キャメロン8
ロキフェル達が砦に到着した翌日。
ジェシカは水の入ったコップを手に、廊下を歩いていた。
「何で私がこんな事を……。自分のことくらい、自分ですればいいのに」
恨めしそうに呟くと、隣を歩いていたカミルがにんまりと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「いつもシーガルをパシリに使ってる、お前が言えるセリフじゃねえよな」
ぎくりとしながらジェシカは視線をあさっての方向へ向けた。
原因はレティシアである。薬を飲むために水が必要だからと、寝込んでいるのを良いことに姉をパシリに使ってくれたのだ。
カミルは呑気にリンゴを宙に放っている。このリンゴもレティシアが食べたいと駄々をこねて、持ってこさせている物だ。そういえば、朝食の時もお粥が食べたいと言いだして、カミルが作らされていた。
そんなことを思い出しながらカミルを見ると、その視線に気付いたらしい彼がこちらを向く。
「やっぱりカミルってば、レティのことが好きなんでしょう」
「てめえは、まだそんなことを……」
「だって、レティに対しては不気味なくらい優しいじゃないですのっ! 私が寝込んでいて、リンゴが食べたいって言っても、絶対に買ってきてなんてくれませんでしょっ?!」
「んなもん、俺が出るまでもなく、シーガルが買ってきてくれるだろ」
ぽっと頬が赤くなる。そんなことを言われると、妙に意識してしまう。
訝しげなカミルの視線を感じ、ジェシカは慌てて頭を振った。
「前にも言ったけど、俺は病人には優しいんだよ」
いまいち腑に落ちずにカミルの事を見つめていたが、彼はふいっと顔を背けてしまった。
「じゃあ、レティの方はどう思ってるのかしら? カミルと話している時のレティって、なんだか生き生きとしていますわよ」
「あいつは、敵が側にいると燃えるタイプなんだよ」
「はい?」
カミルは唇を尖らせながら、リンゴを宙に放った。しばしの間のあと、落ちてきたリンゴを手にした彼は視線だけをジェシカの方へやる。
「あいつ、俺のこと大嫌いだもん。嫌いな相手には負けたくないんだろ」
確かにカミルは喧嘩腰な言葉を投げかける事が多い。それに対し、レティシアが負けじと言葉を返しているのが、彼らの会話の大概のパターンである。
「レティったら、あなたのことを嫌いだなんて言いましたの?」
あっさりと事なさ気に頷くカミル。ジェシカは哀れみを含んだ瞳で、カミルのことを見つめた。そして、彼の頭を撫でる。
「カミルはレティのことが好きですのに、嫌いだなんて。可哀想……」
「……おい。勝手な設定作って、妙な同情するのは止めろっ」
眉をつり上げて怒っているカミルに、ジェシカはにっこりと微笑みかけた。
「何なら、私がレティとの仲を取り持って差し上げてもよろしいですわよ。その代わり、キャメロンさんのお姫様を教えてくださいね」
「じゃ、教えてやらないから、仲を取り持つな」
歩く速度を速めるカミル。ジェシカは水の入ったコップを手にしているので、それに付いていくことが出来なかった。どんどん彼との距離が広がっていく。
「もうっ、意地悪っ」
腹を立てて怒鳴りつけると、ずいぶんと先を歩いていたカミルは振り返り、べーと舌を出した。
ジェシカは悔しくなって地団駄を踏んだ。
こんな感じで、この日の午前中は、久しぶりに平和な時間が流れていた。
その日の午後のことである。
ロキフェルはイ・ミュラー達を伴ってダンの部屋へと出かけていった。おそらく、キャメロンの処遇もこの会談で決まるのだろう。
ジェシカも一緒に行きたかったのだが、ロキフェルにダメだと言われているのでどうしようもなかった。意気込んで会談をしている部屋の前まで来た物の、中に入る勇気はなかった。
「お姉さま?」
唐突に呼ばれて、ジェシカは振り返った。そこにいるのはレティシア。
「あら。あなた、起きあがったりして大丈夫ですの?」
「ええ。……ところで、お姉さまはどうしてここに?」
「だって、私がしっかりしていれば、キャメロンさんはこんな事にならなかったんですもの。何かのお役に立てればと思ったんですけれど……」
しゅんとしながらぼそぼそと呟く。そうきばってみても、何も出来ない自分が恨めしい。
「お姉さまはキャメロンさんのことが好きですの?」
突拍子もない質問に、ジェシカは真っ赤になった。
「あは。そうなんですけれど、キャメロンさんには想い人がいますもの。私が出来ることは、そのお手伝いをすることくらいですわ」
レティシアは微かに視線を落とす。暗い顔をしている彼女は、きゅっと口を結んで扉を睨み付けた。
「じゃあ尚更、こんな所で手を拱いているわけにはいきませんわね」
「でも、お父様には大人しくしていろって……」
「口実なんて、適当に作れば良いんですわよ」
レティシアは扉をノックした。
中からイ・ミュラーの返事が聞こえ、レティシアは扉を開いた。何故かジェシカの腕を引っ張りながら。
「少しよろしいでしょうか?」
ぺこりと頭を下げ、レティシアは部屋の中を見渡した。
部屋にはロキフェルとダンの他、イ・ミュラー、騎士団の将軍、ヒツジ、ヤンなどの姿がある。
中にいる人間の瞳がこちらを向く。ジェシカは一人で狼狽えて、レティシアの手を握り返した。レティシアは顔こそ毅然として見えて、繋がれている腕は微かに震えていた。
「姉が騎士達の暴走を止められなかった事と、さらに挑発させるような行いをしたことに対する謝罪を述べたいと言うので……」
そんな話は聞いていない。
たじろぎながらレティシアにすがるような視線を送ると、彼女は真っ直ぐにジェシカの瞳を見据えて、頷いた。目が謝罪の言葉を述べろと訴えている。
「あの。申し訳、ありませんでした。私が取り乱したばかりに、こんなに大事になって……ごめんなさい」
辿々しく言いながら頭を下げるジェシカ。
ダンはふんっと鼻で笑い、視線をジェシカからレティシアへと移した。そして、興味深そうに彼女のことを見つめる。
「そなた達の母の美貌はターチルにも聞こえていたぞ。そして、それと生き写しと言われるアリアの妹姫の事もな」
不躾なものの言い様だが、さして気にとめた風もなくレティシアは無言で頭を下げた。
そんな彼女を見つめながら、ダンは唇の端をくいっと持ち上げる。
「そうじゃ。こんな取引はどうだ? アリア国の姫をターチルの頭領の妻に迎えるというのは。和平のためにも悪くはない縁組みだと思うが」
ジェシカは悲鳴を飲み込んだ。レティシアはまだ未成年のため、アリア国の法律に基づき婚約をすることは出来ない。と言うことは、対象はジェシカにあるということになる。
「父上っ。そんな勝手なことを……」
何故か狼狽えてヤン。
だがダンはそんなヤンに一瞥をくれて、にたりと気味の悪い笑みをこぼす。
「そなたの母が死んでから、儂の正室の座は空いたままだしな。問題などなかろう」
ジェシカは顔を強ばらせながら、ダンのことを指さした。
「嫌ですわよっ。こんな……こんな」
こんなゴリラの妻になんてなるものですか~、と心の中で怒鳴り散らす。
その時、レティシアはジェシカの手を放して一歩進み出た。
「そうすれば騎士の不祥事を見逃して、両国の平和が続くという事になるのですね?」
ダンはゆっくりと頷いた。
「私はまだ十五ですので、我が国の法律により正式な婚約は受けられませんが、あと数ヶ月待っていただけるのならば……」
レティシアはゆっくりと息を吸い、はっきりとした口調で続けた。
「私、レティシア・アリアが、その申し出をお受けいたしますわ」
ジェシカもアリアやターチル重臣達も、呆気にとられたようにレティシアを見つめている。
そんな中で唯一人、ダンだけは唇の端に笑みを浮かべたままであった。
* * *
「シアに振られたそうじゃねえか」
不躾にそんなことを言ってくるのはカミル。
キャメロンは微かに眉を寄せて、鉄格子の向こう側にいるカミルの事を見つめた。最近は牢獄の監視も適当になってきたのか、ジェシカ以外の人間の来訪が多い気がする。そもそも何故カミルがこの砦に来ているのか。
「まあ。そもそも、あの約束はビッケが言いだしたもんだしな。お前には関係がないと言われればそれまでだし」
「何を苛ついているのかは知りませんが、わざわざ嫌味を言うためにここまで来たんですか、あなたは」
突然カミルは鉄格子を蹴った。その衝撃で震える鉄格子。
キャメロンは言葉を止めて、注意深くカミルのことを見つめた。カミルは俯いているため、表情までは見えない。だが、相当怒っているという事だけは間違いがなさそうである。
彼が自分に対して怒っている原因といえば、思い当たることはひとつである。レティシアのことだ。
「だいたい、なんでジェシカにあの約束をペラペラ話してるんだよ。ジェシカからシアに伝わるのなんて、簡単に予想が出来るだろ? ただでさえ自分のせいでジェシカが傷ついたって落ち込んでいるときに、今度はお前が投獄されたなんて報せが来て……。あいつが泣いてるのなんて久しぶりに見たよっ」
「……え?」
思わず口から出たそれを聞きつけ、カミルは顔を上げた。
彼は冷やかな眼差しをキャメロンに向けたまま頷いた。
「シアの奴、お前が処刑されるんじゃないかって、泣いてた」
返す言葉が見つからずに、無言のままカミルの瞳を見つめた。
しばらくすると幾分か冷静さを取り戻したのか、カミルは息を吐きながら鉄格子に寄りかかる。
そんな彼を見ていたら、キャメロンも少しだけ心に余裕が出来てきた。
「……自分は散々彼女のことを泣かせていたくせに」
ぼそりと低い声で言ってやると、カミルは不機嫌そうに目を細めた。
「忘れたとは言わせませんよ。その度に僕やビッケがどれだけ骨を折ったことか」
「ガキの頃の話を持ち出すんじゃねえよっ」
怒鳴りつけられたが、それに怯みなどせずににっこりと微笑みを返す。するとカミルには思い当たることが多々あるのだろう、唇を尖らせながら少しばかり気まずそうに視線をあさっての方へと向けた。
彼は子供の頃、レティシアに構って欲しい一心で彼女のことをいじめて泣かせることが多かった。そのくせ、他の子達にレティシアが泣かされると今度は怒ってレティシアをかばうのだ。子供の頃から変わっていないなあとついつい苦笑する。
こつこつと地下牢に響く足音。
「おっ、都合よく二人揃ってるな」
カミルの後ろにひょっこりと姿を現したのはヒツジである。彼は片手を上げて、適当に挨拶をした。何故か疲労しているようにも見える。
ヒツジはキャメロンとカミルを交互に見つめ、億劫そうに口を開いた。
「お前ら、レティシアの恋人に立候補する気はないか?」
突拍子もないことを言われ、目を丸くするキャメロン達。そんなことは全く気にせずに、ヒツジは髪を掻き上げながら続ける。
「お前ら、レティシアのために隣はあけておくって約束してたよな」
「あれはビッケが勝手に人の名前を……!」
「それでも、約束は約束だろ?」
カミルの頭をぽんぽんと叩きながら、表情を和らげるヒツジ。
彼女が家出をしていた時のことである。彼女は本来自分のあるべき所に、自分の居場所を見いだせずに苦しんでいた。そんな彼女が家を出て、偶然たどり着いたキャメロンの家。自惚れかも知れないが、彼女は自分たちといる時は生き生きとしていた。そこを自分のいるべき場所と思っていてくれたと思う。
だから彼女が家に帰るとき、仲の良かった友人の一人であるビッケが言ったのだ。「いつでも帰っておいで。僕達の隣はあけておくから」と。ご丁寧に、自分以外にキャメロンとカミルのことも巻き込んで。
つまり、あの約束は、恋人の約束云々というのが一番の目的ではなく、彼女の居場所を残しておくための物だった。おそらく、それはレティシア自身も気付いている。
「でも、どうして突然そんなことを?」
訝しげに問うてみると、ヒツジは口元を微かにゆがめ、ポケットの中に手を突っ込んだ。そして、取りだしたのは牢獄の鍵。
「キャロの釈放と、アリアとターチル両国の友好のために、頭領はアリアの姫を嫁にと言い出したんだよ」
順当に考えれば、対象になるのはジェシカとヤンである。だが、それではヒツジがレティシアの名前を出すはずなどない。
「まあ、頭領とレティシアの婚約って話に、レティシアがしちまって……」
一応頭ではその事実を理解できる。だが、すんなりと受け入れられるはずもなく、キャメロンは険しい顔をしたまま硬直していた。カミルなどは、ぽかんと口を開いている。
「レティシアがそれでいいって言うなら、俺達には止めることは出来ない。ただお前らが、レティシアのことが好きだって言うなら、止める権利はあると思ってな」
とっさにカミルへと視線を移すと、彼もキャメロンのことを見ていた。
二人とも何も言い出すことが出来ずに、ただ、互いを見つめていた。
それを眺めているヒツジが苦笑いを浮かべているのにも気付かずに――。
* * *
その夜、レティシアはダンに夕食を招待されたため彼の部屋にいた。何かと文句の多いこの頭領殿は、自分専属の料理人に作らせた料理を自室で食べている。
「我が国の食事は口に合わないと見える」
嫌みったらしいその言葉に、レティシアは微かに眉を寄せた。
ダンはこちらの心を読もうとしているのか、じっとレティシアの瞳を見つめていた。
「何故儂との婚約を承知した?」
「……両国家の平和を願うならば、なかなかの良縁だと思ったからですわ。一番の反和平派は頭領殿と伺っております。……アリアの姫を妻にと言い出したからには、おとなしくする覚悟が出来たのでしょうから」
微笑みながら含みを持って口にすると、ダンはにやりと口端を持ち上げた。
「それに、私というアリアとの繋がりがあった方が、食料の援助を求めるのも容易になるでしょうし。……なんなら、私からお父様に言って差し上げます?」
「がはははは。おもしろい娘よ」
呵々と豪快に笑うダン。
次の瞬間、彼は立ち上がった。がたんと音を立てて倒れる椅子へ視線をやると、ひゅんっという音と共に鼻先に何かが突きつけられた。
ドキリとしながら視線を前に戻す。自分に突きつけられているのは研ぎ澄まされた大剣。
「あまり生意気な口を叩くでないぞ。貴様の命は、儂が握っているも同然なのだ」
レティシアは目の前の刃を忌々しげに見つめ、目を細める。
「そもそもはそなた達が我が領土を奪ったのが始まりであろうっ。だのに、何故我らが頭を下げる必要がある」
レティシアは表情を変えずにダンを見ていた。
ダンはじっとレティシアを睨み付けている。
「……否定はせんのだな」
「そんな可能性もあるとは思っていましたわ。そもそもアリアは、西のウィルフから土地を求めてやってきた人々が興した国というのがそのルーツですもの。先住民を追い出しているとしても、何ら不思議なことではないでしょう?」
その辺はイ・ミュラーにご教授いただいた事柄だ。あくまで可能性の粋を出ない話なので、滅多なことでは口外されることはないが。
その言葉に、一瞬だけダンは戸惑った様な表情を漏らした。だが、レティシアに突きつけた剣を引く気配は全くない。
剣を突きつけられれば、大人しく言うことを聞くとでも思われているのか――そう考えると、非常に腹立たしくなってくる。軽く息を吸い、レティシアは視線をテーブル上にあるワイングラスに移した。
「こちらからも言わせていただきますけれど……」
がしゃっと派手な音を立ててワイングラスが砕け散る。その音に驚いたダンはとっさに手を引き、剣を構えた。
レティシアとダンはにらみ合った。厳つい顔のダンは迫力があるが、負けじとその瞳を真っ向から見つめる。
「頭領殿が剣を突く一瞬の内に、魔法を放つことだって出来ますのよ」
一瞬の間。
そしてダンは突然声を上げて笑いはじめた。
逆にレティシアは意表を突かれ、瞬きを繰り返す。
「おもしろい」
剣を鞘に収めるダン。
首を傾げながら、レティシアは注意深くダンのことを見つめるが、彼は機嫌が良さそうに笑っている。そして椅子に座ってスープを飲み始めた。
ぼんやりとそんな彼を見ていると、ダンは含みを持った視線を上げて、レティシアの前に並べられている料理を顎でさした。
「何をしておる。早く食べぬと、冷めてしまうぞ」
そんなことを言われ、レティシアは拍子抜けしながらスプーンを手に取った。




