トルタ2
ジェシカはそっとロキフェルの執務室をのぞき込んだ。窓側の机にはロキフェルが座しており、それ以外に人はいないようだ。
小さくガッツポーズを作り、ジェシカは改めて扉を叩くと優雅な仕草で部屋に入った。
ロキフェルは顔を上げて穏やかな瞳でジェシカのことを見る。
「どうかしたのかい?」
「お父様にお願いしたいことがあるんですの」
何でも言ってみろと言わんばかりの顔で、ロキフェルは微笑みを浮かべる。この温厚な国王は基本的には娘達に甘い。レティシアが生まれると同時に妻を亡くしているため、目に入れても痛くないほどの可愛がりぶりなのだ。
「私のお目付役のシーガルをご存じでしょ? 私、いつも彼にお土産を持ってきていただくんです。町で評判のクッキーとか、流行りのアクセサリーとか」
うんうんとロキフェルは時折相槌を打ちながら娘の話を聞いている。
「私、最近までどうやって物を買うのか分からなかったから、シーガルにいろいろと無理をお願いしていました。でも、物を買うのにはお金が必要なんですって、この前本を読んで初めて知りましたの。それで、それを知ったら、今まで何も言わずに物を買ってきてくれたシーガルに申し訳なく思えてきて」
「そうか。そうだねぇ。じゃあ、シーガル君には、私の方から経費として……」
「いいえ、そうじゃなくて! 私の方からお金を渡したいのです! 私がお金を預けて、それで好きな物を買ってきてもらえばいいのですわ」
にっこりと笑ってそう言うと、ロキフェルはふむふむと頷いて口ひげを撫でた。
「では、私からジェシカにお小遣いを上げるとしよう」
その言葉を聞いて、ジェシカは心の中で両手を上げた。
「そのお金、どうしたんですか?」
町へと向かう道中、金貨をむき出しで手にしているジェシカに気付いたシーガルが不思議そうに目を丸くさせる。
ジェシカは機嫌よく笑うだけで、何も答えなかった。だがそんなことをいちいち気にするシーガルではない。
「そんな大金、手に持っていたら危ないですよ。財布を買ってみたらどうです?」
「さいふ?」
はてなマークを飛ばしながらオウム返しすると、シーガルはポケットの中から自分の財布を取り出した。シーガルの財布は黒で、薄っぺらである。
「クレープを食べに行くならば、そのお金も小さく崩しておく必要がありますから。財布を買いに行きましょう」
「はぁい」
上機嫌なジェシカは手を上げた。
シーガルと共に雑貨店に入り、ジェシカが選んだのは赤色の可愛らしい財布だった。シーガルに言われて、その中にお金を入れる。
「いいですか? なくさないように管理していてくださいね」
シーガルはジェシカに手提げバッグを渡した。
「お財布を剥き出しで持つのも物騒なので、それに財布とかハンカチを入れて持ち歩くといいですよ。これは俺からのプレゼントです」
財布と似たようなデザインのバッグを一目見て気に入ったジェシカ。お礼を言って鼻歌交じりにハンカチと財布を詰めていく。
「いざクレープ屋へ!」
支度を終えたジェシカは気合いを入れるように拳を握りしめた。
クレープ屋は今日も大盛況だった。
「みんなジェシカ様と目的は同じなんだろうなぁ~」
隣のシーガルが何かを言ったような気がしたので横を向くが、彼は曖昧に笑って首を振った。周りが騒がしくてあまり声が聞こえなかったのだ。
ジェシカとシーガルはクレープ待ちの列の最後尾に並んだ。
このクレープ屋はジェシカ好みのカッコイイ青年と中年の親父、地味な少女の3人が店員であるようだ。
カウンターに立っているのはカッコイイ青年。その後ろで少女がせっせとクレープを作り、親父は奥から材料を持ってきている。味もうまいが、美青年に接客をさせるその戦略もまたうまい。おかげで、毎日年頃の面食い娘達が行列を作るほどの売れ行きになっている。
クレープ屋の入り口は、その繁盛ぶりを表すかのように押し合い圧し合い状態となっている。一応列は作っているが、たいてい2~3人の集団が並んでいるため列の体をなしていないも同然だった。
クレープを食べるには、あの美青年と会話をするには、この中に並ばなければならないと、ジェシカは我慢して人混みの中に立っていた。そして、オーダーを取っている美青年をウットリとした面もちで眺めている。
「やっぱりカッコイイですわ」
ジェシカの興味はあの美青年のみ。そのため周りなんて見ていないし、音もほとんど耳に入ってこない。だから列が進んだことにも気付かず、ジェシカはその場に棒立ちになっていた。
後ろから人に押されて、ジェシカはよろけた。何の自慢にもならないが、ジェシカは体を動かすことはあまり得意ではない。
「ジェシカ様!」
シーガルが手を伸ばすがもう遅い。
ジェシカは人に当たり、さらに跳ね飛ばされ、為す術もなく倒れた先には、運悪く店の看板が存在していた。
鈍い音を立てて頭を打つ。
ジェシカが覚えているのはそこまでだった。
*
目を覚ますと、ベッドの上に寝かされていた。
「あら?」
瞬きをしながらジェシカは体を起こした。額に乗せられていたタオルが落ちていく。
そこは見慣れない部屋だった。白を基調とした清潔感の漂う部屋。部屋の端の方には箱が積み重なっていた。
外からは人のざわめく声が聞こえてくるが、部屋の中は静かな物である。
「気が付きましたか?」
声をかけられて、ジェシカは警戒しながら扉の方を見た。すると例の美形の店員が桶を片手に部屋に入ってくる。
「あら? あらあら?」
状況が理解できずに、ジェシカは目を丸くした。どうして、自分はあの人と一緒にいるのだろうか? その疑問が渦を巻く。そもそも、どうして自分はベッドに寝かされていた?
その後、個室に目当ての青年と二人きりという現状に気付き、にやける頬を隠すように俯いた。この際過程なんてどうでもいいかと思いながら。
「店が込み合っていたので、あなたは押し出されて転んでしまったんです。運悪く頭を打って気を失ってしまったので、奥の部屋で休んでいただいていたのですが……」
ベッドサイドのテーブルに桶を置き、申し訳なさそうに説明をする青年。
ジェシカは真っ赤になって、頭を下げた。
「あの、ご迷惑をおかけしてしまったみたいで……」
「いいえ。こちらこそ。入り口が狭いせいで、いつも押し合いで大変なんですよ。店長には、入り口を広くしろって言っているんですけれどね」
申し訳なさそうに言う青年。ジェシカは気にしないでくれと勢い良く頭を振り、それを慌てた青年に止められた。
青年の冷たい手がジェシカの頬に当たり、ジェシカはますます赤くなった。鼓動が高鳴る。窓から入ってくる風に揺れた青年の髪は、光の作用で透けて見える。切れ長の瞳は二重で、意外とまつげが長い。そして、優しそうな雰囲気を醸し出している。
酷く緊張しながら、ジェシカは視線を落とした。
「頭を打ったみたいなので、少し安静にして下さい」
「はい、ありがとうございます」
青年はにこりと笑い、落ちているタオルを桶の中の水に浸す。
「そうだ。お連れの方は、俺の代わりに店番をしています」
「まあ。シーガルったら、そんなことが出来たの?」
すると青年は笑い出した。
「彼は魔道士だそうですね。店長に頼まれて、いろいろな魔法を披露してくれていますよ。花を出してみたり、鳩を飛ばしてみたり。魔法って手品みたいな物だったんですね」
彼はどこで覚えたのか、手品のような事まで魔法でやってのけるのだ。ジェシカも昔、面白がってそれをせがんだこともあった。宴会の席に1人いると便利なシーガルである。
横になるように言われ、ジェシカはおとなしくそれに従った。
桶に浸しておいたタオルを取り出し、水気を絞っている青年。ジェシカはこっそりとそれを見つめていた。身長は高め、捲った袖から伸びる腕は引き締まっている。そしてその顔は極上。やはり、どのアングルから見てもカッコイイ。
頭を打って痛い思いをしたが、それはそれでラッキーだったのかも知れない。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「俺はトルタと言います。職業は、見ての通りクレープ屋の店員です」
にこりと愛想良く微笑むトルタ。
「ジェシカさんですよね。シーガルさんから聞きました」
そう言いながら、トルタはジェシカの額に冷えたタオルを乗せる。
「ありがとうございます、トルタさん」
どういたしまして。そんな感じでトルタは微笑む。
「もう少しそのままでいてください。俺は少し店の方に戻ります」
そう言い残して、トルタは去っていった。
その後ろ姿を眺めながら、ジェシカはむふふふふとだらしなく微笑んだ。
「これはなかなか良い雰囲気ですわ。これこそ、私の求めていたものですの!」
夢見がちな顔でうっとりと呟いて、ジェシカは頬に手を当て体をくねらせた。
しばらくすると、クレープを片手にトルタが部屋に戻ってきた。
「良かったらどうぞ。せっかくクレープを食べに来たのに、このまま帰ったら何をしに来たのか分かりませんから」
差し出されたのは、ストロベリージャムの甘いクレープ。目の前には甘い微笑を浮かべたトルタ。
「ストロベリーの赤は情熱の色ですわ」
第三者が聞いたら意味不明なことを思いつつ、ジェシカはもぐもぐとクレープを口に運ぶ。城にいたときには出会えなかった味に、素直に感動しながら一心に食べ続けるジェシカ。
その横顔をトルタは嬉しそうに見つめていた。
彼の視線に気付いたジェシカはトルタの方を向く。すると慌ててトルタは視線をそらした。
「失礼。あまりにも美味しそうに食べているので、つい見てしまいました」
「とっても美味しいんですもの。私、こんなに美味しい物を食べたのは初めてでしたの」
満面の笑顔でジェシカは素直な感想を口にする。城の中で出される物は、栄養計算だとか美容のためだとか言って、味の薄い物や甘さ控えめな物が多かった。そんな生活を送ってきたジェシカにとって、甘いクリームをふんだんに使ったクレープは極上のおいしさなのである。
自分が働いている店のクレープを褒められて、トルタは照れたような表情で笑った。
つられてジェシカも微笑む。
「褒めていただいて、光栄です」
ジェシカは真っ直ぐにトルタの瞳を見つめた。すると、トルタはその視線を真っ向から受け止めてくれる。
見つめ合う形になり、ジェシカの鼓動は高なった。これはいわゆる口付けなんてする雰囲気なのだろうか、そうだ、そうに決まっている。ジェシカは雰囲気に任せて目を閉じた。
「ジェシカさ……ん~。そろそろ帰らな……げっ」
間の抜けたシーガルの声は後半強ばっていた。
真っ赤な顔をして、ジェシカは立ち上がった。驚きのあまり、先ほどとは別の意味で心臓が破裂しそうなくらい逸っている。
「なんてところで入ってくるのよ」と、ジェシカは据わった目でシーガルのことを睨み付けた。
「シーガルさんもお疲れさまでした。今日は本当にありがとうございます」
一方のトルタはいつも通りの笑顔でシーガルにお礼を言う。
「え? ああ。こっちこそ、ジェシカさんのことを休ませてもらった恩もあるし」
乾いた笑みを浮かべながら、シーガルはちらりとジェシカのことを見た。
だがジェシカはその視線に気付かないふりをして、胸の高さで手を組んでトルタのことを見つめている。
「ねえ、トルタさん。また、来ても良いですか?」
「ええ。是非、いらして下さい。お待ちしています」
ジェシカの問いに対して、営業用スマイルでトルタは答えた。
* * *
クレープ屋を出て城への帰路に付いた二人。
城の近くまで来たところで、おもむろにシーガルは足を止めた。
「……ひとつお尋ねしても良いですか?」
「どうぞ」
軽やかなステップを踏んで歩いていたジェシカは足を止めた。そして、不思議そうにシーガルのことを見つめる。
「あの時、トルタさんと何をしようとしていたんですか?」
じとっと据わった目で見つめると、ジェシカは頬を赤らめながら両手を頬に当てた。
「そんな、乙女の口からは……」
「ごまかさないで下さい!」
いつになくきつい声音で言ってやると、ジェシカは驚いて目を丸くした。
「ジェシカ様がどこで何をしようと勝手、なのかも知れないですけど、軽はずみな行動は控えて下さい」
「どうしてですの?」
「今日知り合った人にキスを許してしまうなんて、早すぎます」
「まあ。恋愛は年月じゃないんですのよ? こう、一目見た瞬間にびびっと来る物があって……」
いつもの調子で軽く言うが、シーガルは聞く耳も持たぬといった感じでジェシカのことを見ている。
「そんなのは、小説の中のお話です」
「いいえ。私のお父様とお母様もそうだったと聞きますわ」
というジェシカの言葉に、シーガルは眉間にしわを寄せた。
「だって、お父様は町の視察をしていた時、町の店の前で水まきをしていたお母様と出会って、一目で恋に落ちたと言っていましたもの」
そんなのろけ話をあの王様がしていことに妙な違和感を覚えつつ、シーガルはがくりと肩を落とした。その親にしてこの子ありか。
「トルタさんが、私の王子様ですわ」
何の迷いもなく言い切るジェシカ。
「言っておきますけれど、俺が手伝わなかったら、ジェシカ様は外には出られないんですからね」
いくら城の出入りは容易いと言っても、ジェシカ一人ではどうにかなるはずもない。
とっておきのネタを出してやったと強気なシーガル。それに対しジェシカは胸を張って答えた。
「もうあなたは私の運命共同体だと言ったでしょう? そ、れ、に、あなた、今日バイト代をもらっていましたわよね」
「ええ。トルタさんの代わりに店番をしていたお礼だと言って……」
なぜそんなことを、と、訝しげにシーガルが答えると、ジェシカはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「たしか、アリア国の軍には、共通した決まり事がありましたわよね。軍に所属する人は、それ以外ではお金儲けをしてはいけないんですわよね~?」
「あ、う……」
言葉に詰まるシーガル。ジェシカの言う通り、軍に籍を置いている者はバイトをしてはいけないと言う軍規がある。シーガルの所属している魔法兵団はもちろんアリア国の軍事機関の一端なわけなのだから――
「おほほほほ。私の勝ちですわね」
得意げな顔をしてにっこりと微笑むジェシカに、シーガルはおとなしく白旗を上げた。