レティシア4
激しく降る雨の音を聞きながら、キャメロンは自宅で本を読んでいた。
扉が開く音がしたので振り返ると、そこにはヒツジが立っている。
「あ、ひーちゃん。帰ってきたんですか。……まあ、今日はディラックの命日ですからね」
当然と言わんばかりに言ってやると、彼は曖昧な笑みを浮かべた。
ヒツジは上着をその辺に放り投げてソファに座る。
キャメロンはやれやれといった面もちで立ち上がった。
「まったく、だらしないんですから。早く結婚相手を探した方がいいですよ」
上着をハンガーに掛けようと手にすると、ほのかに香る甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
キャメロンは首を傾げながらヒツジの後頭部を見つめた。
「女の人と一緒だったんですか?」
「な、なんでそんなことを……」
やや狼狽えたように返され、キャメロンは満面の笑みを浮かべた。
「ようやく身を固める気になりました?」
悪戯っぽく言ってやると、ヒツジは苦い顔をしながら首を振った。
いつもの彼とは異なる反応に違和感を感じる。彼が女性と一緒にいたところがばれて、何か不都合があるはずなどない。まだ結婚はしていないし、決まった相手もいないのだし。
「ひーちゃん?」
「……キャロ。ちっと話があるんだけど、いいか?」
訝しげに首を傾げ、キャメロンは頷いた。
* * *
ジェシカは後悔していた。
墓参りの時にレティシアに言った言葉を。
あのあと、熱を出して寝込んでしまったレティシア。
お見舞いに行った時には普通に話してくれたが、心の中ではどう思っているのか。
視線を上げても、いつもはそこに座っているはずのレティシアはいない。寝込んでいる時は部屋に食事を運ばせているのだ。
「ジェシカ、そんなに心配しなくても、レティは大丈夫だよ」
ロキフェルに声をかけられて、ジェシカは食事の手が止まっていた事に気付いた。
慌ててナイフとフォークを手にとり、食事を再開させる。
「兄上の墓参りに行ったときのことを気にしているのかね?」
まさか図星をさされるとは思わず、ジェシカはぎょっとした。
「どうしてあんな事を言ったのかは分からないけれど、悪いと思ったならちゃんと謝った方が良いよ」
ロキフェルは穏やかな顔をしている。
彼はちゃんとジェシカのことも気にかけてくれていた。そんな当たり前のことに気付くと、何故か胸が熱くなってくる。
「私、お父様やシーガル達がレティのことばかり気にかけるから、腹を立てていたんですの」
「……私はレティには過保護すぎるらしいからね。不安にさせてしまって、すまなかったね」
素直に謝罪され、ジェシカの瞳からは涙がこぼれてきた。
ロキフェルはジェシカの席に近づいてくる。そして、そっと頭を撫でてくれる。
「トリスタン君がいなくなってから、レティはずいぶんとおとなしくなってしまっただろう? 君が落ち込んでいたから、わざと明るく振る舞って元気づけたりして。だから余計に、心配で……」
ジェシカは勢いよく立ち上がった。
「私、レティに謝って来ますわ!」
「今すぐではなくて、食事が終わってからでもいいんじゃないのかね?」
「こういうことは早いほうがいいんですのっ」
強い口調で言ってやると、ロキフェルはやれやれといった面もちで微笑みを浮かべた。
ちょうどその時、ノックとともに扉が開く。現れたのは近衛兵。彼はその場で頭を下げ、ロキフェルに報告をする。
「申し訳ありません。レティ様が部屋から消えてしまいました」
ぎょっとしながら目を見開くジェシカ。
ロキフェルは苦い笑みを浮かべながら頭をかいていた。
「仕方がないなぁ。ヒツジ君は……今はいないのか。じゃあ、誰でも良いから、マックス先生の所とフィクスラム邸に使いを出してくれないか? ああ、もしかしたら……」
「私が行きますわ!」
妙な胸騒ぎがする。こんなところでじっとしていられるような気分ではなかった。
ロキフェルにすがりつくと、彼はため息をつきながら近衛兵に告げた。
「魔法兵団のシーガル君か、騎士団のデューク君を呼んできてくれないか? 念のため総帥殿と将軍殿にも、このことを伝えておくように」
*
夕方から降っていた雨は止んでいた。
カミルの家にはカミルがいなかったので、そちらはシーガルへと任せ、ジェシカとデュークはキャメロンの家を訪れた。
ここの住人であるデュークは玄関の鍵を開け、中に入っていく。
玄関から中を覗くと、居間から明かりが漏れていた。
デュークが居間に入っていくので、ジェシカもそれについていった。
キャメロンはソファに座っていた。
だが、居間に入ったジェシカ達に気付いた様子はない。
「キャメロン」
デュークに呼ばれても、彼は反応をしない。
眠っているのかと訝りながらジェシカも呼びかけると、びくりと肩を震わせながら彼は振り返った。
ジェシカは首を傾げながらその反応を見つめていた。
「あ、ジェシカ様。すみません、ちょっと、考え事をしていたもので……。あっ。い、今お茶を出しますね」
彼は慌てて立ち上がり、テーブルの上のカップなどを片づけようとする。が、がちゃんと派手な音を立ててそれらがひっくり返る。
「何をやっているんだ、おまえは」
呆れたように呟き、デュークが布巾でテーブルの上を拭う。
「……何かあったんですの?」
「いえ、べつに……」
疲れたような顔をして言葉を濁すキャメロンを心配そうに見ていたジェシカ。
だが、ここに来た目的を思い出して、レティシアの居所を尋ねてみる。
「僕は彼女の部屋で昼頃会ったきりですけれど。カミルは?」
「患者さんのところに行っているみたいですの。シーガルが探しに行ってくれたのですけれど」
「僕も彼女が行きそうな場所を少し当たってみます」
短く言って部屋から出ていこうとするキャメロンの腕をジェシカは掴んだ。
「私、レティに大嫌いだなんて言ってしまいましたの。もしかしたら、そのせいで家出をしてしまったのかも知れませんわ。……ごめんなさい」
「僕ではなく、直接レティシア様に言ってあげてください。それに、今のレティシア様は、家出なんてするはずがありません。きっとどこで雨宿りをしていて、帰りが遅くなっているだけですよ」
キャメロンは優しい顔をしてジェシカの頭を撫でてくれる。
少しだけほっとして、ジェシカは鼻をすすりながら泣き出した。
「みんながレティのことばかり心配するから、拗ねていましたの。シーガルも、お父様も、みんな。キャメロンさんもカミルもレティの事が好きだって言うし。それにこの前知り合ったヴィケルさんだって、私が先にいいなと思ったのにレティと仲良く喋っていたし。私が好きになる人はみんなレティの……」
「え?」
険しいその顔に驚いて、ジェシカは思わず言葉を止める。驚愕のあまり涙もぴたりと止まった。
「今、ヴィケルと言いましたか?」
「え、ええ……」
「少し詳しく聞かせていただけませんか?」
いつになく余裕がなさ気なキャメロンの様子に、ジェシカはうろたえながら頷いた。
「よく分からないんですけれど、歩いているレティのことを引き留めている様でしたわ。えっと、焦げ茶色の髪で、ちょっとかっこいい感じの人ですの。ああ、そう」
ジェシカは自分の左目の下を指して、まっすぐにキャメロンを見つめた。
「ここに、ほくろがありましたのよ」
「そうですか。突然、変なことを聞いてしまって申し訳ありません」
キャメロンはぺこりと頭を下げて、廊下へと出ていった。
その態度を不可解に思ったジェシカは首を傾げながらキャメロンを追おうとしたがデュークに止められる。
「今は近づかない方がいいですよ。怒っているキャメロンに近づいて良いことなんてありませんから」
「怒っている?」
ジェシカが聞き返したその時、すぐ側で破壊音が聞こえた。
ぱらぱらと天井から埃が落ちてくる。
デュークが物憂げな顔をしながら廊下をのぞき込んだ。そして、大きく息を吐く。
「容赦がないからな……」
「私、何か変なことを言ってしまったのかしら」
戸惑いながらデュークの腕にしがみつく。デュークはしばし考え、首を振った。
デュークが歩き出したので、ジェシカもついていく。
彼が止まったのは一階の一番端の部屋、ヒツジの部屋である。
床中に散らばった紙切れ。
壁に寄りかかって両手を肩の高さに上げて、降参のポーズを取っているヒツジ。
キャメロンはそこから少し離れたところで微笑みを浮かべていた。
「おまえ。それ、重要書類だぞ」
「自分で踏んでいますよ、ひーちゃん。紙自体にはダメージはないはずです。散らして嫌がらせをしたかっただけですから」
「それじゃあ、この穴はどう説明するんだっ!」
ヒツジが指した方向には、人一人が余裕で通れるくらいの穴が開いていた。
そこからは輝いている星がよく見えた。
「あら、今日は星がきれいですわね」
「ジェシカ様もそう言っていることですし、たまには空を見上げて息抜きをしたらどうですか、ということで。いつも忙しそうですからね、ひーちゃんは。ちょっとした気遣いですよ」
意味不明なことをしゃあしゃあと言ってのけ、不気味な笑みを浮かべる。
ごくりとヒツジが唾を飲み込む音が聞こえた。
「ひーちゃんって、とってもお強いんでしょ?」
何となくデュークに尋ねてみると、彼は足下の紙を拾いながら頷く。
「今はキャメロンが得意な間合いなんですよ。ひーちゃんは魔法が使えませんから。あと二歩程度近づくと、形成は逆転しますけれどね」
さして関心がないように語るデューク。
ジェシカは首を傾げた。彼の言葉の意味が全く分からない。
「聞きたいことはひとつです。……ビッケは生きているんですか?」
眉を寄せるヒツジ。
その表情から笑みを消したキャメロンは、冷ややかな視線をまっすぐにヒツジに向けていた。
* * *
「カミル君って、まだレティシア様のこと、好きなの?」
最近よく聞くそのセリフ。
カミルは横に座っている少女を睨み付けた。
栗色の髪のそばかすが残る頬の幼馴染、アリサは好奇心で一杯の瞳でカミルの顔をのぞき込んでいる。
「んなわけねえだろ。だいたい、シアの奴はキャロのことが好きなんだし、キャロだって……」
意味ありげに笑う声が聞こえ、訝りながら横を向く。
「愛されてるわよねぇ、レティシア様」
「何だよ、それ」
アリサは意味ありげな視線を明後日の方に向け、大げさにため息をついた。
「今でもシアって呼んでるんだ」
「そりゃ、シアはシアだし……」
「普通呼べないわよ。お姫様だって知ったら、そんな風には」
カミルは考えるように視線を宙に浮かした。
「そういうもん?」
「うん」
きっぱりと頷くアリサ。
カミルは腑に落ちないといった表情で首を傾げた。
確かに他に人がいるときにはレティシアと呼ぶ事もあるが、本人がシアと呼ばれる方が嬉しそうなのでそうしていただけである。特別な意味などあるはずもない。
「今なら仕方がないんだって思えるけど、そのことを知ったときはちょっとショックだったもの。レティシア様に、欺かれていたような気がして」
カミルは何も反応は返さなかった。
選別した薬草を紙袋に入れて、それをアリサの前に置いた。
用事も済んだので外に出る。
先ほどまで激しく降っていた雨はいつの間にか上がっていた。
傘を片手に背伸びをする。
「最近がんばってるんだね」
「まあな。なんとなく目標も出来たし、親父も少しずつ俺に任せてくれるようになったしさ」
「ふぅん。目標って、王宮仕えになること?」
「違うって。……ま、そんなことはどうでも良いんだけど。じゃあな。また来るわ」
アリサに見送られてカミルは歩き出した。
雨は上がったがすでに遅い時間ということもあって、外は真っ暗である。
夜風が冷たく吹き抜け、カミルは身震いをしながら腕をさすった。
「カミルっ」
背後から名前を呼ばれて振り向く。そこにいたのはシーガル。
「レティ様と一緒じゃないか?」
「はあ? レティシアなら、自分の部屋で寝てるんじゃねえの?」
彼女が寝たことは確認した。ロキフェルに進言して部屋に見張りを置いてもらったので、外に出ているはずはないのだが。
「レティ様が部屋にいないって、今大騒ぎしているんだよ」
カミルはちっと舌打ちをし、走り出した。
後ろからシーガルに引き留められたが、いちいち説明するのが面倒だったので無視をした。
「あのバカ。あんな雨に打たれてたら、無事で済むわけがねえだろうよっ」
彼女の行き先など墓地以外にない。
墓地にたどり着く。
灯りのないこの場所では、ほんの数メートル先の物すらも判別できなかった。携帯用の小型のランプに灯りをつけて歩みを進める。
ぬかるんだ地面が足を取って歩きづらい。
「シア、いるのか?」
呼びかけてみるが返事はない。
カミルはまっすぐにディラックの墓に向かった。彼の墓は墓地の隅の方に位置している。
ディラックの墓の前にはレティシアはいなかった。
「もう城に戻ったのか。どっかで雨宿りをしていたら、そろそろ戻るはずだろうしな……」
ぶつぶつと呟きながら、カミルは額に浮かんでいた汗を拭った。
彼女が他に行きそうな場所。先日のアリサの一件があるため、町の知り合いの所というのは考えにくい。カミルの自宅にはいない様だし、キャメロンの所ならばシーガルが当たってくれるだろう。
いくつかの候補を思い浮かべながら踵を返そうとしたその時、
「おとうちゃまっ?!」
場にそぐわない幼子の声。
驚愕のあまり息を飲み、声の方向にランプを向けると幼い少女が立っていた。背丈から見て五つくらいだろうか。
彼女がまぶしそうに目を覆うのを見て、カミルはランプを下ろした。
「悪いけど、俺はおまえの父親じゃねえぞ」
すると、幼子はがっかりしたように肩を落としてしまう。
「それより、こんな所に一人でいたらあぶねぇぞ。迷子なら、家まで送ってってやる」
幼子はふるふると激しく首を振り、カミルの服の裾を掴んだ。
「だめです。おかあちゃまに見つかったら、おとうちゃまに会わせてもらえないです」
家出娘か、と、なんとなくレティシアのことを思い出しながら、放っておくことも出来ないので事情を聞くことにする。
「おかあちゃまは、おとうちゃまに会うためにこの町に来たんです。でも、あたちには会わせてくれないから、あとをつけてきたんですけど……」
「見失って、迷子になったという訳か」
幼子はこくりと頷いた。
「おねがいです。あたちのおとうちゃまを、いっしょにさがしてくだしゃいっ」
「悪い。俺、今忙しい……」
ずるずるっと鼻をすする音が聞こえ、ぎくりとしながらカミルは慌てて彼女の頭を撫でた。
「あー、もう。分かったよ。おまえの母親に一緒に頼んでやるから、宿を教えろっ」
「わからないです……」
「……」
大げさにため息をついて、カミルは頭をかいた。
「じゃあ、とりあえず騎士団に届けるからな。そこでおまえの父親の情報を聞いてやるよ。分かるかどうかはわからねえけど」
こくこくと頷く幼子。カミルは面倒くさそうに頷いて、彼女の事を抱き上げた。
ランプを彼女に持たせて、歩き出す。
「あたち、おとうちゃまに会いたいんです……」
「分かったって」
何やら複雑な事情があるらしい彼女の顔をなんとなく見つめて、あっと息をのんだ。妙に見覚えのある顔をしている。
子供の頃のキャメロンと、よく似た……
「……訳ありの、父親をさがしに、ねぇ」
眉間にしわを刻みながらつぶやき、大きく息を吐いた。
「そういや、おまえ、名前は?」
「マリアベルです。おにいちゃまは?」
「俺はカミル」
「はい。よろしくおねがいします、カミルおにいちゃま」
あどけない笑顔を見ながら、カミルは複雑な気分で笑みを返した。




