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フィアンセバトル  作者: きなこ
8章 レティシア
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レティシア6

『シアは誰が一番好き?』


 木陰に入って休んでいた幼いレティシアは顔を上げた。横に立っているお目付役の青年は広場で遊んでいる子供達を見ている。


『あたしが一番好きなのはディラックだよ』

『それは嬉しい言葉だね。だけど、俺が聞きたかったのはあの中で順番をつけるとしたらどうなるか、って事』


 暑い中、ボールを追って無邪気に走り回っている男の子達。

 一部例外はいるが、皆レティシアに良くしてくれる。


『ビッケが一番かなぁ。次はキャロ』

『……カミルは?』

『だいっきらい』


 ディラックは苦笑いしながらレティシアの頭を撫でた。


 レティシアは抱えていた膝に額を当てた。

『でも、みんなと遊んでいられるのも、もう少しの間だけなんだよね』

 隣にディラックが座るのが気配で分かる。


『べつに、もう二度と会えないってわけじゃないんだから、そんなに落ち込まなくても良いんじゃないか?』

『だって、城に戻ったあとは勝手に抜け出さないって、おとうさまと約束したもん。しばらくしたら、みんなあたしの事なんて忘れちゃうよ』


 突然脇腹を突っつかれ、くすぐったさのあまり飛び上がった。

 恨みがまし気な瞳をディラックに向けると、彼は意地の悪そうな顔をしていた。


『本当にそう思っているなら、大馬鹿者だよ、シア。だって、みんな君のことが……』


 何かに気付いたらしいディラックが視線を上げる。レティシアも前へ視線をやる。

 男の子達の中から一人の少年が抜けて、こちらに走ってきていた。ビッケである。


『大丈夫? 気分が悪いなら、兄さんと一緒に戻った方が良いんじゃないかなぁ』

『……ヴィケル。お前、シアのこと好き?』

『うん。僕は、シアのことが好きだよ』


 にこにこと微笑みながら臆面なく答えるビッケ。レティシアは頬を染め、微笑みを返した。

 素直に好きだと言ってくれるから、レティシアも安心して好意を返すことが出来た。


『あたしは大丈夫だよ。もう少し遊んでいく』


 レティシアが立ち上がると、ビッケが手を差しだしてくれる。

 その手を取り、子供達の中に戻って行こうとするとディラックに呼び止められた。

 彼は木の下で、涼しげな笑みを浮かべている。


『さっきの話の続き。みんな、君のことが好きだよ。……忘れるな』




 ……そんな夢を見た朝。


 レティシアはコートを羽織り、鍵が開けられていた扉を通り、玄関を訪れた。

 開いた扉の向こう側ではヴィケルが目を細めて、木々の間から顔を出している太陽を見つめている。


 一緒に行くという言葉の意味は分かっている。差し出された手も、あのころの物と違うことくらい理解できる。それでもレティシアは彼と一緒にいることを選びたかった。そうすることで、あの時に失ってしまった物を取り戻せるような気がしていたから……


「あの約束、覚えてる? 僕らの隣は空けておくっていうやつ。自分で言っておいてなんだけど、君が選ぶのは僕じゃないって思ってた」

 前を向いたまま、ヴィケルが呟くように口にする。


「少なくともあの当時は、私はビッケを選ぶつもりでしたわよ。あの言葉、本当に嬉しかったんですの。少なくともあなたは、私のことを待っていてくれるんだって、思えたんですの……」


 言いながらだんだんと頬が赤くなっていくのが自分でも分かった。

 ヴィケルは驚いた様に目を瞬かせ、やがてはにかむような笑みを浮かべた。子供の頃によく見せた、少し頼りなさげだけど穏やかで、安心できる微笑み。


 彼はゆっくりと歩み寄ってくる。


「レティシア姫に復讐をするなんて、バカなことを言っていた兄に付き合って危険を承知で帰ってきたのは、君に会いたかったからなんだ。でも、君がレティシア姫と知ってからは、会わずに王都を去った方が良いと思った。でないと、君を傷つけることになると思ったから」


 頬に触れられ、レティシアは目を伏せた。温かい掌が気持ちを穏やかにしてくれる。大好きだった人の弟。そして、あのころ、一番好きだった少年。


「本当に、僕と来てくれる?」


 脳裏にジェシカやロキフェルたちの姿がよぎっていくが、それを振り払ってゆっくりと瞳を開くと、真剣な顔をしているヴィケルがいた。


「私は、ビッケのことが、好きですわ。だから、一緒に行っても良い……いいえ、一緒についていきたいの」


 彼だけはレティシアのことを本当に必要としてくれると分かるから。

 安心してその手を取ることが出来るから……


 ヴィケルは頷き、レティシアの手を取った。

 屋敷に背を向けて歩き出す。


 一瞬彼が背後を振り返った。

 だが、レティシアはそれに気付かないふりをした。


 だんだんとモーベルタイン家の屋敷が遠ざかっていった。


 


     *     *     *     


 


 キャメロンは自宅でここ数日の事件についての書類に目を通していた。レティシア失踪と絡んだ事件がないかを追っているのである。

 クッキーを食べながら作業を手伝っているのはカミル。


「そういえば、お前さぁ、ゼリヴ姉とまともに話した?」

 キャメロンは無言のまま首を振った。

 彼女のことは、実際に会う前にヒツジから聞いた。彼女が生きていたことに対する嬉しさと、自分には秘密にされていた悔しさは感じたが、現在はレティシアの事の方が心配で、正直ゼリヴのことなどどうでも良くなっていた。


「意外と素直じゃねえんだよなぁ~」

「それはあなたにだけは言われたくない言葉です」

「……それにしても、ヒツジの奴にはまんまと騙されたよな。ゼリヴ姉のことも、ビッケのことも。全部あいつが仕組んでたんじゃねえかよ」


 ふてくされたように頬を膨らませるカミル。彼にしてみればゼリヴの件はともかく、ヴィケルのことまで秘密にされていたことが気に入らないのだろう。


「ヒツジは、めーめー鳴くですか?」

 真面目な顔のマリアベルに問われ、カミルはにんまりと笑みを作りながら頷いた。

「ひーちゃんは実は羊なんだ。夜な夜なメーメー鳴いてるぞ」


 あとで殴られるな、と哀れなカミルの姿を想像しながら書類に視線を戻す。そこにあったのは捜索願。しかもエルビス・モーベルタインとは先日の決闘をした相手だ。ほんの少しの罪悪感に襲われる。

 キャメロンの様子に気付いたらしいカミルに声をかけられ、どうでも良いことと思いつつも話そうとする。


 扉が開いた。ファイルケースを抱えたゼリヴが中に入ってきた。

 キャメロンはさして気にもとめず、先日のエルビスとの一件について話した。


「もう~。シアちゃんをかけて決闘だなんて、キャロってばさすが私の弟ね~」

「……話の腰を折らないでください」

「でも、彼とシアちゃんが一緒っていう可能性もあるってことになるわね」


 自信たっぷりなその言葉に、キャメロンもカミルも首を傾げた。


「あの子の事は少し知っているけれど、思い詰めると何をするか分からないような子だったもの。それに、彼、ビッケ君のお兄さんと仲が良かったわよ。ひーちゃんの話だと、ジェラール君もビッケ君と一緒にウィルフに逃したんでしょ?」

 険しい表情でカミルを見ると、彼も同じ様な瞳をこちらに向けていた。


「当たってみる価値はあるんじゃない?」


 キャメロンは立ち上がり、壁に掛けてある白いマントを羽織った。

「僕はひーちゃんにこのことを知らせてきます。ついでにモーベルタイン家の別荘の在処を調べてきますから、カミルは出かける準備をしていて下さい」

 用件だけを伝え、カミルからの反応も待たずに飛び出す。


 自分の浅はかな行動がレティシアの身を危険に曝すことになってしまった。その事実に気持ちが焦ってくる。

 魔法を使って移動し、騎士団の本部へ赴く。ヒツジの執務室を訪れ、ゼリヴに聞いた内容を伝える。

 ヒツジは目を細めて顎に手をやった。


「……当たってみる価値はある。一昨日の晩、エルビスが旅人風な男と会っていたという情報がある。相手の外見の特徴はジェシカが見たビッケの物と類似している。馬車で町の外に出ていったらしいぜ」

 ヒツジが差し出した書類に目を通す。


「キャロ。モーベルタインの別荘の場所を聞き出してこい。俺は陛下とイ・ミュラー様に話を通す」

「ジェシカ様には……」

「俺から話しておく。多分ついてくると思うぞ。シーガルとデュークはここに残らせて情報収集を続けさせるから、ジェシカの面倒はお前がみてやれ。お前とシーガルを分けて置いておけば、連絡は取り合えるだろう?」


 魔法には遠距離でも連絡が取り合えるという物もある。キャメロンは頷き、モーベルタインの館に向かおうと踵を返した。


「キャロ。レティシアがエルビスにさらわれたとしても、それは別にお前のせいじゃないぜ。変に気負うなよ」

 背後からそんな言葉をかけられ、キャメロンは微笑みを浮かべた。



 

     *     *     *     




 馬車に揺られ、モーベルタインの別荘へと向かうジェシカ達。馬車にはゼリヴとカミルが乗っており、御者台にはキャメロンとヒツジがいた。マリアベルはカミルの家で預かってもらっているらしい。


「まったく、キャロの考えなしの行動にも困ったもんだよなぁ」

 呆れたようなカミルの声。

 ジェシカは頬を膨らませながら、腕を組んでいた。


「レティばかりずるいですわ。キャメロンさんになら、私をかけて決闘をして欲しいですのに」

「なるほど。まだキャロに未練があるから、レティシアに対して焼き餅を焼いていたわけだ」


 にたにたと笑いながら、からかうような口調で話しかけてくるカミル。


「べ、べつに焼き餅なんて焼いていた訳じゃ……」

「あらあら。そうだったの? もう~、お姉さんに相談してくれれば、キャロの一人や二人あげるのに」


 本当にそれで良いのかとつっこもうとしたジェシカ。

 ふいに馬車が止まる。

 カミルとゼリヴは怪訝そうに前を見た。

 ジェシカは窓から外を見つめ、思わず息を飲んだ。そこにいたのはレティシア……


 ジェシカは慌てて馬車から降りた。


「お姉さま?」


 驚愕したような表情を漏らしているレティシア。彼女はヴィケルと一緒だった。

 エルビスの屋敷から街道までの道は一本道のため、偶然出くわしたのだろう。


「一体なんなんだよ……」

 ぶつぶつと文句を言いながら外に出てきたカミルも、ジェシカと同じように動きを止めた。


 レティシアの視線がカミルへ移る。

 二人はしばし見つめ合ったが、カミルはたいして興味がないような顔をして、レティシアからヴィケルに視線を移し、眉を寄せた。


「おまえ、なんか、全然別人になってるな、ビッケ」

「君もキャロも全然変わっていないね。すぐに分かった」

 意地の悪い顔をしてぼそぼそと呟くヴィケル。その表情には懐かしさと安堵のような物が浮かんでいた。


「レティシア。エルビスにさらわれたのかと思って心配してたんだが、これはどういうことだ?」

「シアに話があるという兄さんと、彼女を手に入れたいエルビスの利害が一致して、さらわれたのは本当だ」


 レティシアを庇うように彼女の前に立ち、ヴィケルが語る。

 レティシアは怒られた子供のように小さくなってヴィケルの手を握っていた。

 そんな二人の様子は友人と言うよりは、むしろ恋人同士にも見える。レティシアが他人に縋っている姿など珍しいし、ヴィケルはそれを必死で守ろうとしているようでもあった。


「僕はシアが好きだ。シアも、僕のことを好きだと言ってくれた。だから一緒にどこかに行くつもりだった……」

「何ですって?」

 驚きのあまりそれが声に出てしまう。レティシアは俯いたままだった。


「ふぅん。それじゃ、俺達はお邪魔だったわけだ。勝手にやってろよ」

 怒ったような口調でぼやき、カミルは馬車の中へ戻ってしまう。


 レティシアは顔を上げ、カミルの背中を見つめた。何か物言いたげな表情。

 その彼女が次に見たのはジェシカ。捨てられた子供のような目をして、今にも泣き出しそうな顔をして……


「レティ。あなた、ヴィケルさんが好きなの?」


 尋ねると、レティシアはヴィケルのことを見て、そっと頷いた。

 ジェシカは御者台に座っているキャメロンへと視線をやった。彼は静かな瞳をレティシアに向けている。だが、口は開かない。


「わたし、ビッケと一緒にいられるなら、家を出ても良いと思いましたわ」


 いつぞや、自分が家を出て駆け落ちをすると言ったときに応援してくれたレティシア。少し寂しいけれど、レティシアが決めたならその応援をしてあげなければならない。


「分かりましたわ、レティがそうしたいのなら、私は止めません」

「おい、待て」


 ため息混じりに静止の言葉を吐いたのはヒツジ。いつも軽い口ばかり叩いている彼らしからぬ、厳しい口調だ。

 彼はレティシアとヴィケル、そしてジェシカのことをぐるりと見渡し、鬱陶しそうに前髪をかき上げた。


「後ろに乗れ。俺はエルビスとジェラールにも話があるんだ。お前らの話は、そのあとで聞いてやる」

 その言葉には誰も逆らえないような威圧感があった。


 ジェシカ達はその言葉に従い、馬車に入った。

 レティシアがヴィケルの手を借りて馬車に乗り込む。馬車に入るなり、彼女はその表情を凍り付かせた。


「ゼリヴ、お姉ちゃん? どうして……」

 青ざめながら辿々しく尋ねるレティシア。


 ゼリヴは口元だけに笑みを浮かべる。

「いろいろあってね、みんなには死んだことにしてもらって、田舎でこっそりと暮らしていたの。……今は止めましょうか、こんな話は」


 レティシアは無表情だった。感情というものがすっかり抜け落ちた顔をして、俯いている。

 そんな様子の彼女を見るのは始めてではない。ディラックが死んだあとの彼女の様子がこんな感じだった。不安になってレティシアに手を伸ばすが、彼女は顔を背けてジェシカの手を振り払った。

 彼女はすがりつくようにヴィケルの肩に顔を押しつける。そんな彼女の肩を抱いてやっているヴィケル。

 レティシアから拒絶されたような気がして、胸が痛くなった。


 カミルは機嫌が悪そうに無言で外を見ているし、ゼリヴは困ったような表情をしてレティシア達を見ているだけ。


 誰も口を開かないまま、馬車はゆっくりと走り出した。

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