっていたのかしら」
ぞぞぞと背筋に悪寒を感じ、ジェシカは引きつった笑みを浮かべた。
ウィルフに到着してまだ一日目。身から出た錆とはいえ、なかなか前途多難な滞在になりそうだ。
これで、見合い相手までが最悪な性格で、その上その見合いが断り切れなかったらどうしようかと考え、唸る。
ジェシカは重く息を吐いた。
* * *
ウィルフ国。
アリアの成り立ちを考えれば、見下された態度を取られるのは分かり切っていたこと。しかし頭では分かっていても、腹が立つ物は仕方がない。
この城に滞在して三日。ジェシカの見合い相手であるウィルフの王子はまだ現れない。
その辺からしてどうでもいいと思われているのがありありと伝わってくる。対等の立場として接しろとは言わないが、それなりの礼儀という物があるのではないだろうか。レティシアにはそう思えてならない。
ウィルフ内の情勢などを調べながら、城の中を探索していたレティシアは廊下の窓から外を眺める。視界に入ってくるのは、険しい山脈。アリアとウィルフを隔てるワイリンガ山脈である。
「色々と、複雑なんですわよね」
――この国での王位継承権を持つ人物は三人。現ウィルフ王の子供であるサーシャ、シェスタ、そしてナファイラ。王位継承権を巡っては王室内でのいざこざが多少なりともあるらしい。これがアリアの姫との見合いを機に、何らかの変化を生み出す可能性もある。
平和ぼけしたアリアとは何から何まで違うこの王国。何事に関しても一筋縄ではいきそうにない。
「私が、しっかりしなくちゃ……」
自分に言い聞かせるように呟き、レティシアは拳を握りしめた。
さしあたっての問題は、ナファイラという名の王子がどんな人物であるかなのだが。
――突然何かに腕を引っ張られる。
とっさな事であったため、外からかけられる力に抗うことはできなかった。背中を壁にぶつけ、思わず目を閉じる。
「また会ったな。とはいえ、三日間全く会わなかったので、さけられているのかと思っておったぞ」
声と口調から、それが誰であるのかを察したレティシアはしかめっ面になるのをこらえ、薄く笑みを浮かべる。
「あら、避けるだなんて、そんなはずはございませんでしょう?……それより、突然何をなさるのです?」
無礼な王子はレティシアの右腕をつかみ、壁に押しつけるような体制で顔をのぞき込んでいる。その瞳が楽しそうに細められた。
「兄上達の事は捨て置いて、余達も仲良くしようではないか。それに、兄上より、余に取り入った方がアリアの利も大きいと思うがな」
何を言っているのだろうと、訝しげにシェスタの金色の瞳を見つめる。
近づいてくる顔を避けるように横を向くが、空いている手で顔を固定される。
「お戯れはよしてください」
視線だけを左右させて周りを見るが、廊下を通る侍女や騎士達は見て見ぬ振りをするばかり。
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべているシェスタ。
我慢にも限界がある。
レティシアは空いている左手に力を入れた。怪我をさせない程度に少々痛めつけてやろうと、軽い電撃の魔法の構成を練る。
その時、レティシアの視界の隅に紫色の布が閃くのが見えた。
「何をしておる」
低めの、落ち着きのある声。
シェスタは小さく舌打ちをし、レティシアから半歩ほど離れた。そして忌々しげに視線を斜め上へとやる。
しばし遅れ、レティシアもシェスタの視線を追うように顔を上げた。そこにあったのは無表情にシェスタを見つめる切れ長の瞳。銀色の、首に掛かる位で切られている髪。少々長めの前髪の下から覗く顔立ちは、端正としか言いようがなく、ジェシカが見たら舞い上がること間違いなしである。
王族が身に纏う紫色のマントを見て、レティシアは確信した。彼がジェシカの見合い相手であるナファイラであると。
シェスタは乱暴にレティシアの腕を放し、何も言わずに歩いていってしまった。
「大丈夫か、ジェシカ姫?」
気遣うような言葉ではあるが、レティシアはきょとんとしながら瞬きをしてしまった。この王子は、何かを勘違いしているようだ。
「あの……。つかぬ事をお伺いしますが、お見合い用の肖像画はごらんになりました?」
「そういえば、見ていなかったな」
即座に答えられ、レティシアは苦笑を漏らした。
「私はレティシアと申します。王子の見合い相手である、ジェシカ・アリアの妹でございます。以後、お見知りおきを」




