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フィアンセバトル  作者: きなこ
10章 ナファイラ
58/89

ナファイラ1

 幼い頃、ジェシカには天敵がいた。

 その名もボリュドリー・ムサゲーテウス。齢六十を越える老婆で、元々はウィルフの貴族出身の娘であったそうな。嫁ぎ先であるムサゲーテウス家は代々王族に仕えてきた由緒ある家柄であり、彼女だけでなく彼女の娘も、そのまた娘もこの城のどこかで働いている。


 ボリュドリー・ムサゲーテウス。

 そもそも舌を噛みそうで覚えにくいその名前からして、ジェシカの頭を悩ませていた。まして彼女はかちかちの石頭で、昔からジェシカ達の礼儀作法に口やかましく意見してきた人物でもある。彼女の指示のほとんどを聞いていなかったため、今のジェシカがあると言えばそれまでなのだが、それにもめげずに彼女は口を挟んでくるのだから、なかなか厄介である。


 つい二年ほど前。身体の不調を訴え、彼女は療養のために実家のあるウィルフへと去っていった。『あの』彼女も年には勝てずに引退をしたというのが皆の見解であった。

 彼女の身体は心配ではあったが、何を隠そう厄介者がいなくなって喜んでいたのも事実。それはジェシカだけではなく、レティシアやロキフェルや多くの侍女達ですら、同意見であった。

 躾についてうるさい人物が存在しなくなり、彼女の存在すら人々の記憶から消え去ろうとしていたそんなある日――


「ジェシカ様。私のいない間に社会勉強などと称して、町をうろついている様でございますね」


 しゃがれた声音で話しかけてきたのは、いなくなったはずのボリュドリー。彼女は眉間に皺を刻み、悪夢に出てきそうな皺皺で不気味な顔をずいっとジェシカに近づけてくる。

 思わず椅子から上体を仰け反らせ、ジェシカはごくりと唾を飲み込んだ。

 白髪を一つに結わえ、気むずかしそうな皺だらけの顔に三角眼鏡をかけている。身長はあまり高くはないが、背筋はまっすぐに伸びており、貫禄も十分である。


「あ、あら。ボリュドリーのおばあさま。お元気そうでなによりですわぁ」

 誤魔化すような笑みを浮かべながら挨拶をすると、ぎろりと鋭い眼光に射すくめられる。


 ジェシカの向かいの席でケーキを食べていた銀色の髪の少女――アンジェリカは、何が起こってるのか把握できていないらしく、紫色の瞳をきょとんと丸くしていた。


「質問の答えになっていないでございましょうっ」

 年を思わせないようなはっきりとした強い口調。ジェシカはぴんっと背筋を伸ばして両手を膝の上に置いた。

「これもみんな、陛下があなた方を甘やかすからでございます」

 ぼやいているボリュドリーを上目遣いにちらりと見やる。彼女はぶつぶつと何かを呟きながら、頭を振っていた。


 彼女が帰ってくるなど何も聞いていなかったジェシカはとにかく狼狽えていた。

 「どうして報せてくれなかったのだ」と文句を言いたいところであるが、文句を言う相手であるロキフェルとレティシアは現在城を空けていた。彼らはターチルへ赴いているのだ。ターチルの頭領ダンは、正式にその座を息子であるヤンに譲り渡したらしい。その戴冠の議が執り行われるため、二人はダンに招待されたと言うわけである。ジェシカには招待状が来なかったため、留守番なのであるが。――その辺はおそらく、ダンの嫌がらせであろう。


 ボリュドリーは背後に控える侍女から包みを受け取り、テーブルに乗せる。

 包みの中から現れたのは、見慣れた感もある肖像画数枚。


「あら。お見合いですか」

 にっこりと、あくまで他人事の笑みを浮かべて肖像画に手を伸ばすのはアンジェリカ。実は、先日の一件以来彼女とは意気投合してしまい、度々会ってはくだらない話題で盛り上がっている。


「私、お見合いなんて……っ」

「ジェシカ様。あなた、ご自分の年を分かっているのでございますか?」

 ずり下がった三角眼鏡を人差し指で持ち上げながら、ボリュドリーは半分閉じた様な瞳を向けてくる。

「まだ十九ですわ」

「もう、十九でございます。この国の第一王位継承者である、あなた様が、未だに婚約もしていないとはどういうことでございますか。民も心配なさっておられることでしょう」


「それよりむしろ、面白がっているかもしれませんね」

 アンジェリカはわくわくとした面もちで肖像画を見つめている。

「ジェシカ様好みの美形ですよ」

 アンジェリカに差し出された肖像画を横目で見ると、確かにそこには金髪美形の青年の姿がある。ジェシカ的基準には十分に適っているが、彼に比べればまだまだ美形の主はいるであろう。


 ボリュドリーはおほんとわざとらしく咳払いをしている。

「あなた様が結婚をして世継ぎを生むことは、いわゆる義務なのでございます。王族であるが故の宿命でございます。諦めて、そろそろ婿を決めるでございます」

「嫌ですわっ。義務なんて言葉で、早まりたくありませんわよっ。私は、私の決めた人でなければ、結婚なんてしたくありませんもの」

「まあ。なんて聞き分けがないのでございますか。確かに、あなた様が世継ぎをお産みにならずとも、この国にはレティ様がおりますゆえ、それはそれでいいのではありますが。――むしろ、その方が民のためとも言えるのではありますが……」

 本人を目の前にしてそんなことを言うかと思いながらも、言われ慣れているので気にしないことにした。


「とにかく、お見合いなんてしませんわ」

「いいえ。していただきましょう」

 睨み合う二人。


 このままでは話し合いは平行線を辿ってしまう。そうなった場合、圧倒的にジェシカの立場が弱くなる。ボリュドリーの押しに勝てる気などしない。


「あら、美形ですね~」

 横から脳天気な声が聞こえ、気になってしまったジェシカはそちらへと視線をやる。アンジェリカは一枚の肖像画を持ち上げて、しげしげと眺めていた。

「これなら、ジェシカ様の好みにばっちりですね」

 邪気のない笑顔でそう語ったアンジェリカは、はいっと無造作に肖像画を差し出す。


 そこに描かれていたのは、銀髪美形の青年である。端正な顔立ち。涼しげな目元。引き締まった感じの唇。武人を思わせるような堅そうな雰囲気が微かにあり、確かにジェシカ好みである。しかも、その容姿はかなりの美形と言える。どの位美形かというと、今までに会った人の中でも三本の指に入る程に。


 アンジェリカから肖像画をひったくるようにして奪い去り、うっとりとそれを見つめる。

「そのお方に、会わせて差し上げましょう」

「……む。お見合いは嫌ですわ。お断りします」

 ボリュドリーは眼鏡をずりあげながら、含むような笑みを浮かべた。

「それでは、姫はこの方との出会いの機会を、自ら捨てるというのでございますね」

 ついつい言葉につまり、肖像画とボリュドリーを見比べる。


 美形の人との出会いは欲しい。だが、相手は貴族。下手をするとジェシカの身分が目当てかも知れないし、性格とて典型的な貴族の嫌な奴かも知れない。

 ――だが、この出会いのチャンスを不意にするのも躊躇われるジェシカは視線を忙しなくあちこちへとやった。


 と、唐突に目の前に指が突きつけられる。


「姫っ! これは国民の代表者として言わせていただくでございますっ。いい加減に覚悟を決めて、婚約者を決めなさい。そもそも、これは見合いなのですから、あなた様の意にそぐわなければ、断ることも出来るのでございます。お会いするだけお会いいたしますよう、よろしくお願いいたします。これは命令でございますっ。――よろしいですね?」


 一気にまくし立てられ、その迫力に押されてついつい頷いてしまうジェシカ。心の中には、「まあ、断れるなら良いか」という安易な気持ちもある。


 ボリュドリーは身を引いて、満足気に頷いた。

「それでは、そのように話は進めさせて戴きます」

 微笑みの中に、少しだけ含むような表情を見せ、彼女は余った肖像画を集めて退出していった。


「はじめてのお見合いですね」

 のほほんと呟きながらお茶を飲んでいるアンジェリカ。

「でも、私はちゃんと自分で決めますからね、婚約者」

 手に残ったままの肖像画を見つめ、へらっと頬を緩めるジェシカを見て、アンジェリカは訝しげに首を傾げた。

「絶対にデューク様の方が素敵だと思うんですけれどねぇ~」

 それに対してはあえてノーコメントを決め込み、ジェシカは少しだけ浮かれた気持ちでケーキを頬張った。


 


     *     


 


 彼女にしては珍しく、ノックもなしに扉を開いた。


 ターチルから帰ってきたレティシア。廊下を走ってきたのか、肩で息をしながら、蒼色の大きな瞳を細めてジェシカのことを睨み付けている。


「あら、レティ。お帰りなさい~。ヤンは元気でした?」

 妹の帰宅が嬉しいのと、友人の様子が知りたいジェシカはにっこりと笑みを浮かべて話しかける。

 しかし、レティシアは答えなかった。

「お姉さまっ。人がいない間に、何をしているんですのっ」

 だんっと片足をその場に叩きつけるようにしながら、わめくレティシア。何故か怒っているようである。

 ジェシカはついつい後ずさり、あははと曖昧な笑みを浮かべてみせた。


「嫌ですわ。私、何もしていませんわよ。ちゃんとお利口さんに、お留守番をしてましたわ」

「日頃はお見合いなんて絶対にしないと言っているくせに、よりにもよって、どうして私たちがいないときに……っ」


 激怒しているレティシア。

 ジェシカはちょこんと首を傾げた。いつもは見合いを推奨しているくせに、勝手に話を決めたからと、どうして叱られなければならないのだろうか。


「レティ様。廊下を走ったり、大声で叫んだりするなど、淑女として恥ずべき行為は控えますようにと、何度も申したではございませんか」

 いつの間に現れたのか、レティシアの背後にボリュドリーが仁王立ちしている。


 レティシアは短く息を飲んで、ゆっくりと振り返る。まるで幽霊でも見るかの様な視線。

「あなた、生きていたんですの?!」

「人を勝手に殺さないでくださいまし。あなた方を立派な淑女に成長させ、嫁ぐのを見届けるまでは、このボリュドリー、死んでも死に切れませんでございます」


 レティシアは呆然としながらジェシカとボリュドリーを見比べ、我に返ったかのように軽く頭を振る。

「お姉さまの見合いは、つまりは、ボリュドリー様に押し切られたという訳なのですわね」

 ジェシカが何も言っていないのに、あっさりと状況を見抜くレティシア。ジェシカは素直に感心をしながら、うんうんと何度か頷いたが、レティシアの鋭い視線に射抜かれて、にやけていた頬を引きつらせてしまう。


「ボリュドリー様。お姉さまは見合いなどするつもりはございません。お心遣いは痛み入りますが、このお話、謹んでお断りさせていただきます」

「あらあら。こんな良縁、またとない機会でございます。断る事などありませんでしょう」

 ボリュドリーは口元に穏やかな笑みを浮かべた。だが、そこは猫かぶり娘のレティシア。挑発などには乗らずに、余裕の笑みを浮かべる。


「第一、お姉さまでは……」

「すでに、先方には連絡を差し上げたでございます」


 一瞬にしてレティシアの表情が凍り付く。対するボリュドリーは優雅な仕種で口元に手をやり、笑みを隠す。

 それが意味する物を知らないジェシカはきょとんとしたまま、火花を散らしている二人のことを交互に見やった。


「それがどういうことであるのか、聡明なあなた様には理解していただけるでございましょう?」

 レティシアは無言だった。

 ボリュドリーは深く頭を下げると、踵を返して歩いていく。王族の教育係を任されていることもあり、彼女は足音すら立てずに優雅に去っていった。


 レティシアは無言で彼女を見送っていた。

 何度か呼びかけても反応がないため、仕方なくジェシカは読書を再開させた。今、町で流行の恋愛小説をアンジェリカから借りているのである。


 しばらく本を読んでいると、突然目の前のテーブルが叩かれた。その勢いでクッキーの入っていた皿とティーカップが数センチほど飛び上がる。

「と、突然なんですのよ」

 恨みがましげな視線をレティシアに向けると、彼女はこめかみの辺りに青筋を立てていた。


 彼女はテーブルを叩いた際に、何か置いたらしい。視線を下ろすと、そこにあったのはお見合い相手の肖像画。

「お姉さまこそ、どうしてそんなにのんきなんですのっ」

「何をそんなに騒いでいるんですのよ……」

 身を固くし、怒られた子供のようにびくびくとしながら問いかける。

 レティシアは息を吐いて、自らの気持ちを落ち着けようとしたようだが、あまり効果はなかったようである。


「ほら。いつもあなただって言っているじゃないですか。たかが、見合い。気に入らなければ断ればいいって」

 ぴくり、とレティシアの眉が動いた。

「だから、適当に決めてしまったんですの?」

「適当じゃないですわよ。だって、ほら。この人とっても気品に溢れていて、真面目そうな方じゃないですか」

「ええ、本当に。お姉さま好みの、とても美形な方ですわね。お姉さま的ランキングのベスト3に入るんじゃありませんの?」

 なかなか鋭いと思いつつ、誤魔化すような笑みを浮かべる。


「この方のお名前、ご存じ?」

「えーと……あは。そういえば聞いていませんでしたわ」


 素直に答えると、レティシアは案の定と言ったように大きく息を吐いた。そのまま肩をがっくりと落とし、頭を抱えている。ついでに胃でも痛くなってきたのか、胃の辺りを押さえていた。


「あらあら、レティ。考え過ぎはよくありませんわよ」

 姉として、やはり妹の身体のことくらいには気を配らなければ。そんな事を唐突に思い立って注意を促してみるが、レティシアは礼の代わりにもう一度テーブルを力一杯叩いた。


「おめでとうございます。婚約者が決まらないと陰口を叩かれる日々に、お別れですわね」

「まだ結婚すると決まったわけではありませんわよ」

「……この方は、ナファイラ・ウィルフ様です」

 はてと首を傾げる。名前を言われたところで、知らない物は知らないのであるが。


「ナファイラ・ウィルフ……ウィルフ、……ウィルフ?」


 聞き覚えのあるその単語を数度口に出して、はと気付く。ウィルフとは、アリアの西側にある大国の名前であるのだ。


 険しい顔をして、立ったままのレティシアのことを見上げる。彼女はジェシカの胸中など分かっているのか、同意をするように大きく頷いた。

 そして呆れたように告げる。

「相手が気に入らないからと、こちらから断ってごらんなさい。国際問題に発展しますわよ」

 そんな冷たい言葉を聞いて、ジェシカは悲鳴を上げた。

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