コーネル5
「どうして部屋から出してもらえませんのっ」
ジェシカの部屋の前には見張り人と称した青いマントを身につけた男達が並んでいた。コーネルに会いに行かせないために、ロキフェルが命じたのであろう。
彼らにはとりつく島もない。
話していても埒があかないので、ジェシカおとなしく自室に戻った。
ジェシカはもう決めたのだ。こんな城も王女という身分も捨ててコーネルと一緒に旅に出ると。もしかしたら彼に拒絶されるかも知れない。そうなったら素直に諦める心づもりくらいある。
だがこの状態では、自分の真剣な想いを伝えることは出来ないし、それに返事を貰うことも出来ない。早くしないとコーネルは旅立ってしまうと言うのに。告白をする権利も与えられないなど、あんまりではないか。
「お父さまのバカっ」
ヒステリックに叫びながら、ジェシカは思い切りゴミ箱を蹴飛ばした。
勢いよくベッドに寝転がったジェシカは、ふてくされながら天井を仰ぐ。どうにかしてこの状況を抜け出せないかと考えを巡らせる。
そしてジェシカは唐突に思い立って、廊下へと駆けだした。扉を開けると、近衛兵達がうんざりとしたような視線をジェシカの方へと向ける。
「シーガルを呼んできて下さいっ」
それだけを言って勢いよく扉を閉めた。
シーガルならばきっと何とかしてくれる。ジェシカはそう考えて、「我ながら冴えてる~」と自画自賛しながらぴょんぴょんと跳ねた。
扉がノックされる。
返事をすると、緊張した面もちのシーガルが入ってきた。
「ねえ、シーガル。私をコーネルさんのところに連れて行って下さい」
端的に用件を述べると、彼はゆっくりと首を振る。
「無理です。近衛兵達が目を光らせています」
ジェシカはぷうっと口を膨らませてシーガルを睨んだ。
「いつもみたいに透明人間にして下さいっ」
「無理です。彼らは注意深く中の様子をうかがっているでしょうから」
近衛兵とは、騎士団と魔法兵団の中から能力の優れた者が引き抜かれて編成された国王直属の軍隊である。廊下にいる近衛兵の中には魔道の使い手の姿もある。魔道士は、魔法力を察知する能力があるので、シーガルが何か魔法を使えばすぐさま彼らに気付かれるだろう。
「私、コーネルさんに会いたいんですの」
必死で訴えるジェシカ。この状況を打開してくれるのはシーガルしかいない。いつだって彼はジェシカの願いを聞いてくれたのだから。
だが、シーガルは首を振る。
酷く落胆しながらジェシカは肩を落とした。
「私、まだちゃんと告白もしていないんですのよ。それで諦めるなんてできませんわ」
「でも、王族という身分を捨てたら、陛下やレティ様とは二度と会えないかも知れないんですよ」
辛そうにそれを口にするシーガル。
ジェシカは目を見開いてシーガルの瞳を真っ直ぐに見つめた。そんなのは分かっている。覚悟していたことなのに、何故か決心が揺らいでしまう。
喉の乾きを覚えながら、ジェシカは目を細めた。
今の自分はコーネルと一緒にいたい。その気持ちが一番なのだ。
「……それでも、ですわ」
シーガルは寂しそうな瞳をジェシカに向けた。だがそれだけで、彼は自分に協力をしてくれようとする気配はない。
ジェシカはため息をついて、扉に向かって歩き出した。
近衛兵を無視して廊下に出ようとすると、行く手を遮られる。
ジェシカは腹を立てて、そんな彼らを睨め付けた。
「妹の部屋に行きたいんです。それとも何ですの? お父さまは私がレティに会いに行くのもお認めになられていないんですのっ」
いつになくきつい口調でたんたんと言い放ってみると、さすがの彼らもひるんだ様子を見せる。ジェシカは無視をしてすたすたと歩き出した。
レティシアの所ならばと高をくくったのか、彼らはおとなしくジェシカに付いてくる。シーガルも一緒だ。
ジェシカはレティシアの部屋の扉をノックもなしに開いた。
レティシアはちらりとこちらを見やったが、さして興味も持たなかったようで本へと視線を戻す。
ぱり、と音を立てて手にしていたクッキーを食べながら、彼女はページを繰った。
廊下から様子を見ているシーガルを部屋へと招き入れ、扉を閉めさせる。そしてジェシカはレティシアの座っているテーブルの前に立った。
「レティ! 私、こんな生活耐えられませんわっ」
ばんっと音を立ててテーブルを叩くと、かたかたとティーカップが揺れる。
レティシアは眉間にしわを刻んで、億劫そうな瞳を上げた。
「明日にはこの厳戒態勢も解かれますわよ。大好きな社会勉強にはしばらく行かせてもらえないかも知れませんが」
ジェシカは怪訝そうに首を傾げる。
「どうして、明日?」
「コーネルさん、今日旅立たれるそうですわよ」
「え?」
予想外のその答えに、ジェシカは頭の中が真っ白になった。何故それをレティシアが知っているのだろうか。いや、それ以前に、今日コーネルが出ていくと言うことは……
レティシアはジェシカから視線を外し、読書を続ける。
このままではコーネルは行ってしまう。こうしている間にも彼は旅立っているかも知れないのだ。このまま二度と会えないかも知れない。そう思うと、じっとしていることなど出来ない。
ジェシカはすがるようにレティシアの腕を掴んだ。
「お願い、レティ。私をここから出してっ」
必死の訴えに対し、レティシアはゆっくりと首を振る。
「最初から私たちにも内緒で出ていけば良かったのですわよ。……それに、こんな城から一人で抜け出せもしないくせに、これから一人でやっていく事が出来るとでも思っているんですの? 旅は遊びじゃないんですのよ」
押し黙るジェシカ。それはそうなのだが、黙って行くなどジェシカには出来なかった。周りからの了承を得て、みんなに祝福をされて彼を追っていきたかっただけなのだ。
目からはぽろぽろと涙がこぼれてくる。
レティシアはちょっとだけ後悔したようにそんな彼女を見つめ、読んでいた本を閉じた。
「でも、私は、コーネルさんが好きなんですもの。だから、どんな辛いことでも耐えてみせますものっ」
レティシアはじっとジェシカの瞳を見つめていた。深い蒼色の瞳はジェシカの心を探っているようでもあった。
やがて、彼女は静かに問いかける。
「もう、ここには戻ってこれませんわよ。……それでも良いんですの?」
ジェシカはしっかりと頷いた。
「このまま気持ちを伝えることが出来ないまま諦めて、一生後悔するのなんて、絶対に嫌ですわ」
大好きだった初恋の人には何も言えないままで、彼とは死に別れてしまった。あの時のような後悔は二度としたくない。
ため息をつきながらレティシアはクローゼットに向かい、そこから取りだしたケープを羽織った。
「お姉さま。そんな格好で外に出たら風邪を引きますわよ」
苦笑いを浮かべた彼女のその言葉に、ジェシカは満面の笑みを浮かべてレティシアの側に寄っていく。
何か着れる物を探せと言われ、ジェシカは彼女のクローゼットを漁り始めた。だがそもそもこの姉妹は身長差があるのだ。決してジェシカが太っているわけではないのだが、レティシアが小さくて痩せすぎている。
「ねえ、レティ。みんな小さくてサイズが合いませんわよ」
少し離れたところでシーガルと話しているレティシアに声をかけると、彼女は怒った様な顔をこちらに向ける。
「仕方ありませんわよ。お姉さまががつがつ食べるから育ちすぎなのですわ」
「あ、酷い~。レティが小さいだけなのに」
コンプレックスを刺激してしまったようで、むっとしたような顔でジェシカを睨むレティシア。だがジェシカは全く気付かずにレティシアのクローゼット漁りを再開する。
「何ですの、これ」
ジェシカは奥の方にしまわれていた青い布のような物をとりだし、開いてみせる。布というよりマントである。よく見れば、それは近衛兵のマントであるようだが。
「ジェシカ様。だったら俺のマントを……」
それが何であるか察したらしいシーガルが自分のマントを外しながら声を上げたが、レティシアはそれを遮った。
「それで良いですから、早く身につけてください」
何故かシーガルはしかめっ面を作っている。
ジェシカはきょとんとしながら、近づいてくるレティシアを見つめた。なにやら複雑な表情をしているが、それが何を意味しているのかジェシカには計りかねた。
レティシアはジェシカの手からマントを取り上げ、頭からかぶせる。そして、首の前に留め具を付けて固定してくれた。マントをかぶっているだけだというのに、なかなか温かい物である。
レティシアは窓を開け、下の様子をうかがいはじめた。
「何をやっているんですの?」
「ここから飛び降りますわよ。扉から出ていくとばれますもの」
青ざめながら首を振るジェシカ。彼女の部屋は三階である。そこから飛び降りたら怪我をしてしまうではないか。
そんな懸念を感じ取ったのか、レティシアは微かに笑みを浮かべながらジェシカを振り返った。
「大丈夫ですわよ。私、少しなら魔法が使えますから。……シーガルさんもサポートをして下さるそうなので、近衛兵にも知られることなく外に行く事が出来ます」
よく分からなかったが、そう言う物なのかと頷いてジェシカはごくりと唾を飲み込んだ。緊張のためか、心臓が鼓動を早めている。
レティシアが手を差し出す。
その手に捕まろうとして歩き出したその時、腕を引っ張られて後ろに倒れそうになる。振り向くと、シーガルがジェシカの腕を掴んでいた。
何故か当のシーガルまでもが驚いたような顔をしてジェシカのことを見つめていた。
「あ……」
何かを言おうとして、彼は慌てて手を引っ込めた。そして、懐から財布を出す。
「餞別です」
にっこりと微笑みながら、シーガルはジェシカに数枚の金貨を差し出した。おずおずとそれを受け取るジェシカ。
「……お幸せに」
「今までありがとうございました、シーガル」
ぺこりと頭を下げると、シーガルは曖昧な表情を漏らした。
そして、ジェシカはレティシアの手を取り、三階下の地面を緊張した面もちで見つめた。
* * *
シーガルは彼女たちが無事に地面に降りたのを確認してから部屋を出た。
サポートと言っても何もしていない。自分はレティシアが着地に失敗しそうな時に力を貸すだけの役割だったのだ。部屋の中で魔法を使えば近衛兵にばれる。ならば窓から飛び降りて着地に近いタイミングで魔法を発動させれば問題がないとは、なかなか斬新な発想だ。
シーガルの姿を見た近衛兵は何故か哀れみを込めたような視線をシーガルに送り、慰めるように彼の肩を叩いた。
「我が儘なお姫様のお守りも大変だな」
シーガルは苦笑いをしながら頭を下げた。
レティシアには「ジェシカが癇癪を起こして追い出されたと言え」と言われていたが、向こうが勝手に察してくれたので何かを言う必要もないらしい。他にも、彼女はこの件に関しては絶対に知らぬ存ぜぬを通せと言っていた。シーガルに罪が問われることを防ぐためなのだろう。
シーガルは魔法兵団の本部へと向かって歩き出した。
妙にもの悲しい気分だった。
「ジェシカ様とのつきあいも結構長いからな……」
初めて彼女に会ったのはいつだったか。その頃のジェシカは人見知りが激しくて、シーガルと話すのもおっかなびっくりという感じであった。だんだんうち解けてくれたと思ったら、我が儘を言ってくれるようになった。昔の彼女の言い出す我が儘はどれも可愛い物だった。それが可愛くて、頼りにされるのが嬉しくて甘やかしていたら、だんだんとエスカレートして、町に抜け出したいとまで言い出すようになったのだが。
「行かないでください」
ジェシカに言いたくて言えなかったその言葉の意味を考えながら、シーガルは頭をかいた。
彼女を止めたがっていたのは、友人でありお目付役としての自分なのだろうか。それとも……
「まあ、今さら何を考えても、仕方ないんだろうけどな……」
彼女はこのまま旅立ってしまう。もしかするとコーネルにふられて戻ってくるかも知れないが、どっちになるかなどシーガルには分からない。
長いため息をつきながら、シーガルは城下町の方を振り返った。