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フィアンセバトル  作者: きなこ
7章 キャメロン
31/89

キャメロン3

「ねぇ、シーガル。一緒にお墓参りに行きません?」


 雑用をこなしていたシーガルを見つけて話しかけると、彼は不思議そうに首を傾けた。

 彼は両手一杯に何かの書類を持っている。


「誰かこの辺に知り合いでもいたんですか?」

「違いますわよ。シーガルのご家族の、ですわ」

 露骨に苦い表情になるシーガルに、今度はジェシカが首を傾げる番だった。どうして家族の墓参りに行くのを嫌がる必要があるのだろうか。


「いいですよ。忙しいですし」

「イ・ミュラー様が言っていたんですもの。仕事は回ってこないと思いますわよ」


 シーガルは視線をそらせて、小さくため息をついたようだった。

 それに気付いていないジェシカは、微笑みながら続けた。

「キャメロンさんとデュークが馬車の運転をしてくれるって言っていましたの」

「……本当にいいですから」


 なかなか首を縦に振らないシーガルに少しだけ苛立ちながら、ジェシカは彼の腕を掴んだ。

「ちゃんとお墓参りをしないと、ダメですわよ」

 シーガルは何かを言おうとして口を開いた。

 だが視線が合うと、彼は観念したように小さく頷く。


「それじゃ、日程は後で連絡いたしますわね。あ、それと、これから仕事はおありですの?」

「……えっと。これを将軍の所に届けたあとは、それといった用事はありませんけれど」

 顔を上げて無理に微笑みながら彼はそう言う。


「私、今からキャメロンさんにお菓子作りを教わりますの。ヤンも一緒ですのよ。シーガルも一緒にどうです?」

「ヤンって誰ですか?」

 不思議そうに問われ、ジェシカは微笑みながら機嫌良く答えた。

「ターチルの頭領の息子さんですの。見た目はちょっと怖いけど、とってもいい人ですのよ」

 シーガルは表情を陰らせながら、曖昧な笑みを浮かべた。


「俺、少し用事があるので。……またの機会に誘ってください」

 そう言って彼は頭を下げて歩いていってしまった。


 ひらひらと揺れている彼の黒いマントを眺めながら、ジェシカは唇を尖らせる。

「もう。用事はないって言ったじゃないですのっ」

 怒っていても仕方がないので、ジェシカは一人で厨房へと向かった。




 厨房ではヤンとキャメロンがクッキーの生地を作っているところだった。


「ジェシカからも言ってくれ」

 突然そんなことを言われ、ジェシカは首を傾げた。


 ヤンが言うには、この場ではヤンがキャメロンに教えを請うているので、キャメロンが騎士として接する必要はないと主張しているらしい。だがキャメロンの方にも立場はあるので、それには従えないと言うことのようだが。


「ヤンの方が正しいですわ」

 この場合は主人と臣下という関係ではなく、お友達として一緒に料理をしているのだ。身分がどうのというのはあまり考えたくない。それに、ジェシカ相手には友人として接してくれるのだから、ヤンだけ特別というのも失礼である。


「はぁ……。誰かに聞かれて、怒られるのは僕なんですよ」

 少しだけ恨みがまし気にジェシカのことを見つめ、キャメロン。微笑みを返すと、彼は仕方がないと言った顔をして頷いた。


 そして、キャメロン先生のクッキー講座が始まった。


「ターチル族はクッキーは食べませんの?」

 熱心にクッキー制作をしているヤンに語りかけると彼は頷いた。

「こんなに近くに住んでいるのに、俺達とジェシカ達では食文化も違うらしいな」

 先ほど食べた夕食を思い出しているのか、天井を仰ぎながらヤンが呟く。


「今度、ターチルの料理を食べさせてくださいね」

「ああ。父上と一緒に料理人も何人か来るはずだから、その時には、きっと」

 一体どんな料理なのだろうかと胸を躍らせていると、くすくすとキャメロンが笑っている。


「帰り際に、ヤンにはクッキーを持たせてあげますね」

「それは助かる! 是非、妹たちにも食べさせてやりたい」

 嬉しそうにぱっと明るい表情になるヤン。この青年は素直で可愛いところがある。この反応からすると、弟妹思いの良いお兄さんなのだろう。


「ヤンにも妹さんがいらっしゃるの?」

「ああ。生意気な妹が三人と、その下に弟が一人いる。ジェシカは?」

「とっても生意気で嫌味ったらしい妹がいますわよ」

 いつも小言ばかり言っているレティシアを思い出しながら鼻の頭に皺を寄せると、ヤンは笑い出した。


「どこも同じみたいだな。キャメロンは、兄弟がいるのか?」

 キャメロンは少しだけ気まずそうな笑みを浮かべながら、生クリームをホイップしている。彼はケーキ作りをしているらしい。


「無茶苦茶な姉が、ひとりいました……」

「あら、そうでしたの? 私、てっきり一人っ子だとばかり……」

「僕の姉は、ゼリヴ・フィクスラムですよ。ジェシカ様とも交流があったんじゃないですか?」


 ゼリヴ――その名を聞いて、ジェシカはあっと口を大きく開いた。そして、自分があまりにも間抜けな顔をしていることに気付き、慌てて手で口元を押さえる。

 そう言えば、と、今さらながらに気付くジェシカである。

「言われてみると、ゼリヴさんによく似ていますわね」

「……ジェシカ様。それ、あまり嬉しくないです」

 絶世の美女と言われる姉に似ているというのは彼の男としてのプライドが傷つくのだろう。落ち込むようにため息をついているキャメロン。


 一方で、ヤンは考え込むように顎に手を当てている。

「フィクスラム……。確か、アリア国の先代の将軍が、そんな名だったような」

 険しい顔をして呟くヤンへと視線をやり、キャメロンは少しだけ悲しそうに目を細めた。


「ええ。先代将軍は僕の父です。ヤン達にはあまり良い印象はないかと思いますが」

「あ、いや。そんなつもりで言ったわけではないんだ。彼は戦場で命を落としたと聞く。お前こそ、我々を憎むべきではないのか?」

 申し訳なさそうに視線を落とすヤン。

 キャメロンは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。


「ジェシカ様も言っていたでしょう? いつまでも過去を振り返っていてはいけないって。そりゃ、父が死んだと聞いた当時はあなた方を恨みましたけれど、今更それにこだわっていてはいけないと思うんです。父は今の平和のための礎になった。だから、僕自身がそれを否定するような真似はしたくないんです」

「そうか……。お前のような考えの者ばかりだと、苦労はないのだがな」


 ぎこちなく微笑みながらヤンは顎に手を当てた。アリアの民にもターチルの民にも、争っていた時代の苦い記憶は未だに濃く残っている。和平が結ばれてからまだたったの四年である。互いに家族や知り合いを亡くしているのだ。忘れろと言うのが間違えているのかも知れない。


「でも、ヤンだって和平を望んでいるんじゃないですの。だから、今はまだ無理かも知れませんが、将来はきっと、うまくいきますわよ」

「はは。そうだな。ジェシカも同じ考えのようだしな。両国のトップが友好ならば、民たちもいつかきっと歩み寄れる日が来るかもしれない」

 ジェシカは王位など継ぐ気はないのだが、まあ、細かいことは気にしないことにした。レティシアはどう思っているのかは分からないが、まさか戦を望むはずもないだろうし。


 ふと思い立って、ジェシカは顔を上げた。

「ところで、ゼリヴさんって、今どうしているんですの?」

 何度か彼の家にお邪魔したことがあるが、彼女と会ったことはない。戦が終わったせいか彼女の名を聞くこともなくなった。


 キャメロンは手を止めて微かに視線を落とす。だが口元には笑みを浮かべたまま、いつもの調子で語った。

「ゼリヴは死にましたよ」

「え?」


 聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、ジェシカは瞬きを繰り返した。

 キャメロンは顔を上げ、にっこりと笑った。別に無理をして笑っているわけではなく、ごく普通の表情である。


「あ、あの。辛いことをお聞きしてしまって……」

「構いませんよ。正直、ゼリヴが死んだって聞いても、あまり悲しいとは思いませんでしたから」


 ドキリとしながらジェシカはキャメロンを見つめた。彼は、彼には似つかわしくない様な顔で……自虐するように口元を歪めて、軽く息を吐いていた。

「婚約者が死んでから、あの人は抜け殻みたいな感じだったんですよね。死に場所を探している様な……。だから死んだと聞いて、楽になったのかなって、少しだけほっとしたのが正直な感想でした」

 その後に、彼は「僕って結構薄情者なんですよねぇ」とのんびりと呟いていた。


 キャメロンはくるくると泡立て器を回し始めた。


 困ったようにヤンを見ると、彼は気まずそうな顔をしてジェシカへと視線を送っていた。

 ヤンとジェシカが気まずい雰囲気になるときに助け船を出してくれたのはキャメロンだった。だが、この場合は彼からの助け船を待つことは酷であろう。


 しばらくの沈黙のあと、キャメロンは顔を上げてにっこりと愛嬌のある笑顔を見せた。

「代々うちの家系の人間って愛情が深いらしいですよ。お爺様も、あんな顔して未だに死んだ奥さんの命日と誕生日、ついでに結婚記念日には、花束を持ってお墓参りしているんです。想像できます?」

 唸りながら想像をしてみるが、ジェシカの貧粗な想像力ではイ・ミュラーが花束を持っているという時点で想像力が付いていかない。そんなジェシカを見てキャメロンは屈託ない笑みを浮かべていた。


 そして、その後三人でクッキーとケーキを作り、楽しい話で盛り上がりながらそれらを美味しく食べた。



     *




 翌日は特に何もなく時間が流れていった。

 ジェシカはヤンと仲良く喋りながら、式典の下準備を見回っていた。アリアとターチルの代表者が仲良く話している事に、家臣達も多少の戸惑いを隠せないでいるようだが、悪い影響はないだろう。



 夜。

 ジェシカは一度はベッドに入ったが寝付けずに、外へと出た。本当は誰か護衛を伴わなければならないのだろうが、煩わしいのは嫌なので一人で出歩いていた。

 砦には二本の塔があり、それぞれがアリアとターチルの重鎮の宿泊施設になっている。


 塔の最上階目指して階段を上るジェシカ。

 屋上からは満天の星空が見えた。真円に近い形の月が皎々と光を放っており、それに照らされた森の木々が薄く輝いて見えた。


「はぁ。素敵ですわ」

 うっとりとそう呟いて、ジェシカは身震いをした。

 一応寝間着の上にコートを羽織ってきたのだが、それでも寒いことには変わりがない。いや、それ以前に寝間着のまま出歩いている事が問題なのだが。


 ぼやっと何かが視界の端の方に映る。

 淡く光るそれはふらふらっと動いた。

「お、お化け?!」

 ジェシカは頬を引きつらせながら逃げようとして、その白い物体がお化けではないことに気付いた。それは白いマントだったのだ。月明かりを受けてうっすらと光って見えたのだろう。


 目を凝らして前を向くと、そこにいたのはキャメロンだった。彼はジェシカには気付いていないようだ。

 彼は手すりの向こう側で、ぼんやりと空を仰ぎながら身じろぎもしないで立っている。下から吹いてくる風が柔らかそうな彼の髪を撫でていた。月明かりに照らされた彼は、その美しさがいっそう際だって見える。


 声をかけて良い物かどうか迷っていると、彼もジェシカに気付いたようだ。

「あれ? こんな夜更けにどうしました?」

 愛嬌のある笑みを浮かべる彼。


「何だか眠れなくて……」

「でも、そんな姿で一人歩きは危険ですよ」

 諭すような口調で言われ、ジェシカは素直に頷いた。


 キャメロンが立っている場所に近づくと、下から風が舞い上がってくる。とっさにスカートの裾を押さえるジェシカを見て、キャメロンは大爆笑を始めた。

 ジェシカは一歩分後ろに下がり、唇を尖らせながらキャメロンのことを睨む。すると彼は素直に謝罪した。


「キャメロンさんこそ、どうしてここに?」

「僕は見張りです。担当者が腹痛を訴えたので、その代理なんですけれどね」

「その割にはぼんやりしていましたわよね」

「あはは。内緒にして下さいね」


 悪びれなくそう言って、キャメロンは微かに目を細めた。強い風が上昇していく。

「なんか、この風に当たっているのが病み付きになってしまって……」

 変な人だとは思ったが、口に出さずに、ジェシカは風に当たることに再度チャレンジしてみる。手すりを乗り越えて向こう側に行くと、わずかばかりの足場しかなかった。風がジェシカの髪を持ち上げる。

 予想以上の強風にバランスを崩すと、横からキャメロンの手が伸びてきた。腕を掴まれ、何とかバランスを保つことに成功する。


「まったく。意外とお転婆なんですね」

 そう言いながら、彼は自分のマントを外し、ジェシカに羽織ってくれた。


 風が顔に当たる。

 肌寒い気温であるのに、どういう訳かこの風に当たっていても寒さを感じない。逆に、何だか心地よくて眠くなりそうである。風は焼きたてのパンの香ばしい香りも運んでいた。もしかしたら、その辺が心地よい原因かも知れないが。


「ねぇ、キャメロンさん。……変なことをお話しても良いですか」

 キャメロンのことを振り返ると、彼は優しそうな笑みを浮かべて首を縦に振ってくれた。


「私、ゼリヴさんに憧れていましたの」

「もっと別な人に憧れた方が良いですよ。迷惑な姉でしたから」

「でも、私の目にはとても輝いて見えましたの。一途な愛情を貫いて……。私もあんな風に人を愛してみたいです」


 だが実際のところジェシカは一人の人に執着したことはなかった。一度拒絶されるとついつい諦めてしまうのだ。

「僕は、あんな風に激しく人を愛するのって、少し怖い気がします」

 ジェシカは意外そうな顔をしてキャメロンのことを見上げた。彼は寂しそうな顔をして空を仰いでいる。


 ばさばさと、ジェシカの耳元ではうるさいくらいにマントが音を立てていた。


「でも、キャメロンさんには好きな子がいらっしゃるんでしょう?」

「……。あんなに激しい感情を持ったら、自分も相手も傷つきそうで怖いですよ」

 首を傾げながらジェシカは唇を尖らせた。いまいち意味が分からないのだ。


 口元に苦い笑みを浮かべているキャメロンは、彼らしくない表情をしている。彼はいつも、どこか余裕を持って飄々としている事が多い。言動も年の割には落ち着いていて、しっかりとしている。

 そして、いつも穏やかに微笑んでいるのだが。


「でも、自覚はあるんですよねぇ。あの姉と同じ血を引いているんだなぁって……」

 少しだけ切なそうに目を細める。


「あの、キャメロンさんが好きな女の子の名前を教えていただけませんか? 私、キャメロンさんの恋のお手伝いがしたいんですの」

「嬉しいですけれど、そんなことはしなくても良いですよ。あの約束は彼女を縛り付けるためにした物ではないんですから」

 やんわりとそう言って、彼はにっこりと微笑んだ。


「でも、好きなら、おつきあいとかしたいんじゃありませんの?」

 そう尋ねると、彼は少しだけ悩む様に首を傾げた。そして、首を振る。

「僕は良いんです。彼女が笑っていてくれるなら……。隣にいるのが僕じゃなくても」


 鼓動が跳ね上がるを感じ、ジェシカは俯いた。彼には好きな人がいるのに、そんなの不毛だと自分に言い聞かせる。

 突然、強い風が吹き上がってきた。とっさな事でバランスを崩すジェシカ。すると、キャメロンがジェシカの肩を引き寄せ、抱きしめてくれる。

 どきりとますます鼓動が高鳴る。


 振り返ると至近距離にキャメロンの顔があった。彼は相変わらず空を仰いでいるようだった。

 胸が早鐘を打ち、頬に熱が帯びてきた。

 こんな近くにいたのでは彼にも鼓動が聞こえてしまうかも知れない。そう思うと、何故か恥ずかしくなってくる。


「危ないですから、手すりの向こう側に戻りましょう」

 ジェシカはキャメロンに抱き上げられ、手すりの向こう側におろされる。キャメロン自身は身軽に手すりを飛び越え、ジェシカの前に立った。


「そろそろベッドに戻った方が良いですよ。こんな時間に男と二人きりだなんて、誰かに見られたら変な噂が立ちますし」

「え、ええ。貴重なお話を聞かせて下さってありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げると、彼はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべてどういたしましてと答える。


 白いマントを返し、階段を下りていこうとすると呼び止められた。

「今日の話は、他のみんなには内緒ですよ」

 人差し指を口に当てて、ウインクをするキャメロン。ジェシカは赤面し、一度頷いて、逃げるようにしてその場から立ち去った。

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