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フィアンセバトル  作者: きなこ
9章 デューク
51/89

デューク3

「デュークの恋人だなんて失礼しちゃいますわっ。誤解されたらどうするんですのよっ!」


 翌日。

 ジェシカはルイスとの待ち合わせ場所に向かって歩いていた。

 デュークは適当に相槌を打っていた。無論、ジェシカの言葉は全て耳を素通りしていくのだが。


 確かにアンジェリカの件ではジェシカに迷惑をかけている。

 あの場でジェシカがデュークの恋人でないと言う事は簡単だった。特に訂正をしなかったのは、一言で言ってしまえば身の安全を図るためである。だから、多少はジェシカの文句も黙って聞き流してやる。


 ――ふいに何者かの視線を感じた。


「それにしても、面倒な物を助けてしまった……」

 胸中でぼやきつつ、顔を前に向けたまま目だけを動かして横を見やる。


「姫さん。そのまま歩き続けてください。決して大声を出さずに」

 怪訝そうな瞳を上げ、ジェシカが首を傾げる。


 デュークは端的に一言、

「付けられています」

 とだけ告げた。


 ジェシカは一瞬止まりかけたが、先程の言葉を覚えていたらしく、慌てて歩き出そうとする。だが、踏ん張ろうとした右足と、慌てて前に出そうとした左足がもつれて前につんのめる。

 デュークはため息をつきながら彼女の腕を掴んだ。体を斜めに傾けた不自然な体勢で硬直しているジェシカは、頬の辺りを引きつらせながら上目遣いにデュークのことを見やる。


「彼女、ですの?」

 億劫気に頷いてやる。ジェシカは体勢を立て直して歩き始めた。デュークもそれに付いていく。


「……私、これからルイスさんに会いに行くんです」

 そんなことは無論承知している。

「だから、彼女をどうにかして下さい」

 それは当然の要求だ。ジェシカに負い目がある以上、強気にもなれずに――もっとも、いざというときは彼女の頼みなど聞いてやらないが――仕方なく引き受ける。


 ジェシカが通りを右に歩いていくのを見送り、デュークは左側へと歩き出した。

 ジェシカが行く先は分かっている。ルイスに絶対的な信用があるわけではないが、何か下心があるにしてもまだ行動は起こさない様に思われる。

 ジェシカの方もまだ大丈夫だろう。彼の顔は点数をつければ平均以上だが、美形と遭遇する確率が高く、意外と目の肥えている彼女の目に適うには今ひとつ足りない。タイプ的にはシーガルと似て、ごくごく平凡ないい人。しかも薄い。よほどのことがなければジェシカの熱も上がらない。とりあえずデュークはそう思っている。

 運命の出会いとジェシカが浮かれていた割には、劇的な出会いをしなかったのもポイントが高い。


 しばらく歩いておもむろに振り向くと、アンジェリカと目が合った。彼女は露骨に驚いたように目を見開き、ややあって作り物の笑みを浮かべる。


「こ、こんにちは、デューク様。またまた偶然お会いしましたね。やっぱり、私たちは運命の赤い糸で結ばれているんです」

「迷惑です」


 デュークはきっぱりと否定して首を振った。

 駆け寄ってきた彼女の頬が引きつる。それにも構わずにデュークは続けた。


「妙な言いがかりを付けるは、尾行をされるは。気味が悪いです」

 どの程度言えば彼女が諦めるか。次の言葉を考えていると、下方から細く息を飲む声が聞こえた。

 思考を止め、デュークはため息をついた。


「あの時……人はたくさん通りかかったのに、誰も私のことを見ない振りをしていました。でも、デューク様は……」

「何度も言いますが、俺があなたを助けたのは、単に仕事だからです。あなた以外の人間が相手だとしても同じ行動を取っていたでしょう」


 ついにアンジェリカは泣き出した。


 罪悪感はある。多少は。ほんの少しは――。

 だが、この場合デュークは何も悪いことなどしていない。むしろ何も言わずに変に気を持たせる方がよほど悪だろう。


 周囲から自分を責めるような視線を感じる。

 アンジェリカが泣こうがわめこうが、正直どうでも良い。だが、この状況を他人の目に晒すのは望ましい状況のはずがない。

 こういう場合は逃げるが勝ちである。


 デュークは無言で、その場を後にした。

 その後をしゃくりをあげながらアンジェリカが付いてくる。


「私、一目見て思いました。デューク様との出会いが運命の出会いだと」

 もうデュークは何も考えないことにした。祈るのは、出来るだけ早く彼女が諦めてくれる事だけ。

 表通りから裏路地へ入り、デュークは早足で歩き続けていた。


 がらがらがっしゃん。

 何かが崩れる音。むろん、そんな物は無視をする。

 そんなことが幾度か続く。


「姫さんは、まだ、マシな方だったのか」

 ひとりで歩かせるだけで厄介ごとを引き起こす人間。あんなのでマシだとしたら、この世の中は何かが間違っている様な気もする。


 わんわんわんっ。

 野良犬が吠えている。

 一度足を止め、しばし迷う。自分の身の保護と、騎士団員としての役目と。


 デュークは眉間に皺を寄せ、短くため息をついた。




     *     *     *     




 ルイスという青年。いい人っぽいというのがこうして会って話している時に感じる印象。


「……こんな話、つまらないでしょうけれど」

「え、えっと、そんなことはありませんわよ」


 実を言うと、あまり聞いていなかった。

 話がつまらないというわけではない。だが、ジェシカには気になることがあって、いまいち集中する事が出来なかったのだ。原因はアンジェリカである。

 デュークと別れたあと、しばらくして振り返ってみると、遠くでアンジェリカとデュークが何かを話しているようだった。むろん、会話の内容が分かるはずはないのだが、一体何を話していたのか、今あの二人はどうしているのか、気になって仕方がない。


 ジェシカは目の前のアップルパイを食べて、気持ちを落ち着けた。

 そして、今度はこちらから話をふってみる。


「そういえば、ルイスさんって何をなさっている方なんですの?」

「私は商家の生まれなんです」


 話を聞いてみると、ルイスはアリアの西の方の生まれで、彼の父親はアリアや隣国ウィルフでいくつかの店を構えているそうだ。つい最近父が再婚したためこの王都に越してきたらしい。

 数ヶ月くらい前にメインストリートに並んでいる店の市場調査などをしていたところ、道に迷い、たまたま通りかかった孤児院でジェシカを見かけたのだという。


「その、うまく言えないんですが、ジェシカさんの笑顔がとても無邪気で。可愛らしい方だなあと思ったのが最初の印象でした」


 可愛らしい。

 その言葉にジェシカはへらっと頬をゆるめた。日頃聞き慣れないその言葉にジェシカは弱い。

 だが、気持ちは高まってこない。これまでならば、好きな人と話をしているだけでも幸せな気持ちになってきたものだが、今はただ楽しいだけ。それとはまた違う。


「でも、ルイスさんは私の運命の人なんですもの」


 顔だってわりとかっこいいし、優しいし、そして何よりジェシカに好意を持ってくれている人。ジェシカにとっての運命の出会いは、彼であるはずなのだ。


 その日は二時間に渡ってルイスと話を続けた。

 彼はとてもいい人だ。素敵な時間を過ごせたと思う。

 だが、不思議と、胸はときめいてこなかった。




     *     




 ルイスと別れたジェシカは通りにぽつんと立っていた。

 デュークを待っているのだが、彼はなかなか現れない。


「アンジェリカ……かしら」

 唸りながら腕を組む。

 胸の奥に言い様のない苛立ちを感じ、ジェシカは眉間にしわを寄せた。


「もう。シーガルがいないからってたるんでいますわよっ」


 ぶつぶつと文句を言いながらしばらくその場で待っていると、カミルが歩いてくる。

「あら、カミルじゃないですの。往診の途中ですの?」

 彼はまるでデュークの様な億劫気な表情を作り、首を振る。


「お前のことを迎えに来たんだよ、デュークに頼まれて」


 彼の口から出た意外な言葉に目を丸くする。

 そんなジェシカにはおかまいなしに、カミルは楽しいことを見つけたときの笑みを浮かべながら口を開く。


「デュークの奴がさ、可愛い女の子を背負って家に来たんだよ。デュークはその子についていなきゃならねえから、代わりに俺がお使い。俺が来たって、護衛にもならねえから、とっとと行くぜ」


 歩き出そうとするカミルの背中を見つめ、ジェシカは胸に手を当てた。

 言いようのない不安が胸を締め付ける。不安というよりは、苛立ちというか、焦りというか。――自分でもよく分からない。


「その、女の子の名前……」

「ああ? なんつったつけかなぁ」


 悩むように眉間に皺を寄せるカミル。

 ジェシカもまた、眉根を寄せながら低い声で彼女の名前を呟いてみる。


「……アンジェリカ」

 瞬きひとつ。カミルはぽんと手を打ってジェシカのことを指さした。

「そう、それだ」

 何の罪もないカミルのことを睨み付け、ジェシカは不機嫌そうに唇を尖らせた。




 カミルの案内で彼の部屋へとたどり着く。

 マックスの病院の二階に位置しているその部屋は、意外と綺麗に整頓されていた。本棚にはびっしりと本が並べられており、机の上には紙の束とペンがある。


 包帯と絆創膏だらけの姿でちょこんと椅子に座っているのはアンジェリカ。

 その向かい側のベッドにはデュークが腰をかけていた。


 入ってきたジェシカ達を見て、デュークはどこか安堵したような表情を浮かべる。

 一方のアンジェリカは不機嫌そうに目を細め、ふいっとジェシカから顔を背けた。


「カミル。彼女を家まで送っていってくれ。俺はそっちを……」

 素早く立ち上がり――よほど逃げ出したかったのだろう――部屋から出ようとするデュークの腕に、アンジェリカはしがみつく。


「デューク様は、その女に騙されていますっ」

 その言い様にはさすがに怒りを覚え、扉の前にいるカミルを押しのけて前に進む。


「何でそんな言いがかりをつけられなくてはならないんですのっ!」

「言いがかりなんかじゃありませんっ。だって、あなた、すごい男好きだって噂じゃないですかっ」

 真っ向から見つめ返してくる大きな瞳。

 その物の言い様から、彼女はジェシカが何者であるかを知っている。その事実に気付いて全身から血の気が引いていった。


 何で彼女がそのことを知っているのだろうか。

 そんな疑問を込めた視線に気付いたらしい彼女は、微かに唇を尖らせて尊大に胸を張る。


「我が国の第一王位継承権を持っている、ジェシカ・アリア様。私も貴族の端くれですもの。式典の時にはお見かけしておりましたし、パーティ等の席で間近に拝見させていただいたこともありました」

「……それで、よくもまあ、あんな啖呵を切れたものですね」

 呆れた風に呟くデュークに、アンジェリカは大げさに両手を広げて訴える。


「だって、この方は男漁りのために町に出ているという噂があるくらいなんです。そんな方に、私の運命の人が騙されているなんて……」

「そうだとしても、アンジェリカ嬢。姫さんが何者かを知った上でのあの侮辱の数々。本来ならば、あなたは罰せられても文句は言えません。その辺り、姫さんの寛容さを認めても良いはずです」


 淡々と言い聞かせるデューク。一応ジェシカのフォローもしてくれているらしい。

 だがアンジェリカは折れない。


「だって、私、昔からこの方が嫌いでしたっ。それなのにデューク様は私よりこの方が良いと仰るからっ……」


 ぼんやりとアンジェリカのことを見つめていたジェシカは強ばった表情で瞬きをした。

 彼女が自分を嫌う要因はデュークのことのみと思っていた。それなのに、彼女が自分を目の敵にする理由は、それ以前からあったという。ジェシカの知らないところで――。

 落ち込んで、うつむき加減になって唇をかむ。


「……だからといって彼女を傷つけるような発言をして良いという事にはなりません。姫さんには確かに様々な悪い噂もありますが、少なくとも、意図的に人を傷つけたりはしない。人の痛みを分かってくれる人です。……その点では、少なくともあなたよりは好感が持てます」


 何となくデュークのことを見上げる。

 もしかすると、庇ってもらえたのかも知れない。そう気付くと涙が出そうになってくる。


 アンジェリカは気まずそうな表情を作ってせわしなく視線を動かしていた。

 しばしの沈黙。

 その場の雰囲気を破ったのは、面倒くさそうなカミルの声。

「ったく、しょうがねえなぁ。おい、お前。送ってってやるから、案内しろよっ」

 カミルの有無を言わさぬ口調と場の空気から、アンジェリカは頷いてデュークから離れる。


 彼女はジェシカとすれ違う際、無言で頭を下げた。




 彼らが部屋から消えてしばらくして、ジェシカとデュークも部屋から出た。


 城への帰路につき、並んで道を歩く二人。

「……ありがとうございます」

 何を、と言わんばかりの顔で横目でジェシカのことを見るデューク。

 ジェシカは首を振り、何だか照れ臭くなって話題を変えた。


「もしかしてあなたって、女嫌いですの?」

 彼は肩を竦めただけで特に返答はしてこない。


「だって、私がおつきあいしてくださいって言った時も、五秒で断りましたわよね」

「……初対面で突然つきあってと言われて、承諾するはずもないでしょう」

「じゃあ、もし、今私がつきあってと言ったら、少しはまじめに考えてくださいますの?」


 デュークがこちらへと視線をやる。

 ジェシカはドキドキと意味もなく鼓動を高鳴らせ、緊張した面もちで彼からの視線を受け止めていた。

 彼は悩むわけでもなしに、ぼそりと呟いた。


「十秒くらいは……」

「全然考えていないじゃないですのっ」


 思わず突っ込むが、デュークは全く気にもとめずに前を向いてしまう。

 しばしそんな彼の横顔を見つめていたジェシカは、唇を尖らせながらさらなる質問を投げかける。


「じゃあじゃあ、あなたってば誰ともつきあうつもりなんてないんですの?」

「なんでそんなことを気にしているんです?」

 さも億劫気に尋ねるデューク。


 ジェシカは己の言動を振り返り、はてと首を傾げた。

 確かに、デュークがどうしようが今までのジェシカには興味などなかった。何故自分はこんなにも彼の恋愛観を気にしているのか……。しばし考え、足を止める。

 数歩進んだ先でデュークも足を止め、表情のない顔のままで振り返る。


「えっと……ほら、人の恋話は楽しいじゃないですの」

 えへ、とごまかし笑いを浮かべながら胸の前で人差し指同士を合わせる。

 デュークはわずかに嘆息し、頭をかいた。


「今はひとりでいいですよ。面倒ですから」

「面倒って、あなたにはそれしかないんですのっ! 誰か好きな人がいるとか、今は仕事で手一杯だとか」

「あるわけがないじゃないですか」


 即座に否定され、口をぱくぱくと開閉させる。

 何かの間違いだったとはいえ、ジェシカのはじめての告白が断られた理由は、こんなやる気のなさが原因だったのかと思うと、腹が立つやら何やら。

 苛立ちを押さえきれずに彼のことを指さす。


「どうせあなたのことだから、恋愛なんて面倒だって決めつけているんでしょうっ! 誰ともおつきあいをしたこともないのにっ」

 デュークは考える様に視線を宙へとやり、肩を竦める。

「まあ、確かに、姫さんの理想の様な恋愛はしたことはありませんけれどね」


 ぴたりと動きを止める。何故か背筋を冷たい汗が伝っていった。

 高ぶっていた感情が一気に冷めていくのが自分でも分かる。


「と、いうことは、おつきあいをした経験がおありということなんですの?」

 無言で頷くデューク。

 信じられないが、彼がこんな事で見栄を張るとも思えない。


 ちくりと胸が痛んだ。

 ジェシカは眉を寄せて、自分の胸を見つめる。別に今彼が誰かとつきあっているというわけでもないし、それ以前にデュークに恋人がいようがいまいがジェシカには関係がないはずだが……。


 見ず知らずと思っていたアンジェリカが自分を嫌っている事といい、この胸の痛みといい、分からないことだらけであった。

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