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フィアンセバトル  作者: きなこ
6章 コーネル
24/89

コーネル2

 翌日。

 ジェシカはいつもの三人で昨日コーネルに出会った場所を訪れた。


 大通りから一本外れた通りの角にコーネルは座っていた。今は寒い季節だというのに、あまり厚くなさそうな外套を羽織っただけの姿は寒そうである。

 まだ誰も客はいないらしく、彼は竪琴の弦の張り具合を確かめるように弦を弾いていた。


「こんにちわぁ~。約束通り、ちゃんと来ましたわよ」

 コーネルは顔を上げ、控えめに微笑んだ。


「では、何をお聞かせいたしますか?」

 優しく尋ねてくるコーネルに、ジェシカは意気揚々として答えた。

「お姫様と騎士の物語がいいですわっ。タイトルは指定できないんですけれど」

 コーネルは頷いて、ゆっくりと竪琴をかき鳴らした。すうっと息を吸い、聞き心地の良い声で歌い出す。


 お姫様と騎士の愛を歌った歌曲など平凡でありきたりの物である。だが、ジェシカはこう言うのが好きなのである。たいてい身分違いだとか、敵国同士の恋人同士だとか障害が付き物なのだが、最終的には結ばれてハッピーエンドになる。そんなところに自分を重ねて夢を見ることが出来るのがジェシカのお気に入りの理由である。


 コーネルの歌う物語にジェシカは一喜一憂していた。楽しい場面ではにこにこ笑って、切ないシーンでは目に涙をためて、歌に夢中になる。

「ああ。素敵なお話ですわ」

 うっとりとした彼女の呟きは、聴衆者たちの拍手によってかき消された。


 コーネルの目の前に置いてある箱に次々にお金が入っていく。

 一番前に陣取っていたジェシカは大喜びで拍手をしていた。


 身分違いの恋。自分に仕える騎士との恋愛。なんて甘いキーワードなのだろうか。夢心地のまま、ほうと息を吐いた。

 ジェシカはなんとなく、後ろに立っている自分に仕えている騎士をちらりと見やる。特に何かを意図したわけではないのだが。視線が合うと彼は心底嫌そうに眉間にしわを寄せた。自分に矛先を向けるなと言いたげな表情である。ジェシカはべーと舌を出して、顔を背けた。


「ありがとうございます。とっても素敵でしたわ」

 バックの中から財布を取り出しながら微笑みかけると、コーネルは穏やかに微笑みながら首を振った。

「お金はいりません。昨日いただきましたから」

「でも、昨日のは昨日の分。今日のは今日の分、ですわ」

 二人は見つめ合う。


 ジェシカはとても楽しい気分にさせてくれたコーネルにお礼がしたかっただけなのだ。そのための手段で一番分かり易く、一番有効で、かつ皆が行っているのがお金を払うことなのだ。


 しばし見つめ合うと、やれやれといった面もちでコーネルがため息をついた。

「分かりました。……その代わりと言っては何ですが、昼食に何か奢らせていただけますか?」

「え? 良いんですの?」

 後ろの二人が頭を抱えているのにも気付かずに、ジェシカは浮かれながらこくこくと頷いた。コーネルはジェシカからお金を受け取り、にっこりと微笑む。彼の笑みを見ていると不思議と心が和んでくる。


 コーネルの歌声に惹かれて集まっていた人々も散れ散れになっていく。彼は立ち上がり、片づけを始めた。


「それじゃあ、行きましょうか」

 竪琴を大切そうに抱えながら、彼はジェシカに笑顔を向けた。



 少々みすぼらしい食堂で、ジェシカはコーネルと二人きりで話をしていた。

 何故かシーガルとデュークは辞退すると言ってどこかに行ってしまったのだ。いつもならばうるさいくらいにつきまとってくるのに、珍しいこともある物である。


「コーネルさんはずっと一人で旅をしていますの?」

「ええ。十四の頃に家を出て、それ以来ずっと各地をふらふらとしていますよ」

 彼の年は二十二だそうだ。見た目はもう少し若く見えるため、ジェシカはてっきり自分と同い年くらいだと思っていた。


「どうして旅をしようと思ったんですの?」

「そうですねぇ。いろいろな土地と人を見たいということと、自分の歌を多くの人に聞いて欲しいから、ですかね。ここは良い町ですね。みなさん温かくて、笑顔で溢れています」

 自分の住んでいる町を褒められて悪い気がするはずもなく、ジェシカは笑みを浮かべた。


「コーネルさんはどちらからいらっしゃいましたの?」

「地理に詳しい方ですか?」

 ジェシカは素直に首を振った。自慢ではないが、アリア国の中のことでさえよく分かっていない。

「私の故郷は西の方ですよ。アリア国を出て、ワイリンガ山脈を越えて、ウィルフ国を通って、さらにいくつか山を越えた先にあります」

「まあ、どんなところですの?」

 目を輝かせながら身を乗り出すジェシカ。外国の話は聞いたことがないので、好奇心がうずくのである。


「水の豊かな町でした。町の中をいくつもの川が流れているので、小舟に乗って移動するんですよ」

 ジェシカは彼の話に夢中になっていた。自分の知らない世界の情景を思い浮かべると、わくわくとした気分になる。


 しばらくするとジェシカが注文した焼きサンドがテーブルの上に並んだ。

「どうぞ。お先に食べてください」

「いただきまぁす」

 幸せ一杯の顔でジェシカは焼きサンドにかぶりついた。こんがり焼けたパンがかりっと良い感じの歯ごたえで、挟んである野菜なども調和がとれていて美味しい。至福の時がやってきた気分である。

 喋ることも忘れてもぐもぐと口を動かしていたジェシカは、ふとコーネルの視線を感じて動きを止めた。


「どうかしました?」

 目をぱちくりとさせていたコーネルは、楽しそうに笑い始めた。

「本当に美味しそうに食べるなあと思って」

 ジェシカは首を傾げた。何故コーネルが笑っているのか分からないのだ。


 まあいいやと、深いことは気にせずにジェシカは次の一口を頬張った。

 やがてコーネルが頼んだパンプキンスープが運ばれてきた。ほかほかと湯気を立てているスープの香りがジェシカの鼻孔をくすぐる。

 それを見たコーネルは微笑みを浮かべながら、スプーンをジェシカの方へ差し出した。

「一口食べてみますか?」

 知らずに物欲しそうな顔をしていたのだと気づき、ジェシカは真っ赤になりながら首を振った。


「遠慮はなさらないで下さい。まだ、口は付けていませんから」

「で、でも、そんなの悪いですし、食い意地が張っている様で恥ずかしいですわ」

「それは残念です。美味しそうな香りがするのに」


 コーネルにそう言われ、ジェシカは少しだけ唇を尖らせて上目遣いに彼を見やった。スプーンを差し出しながら穏やかに微笑んでいる彼と見つめ合い、ジェシカはおずおずと手を伸ばした。

 味的に言えば城で出されるパンプキンスープの方が味は洗練されているし、美味しいと言える。だが、このスープは変に凝っていないところが素材の旨みを引き出していて、その素朴な味が単純に美味しい。

 ジェシカはスプーンを横にあるナプキンで拭いた。


「気に入ったようですね」

 こくこくと頷く。

 コーネルは給仕を呼んで、パンプキンスープを追加注文した。


「そ、そんな! 私……」

「おごりなんですから、気になさらないで下さい。そんなに美味しそうに食べている姿を見たら、作り手もたくさん食べて貰いたくなりますよ」


 コーネルは籠に入っているパンを手に取り、小さくちぎって口の中に入れた。

 ジェシカは真っ赤になりながら焼きサンドを頬張る。俯いたままぱくぱくと食べながら、ふとコーネルを見上げた。彼はパンプキンスープを飲んでいる。一応拭きはしたが、さっきあれでジェシカがスープを飲んでいたと言うことを思い出し、ジェシカはますます赤面した。


 コーネルはジェシカを飽きさせないように旅先でのいろいろな話を聞かせてくれた。

 彼と話をしていると、不思議と心が癒されていく感じがする。一緒にいるとほっとする様な感覚。ずっとこのままでいられたら、どんなにか幸せなことだろう。

 銀色の髪、白い肌。優しそうでどことなく神秘的な物を感じさせるその風貌。なんとジェシカ好みな事か。


「お待たせしました」

 給仕がジェシカの前にパンプキンスープを置くのを見てジェシカは思考を止めた。

「いただきまぁす」

 ご機嫌な口調で言うと、コーネルはにっこりと笑った。




 食堂から出ると、シーガルとデュークが待っていた。

「焼きサンドとパンプキンスープをごちそうになってしまいましたの」

 上機嫌で語ると、シーガルが呆れたようにため息をつく。そして彼はジェシカの耳に顔を近づけて小声で囁いた。


「ジェシカ様。確か、お金を受け取る、受け取らないと言うやりとりから奢って貰うことになったんですよね。……せっかくお金を受け取ってもらえたのに、それ以上の金額を奢らせてどうするんですか」

 あらっと首を傾げながらジェシカは瞬きをした。

 コーネルにはこちらの会話は筒抜けだったらしく、穏やかな視線をジェシカへと向けていた。


「気になさらないで下さい。ジェシカさんにはお礼が言いたかったので、そのついでです」

「私、お礼を言われるような事いたしました?」

「私の演奏に感動してくださったのが嬉しかった……と言って、ご理解いただけますか?」


 ジェシカは素直に首を振った。

 彼の演奏に感動しているのはジェシカだけではない。それは演奏後の歓声や拍手を聞けば明らかである。皆、彼の演奏に心惹かれる物があったからこそ、拍手を送り、視聴料としてお金を渡しているのだ。


「パンプキンスープと同じです」

 よく分からないその例えにますます首を傾ける。

「あなたは思ったことがすぐに顔に出るんですよ。スープを飲んで美味しいと感じたら、それがすぐに顔に出る……」

「それって、単純って事ですわよね」

 ふてくされたように少しだけ低い声を出すと、彼は微笑みを浮かべた。


「私は演奏を聞いていただくことを生業としているでしょう? だから演奏の評価が全てなんです。ジェシカさんは私の演奏を聞いて、素直に感動してくれました。物語の展開のせいもありますが、楽しそうに笑ったり、目に涙をためて悲しんでみたり……」

「ストーリーもありますけれど、それはコーネルさんの演奏や語り方に引き込まれてしまったからですわ」

「だったらなおさら、それに対して率直な意見を戴けたことが嬉しかったんですよ」


 そう言って、彼ははにかむような笑みを浮かべた。

 ジェシカは鼓動を高鳴らせた。


「私はこの辺で。しばらくはあの場所で演奏をしているので、お暇だったら是非来て下さい」

 彼は頭を下げて通りに向かって歩いていった。

 ジェシカは胸をときめかせながらその後ろ姿を見つめていた。



「コーネルさんこそ、私の王子様なんですわ」

 そんな無責任なことを思いつつ――



     *



「旅人って良いですわねぇ~。憧れてしまいますわ」


 そんなことを夕食の場で言うと、じろりとレティシアに睨まれる。

 ジェシカは毎日のようにコーネルの演奏を聞きに通りを訪れていた。その度に彼は貴重な時間をジェシカのために割いて色々な話を聞かせてくれる。そこで聞かされる楽しい旅先での話。

 ジェシカはすっかり夢中になっていた。コーネル自身と、広い世の中に。

 話にはごく平凡な物から、物語にでも出てきそうな冒険めいた物まで色々とあった。


「今度は旅人に惚れているのですわね」

 ジェシカは曖昧に笑いながらはふはふとビーフシチューに息をかけた。


「レティも一度聞きに来ると良いですわよ。とっても綺麗な演奏なんですの。コーネルさんは吟遊詩人で、とっても素敵な詩を歌うので、幸せな気分になれますわ」

「……興味ありませんわ」


 むっとしながらレティシアを見る。

 彼女はぱくぱくとサラダを食べていた。見れば、彼女の前に盛られている皿の中身はほとんど減っていない。相変わらず小食な娘である。いつも間食でクッキーを啄んでいるからだなぁなんて思いつつ、ジェシカは少しだけ冷めたビーフシチューを口に入れた。


「食わず嫌いはいけないと言いますでしょ? あなたも、一度聴いてみれば……」

「ダメだ」

 ジェシカは言葉を止めて、ロキフェルを見た。

 彼は眉間に皺を刻むようにして苦い顔をしている。


「もう。お父様ったら。レティが外に出たって良いじゃないですの。過保護なんですから」

「君が社会勉強のために外に出るのは認めた。旅人と話して、見聞を広めるのも文句は言わない。……だけどね、旅人に惚れて、一緒に旅に出るなんて許せないからね。君はこの国の跡継ぎなんだよ」


 珍しく厳しい物言いのロキフェルに、ジェシカはショックを受けながら俯いた。

 だいたいジェシカは「旅人は良い」とは言ったが、「旅に出たい」とはまだ一言も言っていないのだ。話が続いていれば口にしたかも知れないが。


「国を継ぐのはレティでも良いじゃないですの」

 ふてくされたように言ってみると、ロキフェルはますます渋面になる。

「それはそうなんだが、やはり、お前が姉なんだし……」

 このやりとりは過去何度にも渡って繰り返された。その度に横から口を出すのはレティシアであるのだが。


「まったく。いつになっても進歩がないのですわね」

 ほら出た、とジェシカは口を尖らせながらレティシアへと視線をやった。ロキフェルもしまったと言わんばかりの顔をして、彼女の顔色をうかがうような視線を向ける。


「そんなに王位を継ぎたくないなら、私が継ぎますわよ。それに、旅に出たいのでしたら、勝手に行けばいいじゃないですか。もっとも……」

 ナプキンで口元を拭きながら、彼女は鋭い瞳をジェシカに向けた。

「その方が一緒に来ることを望むと言うことが前提にありますが」

「……つまり、コーネルさんは私のことを何とも思っていないと言いたいわけですわね」


 レティシアはごちそうさまでした、と一言発して立ち上がり、扉に向かって歩いていく。

 ジェシカは悔しそうに彼女の後ろ姿を見送った。

 いつもならばジェシカをなだめようと声をかけてくるロキフェルだが、今回に限っては口を閉ざしたままである。


 腹を立てて、テーブルの上の料理をむしゃむしゃと食べていると、

「ジェシカ……」

 いつになく深刻な声音のロキフェルに、ジェシカは瞬きをしながら顔を上げた。


「私はね、お前の方が王位を継ぐのに向いていると思っているんだよ」

「私がレティよりも? 冗談を言わないで下さいな。私はレティみたいに頭は良くないし、ひとりじゃ何も出来ませんわよ」

 怪訝そうな面もちでそう答えると、ロキフェルは困ったような顔をして天井を仰いだ。


「レティはひとりで何でも出来てしまうから、逆に心配なんだよ」

 きょとんとしながらジェシカは首を傾げた。一人で何でも出来ることの何がいけないのだろうか、と考えても答えは見つからない。


「とにかく。旅に出るなど許さないからな」

 念を押されて、ジェシカは頬を膨らませながらふいっと顔を背けた。


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