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フィアンセバトル  作者: きなこ
6章 コーネル
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コーネル6

 レティシアはコーネルの泊まっている宿にジェシカを案内してくれていた。


「もし、彼が旅立ったあとだったらどうするんですの? 向かった先までは分からないので、案内出来ませんわよ」

「……その時はその時で考えますわよ」

 肩を竦めるレティシア。


 社会勉強をするようになってから、見慣れた町並み。これらを眺めるのも最後かもしれない。そう思うと、胸が締め付けられる。

 ジェシカは前を歩くレティシアを見つめながら、胸に抱いていた疑問を口に出してみた。


「どうして私の手伝いをしてくれるんですの?」

 レティシアは振り返りもせずにすたすたと歩いていく。

「私も、昔、旅をすることに憧れていましたの」

 意外な答えにジェシカは思わず足を止めた。

 手をつないでいたため、レティシアも立ち止まることになる。振り返った彼女の顔は、なんだか寂しそうだった。


「でも、私にはお姉さまほどの情熱なんてありませんでしたし、なにより体力がないから……」

「ねえ、レティも……」

「二人とも旅に出ていったら、この国のことはどうするのです」


 ぎくりとしながらジェシカはレティシアを見つめた。自分には関係ないからと深刻に考えたことなどなかったが、国を継ぐというのはとても重いことだ。それをこの細い肩ひとつに負わせて良いのだろうか。罪悪感がこみ上げてくる。


「お姉さまは自分が決めた通りにすれば良いんです。私の事は関係ありませんわ」

 手を引かれ、ジェシカは再び歩き出した。


「それに、私、お姉さまの根性に感服いたしましたの。ふられてもふられてもめげないんですもの」

「それってバカにしているんですの?」

 唇を尖らせながら聞いてみると、レティシアは前を向いたまま首を振った。


「褒めてるんですわよ。私は無理ですもの。好きになった相手に拒絶されたり、死なれたりしたのに、また次の相手を見つけようだなんて」

「え? あなたってそんな恋をしていましたの?」

 お堅いとばかり思っていたレティシアがそんな経験をしていたとは。意外だと思って唸っていると、レティシアは怒りながら振り向いた。


「自分が好きになった相手のこともお忘れですのっ?」

 つまりは拒絶とは振られたことであり、死んだ相手というのはトリスタンのことである。意味もなく納得して頷くジェシカ。

 レティシアは疲れたようにため息をついた。

「最後の最後までどうしてそんなにふざけているのです」

「私はいつだって真面目ですわよ」


 ふてくされながら言い返すと、レティシアは何かに気付いたらしく視線を前に戻す。それを追うと、そこにはコーネルの姿があった。


「コーネルさんっ」


 嬉しくなって声を上げると、驚いたような顔をして彼は振り返った。

 彼はレティシアに向かって頭を下げた。それを受けて、レティシアも会釈を返す。きょとんとしながらそんな二人を見比べ、ジェシカは首を傾げた。


「それじゃあ、私はこれで」

 立ち去ろうとするレティシアの腕をとっさに掴むジェシカ。レティシアは呆れたような顔をしてジェシカの事を見上げた。

 自分の行動にちょっとだけ驚きながら、ジェシカはにっこりと笑った。


「ちょっと待ってて下さい。こういうのは、最後に姉妹で感動の別れをしないと。それに、もしふられたとき、ひとりで帰る事なんて出来ませんもの」

「……………………」

 彼女はため息をつきながら、しっしと犬を追い払うように手を振った。

 待っていてくれる様なので、ジェシカは安心してコーネルに駆け寄った。


「コーネルさん。黙って行こうとするなんて酷いですわよ」

 唇を尖らせて咎めるように言うと、彼は苦笑いを浮かべた。

「もう会うこともないと思っていました」

「妹が家から出る手伝いをしてくれましたの」


 にこにこしながら伝えると、コーネルはもの悲しそうな視線をレティシアに向けた。訝しく思いながら振り向くと、レティシアは壁により掛かって俯いていた。まるで拗ねている子供のようである。

 そんな彼女を見ていると胸が痛くなり、慌てて視線を外した。そして、真っ直ぐにコーネルのことを見上げる。


「私、コーネルさんが好きなんですの。コーネルさんと一緒にいられるなら、家だって捨てられますし、どんな苦労だって、多分、耐えることも出来ますわ」


 コーネルの灰色の瞳に直視され、ジェシカは緊張しながらごくりとつばを飲み込んだ。

 彼は何かを言いかけ、口をつぐむ。そして、優しい笑みを浮かべながらジェシカの頭を撫でた。


「もしも、私と彼女が同時にあなたに背を向けて歩き出したら、……あなたはどちらを追いかけますか?」

 唐突にそんなことを問われて、ジェシカは眉をひそめた。


 そんなのはコーネルに決まっている。

 だが、先ほど自分に背を向けて歩いていこうとするレティシアを引き留めたのは、自分の意識下ではなかった。彼女が自分に背を向けた瞬間、形容しがたい思いがこみ上げてきて、手を伸ばしてしまった。

 彼女はいつもジェシカに嫌味ばかりを言って、生意気そうな瞳で真っ直ぐにジェシカを見上げていた。そんなものは煩わしいだけなのに。


「私は、あなたのことが好きですよ。今は愛という激しい感情ではないですが、あなたを大切な人だと思っています」


 そんなコーネルの言葉に、どきりとしながら顔を上げた。

 目の前にいるのは自分を好きだと言ってくれる、好みの人。ならば、悩むまでもなく答えは決まっている。

 それなのに、何故か言葉が出てこなかった。


「私、本当にコーネルさんが好きですの」

 コーネルは微笑みながらジェシカのことを見つめていた。


「家を捨てても良いって本当に思いましたの。私、自分のことは何も出来ないけれど、コーネルさんと一緒なら頑張れるって思いました。たくさん悩んだり、泣いてしまったり……大変だったんですから」

 なかなか的を射ない彼女の話に、コーネルは辛抱強く頷きながら聞いていてくれる。


「ここに来たのだって、コーネルさんと一緒に旅に出るつもりだからですの」

 すっぽりとかぶっている青いマントをぎゅっと握りしめて、ジェシカは俯いた。


『トリスタンの代わりに、わたしがお姉さまのことを守ってあげるよ。ずっとそばにいてあげるから、泣かないで』

 唐突にそんな言葉を思い出し、ジェシカは唇をかんだ。大好きだった従兄弟の訃報に落ち込んでいるジェシカに、彼女はそう言ってくれた。普段は嫌味ばかり言うくせに、肝心なところでは優しくしてくれる、レティシア。

 ジェシカは愛に生きると決めた。それなのに、どうして妹の事がこんなにも気になるのだろうか。何故コーネルと彼女を天秤に掛けてしまうのだろうか。


 目頭が熱くなってきた。

「一緒にいきたい……」

 重い沈黙が流れ、ジェシカはぎゅっと口を結んだ。


 そして、意を決して顔を上げた。


「けれど、今は、あの子を置いていくわけにはいかない。そんな気持ちになってしまったんです」


 コーネルは微笑みを浮かべながら、ジェシカの頬に触れた。寒い中立ちつくしていたせいだろうか、その指先はひんやりと冷たい。


「ごめんなさい……。でも、私、本当にコーネルさんが……」

「いいんですよ。簡単に家族を捨てられるような人だったら、私はあなたのことを好きになれなかったでしょうから」


 そう言って、コーネルはジェシカの頬に軽くキスをしてくれた。

 真っ赤になって俯く。少しだけ自分の出した選択に後悔したが、そんなことはすべきではないと自分の心に言い聞かせながら顔を上げ、にっこりと微笑んだ。


「ところで、もしも、私がコーネルさんを選ぶっていったら、ちゃんと連れて行ってくれましたの?」


 そう問いかけると、コーネルは無言のまま微笑みだけを浮かべた。




     *     *     *




 レティシアは俯いていた。

 横目でジェシカと彼女が羽織っている青いマントを見ると、心に穴が空いたようなむなしさがこみ上げてきた。

 そこから視線をそらし、レティシアは唇を尖らせた。


「女の姉妹なんて、いずれは家を出ていくものなんですもの。だったら祝福してあげなくちゃ」


 そんなことを考えていると、名前を呼ばれた。

 壁に預けていた身体を起こして横を向くと、機嫌が良さそうなジェシカがこちらに走ってくる。


「うまくいったみたいですのね」

 そう言ってやると、ジェシカは気まずそうな顔になる。


 首を傾げながらコーネルへ視線をやると、彼はこちらに背を向けて歩いていた。レティシアは驚愕しながらジェシカとコーネルを見比べる。


「お姉さま? ふられたのにそんなににこにこしているなんて、ついに気でも触れましたの?」

「あの、ですね……」

 しどろもどろと言葉を紡いでいくジェシカ。


「コーネルさんも、私のこと、好きって言ってくれましたの。でも、なんだか、私は、その、やっぱり旅には付いていけなかったんですの」

「……何ですって?」


 怒鳴り散らしたいのを理性で何とか押さえ込みながら、レティシアはジェシカのことを睨み付けた。引っかき回すだけ引っかき回して、自分の都合でやっぱり止めただなんて、我が儘にも程があるではないか。


「そ、そんな怖い顔しないで欲しいですわ……。あなたが寂しそうだったから、決心も揺らいでしまったんですもの」

「人のせいになさらないでくださいっ」

 堪えきれなくなって怒鳴りつけると、ジェシカは泣きそうなくらい顔を歪ませた。


「だったら最初からおとなしくしていてください。いろいろと悩んでいた私がバカみたいではないですのっ」

 その言葉を聞いて、ジェシカは嬉しそうに破顔する。


「私がいないと寂しいんですのね」

「どうしてそうなるんですのっ」

「もう、可愛い妹の考えていることくらい、ちゃんと分かりますわよ」


 二の句が告げられなくなって、レティシアは魚のように口をぱくぱくと開け閉めさせた。

 深呼吸をして心を落ち着け、レティシアはくるりと踵を返した。


「あ、置いていくなんて酷いですわよ」


 ばたばたと足音が聞こえて来ると思ったら、おもむろに後ろから抱きしめられる。レティシアはその場で硬直した。

 彼女は泣いている。そう気付いて、レティシアは慰めの言葉をかけようとした。しかし、この場合はジェシカはふられたわけではないし、自分で彼に別れを告げたわけだから……といろいろと考えてみるが、上手い言葉が思い浮かばなかった。


「とりあえずは、お帰りなさいと言うべきなのかしら」

 ぽつりとそう呟くと、ジェシカは真っ赤になった瞳を上げる。顔だけを彼女の方に向けると、視線が合う。と、ジェシカはますます激しく泣き出した。


 レティシアは心底困って、どうすれば良いのか解決策を練り始めた。




     *     *     *




 シーガルはレティシアに呼び出されて彼女の部屋を訪れた。

 相変わらず廊下には近衛兵がうろうろとしている様だった。彼らはシーガルに気付くと、同情心の含まれた瞳で自分を見る。


 そんなに酷い顔してるのかな。そんなことを思いつつ、シーガルは扉を叩き、指示通りに中に入った。そして、頭を下げる。

「今さら何の用だろう」


 胸中でぼやきながら顔を上げると、窓際にあるテーブルでケーキを食べているジェシカが笑いながら手を振っていた。

「っな、な……」

 ふられたのかと思ったが、それにしてはどうにも機嫌が良さそうである。


 ジェシカの横では疲れたような顔をしたレティシアが、うつろな瞳で紅茶を飲んでいた。


「コーネルさんもお姉さまのことが好きだって言って下さったみたいですわよ。それなのに、やっぱり残るだなんて……私たちの決意を全て無駄にしてくれましたわ」


 嫌味ったらしくレティシアが呟いている。ジェシカはあははと軽く笑いながらケーキを頬張った。

 気が抜けて、シーガルは扉にもたれ掛かった。


「やっぱり行くのは止めましたの」

 顔が妙な具合に引きつっていくのを感じ、シーガルは額に手を当てた。


「自棄食い用のケーキはたくさんありますわよ。……もっとも、シーガルさんの餞別で買っていたみたいですけれど」

 ジェシカは慌てて口の前で人差し指を立てて「しー、しー」と騒いでいるが、レティシアは全く聞いてはいないようだった。

 半眼になりながらシーガルは部屋の奥に歩いていき、レティシアに勧められた椅子に座った。ジェシカに向かって手を差し出すと彼女はおずおずと餞別分からケーキの代金の差額分を手の上に乗せる。


「まあ、楽しくお茶会でもしましょうよ。あ、デュークやひーちゃん達もお呼びいたします?」

 あははと笑いながら軽い口調で言うジェシカをシーガルとレティシアは睨み付けた。

 すると、彼女は顔を引きつらせながら、少しだけ不満そうな顔をして、フォークでケーキを突っついた。


「もう、ふたりとも怒りっぽいんですから」

「お姉さまが怒らせるようなことばかりなさっているのでしょうっ」

 そんな姉妹のやりとりを聞きながら、シーガルは心底安堵している自分に気付き、苦笑いを浮かべた。




     *     *     *




「え~ん。私、お見合いなんてしたくないって言ってますのにっ」


 部屋に運ばれてきた膨大な量の見合い用の肖像画を見てジェシカは悲鳴を上げた。

 あれだけの騒ぎを起こしたのだ。ロキフェルが用心深くなるのも仕方のないこと。城を出て行かれるくらいならば無理矢理結婚でもさせてしまおうと考えているのだろうか。


「あら、この方なんてお姉さま好みじゃありませんの?」


 肖像画を眺めながら、意地悪そうにレティシアがジェシカの前にそれを置く。その隣で別の肖像画と睨めっこをしているシーガルは、どことなく機嫌が悪そうな面もちで、見ていた肖像画をぽいっとテーブルの上に投げた。

 ジェシカはレティシアに渡された肖像画を横目で見た。確かに、ジェシカ好みの顔である。


「いやですわ。私は小説のような恋をして……」

「バカですわね。コーネルさんに付いていけば、恋愛小説、そのままでしたわよ」


 はっとしてジェシカは頭を抱えた。レティシアはそんなのには知らんぷりで、クッキーをついばみながら次の肖像画を手に取る。


「あら、ひーちゃん。親戚の人が勝手に寄こしたのですわね」

 彼女の言うとおり、そこには信じられないくらいまじめな顔をしたヒツジの顔が描いてある。


「あ。もしかして、キャメロンのもありますかね?」

「ああ。あそこも名門貴族の家柄ですしね。まあ、彼が当主になる必要があるのでここには来ていないと思いますが……」

 二人はごそごそと肖像画を選別しはじめた。キャメロンのそれを探しているのだろう。


「もうっ。人ごとだと思って遊ばないでっ」

 ジェシカの悲鳴にも知らんぷりで、ふたりは黙々と作業を続けている。あまり表情には出していないが、ジェシカを苛めて楽しんでいるのだろう。


「絶対にお見合いなんてしませんからねっ」

 ジェシカは泣きそうになりながら必死で訴えた。

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