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フィアンセバトル  作者: きなこ
9章 デューク
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デューク6

 今週のラッキーアイテムはレース付きのハンカチである。


 ジェシカは騎士団の訓練場の隅の方に座っていた。

 少し離れたところではデュークが素振りや仲間の騎士との打ち合いなどを行っている。日頃は億劫気な表情しか見せない彼だが、わりと真面目な顔をしている様だ。

 ジェシカはわくわくとしながらそれを見つめていた。

 幼き頃はトリスタンの剣の稽古を日々見つめていた。騎士が剣の練習をしている姿を眺めるのは好きであり、退屈などとは全く思わなかった。


 デュークが騎士団の同僚らしき男に話しかけられ、言葉を返す。その表情には相変わらず笑みなどないが、ジェシカと話しているときとはまた違った雰囲気がある。当然ながら、ジェシカに対して使っている一応の敬語などもないのだし。

 やはり、恋人同士。敬語なんて使うのは良くないと思いつつ、拳を握りしめた。――気合いを入れるために。

 しばらくすると、額に浮かぶ汗を腕で拭いながらデュークが歩いてきた。


「何もこんな所にまで来なくても良いでしょう」

 ややうんざりとした顔で言う。

 それに対し、ジェシカは微笑みを浮かべて首を振った。


「私、騎士の稽古って見ているのが好きなんですの。……それより、実はビックリしてたんですの。だって、デュークのくせに、真面目に稽古をしているんですもの」

「まあ、嫌いじゃないですからね、剣は」


 肩を竦め、好きと言っている割には興味がなさそうに呟く。そんなところが彼らしいな、と妙な感心をしてしまうジェシカ。


「あ、そうですわ。ねぇ、デューク。私たち、恋人同士ですわよねぇ?」

 微笑みながら猫なで声を出すと、怪訝そうに眉をひそめたデュークの瞳がこちらを向いた。一瞬だけ。


「だから、敬語なんて駄目ですわよ。私を呼ぶときは呼び捨てで、こう、もっと親しげに……」

 熱弁を振るうが、反応など全くない。

 聞いているのかどうかすらも怪しいその表情に怒りを覚えながら背の高いデュークのことを睨み付ける。そこで初めてジェシカはデュークが汗を浮かべていることに気付き、手にしていたレースのハンカチを差し出した。


「今週のラッキーアイテムはレース付きのハンカチですの。あなたも誕生月、同じですものね」

「……まだ占いなんてやっていたんですか? 少しは懲りて下さい」


 ジェシカはにっこりと微笑みながら首を振ってやった。確かに運命の出会いはなく、占いという物に不信感を抱きかけたが、そんなことでめげるジェシカではない。

 と、ジェシカが差し出したハンカチの横に、似たような白いハンカチが出現した。

 嫌な予感を覚えて横を向くと、案の定、そこにいたのはアンジェリカ。


「はい、デューク様。是非このハンカチで汗を拭ってください」

 デュークはため息をつきながら、ジェシカのハンカチを受け取る。

「申し訳ありませんが、アンジェリカ嬢。姫さんと俺はつきあっているので、お取り引き下さい」

 初めてデュークの口からジェシカとの仲を肯定されたのか。アンジェリカは、酷くショックを受けた風によろめいて、数歩後退する。


 さすがの彼女もそろそろ諦めるかな、とのんきに観察をするが、彼女はまだ気合い十分のようである。負けじとジェシカのことを睨んでいることから、そう伺い知れた。

 そう言えば、先日のパーティの席では「諦めようと思っていたのに」とか言っていなかっただろうか。回想しながら首を傾げていると、親の仇を見るかのような瞳を向けられついつい硬直する。アンジェリカを見返すならば、ジェシカも彼女に対して何かを言う必要があるかも知れない。だが毎度毎度彼女の気迫に気圧されしまうのだ。


 斜め上の方でデュークがため息をついた様だった。それからややあって、

「ジェシカ」

 と誰かに名前を呼ばれる。


 このアリアの中でジェシカを呼び捨てる人間など数えるほどしかいない。名前を挙げれば、ロキフェル、ヒツジ、イ・ミュラー、ついでにカミルくらいか。だが、今の声はその誰の物とも違う。


 アンジェリカが驚いたような瞳をデュークに向けているのに気付き、ジェシカはその視線を追った。

 デュークの外見はいつもと何ら変わりはない。億劫気に見える瞳に無愛想さを際立てている真一文字の口元。普段と何一つとして変わることなどない。

 ジェシカとアンジェリカの視線を受け、彼は顎で通りを指した。


「行くぞ、ジェシカ。昼飯だ」

 呼び捨て。敬語なし。先程の言葉をデュークは聞いており、そればかりか実践している。

 新鮮なその響きに感動していまい、胸がどきんどきんと鼓動を高鳴らせる。目が潤んできて視界がぼやけ、頬は紅潮し、頭が真っ白になった。


 デュークは無言でジェシカの腕を引いた。

 半ば引きずられるようにして騎士団の練習場を後にするジェシカ。

 振り返ると、泣きそうな顔をしてこちらを見ているアンジェリカと目があった。彼女はジェシカの視線に気付くと顔を背け、ジェシカ達とは反対方向に歩いていってしまう。

 かわいそうなことをしたかな、後ろめたさを感じながら俯くジェシカ。


「アンジェリカに酷いことをしているのかしら、私」

「何を今更」

 あっさりと肯定をされてしまい、ジェシカは眉間にしわを寄せた。


 今までは自分のことばかりで彼女の気持ちなど考える余裕はなかった。あまりにも彼女が自分に敵対心を燃やすことや、デュークの事が好きだと自覚したことや、ルイスのことや……様々な事があったのだし。

 言い訳がましくそんなことを考えていると、いつの間にかメイン通りにたどり着いていた。

 繋がれていた手はいつの間にか離れている。


「何か食べたい物はあるか?」

 そう問われ、ジェシカはにこにこと笑みを零しながら片手を上げた。

「ハンバーガー」

 はいはいと投げやりに頷いて歩いていこうとするデューク。だが、ジェシカは自分に持ち合わせがないことに気付き、慌てて彼のことを引き留めた。

「それくらい、奢るよ」

 思わず動きを止める。信じられない言葉をまたしても聞いたような気がした。


「っな、な……。けちなあなたから、奢るだなんて……」

 不躾にも指をさしながら「明日は雨かも知れない」などと呟き、数歩後ずさる。デュークは興味がなさそうにこちらをみやり、ため息をついた。

「嫌なら、帰る」

「いいえ。お腹が空きました」

 デュークが頷くのを確認し、並んで歩き出す。


 ちらりと彼のことを見上げ、ジェシカはおずおずと彼の腕に手を絡めた。彼は何の反応も示さなかった。つまりは、腕を組んでも問題はないと言うことだ。

 ジェシカは満足げに微笑み、甘えるように彼の腕に寄りかかった。


「そうだ。今度は私がお弁当を作ってきて差し上げますわね」

「……いらない」


 ちらりと上目遣いにデュークの顔を見上げると、相変わらずの仏頂面。いつもは腹を立てていたその顔も、何故かちょっぴり可愛らしく見える今日この頃。


 ジェシカは当初の野望も忘れて、ただただ彼との恋人ごっこを楽しんでいた。


 


     *     *     *     


 


 久しぶりに踏みしめる故郷の土。

 彼がこの王都に住み始めたのはそう遠い昔ではないが、そんなことはどうでも良い。彼にとって、ここはすでに帰るべき場所なのだから。


 黒いマントを風になびかせているシーガルは半眼のままメイン通りに立ち、遠くにある城を見つめた。

 彼は一番に敬愛する主君の元――つまりは城に行くのではなく、通りから横道に入っていった。ジェシカへの土産、ウィルフ産の銘菓を片手に。



 しばらく歩くと、聞き慣れた笑い声が聞こえてきた。


 声の方へ視線を向けた。

 通りを向こう側からこちらに向かって歩いてくるのはジェシカとデューク。ジェシカはにこにこと微笑みながらデュークの腕に手を回している。それに対し、相変わらずの無愛想ながらも、たまに相槌を打ちながらジェシカの話を聞いてやっているデューク。


 ジェシカは幸せそうである。デュークから反応が貰えるのが嬉しいらしく、ほんのりと頬を紅潮させ、にこにこと微笑んでいた。

 話には聞いていたが、実際にその現場を見ると微妙にショックを受ける。ぼんやりとそれを眺めていたシーガルは、あることに気付いた。

 デュークもどこか楽しそうなのではないか?


 胸の奥の方で嫉妬という名の炎がくすぶっているのを感じた。一応、自分の中では整理を付けた気持ちのため、ジェシカが自分以外の誰かに惚れたとしても平気でいられる自信はあった。だが、ジェシカの恋愛の対象が自分の身近な人間であると平静ではいられなくなる。

 キャメロンのように、自分がほとんどの面で劣っていると思っている相手ならばともかく。デュークなど、悪い奴ではないが、今まではあんなにジェシカに嫌われていたというのに。


 しばらくすると、ジェシカはシーガルに気付いたらしい。きょとんとした顔をしたのは一瞬。口を大きく開けて、シーガルのことを指さした。


「あー!」


 叫んで、わざわざ周りからの注目を集めたかと思えば、ばたばたと足音を立ててこちらに走り寄ってくる。シーガルの帰還が嬉しいのか、顔中に満面の笑みを浮かべて。嬉しいその反応に、嫌なこともすべて忘れてしまいそうであった。


「いつ帰ってきたんですの、シーガル。帰って来るだなんて、手紙には全然書いてなかったじゃないですの」

 しっかりと両手を握りしめられ、シーガルは赤面しながらぎこちない笑みを浮かべる。

 と、ジェシカはシーガルが手にしている紙袋に気付いたらしく、そちらが気になって仕方がなくなってしまったようだ。


「お土産です。ウィルフの銘菓で……」

 という説明など、ジェシカにとっては何の意味もなさないことはよく分かっていた。半ば呆れながら袋を差し出すと、ジェシカは今まで以上に嬉しそうな顔をして袋をぎゅっと抱きしめた。


「ありがとうございます」

「い、いいえ。ジェシカ様のために、買ってきた物ですから……」


 あははと力なく笑って、シーガルはうなだれた。

 自分よりもやっぱりお菓子の方が良いのかな。分かっていたことではあるが、何だかちょっぴり切ない気分のシーガルであった。


 ジェシカはわくわくとしながら箱の中身を見ている。シーガルはそっとため息をついて、視線を彼女の横に向けた。が、先程までそこにいたはずのデュークははいなかった。

 探すように周りを見回すと、いつの間に移動したのか、彼はシーガルの後ろに立っていた。


 彼は顎で横を指した。シーガルはそれに従うようにしてジェシカから離れる。

 ジェシカがひとりになろうとするのはいい男を探すため。だが今は一応特定の人がいるため、逃げ出されるという心配はないはずである。

 ジェシカに声が届かない場所、とはいってもほんの少し離れただけの場所ではあるが、そこで向き合う。相変わらずの億劫顔。


「早かったな、帰ってくるのが」

 シーガルは無言で、懐から一通の手紙を取り出した。それはデュークから送られて来た物である。そこに書かれていたのは、ジェシカと付き合う様になった理由などであったが。


「一体これはどういうことなんだ? ジェシカ様が妙なことを考えるのはいつものことだとしても、お前までがそれに付き合うなんて……」

「まあ、いろいろとあってな……」


 疲れたように呟き、ぽりぽりと頭をかく。

 シーガルは眉間に皺を寄せてそんな彼を見上げた。

 そのまま無言の時間が流れていく。デュークには文句を言ってやりたいことは山ほどあった。恋人ごっことはいえ、手紙の文面から察するにおそらくジェシカの方は本気なのである。とすれば、この結末は彼女にとって良い物になるはずがない。


「ジェシカ様を傷つけるようなことをしたら、いくらお前でも許さないからな」

 それはある種の捨てセリフの様な物であったかも知れない。だが、そんなことはどうでも良かったし、今更見栄を張る気にもなれなかった。


 デュークは無表情のままであった。

 シーガルはそんな彼に背を向け、ジェシカの元へと戻る。

 彼女はウィルフ産の銘菓――実はクッキーなのであるが、をにこにことしながら食べていた。


「ジェシカ様」

 いつもよりもやや低い声音で話しかけると、彼女は目を丸くして首を傾げた。真面目な顔をしているシーガルを見るのは、彼女も珍しいのであろう。

「手紙、読みました」

 そう言ってやると、彼女はへらっと頬をゆるめてシーガルに顔を近づけてくる。


「あのですね、私……」

「俺は反対ですからね」


 ジェシカはきょとんとしながら瞬きをし、ややあってふてくされたように頬をふくらませる。

 その様子に多少のひるんだ物の、シーガルは意を決して続きの言葉を口にした。


「デュークとジェシカ様が好きあっていての結果というなら、俺だって応援します。でも、こんなの、間違っていますよ。気に入らない相手を追い払うために、つきあうふりをするなんて……」

「そりゃ、まぁ、アンジェリカには悪いことをしているなぁ、とは、思いますけれど」


 多少の罪悪感はあるのか、ジェシカはもじもじと指を合わせはじめる。口の中で何か言い訳をしているようだが、シーガルの耳までは届かなかった。

「そのアンジェリカさんだって、可哀想ですよ」

 その言葉を聞いたジェシカは不機嫌そうな瞳をこちらに向けてくる。


「じゃあ、私はアンジェリカに言われるがままになっていれば良いんですの?」

「そう言うことを言っているんじゃなくて……彼女を見返すならば、他にも方法があるんじゃないかと……」

「だって、デュークだって迷惑をしているんですのよっ。それに、わたくし……デュークのことが好きみたいで。でも、こんな事でもない限り、デュークは私なんかに見向きもしないと思いますの」


 それはに対してはうまい反論も思いつかず、思わず黙す。すると、それをチャンスと取ったのか、ジェシカはシーガルの手を取って一気にまくし立てた。


「だから、私の行動は、私にデュークを振り向かせるための物であって、アンジェリカの事を見返すための物でもあって、そしてさらに、デュークのお役にも立っているという、いわば一石三丁の素晴らしい作戦ですの。ね、ね。私ってば、とっても冴えているでしょう?」

「ええっと……」


 ジェシカの言うことは合っているようで実はそうでもないような気がする。

 しかし彼女の気迫に押され、シーガルは何も言葉を返すことは出来なかった。実はここへ戻ってくるまでの間、色々と考えていた。お目付役として、たまには厳しくジェシカのことを叱ることも必要だと。だが、必死で考えていたそれらの言葉はすでに頭の中から消えている。


「だとしても、俺は絶対に反対です」

 まるで説得力のない言葉。


 そんな物ではジェシカが納得するはずもなく、頬を膨らませたままふいっとそっぽを向いてしまった。

 シーガルはため息をつき、どうした物かと必死で悩みながら、機嫌を損ねてしまったジェシカの背中を見つめていた。

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