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フィアンセバトル  作者: きなこ
6章 コーネル
25/89

コーネル3

 ジェシカは今日もコーネルの歌を聞きに来ていた。彼は何故かジェシカからはお金を受け取ってくれないので、ジェシカは最前列に陣取るような真似はせずに後ろの方で歌を聞いている。

 今日は彼にプレゼントを持ってきたのだ。喜んで貰えるかなぁと、ドキドキしながらジェシカは手にしている紙袋をぎゅっと握りしめた。



 本日の曲はお姫様と剣士の物語。旅の剣士がある王国に立ちより、魔王に捕らえられていたお姫様を助けるというストーリーである。助けられたお姫様と剣士は恋に落ちる。だが、剣士は旅することが己の生き方であり、それを変えることは出来なかった。そして、お姫様は国を捨てて剣士と共に旅に出る決断を下す。


 そんなありきたりのお話なのに、胸がじぃんと熱くなる。

 その要因のひとつとして、昨日のロキフェル達との口論もあるのだろう。


「私もお姫様なんて止めて、好きな人と旅に出たいですわ」

 お姫様であって良かったと思うことなど何ひとつない。国のために結婚しろだとか、姉なのだから王位を継げだとか、そんなのはごめんである。


 シーガルは割と真剣に、デュークは眠たそうな顔をしてそれぞれコーネルの歌を聞いていた。

 ジェシカは相変わらず表情をころころと変えながらその物語を聞いていた。


 歌が終わるといつも通りの拍手が。ジェシカも目に涙をためながらぱちぱちと大喜びで手を叩いていた。

 そして、別の客のリクエストで再びコーネルが歌い出す……




 やがて日も暮れかけて来たため、客足もとぎれてきた。

 コーネルは聴衆者達に礼を言って、後片付けを始める。そして荷物と竪琴を手にして立ち上がった。


「今日も遅くまでありがとうございました」

 わざわざジェシカ達の前に来た彼は礼を言った。

「こちらこそありがとうございます。いつもただで聞いてしまって、申し訳なく思っていますの」

 コーネルは微笑みを返してくれる。喜んで聞いてくれる人がいるだけで幸せだと言わんばかりの表情だ。

 ジェシカは慌てて小脇に抱えていた紙袋をコーネルに差し出した。


「これ。いつも素敵な演奏を聞かせていただいているお礼ですの。あ、別にお金をかけた物ではないんですのよ。だから、受け取ってくださると嬉しいですわ」


 紙袋の中にはジェシカお手製の緑色のマフラーが入っていた。いつも寒そうな格好をしているコーネルに使って欲しくてせっせと編んだのである。裁縫や料理は苦手だが、幼い頃特訓したおかげで編み物だけは得意なのである。得意と言っても、所々解れていたりするのであるが。

 彼は自分の首にマフラーを巻いて、そっと目を伏せた。


「温かいです。……ありがとうございます」

 とろけそうなほどの温かい微笑みに、ぽっと頬を染めるジェシカ。


「そうだ。一緒に食事にでも行きませんか?」

 そんなコーネルの提案に、わあいと浮かれながら頷きかけて、ジェシカは我に返って動きを止めた。もしかしたら、マフラーのお礼に奢ってくれようとしているのかも知れないと思ったのだ。


「私、自分の分はちゃんと自分で払いますわよ」

 一応念を押すと、彼は苦笑いをしながら同意した。


 ジェシカは「夕食は外で食べる」という伝言をシーガルに頼み、コーネルとデュークと共に酒場に入った。




 酒場という物に入るのは初めてだった。

 ジェシカは目をぱちくりとさせながら周りを見ていた。


 物語の中でたまに出てくることがある酒場は活気があって、酔っぱらいの男達が賑やかに騒いでいると言ったイメージがあった。だがコーネルが連れてきてくれた酒場はそれらのイメージとは少し異なっていた。活気はあるのだがどことなく上品な雰囲気が漂っているのだ。


 酒場の男達はコーネルの登場に盛り上がった。どうやらコーネルは毎晩ここで演奏をしている様である。

 椅子に座りながらジェシカとデュークはコーネルの演奏を聞いていた。昼間奏でている詩を伴った演奏ではなく、物語のない静かで落ち着いた調子の曲を奏でている。


「本当に上手ですわね。コーネルさんの演奏」

 デュークはいつの間にか頼んでいたらしい酒を飲みながら頷いた。

 彼は酒場に入る前に黄色のマントは鞄の中にしまったようだ。騎士団の人間が職務中に酒場に入るというのはいろいろと問題があるのだろう。


「彼ほどの弾き手も、そうはいないでしょうね」

 そんなデュークの答えに、ジェシカは訝しげに彼のことを見上げた。


「あなたって、似合わないけど、実は音楽に詳しいんですの?」

「知り合いに竪琴弾きがいたんですよ。聞かせる相手がいないと、いつも俺を巻き込んでくれました」

「まあ。もしかして、女の方?」

 にんまりと笑いながら身を乗り出してみると、デュークは首を振った。

「男です」

 予想外れのその答えに唇を尖らせて、ジェシカはパスタをくるくるとフォークに巻き付けた。



 一曲弾き終えたコーネルが戻ってくる。

 彼は穏やかに微笑みながら、ジェシカの向かい側の椅子に座った。そしていろいろな話を聞かせてくれる。

 コーネルの旅先での話をいつも通りに楽しく聞くジェシカ。


 そんな旅での情景に恋いこがれ、ジェシカはついにその想いを口に出した。


「コーネルさん。私も旅に連れて行ってください」

 ジェシカがそう言うと、彼女の横のデュークがため息をつく。

 コーネルは少しだけ困ったような顔をして、ジェシカのことを見つめた。


「ジェシカさんには家族があるでしょう?」

「でも、私ももっと外の世界を見てみたいですわ。それに私はコーネルさんが好きなんですの。だから、ずっと一緒にいたいです」

「そのために今の生活全てを切り捨てる事は出来ますか?」


 真っ直ぐに瞳を見つめられ、ジェシカはそこから視線を外せなくなった。

 灰色の瞳にテーブルの上で揺れている蝋燭の灯りが映っていた。ゆらゆらと揺れる灯りによって陰が作られるそれを、無意識の内にジェシカは凝視していた。


「旅は楽しいことばかりではありませんよ。辛いこと、苦しいこともたくさんある……。路銀を稼ぐことが出来ずに、飢えのせいで物乞いをするような事だってあるかも知れませんよ」


 ジェシカを諭すような静かな口調。

 ジェシカは当然飢えなど経験したことがない。ずっと城という安全な籠の中で育てられてきた。朝には侍女がジェシカを起こして、着替えを手伝ってくれる。決まった時間になれば勝手に食事が出てきて、ほとんど働きもしないで一日を遊んで暮らす。そんなことが当たり前なのだ。


「旅に出たら、誰も助けてはくれません。あなたはそれらのことに耐えられますか?」


 答えることは出来なかった。


 コーネルのことが好きかと問われれば、そうだと自信を持って答えられる。彼と一緒に旅に出たいかという問いに対しても同様だ。だが、全てを切り捨てる覚悟があるかと言うと、答えに迷う。……いや。きっと、それほどの覚悟は彼女の中にはない。

 酒場の中は相変わらずの賑やかさだというのに、ジェシカ達が座っているこのテーブルだけはそんな空間から切り離された場所に存在しているかのようだった。


 見つめ合うジェシカ達の横ではマイペースにデュークが肉をつついていた。


「私……」

 ようやく彼から視線をそらすことに成功したジェシカは俯きながら何かを言おうと口を開いた。しかし、その続きは発せられることはなかった。

 それでも付いていきたいとは、ジェシカには言えなかった。


「それで良いんですよ、ジェシカさん」

 頭を撫でてくれるコーネル。その温かさすらもジェシカにとっては悲しかった。


「それでは、私はこの辺で。……良かったら、また聞きに来て下さいね」

 コーネルは荷物を持ち上げて軽く頭を下げた。

 酒場から出ていく彼を見送るジェシカ。


「だめですよ、姫さん。陛下やレティ様と何があったのかは知りませんが、逃げ道を求めては」

 妙に核心をついたデュークの言葉に、ジェシカはぎくりとしながら顔を上げた。だが彼はジェシカになど興味がないとばかりに野菜を食べている。しゃりしゃりと小気味のいい音が微かに耳に届いてきた。


「私は、コーネルさんが好きだから一緒にいたいと思っただけですわ」

 デュークは横目でジェシカの事を見やった。が、それも一瞬のことで、彼はすぐに視線をテーブルへと戻す。

「でも全てを捨てる覚悟はないんでしょう? だったら、きっぱりと諦めることです」


 反論出来ずに、ジェシカはテーブルに突っ伏した。確かに、彼の言うことは間違ってはいない。だが、そんなに冷たい言い方をしないでも良いではないかと腹が立ってくる。

 ジェシカは横目でメニューを読んだ。


 デュークは食事を終えたらしく、口を拭きながら立ち上がろうとしている。

 ジェシカは勢いよく体を起こし、天井に向けて大きく手を上げた。


「エールふたつっ」


 忙しそうに歩き回っていた女中の一人がはぁいと軽く返事をした。デュークが頭を抱えながら椅子に座り直すのを確認し、ジェシカはふっと乾いた笑みを浮かべた。


「……どこの世界に、やけ酒なんてするお姫さまがいるんです」

「あら。それでしたら、デュークは貴重な体験が出来るんですわよ。世にも希な光景を目の前で拝めるんですもの」


 むしゃくしゃするときは酒でも飲んでぱーっと騒げば気が楽になる。ジェシカにそう言っていたのは、確かヒツジだ。ロキフェルに文句を言われたら全部彼のせいにしようと思いつつ、女中が運んできたジョッキを睨み付けた。

 味見をするために少しだけ口を付けてみた。ちょっとほろ苦い感じもするが、飲めない味ではない。

 意を決してぐいっとジョッキを傾けた。割とすんなり喉を通っていくもので、喉の渇いていたジェシカは中身を一気に飲み干し、ゆっくりとテーブルへジョッキを戻す。


 珍しく心配そうな面もちのデュークがジェシカの顔をのぞき込んでいた。ジェシカはにっこりと微笑みを作り、中身の入ったジョッキをデュークに突きつけた。


「私のおごりですわ。じゃんじゃん飲んじゃって下さい」

 しっかりとした口調でそう言って、ジェシカは再び手を上げた。

「エールじゅっぽん追加ですわっ」

 驚きのあまり見開かれたいくつもの瞳がジェシカ上で止まる。だが、ジェシカはそれらを全く気にせずにふんっと鼻を鳴らせながら手を下ろした。


 しばらくすると、なみなみとエールの注がれたジョッキがジェシカ達のテーブルを埋めた。


「……俺は知りませんよ。どうなっても」

「いいですわ。あなたにはいっさいの責任は負わせません」

 ジェシカは不敵な笑みを浮かべ、半ば無理矢理にデュークの手にジョッキを持たせた。




     *     *     *




 シーガルはジェシカのお使いをすませた後、彼女達を探していた。伝言は完璧にこなしたのだが、肝心の彼女たちの行く酒場を聞くのを忘れていた。そのため、大通りに近い酒場を片っ端から訪れているのだ。



 そろそろ城に帰っているかも知れないと懸念し始めた時に訪れたその酒場。


 そこでシーガルはデュークの姿を見つけた。

 彼の座っているテーブルには重ねられたいくつものジョッキと酒瓶がある。そして、彼にもたれかかるようにしてジェシカが座っていた。


「ひーちゃんってばひどいですわぁ」


 哀れみを込めたような顔をしてジェシカがデュークの腕に抱きつく。いつもならば嫌がるデュークだろうが、彼は何かの反応を示している訳ではない。それ以前にシーガルには天敵として嫌っているデュークに抱きつくジェシカの行動が信じ難いのだが。


「……昔からずっとそうだ、あの人は。狡賢くて、調子者で、口が上手くて、気分屋で、短気で、人使いが荒くて……」

「分かりますわぁ。ついでに、人の話も全然聞かないんですわよねぇ」

「本人に聞かれたら蹴り飛ばされるぞ……」


 ぶつぶつとヒツジに対する文句を並び立てるデュークを見ながらシーガルは引きつった笑みを浮かべた。とりあえず彼の方は無視して、ジェシカの肩を叩くと、彼女は半分閉じたような瞳をシーガルに向けた。そして一瞬の間の後にぱっと頼りない笑みを浮かべてシーガルに抱きつく。

 アルコールの臭いが鼻をついた。


「しーがるもいっしょにのみましょお?」

 いまいちろれつの回っていない口調の彼女は、ふにゃっと人なつっこい笑みを浮かべながらシーガルのことを見上げていた。

「じぇ、ジェシカ様っ。酔っぱらってるんですか?!」

 悲鳴にも近い声を出してしまい、シーガルは慌てて口を押さえた。周りの目が気になるので、ジェシカの手を引いて外に連れ出す。


「こんな事が国王陛下にばれたら、社会勉強も取りやめにされますよ」

「そんなのかんけいないですわぁ。だって、わたくし、たびにでるんですもの」

「え?」


 胸の奥で何かがざわめくのを感じながら、シーガルはジェシカの顔を凝視した。彼女は酔っているせいでほんのりと頬が上気している。とろんとした瞳は虚空を見つめていた。


「コーネルさんといっしょにいくんですの……おひめさまなんてやめて、いっしょに……いくのっ……いくんですもの……」

 言葉の後半は何故か霞んで聞き取りにくかった。

 彼女の瞳が潤んでいく。


「わたくし……こーねるさんがすきなのに……」

 静かに頬を伝っていく涙。


 ジェシカと彼の間に一体何があったのかはシーガルには分からない。だが、ジェシカが泣いているということは、彼女にとって良くない出来事があったのだろう。

 彼女の悪い癖だ。好みのいい男を見つけるとすぐに深く惚れ込んでしまう。今まで何例もそれを見てきたのに、不思議とシーガルは胸に痛みを感じた。


「いっしょにいきたいのに……」

 拗ねた子供のように唇を尖らせながらぼそぼそと呟く彼女の頬に触れて涙を拭ってやる。彼女は伏し目がちにシーガルのことを見上げて、苦笑いにも取れるような種類の笑みを浮かべた。


「しーがるはいつもやさしいんですのね」

 熱っぽいその囁きに何故か鼓動が高鳴ってくる。


 すると、ジェシカは突然シーガルに抱きついてきた。

 呆然としながら宙を見つめるシーガル。


「わたくし、だれかになぐさめてほしいんですの」

「へ?」


 間抜けにも聞き返したシーガルに顔を近づけてくるジェシカ。

 酒臭い……などと雰囲気にそぐわないことを思いつつ、シーガルはジェシカの瞳を見つめた。彼女は濡れた瞳でシーガルをじっと見つめている。その様子が妙に色っぽい。


「この人って、酔うと男に絡みはじめるのか……?」

 そういえば先ほどもやけにデュークにくっついていた。まあジェシカが絡んだ相手が自分だったからまだ良いだろうと心に言い聞かせながら彼女の身体を引き離そうとするが、間近に迫ってきたジェシカの顔を見て、何故か体が硬直してしまう。

 唇に彼女の吐息がかかり、シーガルは心臓が止まるかと思った。


 そして…………………………


 気付くと、腕に妙な重みが感じられた。


 我に返って下を向くと、ジェシカがシーガルの胸にもたれかかってすやすやと寝息を立てていた。

 ほっとしたような残念なような複雑な心地で、幸せそうに寝ているジェシカを見下ろすシーガル。


「……なんでがっかりしてるんだ、俺は……」

 酒場の熱気に当てられて酔ったのかも知れない……そんなことを思い、頭を振った。


「ちょっと」

 後ろから誰かに呼びかけられて、シーガルはひどく狼狽えた。

 だらだらと冷たい汗をかきながら振り向くと、そこにいたのは眼光の鋭い中年の女。


「はい。何でしょう?」

 女はじろりとジェシカを見て、呆れたような顔をしてため息をついた。

「あんた、そのお嬢さんの連れだろ?」

「ええ、まあ、そうですけど……」


 しどろもどろと答えると、女は手に持っていた紙をシーガルに突きつけた。

 シーガルは眉を寄せながら紙に書いてある数字を読みとり、思わずジェシカを落としそうになった。


「じゃあ、あんたに代わりに払って貰おうか」

「………………はい」

 シーガルは泣きそうになりながら、ジェシカとデュークが飲み食いした分の、頭が痛くなるほどの金額の領収書を受け取った。

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