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フィアンセバトル  作者: きなこ
9章 デューク
53/89

デューク5

 頭がぼーっとする。

 ふう、とため息ひとつ。ジェシカは切なげに目を細め、頬に手をやり、

「何をしているんですか」

 という抑揚のない声に腹を立てて唇を尖らせる。


「もう。人が感傷に浸っているときに、邪魔をしないでっ」

 デュークは肩を竦め、何事もなかったような顔をして歩き出した。

 ジェシカはそのあとを付いていった。


 今日はルイスと約束がある日である。

 通常ならば浮かれて、約束の時間前には待ち合わせ場所に到着していたが、今日ばかりはそんな気分にはなれなかった。

 彼とどんな顔をして会えば良いのか分からない。レティシアの言い様では、ルイスはまるでジェシカの身分を狙って近づいたかのようであった。その真偽がジェシカには分からないのだ。


「……ねぇ、デューク。ちょっとお話をしても良いですか?」


 何も反応が返ってこなかったので、ジェシカは勝手に先日のパーティでのルイスのことを話してみる。

 デュークはいつもと変わらず、億劫気な表情で聞いていた。相づちすらも打ってくれない。

「ねえ、どう思います?」

 何が? と言わんばかりの顔で見つめられ、ジェシカは唇を尖らせた。


「ルイスさんは、私の運命の人じゃなかったのかしら」

 占いにはそう出ていたのに、と続けるが、デュークは何も言ってこない。

 再び彼のことを見上げると、彼は肩を竦めながら短く息を吐いた。


「くだらない、と言ったじゃないですか」


 頬を膨らませて彼の次の言葉を待つ。何か言い返してやろうと、頭の中で色々と考えながら。

 しかし、デュークの言葉はその一言だけで終わっていたようだ。時折瞬きをしながら、ジェシカを、というより、たまたま目の前にいる何かを見ているといった感じであった。


「だから、何がくだらないんですのっ?! 人がこんなに真剣に悩んでいるって言うのに、どうして優しい言葉もかけてくださらないんですのよっ」

 自分勝手に怒鳴りつけてやると、そんなことはもう慣れっこなのか、デュークは頭をかきながら何度目かのため息をもらす。


「占いなんて、信じる人の気が知れません。そんな物で人生を決められるなんて、おもしろくも何にもないじゃないですか」

 その言葉は少し意外な気がして、思わず口を挟む。


「あなたの口から『人生がおもしろい』なんて、聞けるとは思いませんでしたわ」

「……それに、です」

 ジェシカの言葉は軽く流される。まあ、それに関してはいつものことなので怒っても仕方がない。


「そんなことでいちいち悩むなら、とっととおつき合いを断ればいいでしょう。そうすれば縁も切れるし、問題はなくなります」

「どうしてそんなに気楽に言ってくれるんですのっ」

「所詮、他人事ですし」


 沈黙が訪れる。

 返す言葉を失ったジェシカはわなわなと肩を震わせながらデュークの事を指さそうとするがうまくいかない。対するデュークはいつもと同じ顔をしている。


 と、デュークが億劫気に口を開くのが見えた。どうやら彼の言葉はまだ終わっていなかったらしい。


「でも、あなたがルイスさんのことを信じたいのでしたら、勝手にそうすれば良いじゃないですか。現状じゃ、彼の思惑なんて分からないんですし」


 意外な人物からとんでもない言葉が飛び出したような気がして、ジェシカは硬直する。

 じわじわと胸の奥からむず痒いような感触がこみ上げてくる。

 そんなことを言われるとは思っていなかった。周りはみんな、ジェシカに反対をすると思っていたから、それに対して文句を言ってやろうと思っていたのに。


 ふるふると頬の筋肉が強ばってくるのを感じる。

 それとほぼ同時に、何故か目からは涙がこぼれてきた。


 あのデュークが引くように上体を起こす気配を感じながらジェシカは目元を手で覆った。

 悲しいわけではない。むしろ、嬉しいくらいだ。それが証拠に口元はみっともなく緩んでしまっている。


 ややあって呆れたような彼の声が聞こえる。


「どうして泣くんです」

「だって、だって、あなたが優しい言葉をかけてくれるなんて、不気味なんですもの~」


 彼は無言だった。相変わらずの無表情で、疲れたように少しだけ肩を落とし、嘆息している。困っているようだ。

 ジェシカは指の隙間からそれを見上げた。何故か嬉しくて仕方がなくなってくる。


 泣いたらいくぶんか気分は軽くなった。ジェシカは目をごしごしとこすり、ルイスとの待ち合わせの方向を見つめた。先程の憂鬱顔とは一転して生き生きとし始めたジェシカを、デュークは面倒くさそうに眺めている。

 ジェシカは気合いを込めるようにぐいっと拳を握りしめた。




 涙はすっかり乾いていた。

 ジェシカは目の前に座っているルイスのことをまっすぐに見つめていた。

 彼を疑う心などない。彼と会って話をしたのは数えるほどしかない。だが、その度に彼はジェシカを楽しませようとしてくれたし、何よりジェシカのことを好きだと言ってくれた。とても大切な人である。

 何より運命の人であるし。そんな彼をジェシカが信じずに誰が信じるというのだ。


 一方のルイスは少しだけ気まずそうな顔をして紅茶を飲んでいる。

 いつもと少し異なった様子。だが、ジェシカはまるで気にしていない。楽しいお話でもしようと口を開きかけたその時。


「……すみません」

 唐突に謝罪の言葉を述べられ、ジェシカはきょとんと目を丸くした。

 顔を上げたルイスは眉間に皺を刻み、苦しげな表情を浮かべている。


「あなたがこの国の王女様とは知らずに、失礼なことをいたしました」

 その場で深々と頭を下げられる。

 頭の中が真っ白になり、ジェシカは彼の後頭部をぼんやりと見つめていた。そんなジェシカの様子に気付いた風もなく、頭を下げたまま彼は続ける。


「あのお話はなかったことにさせて下さい。勝手なことを言っているとは分かっているんですが……」

「あの、お話と、言うと……」


 聞くまでもなく、ルイスがジェシカに恋文を差し出したこと。しばしの間友人として話をして、好きになってくれたら恋仲になって欲しいと言うことであろう。

 案の定、ルイスの口から出てきた言葉もそんな感じの内容であった。


 はじめはやはりショックを受けたが、話を聞き終えたとき、ジェシカは自分でも驚くほど冷静だった。


「やっぱり、私が王女だからですか?」

 問うてみると、ルイスは膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、躊躇いがちに頷く。

「ええ。私などがこうしてお話をさせていただくだけでも、無礼です」


「……まずは頭を上げてください」

 それに従うルイス。

 ジェシカは短く息を吐いた。

「私、町に出ている間は身分なんて気にしていませんの。だから、少なくともこの場では今まで通りに接してください」


 それも彼にとってはジェシカからの命令と聞こえてしまっているのだろう。恭しく頷くその様を見ていると、胸が痛くなる。


「でも、ルイスさんが私とおつき合いをしたくないと言うのを、止めることは出来ませんから。その件についてはなかったことにしましょう。でも、……これは、私の我が儘なんですけれど、町で会ったときには今まで通りで接して欲しいんですの。だって、ルイスさんは私の大切なお友達だって、勝手に思っちゃってますのよ」


 そう言ってやると、ルイスは頷き、はにかむような笑みを浮かべた。

 それを見ていたら、何となく満足をしてしまった。


 呆気なくルイスと別れることになってしまったが、何故かそんなに悲しくはなかった。ジェシカは運命の人と浮かれて、本当の意味でルイスという人間に好意を寄せていたわけではなかったからだ。ルイスの真剣な気持ちを踏みにじってしまったような気がして、素直に反省をする。


 そして、デュークの言うとおり、占いはそんなにあてになる物ではないのかな、などとちょっぴり思ったジェシカであった。




 ルイスと別れ、デュークの待っている場所へと向かう。

 彼は日向に立ってぼんやりとしている。ジェシカが背後に立っても振り向かないと言うことは、おそらくジェシカの存在には気付いているのだろう。


「ルイスさんとはお別れをしてきましたの」

 デュークがちらりとこちらを見る。その視線は「それにしては元気そうだ」と訝っている。


「ルイスさんは、身分違いを気にして、私とはおつき合いは出来ないって言いました」

 そう。ジェシカは騙されていたわけではない。その事実だけでも、何だか少しだけ救われたような気がする。

 デュークはどうでも良いような顔をしたままで前を向いてしまった。その横顔を見ていたら、胸の奥で何かがざわめいてきた。自分でもよく分からないが、何かを彼に期待していた、様である。

 ふと我に返り、ジェシカは首を傾げた。


「どうしたんですか?」

 ジェシカの変化は自分で気付くよりも早く、彼が察したらしい。 

 何かを考えていた。だが、それが何かはジェシカにも分からなかったので、とりあえず首を振った。


 こうして見上げても胸がときめいてくるわけではない。だが、どういうわけか彼から好意を寄せてもらいたいと思っている自分がいる。つまりは、デュークのことが好きらしい。自覚はあるのだ。

 だがしかし、と心の中で考え込む。彼に再び告白したところで、十秒で振られるのがオチ。そして、彼は今誰ともつきあうつもりはないらしい。それでは、ジェシカにはどうすることも出来ないではないか。


 ふと、脳裏にカミルの言葉が浮かんでくる。先日の、「デュークとつきあっちまえよ」という無責任な言葉。


 唐突に閃いた。


「デューク」

 呼びかけると、いつもとは違った労りを含んだような瞳を返される。

 彼は彼なりにジェシカのことを案じてくれているのだ。シーガルのように言葉に出してくれたりはしないが、今までだって、何度も助けてもらった――様な気がする。


「私とおつき合いをしてください」


 眉が微かに寄せられた。

 なんとなく心の中でカウントを始める。1……2……3……。そして、8カウントが過ぎた頃、

「嫌です」

と、予想通りの言葉が返ってくる。


 ジェシカは顔を斜め上に上げ、にんまりと口元を緩める。

「アンジェリカを諦めさせるには、私との仲を認めされるのが一番の近道でしょう?」

 微かに……本当に微少に、デュークの眉が動いた様な気がした。おそらく、ジェシカとつきあうふりをするという事実より、アンジェリカの方が嫌なのだろう。


「しばらくの間、私が一芝居を売ってあげると言っているのですわ。感謝して欲しいくらいです」


 そしてその期間内に、ジェシカが素晴らしい女性だとデュークに認めさせてやればいいと言う話である。「我ながら冴えている~」とますます口元を緩めて、それを隠すために慌てて手で押さえた。

 それを胡散臭そうに見つめていたデュークだが、彼は息を吐いて首を振る。


「いいですよ。あなたと偽りでつきあうなんて、アンジェリカ嬢はともかく、シーガルに申し訳が立ちません」


 シーガルの名前を出されて多少ひるむ。

 彼の気持ちは正直言って嬉しかった。また、彼から告白をされてからいろいろとあって曖昧なままにしていたが、ジェシカは気にしないことにしていたのだ。シーガル自身が、今まで通りジェシカはジェシカのしたいようにしていて良いと言っていたし、それに……


「でも、シーガルに気を遣いすぎるのだって、失礼なのですわよっ」

 腰に手を当て、空いている手で彼を指してやる。

 デュークが感情のこもっていないような無機質な瞳をこちらに向ける。


「アンジェリカには、私だって怨みがあるんです。あんなに言いたい放題言われて、屈辱ですものっ。私があなたにふさわしい女性だと言うことを認めさせれば、それはつまり、私の名誉挽回にもなるんですものっ。協力しなさいっ!」

 しばしの間。本当に少しの間だったが、彼は考え込んでいた様だ。


「……分かりました。アンジェリカ嬢を撃退するために、今は力を合わせることにしましょう」

 凄い物の言い様だが、この際気にしてはいけない。


「だたし、期間は限定で。シーガルにもちゃんとこのことは伝えさせてもらいますよ」

「ええ。それは良いですわ。でも、ちゃんと恋人として扱ってくださいね」

 胸を張って背の高いデュークのことを見上げると、彼は億劫気に息を吐きながら頷いた。

「はいはい。俺なりの誠意を尽くしてみますよ」

 その言葉に満足をして、ジェシカはにっこりと満面の笑みを浮かべた。




     *     *     *     




 アリアから西の方角にはワイリンガと呼ばれる山脈が連なっている。そして、その山脈を越えた先にはウィルフと言う大国がある。

 シーガルはイ・ミュラーとそこに出張に来ていた。

 出張と言っても、大したことをするわけではない。ウィルフとアリアの魔道士達の交流会のような物なのだ。



 届いた手紙は三通。

 シーガルは適当に、一番上にある物に手を伸ばした。

 白い便箋には流麗な文章が書き連ねられている。字もやたらとうまい。そこに書かれていたのは……


「なっ、ジェシカ様に近づいてきた男が、身分狙いだったって?!」

 思わずキャメロンから届いた便せんをまっぷたつに裂きそうになってしまい、それを自制する。あくまで可能性の粋を出ない話だというのだ。この件に関しては真実が明らかになるのを待つしかないだろう。


 シーガルは心を落ち着けるように息を吐きながら、次の封筒に手を伸ばした。

 便せんはピンク色の紙に花柄模様。中を見るまでもなく、ジェシカの物だと言うことが分かった。


「ジェシカ様はそのことに気付いてるんだろうか……俺が側にいたら、慰めてあげられるのに」

 無力な自分に苛立ちを感じながら便せんを見つめる。文字の大きさはバラバラ。しかもやたらと一文字一文字が大きい。読みにくいことこの上なし。だが、シーガルにはそれも慣れっこだ。


「天は二才を与えずっていうけど……キャメロンとジェシカ様を見比べると、少しくらい、ジェシカ様にも何かの才を分けてあげればいいのにって思うよなぁ」

 そんなぼやきを漏らしながらも、彼女からの手紙を読み始める。数秒後、びりっと音を立てて便せんはまっぷたつに破れた。


「っな、っな、なんでジェシカ様とデュークがぁぁぁぁ!?」

「静かにしねえか、馬鹿野郎」


 どごんっと後頭部に鈍い痛みが走る。何かで殴られたようだ。

 シーガルは机に突っ伏し、後頭部を押さえた。頭の芯がわんわんと鈍く響いている様に錯覚する。

 振り返ると、そこにいたのは魔道書を片手にしたイ・ミュラー。彼は彼自身の孫とは似つかない冷ややかな瞳を向け、ふんっと鼻を鳴らす。


「……すいません」

 謝ると、それに満足をしたのか彼は無言で立ち去った。


 それを見送ったシーガルは、目の前に置いてある茶色の封筒を見つめた。デュークからの物であろうそれには何が書かれているのか。

 ごくりとつばを飲み込み、シーガルはそれに手を伸ばした。

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