キャメロン10
ダンの部屋の戸をたたくと、ヤンが顔を出した。そのヤンは、なにやら思案顔といった感じである。
「レティはいますか?」
「ああ。奥で、父上と勝負をしているそうだが……」
「ぬおっ!!!!!」
ダンの悲鳴が聞こえ、ジェシカはとっさに隣にいるデュークのマントを掴んだ。
困ったようにヤンが奥へと続く扉を見つめる。分厚い扉の向こう側では一体何が繰り広げられているのか。ジェシカは緊張した面もちで、ごくりと唾を飲み込んだ。
「時折、父上の悲鳴が聞こえるのだが……」
「何か危ないことでもしているのかしら」
怯えながらデュークの陰に隠れるジェシカ。
ため息をつきながらキャメロンが歩き出す。そして彼は躊躇うこともなく扉を開いた。
慌てた様子でヤンが駆け出し、奥の部屋を見た彼はぴたりと動きを止めた。
「何の用だ」
不機嫌そうなダンの声。
緊張しながらジェシカも部屋をのぞき込んだ。すると、ダンとカミルが向かい合って椅子に座っている。カミルの横にはレティシアの姿もあった。
テーブルの上には碁盤目の描かれた紙がある。そして、その上には白と黒の石が並べられていた。アリアの町で流行っているリバーシというゲームをしていたらしい。
「一体何をしているんですっ!? 父上が悲鳴を上げたり怪我をしたりしているから、もっと手荒いことでもしているのかと」
「ええいっ、騒々しいぞっ」
ダンに一喝され、ヤンは固まった。
ヤンを怒鳴りつけたダンはその視線をキャメロンへと向ける。そして、顔を真っ赤にしながらテーブルを叩いた。同時にがしゃんと言う音がし、偶然叩いた先にあったカップが粉々に砕かれる。
「貴様っ! 何の用だっ」
「おい。頭領……。何度同じ事で怪我をすりゃ気が済むんだよ」
呆れたようなカミルの口調。
ダンの拳はカップの破片で切れたらしく血が滲んでいる。カミルはやれやれといった面もちでダンの腕を掴んで手当を始めた。一方のレティシアはテーブルが叩かれた衝撃でバラバラになった石を元の配置に戻している。
マイペースに振る舞っているレティシア達を見て、ジェシカはぷうっと頬を膨らませた。
「ちょっと、レティ! 人が心配しているのに、何を遊んでいるんですのっ」
「心配なんてしなくても良いと言ったではありませんか。私の事なんて、放っておいて下さい」
「……と言うわけにも行かないんですよね~」
突然言葉を発したのはキャメロンだった。彼はいつも通りのにこやかな顔で、レティシアの事をまっすぐに見つめている。
「理由は簡単です。僕はレティシア様のことをお慕いしているので、勝手に婚約を決められてしまっては困るんですよ」
全く困っていない様な口調のキャメロン。そんな様子がなんだか彼らしくて、ジェシカは吹き出しそうになった。
レティシアは目を見開いた。カミルですらも手当の手を止めて、キャメロンの方へと視線をやる。それらの視線を受けたキャメロンはにこにこと機嫌が良さそうに微笑んでいた。
「それに、今回は僕がこうなる原因を作ってしまったみたいですから、責任を感じているんですよ」
「わたし……私が、頭領殿との婚約を受けたのは、国のためですもの。あなたのためなんかじゃありませんわっ!」
勢いよく立ち上がったレティシア。その勢いで椅子が倒れ、がたんと激しい音を立てる。
「ええ。ちゃんと分かっていますよ」
にっこりと極上の笑みを浮かべた彼は、ジェシカ達を振り返った。そして、デュークが持っていた自分の剣を受け取り、鞘を抜く。
「がはははは。小娘をかけて儂と決闘でもするか?」
嘲るようなダンの挑発を笑顔で流し、キャメロンは利き腕に剣を持った。
「レティシア様には、レティシア様が選んだ人と幸せになってもらいたいと思ってるんです。それは僕の姉や、兄になるはずだった人の願いでもありましたから」
キャメロンはゆっくりと歩き出し、ダンの前で止まった。どことなく優雅な動きでその場に膝をつき、持っていた剣をダンへと差し出す。
「元々はこの諍いの原因になった僕を処刑することで、国家間の関係は今まで通りという話でしたよね。……だからはじめの予定通り、僕を処刑することですべてを水に流して、レティシア様を自由にしてあげて下さい」
「そんなのっ……」
ジェシカは慌ててキャメロンを止めようとしたが、デュークに手で制された。
レティシアは青ざめてキャメロンを見つめている。
差し出された剣を受け取ったダンはしげしげとその剣の刃を眺め、口端を持ち上げた。
「ふむ。なかなか手入れが行き届いておる」
ダンは数度宙を切り、その剣先をキャメロンへと向けた。元々きつい目をしているダンの瞳がさらに鋭くなる。
「父上っ! 止めて下さいっ」
そのとき、ダンとキャメロンの間に割り入ったのはヤン。彼はキャメロンを庇うように両手を広げ、険しい面もちでダンを睨みつけた。その視線を真っ向から受け止めて、不機嫌そうに眉を寄せるダン。
「レティシア姫は父上と二周りも年が離れているのです。お戯れもいい加減にしてください」
「戯れなどではないわ。アリアの姫は良い駒になるのだぞ」
「私の妹をあなたの道具になんてさせませんわよっ!」
ヤンとジェシカに睨まれ、ダンはおもしろくなさそうにふんっと鼻を鳴らせた。そしておもむろに剣を振り下ろし、その切っ先をヤンの首筋に当てる。
「そやつの代わりは貴様でも良いのだぞ、ヤン。儂の言葉を力づくで撤回させてみせるか?」
「ちょ、ちょっと! 自分の子にそんな危ない真似を、」
ヤンはジェシカのことを手で制した。
「俺には理解できない。顔も知らないような先祖のことなどどうでも良いではないか。誇りなどよりも、もっと大切な物があるはずだ」
「知ったような口を聞くなっ!」
「皆が過去の悔恨を捨てて互いに歩み寄ろうとしているときに、どうして頭領である父上がそれを壊そうとするんだっ。それがターチルの頭領のあり方であるなど、間違っている」
剣を振りかぶるダン。ヤンは身じろぎひとつもせずに、真っ向からダンを睨み付けていた。
剣が無造作に振り下ろされる。だが、それがヤンの元へ届くことはなかった。ダンの太い腕をレティシアが両手で抱えるようにして掴んでいたのだ。彼女は俯きながらしきりに首を振っている。
「私は全然構わないんですから、無茶なことは止めてください……」
「そんなわけには行きませんわよっ」
ジェシカは怒鳴りながら歩き出した。ヤンのすぐ横に立つと、ダンの持っている剣が目前となり、思わずつばを飲み込む。
それに負けじと気合を入れ、ジェシカはレティシアの腕を取り、無理矢理彼女の事を引っ張った。
「私はキャメロンさんが好きだから、キャメロンさんの幸せのためのお手伝いをするって決めましたのっ。だから、あなたが頭領の婚約者になっては困るんです! 国の事が心配でこの話を断れないと言うのでしたら私が代わりになりますわっ!」
勢いに任せてまくし立てたものの、あまり自分の発した言葉の意味を考えていないジェシカである。
妙な具合に部屋の中が静まり返った。
ふと我に返って周りを見ると、皆が驚いたようにジェシカのことを見つめていた。頭を下げていたキャメロンも顔を上げているし、あのデュークですら驚いた様な表情を浮かべている。
冷静になって自分の言動を振り返り、ジェシカは真っ青になった。だが、ここで引き下がるわけには行かない。
ジェシカは呆気にとられているレティシアの事をキャメロンの前に押した。
「レティは返していただきますわよっ」
ダンの迫力に負けないようにと胸を張って怒鳴りつける。すると、何を思ったのかダンは大声を上げて笑い始めた。
「な、何ですの……?」
ドキドキとしながら大柄なダンを見上げる。
「バカめ」
突然バカと言われ、ジェシカは眉をつり上げた。
「父上っ。そのような失礼な物言いは……」
「貴様らは本当に阿呆ぞ」
未だ笑い止まぬダンはジェシカからヤン、レティシア、そしてキャメロンへと視線を移す。
「こんな小娘など、妻に迎えるはずがなかろう」
「な、な、な……」
うまく言葉がつつかずに、口をぱくぱくとさせるジェシカ。キャメロンはある程度は予想をしていたのか苦笑いを浮かべているし、ヤンは惚けている。
「どういうことですのっ!!!」
一番に怒りをあらわにしたのはレティシア。
「わたし、これでも決死の覚悟だったんですわよっ」
「なんだ。儂の妻になりたかったと申すか?」
「……そう言う問題でもないのですが、それはそれでおもしろそうだと思っていましたわ」
レティシアはふうっと息を吐き、微笑みを浮かべた。それを聞いて満足そうに頷くダン。
彼はおもむろにキャメロンへと視線を向け、意地の悪そうな顔をした。
「自分の命を懸けるほどに小娘が大事なら、儂の気が変わらぬ内に出ていった方がいいぞ」
キャメロンは苦笑いを浮かべ、深く頭を下げた。そして、レティシアの腕を掴んで歩いていこうとする。
レティシアは物言いたげな顔をしてキャメロンのことを見上げ、そしてその視線をジェシカに移した。ジェシカはひらひらと手を振りながら微笑みを浮かべた。……レティシアに対する、ほんの些細な強がりである。
キャメロンは部屋を出る際、もう一度頭を下げた。
扉が閉まる。
ジェシカはその様子をじっと見つめていた。自分で彼の背中を押してしまったのだ。彼のことはきっぱりと諦め、レティシアとの仲を応援してあげよう。そう心に決めた物の、なんだか目頭が熱くなってくる。
ヤンは惚けたままであるし、デュークは関心がなさそうな顔をして立っている。
「貴様は追いかけなくとも良いのか?」
どきりとしながらダンへと視線を向ける。だが、彼の視線上にいたのはジェシカではなく、カミルであった。カミルは訝しげな瞳を上げ、意味が分からないとばかりに眉をひそめている。
「あの小娘に惚れているのではないのか?」
「誰かあんなわがまま女に。俺は部外者なんだよ」
ふてくされたような顔をして頬杖をついているカミル。
「それより頭領こそ、こんなにあっさりと折れるとは思っていなかったぜ。もっと嫌がらせをしてみんなを困らせるかと思ってたのによ」
ターチルの頭領に敬語なしで話すカミル。だが、ダンは気にもとめていないようだ。むしろ、何故か機嫌が良さそうである。
ダンはふむと意味ありげに頷きながら身を乗り出し、カミルに顔を近づけた。
「貴様、ターチルへ来ぬか?」
「え? 俺が……?」
素っ頓狂な声を上げて自分を指すカミル。ジェシカは驚愕しながらダンの横顔をまざまざと見つめた。
「貴様とは気が合いそうだし、良い遊び相手にもなる。ましてターチルにはほとんど医者がおらぬ。重宝されるぞ」
「俺はまだ見習いなの。患者っていっても……」
「馬鹿者。知識だけを詰め込んだところで、よい医者になどなれるものか。経験を積まねば何の役にも立たぬわ」
ダンのその言葉に、カミルは視線を宙に浮かした。
彼の心が動いている。そんな気がして、ジェシカは慌ててカミルの腕を取った。
「駄目ですわよっ。カミルは城仕えのお医者様になるんですのっ」
ダンは口元にいやらしい笑みを浮かべながらテーブルの上の石に手を伸ばした。
「まあ、返事はいつでもいいぞ」
カミルは特に何の反応も返さずに、天井を仰いだままである。
この分では、アリアの優秀そうな人材を見つける度にこの頭領は引き抜きを始めるかも知れない。そんなことを懸念しながら、そうはさせるかとジェシカはダンのことを睨み付けた。
* * *
屋上にたどり着くと、キャメロンはレティシアの腕から手を離した。
向き合う形になるがレティシアは俯いたまま。
やがて震える声で搾り出すように問いかけてくる。
「どうして、あんな事をしたんですの?」
それは、おそらくレティシアを解放する代わりに自分を処罰しろと言ったことだろう。
「言ったでしょう。僕はあなたが好きだと。だから、あなたが望みもしない婚約なんかをして、黙っていられなくなったんですよ。まあ、レティシア様が頭領が好きだというなら、いらぬお節介だったかも知れませんが」
ぴくりとレティシアの肩が動いた。
「国のためになんていう理由で、自分を犠牲にするのはおやめなさい。……ディラックが聞いたら、悲しみますよ」
その言葉がよほどかんに障ったらしく、レティシアは弾かれたように顔を上げた。頬を紅潮させ、眉を釣り上げキャメロンを睨みつける。
「だって、私はアリアの王女ですものっ」
「王女である前に、あなたはレティシアでしょう?」
レティシアは言葉を詰まらせて、キャメロンから視線を逸らす。
幼い頃の彼女はいつもそんなことを言っていた。王族という肩書きや、彼女の母の娘としてではなく、「レティシア」という自分をみんなに認めてもらうんだと。
「僕は今まで逃げてきました。僕じゃあなたの心は救えないと……。ゼリヴの時の二の舞になるような気がして」
婚約者を失って抜け殻のようになった姉。なんとか立ち直らせようと、キャメロンは必死で彼女に語りかけた。だが、その言葉は彼女には届かなかった。逆に、彼女は心配をする皆に気を遣い、立ち直った振りをしてみんなの目を欺いていた。その結果は……
そして、姉と同じ様にレティシアにとっても彼は特別な存在だった。気落ちしていた彼女に笑顔を取り戻させたのはカミルとヒツジだった。姉すらも救えなかった自分では彼女の心を癒やすことなんて出来ないとずっと逃げていた。ある事件がきっかけで喧嘩をして、それ以来疎遠になってしまって、ますます歩み寄ることができなくなってしまった臆病者の自分。
隣を開けておくという約束は元々はレティシアのための物であったのに、いつからか自分と彼女とを繋ぐための、自分のための拠り所になっていた。
「ジェシカ様に言われて気付いたんです。悩んでばかりいて立ち止まっていたら、大切な物を失うことになるって」
「だったら、お姉さまのことを好きになって差し上げてっ!」
ふいっとそっぽを向いて歩いていこうとするレティシアの腕を掴むと、彼女は目に涙をためながらキャメロンを睨んできた。
「なんであなたは私と引き替えに死のうだなんて言い出したのよっ。あなただっていつも、自分を犠牲にしようとするじゃないっ」
痛いところに触れられて思わず口ごもるキャメロン。
「もう嫌なのよっ。人が死ぬのも、誰かが泣くのもっ」
「だからといって、王女だから仕方がないと言い訳をして、自分を犠牲にするなんて……」
レティシアはその続きを聞きたくないとばかりに激しく首を振っている。
その様子に躊躇いを感じたが、意を決してキャメロンは続きを口にしようとした。だが……
「キャロなんて大っ嫌い!!」
突然の癇癪に、思わず面食らって瞬きをするキャメロン。
レティシアはキャメロンの手を振り払うと踵を返し、階段を下りていってしまった。
風が吹き、キャメロンの白いマントがぱたぱたと音を立てて舞った。
彼女のその行動を懐かしく思いながら、キャメロンは苦笑いを浮かべた。
「……そういえば」
ふと思い立って、キャメロンは空を仰いだ。彼女に大嫌いと言われたのは初めてだったかも知れない。カミルに痛いところをつっこまれてそう怒鳴っているのはほぼ日常の様に見てきたのだが。
「……まだまだカミルやひーちゃんには勝てないかなぁ~」
のんきにそんなことを考えながら、キャメロンは風に揺れる前髪を鬱陶しそうに掻き上げた。




