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フィアンセバトル  作者: きなこ
8章 レティシア
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レティシア5

 目を開くと見知らぬ天井……。


 レティシアは体を起こした。

 焦げ茶色の髪の男に連れられてここへやった来たのは昨日のこと。移動時間から考えて王都からそう遠くは離れていないはずだが、正確な場所は分からない。


 窓から外を見ると、緑色に生い茂った木々。

 王都の一番近くの森の位置を思い起こしながら、窓に触れてみる。鍵を開けても、どんなに力を入れても窓は開かない。

 魔法を使えば破壊することができるかと試してみようとしたが、背後で扉が開く音がしたので止めた。


 昨日の男が現れるかと思っていたが、姿を見せたのは意外にも知っている顔。

 灰色の髪の、華奢な……


「エルビスっ?!」


 驚愕のあまり「様」をつけるのを忘れた。


「レティシア様。気分はいかがてす?」

「最悪ですわ。……あなたの指図でしたのね。だったら話が早いですわ。私を帰しなさい。今ならまだ間に合います」


 握っている掌が汗ばんでくる。

 何を考えてるのかは分からないが、彼はまともな状態でないことは確かだ。でなければ一国の王女を誘拐などしないだろう。


「あなたとゆっくり話がしたいのです。私は、こんなにもあなたのことを愛しているのに、あんな得体の知れぬ男に邪魔をさせるなど……」

「あなたが言い出した決闘だったはずです。ならば、それに従うのが当然ですわ」

「あの男を庇うのですかっ」


 そう言う問題かっと叫びたいのをぐっと堪える。


 扉の開く音に横を向いてみれば、昨日の男がご飯の入ったトレイを持って立っていた。

 エルビスは忌々しげに彼のことを睨み付ける。


「ヴィケルっ。下がっていろ」


 どきりと鼓動が高鳴った。

 ヴィケル……。そんな名前の少年をレティシアは知っていた。その少年も焦げ茶色の髪で、左目の下にほくろがあった。ディラックの弟で、キャメロンの友達で、レティシアに親切にしてくれて……、そして、処刑されて死んでしまったはずの少年。


 ヴィケルと呼ばれた青年は頭を下げ、部屋から出ていく。


「待って!」


 レティシアは駆けだした。だが、腕をエルビスに掴まれ阻まれる。

 腹を立てたレティシアは渾身の力を込めてエルビスの臑を蹴飛ばしてやった。悲鳴を上げて足を押さえるエルビス。レティシアはそれに構わずにヴィケルのあとを追いかけた。

 廊下に出ると見えたのは彼の後ろ姿。意識してみると、何故かその後ろ姿は彼の兄に重なって見える。


「ビッケ!」


 反応はない。

 彼の前に回り込む。足を止めたヴィケルは初対面の人間を見る様な無機質な瞳でレティシアのことを見下ろした。


「ビッケでしょう?」

「確かに、昔はそんな風に呼ばれていた」


 低い声で返される。

 昔の彼は物静かで穏やかな少年だった。今の陰気で冷たい感じのする彼とは全く別人のようである。その雰囲気の差に戸惑いながら、レティシアは次の質問を口にする。


「どうして? わたし、あなたは、死んだって……」

「俺はまだ幼かったし、顔も知れてなかったから……。トリスタン王子達がうまくごまかしてくれて、ウィルフへ逃された」

「トリスタンが?!」


 驚愕しているところで突然腕を捕まれ、レティシアは小さく悲鳴を上げた。

 振り返ると、目を血張らせたエルビスがいる。


「あなたの正直な気持ちを聞かせていただきたいのです」

「もうっ。こっちはそれどころじゃないんですのよっ。あなたなんて嫌いっ。もう顔も見たくありませんっ! だから、放してっ」


 エルビスなどと話している場合ではない。ヴィケルはレティシアに背を向けて歩き出してしまったのだ。まだ、彼とは話したいことがたくさんあるのに……


「こんな事がばれたら、あなただって、あなたの家族だってどうなるか分からないんですわよっ!」

「そうやって権力をかざして、また人を殺すつもりか?」


 冷ややかな声音。

 どきりとしながらエルビスの向こう側にいる人物を見つめる。

 焦げ茶色の髪のその青年は、どこか卑屈そうな顔をしている。だが彼の声は、死んだあの青年によく似ていた。


「ジェラール。貴様は下がっていろ。今は私とレティシア様の愛の語らいの時なのだ」

 その名前は聞き覚えがあった。


「ディラックの、弟さん……?」


 ディラックには二人の弟がいた。ひとりはヴィケル。もう一人はジェラール。当時、騎士の見習いをしていたというジェラールの名前だけは聞いたことがある。

 気持ちを落ち着けようと何度か呼吸をする。


「お会いするのは初めてですわよね」

「ああ……」


 憎しみの感情を隠そうともせずに、まっすぐにレティシアを見つめるジェラール。

 ここまで強い感情を向けられたことは今までにない。怖くて体が震えてくるが、それを気取らせないようにと唇を噛みしめる。


「何故、兄さんを殺した?」


 単刀直入な質問。

 まさかそんなことを言われるとは思っておらず、思考が停止してしまい、瞬きを繰り返す。


「兄さんは国王を守るために戦った。なんの罪もない。それにおまえは、兄さんに良くしてもらっていたはずだろう? それなのに、どうして……」


 レティシアはもちろんディラックを殺してはいない。助けたかったけれど、レティシアではどうすることも出来なかった。


「どうして殺したんだ?」


 その言葉はディラックに投げかけられているような錯覚に陥り、目頭が熱くなる。胸がつっかえて、呼吸すらままならない。

 泣きそうになるのを必死で堪えながら、レティシアはジェラールから視線を外した。


 自分がディラックを殺した……ディラックが死んだのは自分のせいではないのか。それは、ずっとレティシアの中でくすぶっていた疑問でもあった。

 王族などという国家最高の権力を持っているのに何も出来なかった自分。

 そしてあの時、あの長い廊下で、無理にでもディラックの手を引いていれば……


「私を無視するなっ!」

 悲痛なエルビスの叫び。


「うるさいのよっ」

「黙ってろっ」


 瞬時に二人に怒鳴りつけられたエルビスは泣きそうになりながら、おずおずと壁側に寄っていく。

 レティシアは顔を上げ、ジェラールの激しい憎しみをたたえている瞳をまっすぐに見つめる。


「私はっ……」


 何を言おうとしたのだろうか。口が勝手に動いたその時、ジェラールが剣を抜き、大きく横になぎ払おうとするのが見えた。

 それと同時に、何かに抱きしめられる感覚に包まれる。

 はらはらと金色の髪が落ちていくのが視界の隅に映る。そして、目の前を伝っていく赤いもの。

 顔を上げると、眉を寄せたヴィケルが静かな瞳でジェラールのことを見つめていた。


 肩で息をしながら、剣を持つ右腕を左手で押さえているジェラール。

 彼は懸命に自分を制そうとしているようだった。


「兄さんはおまえ達に殺されたんだっ」


 今にも泣き出しそうな顔をしてだだっ子のように訴える。

 レティシアには何も言えなかった。


「兄さんは……兄さんは……」


 ジェラールは首を振り、大股で歩いていく。そのあとを文句を言いながらエルビスが追っていった。


 彼の姿が見えなくなると、全身から力が抜けてぺたんとその場に座り込んだ。

 堪えていた涙も一気にあふれ出した。


 視界の端にヴィケルの腕が映る。

 ジェラールの剣からレティシアを庇った際に追ってしまった傷口からは血が溢れ出している。

 服の袖で涙を拭い、レティシアはヴィケルの腕に触れた。酷い出血だが単なる切り傷のようである。時間をかければ魔術で癒すことが出来るだろう。

 治癒の魔法を発動させていると、唐突に頬を撫でられて、レティシアは顔を上げた。


「……すまない」

「何でビッケが謝るの?」

「兄さんが、君に酷いことを言った……」

「だって、そう思われても仕方がないじゃないですの。ディラックを処刑しろと命じたのは国ですし、私はその国の代表者みたいなものですもの。……ビッケだって、私のことを恨んでいるのでしょう?」


 ジェラールのあの様子からして、その弟が同じ感情を持っていると言うことは十分考えられる。

 ヴィケルはゆっくりと頷いた。

 その可能性は考えていたが、実際に肯定されると辛い。


「でも、俺は……ぼくは、君だって知らなかった」


 突然抱きしめられる。レティシアは瞬きをしながら天井を見つめていた。


「王女であるレティシアは憎かったよ。兄さんはぼくたちよりも彼女の事を優先するくらい可愛がっていたのに、どうして助けてくれなかったんだろうって思っていた。でもシアは違う。……ぼくは、シアが好きだったし。ずっと会いたいと思っていた」


 何度も首を振り、ヴィケルはレティシアの肩に額を押しつける。


「ビッケ?」

「どうしていいか、分からない……」


 顔を上げた彼の表情は苦しそうだった。

 ヴィケルと目が合う。彼はゆっくりと手を伸ばし、レティシアの手を握った。


「一緒に行こう」


 しばしの間見つめ合う。


 寂しそうな瞳をしている彼。

 レティシアもどうして良いのか分からなかった。

 だが、彼の手を拒んではいけないような気がした。そうすれば、もう二度と彼と話すことが出来ないだろうから。それに……


「……いいよ」


 そう返すと、ヴィケルは驚いたように目を見開いた。


「本当に?」

「うん。……昔、キャロルさんが旅のお話しをしてくれたとき、私も旅に出るって駄々をこねたことがあったでしょ? あの時、ビッケは私を旅に連れて行ってくれるって言ってくれた。……とっても、嬉しかったんですのよ。私、いつかビッケと一緒に旅に出たいと思ってましたの」


 救いを求めている彼のことが放っておけないというのもある。

 だがそれ以上に、今、自分を必要としてくれているこの手を放したくはなかった。


「そんなことを、覚えていたんだ」


 嬉しそうな笑みを浮かべるヴィケル。

 久しぶりの彼の笑顔を見ていたら、自然とレティシアの顔にも笑みが浮かんできた。




     *     *     *     




 カミルはマリアベルを連れて家を出た。

 昨日は夜中までレティシアを探していた。そして家に帰ってからはマリアベルのことが気になってほとんど寝れなかった。


「まったく、面倒なもんを拾っちまったよなぁ」

 気だるそうにひとりごち、カミルは雲一つない空を仰いだ。

 キャメロンによく似た顔立ちの少女の身元を確認するには、騎士団よりもキャメロンの所に連れて行った方が手っ取り早いだろう。


「おとうちゃまに会わせてくれるのですか?」

 期待一杯の瞳で見つめられ、カミルは曖昧な表情を作った。


 フィクスラム邸の門を開けて中に入る。

 玄関の前に誰かがいた。ドアノブに手をかけてそのまま動きを止めている人物。顔は見えないが背格好からして、女であることは間違いない。

 カミルは彼女の後ろ姿を睨むように見つめた。予想していたことではあったが、まだ心の準備が出来ていない。

 高鳴る鼓動をなんとか沈めようと深呼吸をし、ゆっくりと口を開く。


「ゼリヴ姉?」


 カミルは無言で彼女からの反応を待った。

 すると、

「カミル君?」

 何事もなかったような顔をして、振り返ったその女。

 男女の違いはあるが幼なじみによく似た顔立ち。髪が短くなっているものだからなおさら判別がつきにくいかも知れない。


 怒って良いのか、喜んで良いのか、複雑な心境でまっすぐに彼女の瞳を見つめる。

 あのころは見上げていたはずの彼女よりも、少しだけ目線が高くなっていた。


「ひどいですっ」

 突然のマリアベルの大声にカミルは我に返った。

 彼女は目に一杯の涙をためてカミルのことを見上げていた。繋いでいたカミルの手を振り解こうとして手をぶんぶんと振る。


「カミルにいちゃま、あたちをだまちたんですねっ」

「まさかここに本人がいるとは思わなかったんだよっ」


 泣きじゃくる少女に言い訳をし、カミルはゼリヴへと視線を移した。ゼリヴは怒ったような顔をしてマリアベルを見ている。


「もう、マリア。突然いなくなるから、探してたのよ」

「あたちはおとうちゃまに会うまでは帰らないですっ」


 逃げようとしているマリアベルのことを抱き上げ、ハンカチで顔を拭ってやる。

 最初は抵抗していた彼女だが、次第におとなしくなってカミルの首に抱きついた。


 その時、がちゃりと音を立ててゼリヴの背後の扉が開いた。中から出てきたのは眠たそうな顔をしたデューク。


「カミル、人の家の前で何を……」

 言葉を不自然なところで止める。彼の視線上にはゼリヴの姿があった。驚愕している彼をカミルは物珍しげに眺める。

 ゼリヴはあははと軽く笑い、おそらく、ごまかそうとしているのだろうが、片手を上げて気楽に言ってくれた。


「あら、デューク君。お久しぶり。ずいぶんと大きくなったわねぇ~」


 その言葉を聞いたマリアベルは瞬時に表情を明るくしてデュークのことを見つめた。


「おとうちゃまですかっ?!」


 ゼリヴに対してもマリアベルに対しても返す言葉が思いつかなかったのだろう。デュークは珍しく動揺した様子で、無言で首を振っていた。





「この子は、私とディラックの娘。この子の事を知ったのは、ディラックが死んだあと……戦場でだったの」


 カミルはクッキーを食べているマリアベルの面倒をみながらゼリヴの話に耳を傾けていた。言葉の内容からは考えられないほど、彼女は穏やかな顔をしている。


 そこまで聞けばあとの話はだいたい分かる。国王殺しなどという最大の罪を犯した一族の子供を守るには、その存在を隠す以外にはない。ゼリヴとディラックの仲は周知の事実であった。マリアベルの存在が露見すればディラックの娘と突き止められるのは必至である。

 ゼリヴの話もそんな感じで続いていった。


「と、まあ、そんなわけで、運がいいのか悪いのか、ちょっとしくじっちゃって大怪我をしていた私は、そのまま死んだことにして、田舎に身を寄せていたってわけ」


 カミルは不機嫌な顔でソファに寄りかかった。

 デュークの方はいつもと変わらない表情で、湯気の立たなくなったティーカップを見つめていた。


「今更ここへ戻ってきたのはどうしてなんです?」

 デュークに問われ、ゼリヴは優しい母親の目をしてマリアベルを見つめる。


「ディラックに報告したいことがあったから、よ」


 いつの間にか寝てしまったマリアベルに気付いて、カミルは彼女に上着を掛けてやった。

 カミルは顔を上げ、まっすぐにゼリヴを見つめた。


「どうしてキャロには言ってやらなかったんだよ。あいつ、ゼリヴ姉が死んだのは自分のせいだって思い詰めてたんだぜ」


 ゼリヴが生きていたと手放しで喜べない理由はそこにある。自分たちはともかく、どうしてキャメロンにまで黙っている必要があったのか。

 ゼリヴが死んだことで、彼がどれだけ傷ついていたのか、カミルは傍で見てきたのだ。

 ゼリヴは視線を落としていた。


「レティ様や俺達を前にして、キャメロンが真実を隠し通せる保証はない」

 横からデュークに口を挟まれ、睨むようにして彼へと視線をずらす。

「あいつ、泣いてるとこなんて誰にも見せなかったし。なんだってひとりで……」

「……ありがとう、カミル君。キャロのこと、心配してくれていたのね」

 突然頭を下げられ、カミルは開きかけていた口を閉じた。そんな反応をされると困ってしまう。


 カミルは無言のままゼリヴのことを見ていた。

 しばらくして廊下の方で物音がするのに気付き、そちらへと視線をやる。脳天気そうなジェシカの声が聞こえてきた。

 キャメロン達が帰ってきたのかと慌ててゼリヴのことを見ると、彼女は静かな瞳で扉を見つめていた。


 扉が開く。

 まず入ってきたのはヒツジ。彼はカミル達を見て驚いたように眉を上げる。そして、ジェシカ、シーガルと続き、最後にキャメロンが入ってくる。

 キャメロンはゼリヴ同様、静かな瞳をゼリヴに向けた。そして、頭を下げる。それだけで、彼は何も言わずに視線をカミルへと移してきた。


「カミル。レティシア様は昨日は帰らなかったようです。……もしかしたら、ビッケと一緒という可能性もあります」

「ビッケって……」

 死んだはずの幼なじみの名前。同じく死んだはずの人間へと視線を向けるが、彼女も驚いたような顔をしている。


「あら? あらあら? もしかして、ゼリヴさんですの? 一体どうなっていますの? ねぇ、ひーちゃん。もしかして、他にも生死を偽っている人がいますの? お兄さまとか」

 場にそぐわないような素っ頓狂な声を出すジェシカにヒツジは首を振る。


 カミルはキャメロンへと視線をやった。彼はジェシカと話しているゼリヴのことを見ている。不気味なまでの無表情。それでも彼は姉が生きていたことをきっと喜んでいるのだろう。感情を素直に表現するのが割と苦手な幼なじみであるから。


 ゼリヴといいビッケといい、どうして死んだ人間の名前ばかりが出てくるのだろうか。そんなことを考えながら、カミルはソファに寄りかかった。

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