コーネル1
ほんのりとお酒の香りのするそのゼリーは大人の味がした。
ほろ苦さを堪能しながら、ジェシカはもう一つ同じ物に手を出そうとして、
「いいかげんにしろ」
と横から止められた。
止めたその人物は騎士団の副将軍ヒツジである。
今日はどこぞの貴族の息子の十六歳の誕生パーティである。
十六というのはこのアリア国では成人を意味するので、暇と金の有り余っている貴族達は無駄に盛大なパーティを開く習慣があるらしい。
きらびやかなパーティ会場。ドレスで着飾った人々がワイン片手に談笑などをしている。優雅な調子の曲が流れ、男女がダンスを踊っているが、ジェシカにはそのどれにも関心がない。彼女の興味を引くのはおいしい食べ物のみである。
「パーティの醍醐味と言ったら、ごちそうですわ」
「食い意地張ってるよな、おまえは」
呆れた様な眼差しでジェシカのことを見つめ、多少強引にヒツジはジェシカの手を引く。
ジェシカは名残惜しそうに背後のゼリーへ視線をやり、ため息をついてヒツジと向き合った。
ヒツジのリードで踊り出したものの、足を踏んづけること数回。彼は何も言わないが、ジェシカの方は申し訳ない気持ちで一杯になってくる。苦手だから踊るのを避けていたというのに。
「お前は仮にもこの国の王女なんだぜ。隅の方で食い気にばかり走ってたら、何噂されるか」
お兄さんとして案じるような瞳をジェシカに向けるヒツジ。
ジェシカはそれを見上げて、ふてくされたように唇を尖らせた。
「貴族にだってお前好みの美形はいるだろ?」
そう言って彼はちらりと右の方へ視線をやる。そこにいたのは金髪の美形の主である。確かにあんな人が町を歩いていたら声をかけるところである、が。
ジェシカは首を振った。
「だって、貴族の方と話していると疲れますもの。嫌味ったらしいし、よく分からないことばかり話すし。……そういえば、キャメロンさんも貴族でしたわよね。いらしてないんですの?」
「あいつは面倒くさがってほとんどパーティに出てこねえよ。俺だって本当はこんなとこに来たくないけど、お前らに悪い虫が付かないように見張ってないと……」
わりと貴族の社会は閉鎖的なもので、シーガルのように仕事上では地位があっても、貴族でなければパーティに出席するのは難しい。出席したとしても、貴族達の侮蔑の籠もった視線に晒されるだけであるのだから好んで出る者も少ない。
なんとなく思い立って、ジェシカはヒツジのことを見上げた。
「そういえば、ひーちゃんが結婚していないのはレティが成人するのを待ってるって噂がありますけど、どうなんですの?」
「……どっちかっていうと、お前との噂の方が多いと思うけどな」
ジェシカとヒツジの仲など、不思議な物を聞いたような気がしてきょとんと目を丸くする。
「ほら。こんなパーティの場でお前は俺としか踊らないだろ? 俺だってお前やレティシア以外の女の相手なんてしたくないし……」
貴族の娘は早婚な場合が多く、二十歳にもなれば嫁いでいくのが普通である。ジェシカはまだ十八だが、婚約者が決まっていないというところに問題がある。それはヒツジの方にも言えることで、男性貴族の結婚年齢は女性と比べると高いが、二十八にもなって独り身というのも珍しいのだ。つまり、二人とも噂話しの格好の的なのである。
納得してジェシカは頷いた。それと同時にヒツジの足を踏んでしまい、慌てて足をどける。そのせいで妙なステップを踏んでしまうことになり、周りから失笑が漏れた。
恥ずかしさのあまり頬を染めるジェシカ。
「いつもごめんなさい……」
「気にすんな。誰にだって得手不得手はある」
そう言って貰って、ジェシカは少しだけ安心したように微笑んだ。
「結婚と言えば、お前らはそろって平民気質だから、案外どっちかは王族っていう身分を捨てて駆け落ちとかしたりして」
「レティが平民気質? まさか」
驚いて聞き返してみると、ヒツジはうーんと唸りながら、誰かと踊り出したレティシアへ視線をやった。愛くるしい笑みを浮かべながら軽やかなステップを踏んで踊っている姿は下界におりてきた天使のようでもある。
「あれ、本当に笑ってると思うか?」
「いいえ。完全に作っていますわよ。猫かぶりだってばればれじゃないですの」
彼女が他人と話している姿はジェシカからすると奇妙な光景に見える。本心をまるで出さず、貼り付けたような笑顔で機械的な返答を繰り返しているだけ。それなのに、周りの貴族や侍女達の間では「完璧なレディ」として通っている。
そう思っていたのはジェシカだけではないらしく、ヒツジもうんうんと頷いている。
「だろ? あいつだって、地のままじゃあ貴族社会に順応できないから、あんなになってるんだよ。でも、いくらなんでもあそこまで偽るのはやりすぎだろうけどな」
「本当にひーちゃんはレティのことを心配してくださるんですのね。いっそのこと、ひーちゃんがレティを嫁に貰ってくだされば良いんですのよ」
レティシアが普通に話している相手など、ジェシカやロキフェル達身内以外ではヒツジやイ・ミュラーなど片手で数えられるほどである。ジェシカにしてみれば、そんな相手が妹の面倒を見てくれることが望ましい。レティシアもヒツジにはなついているのだし。
「お前なぁ、レティシアなんて、俺の娘だって言っても違和感がないくらいだろうよ」
うんざりとしたように呟くヒツジ。
「でも、レティったら自分は適当な政略結婚をするとか言っていますのよ。だったら、信頼できる相手の方が良いですわ」
二人は立ち止まり、給仕が配っているワインを受け取って喉の渇きを潤した。ついでにジェシカはテーブルの上に置いてある食べ物に手を伸ばす。
「まあ、その点ではお前の方は安心だよな。相手はいないけど、バカな結婚なんてしそうにないし」
「……相手がいなくて悪かったですわね」
にやりと意地の悪そうな笑みを浮かべながら彼もテーブルの上に手を伸ばす。
レティシアがこちらに向かって歩いてきた。表面的には微笑みを絶やしていないが、相当疲れている様に見える。
彼女は会食をしている二人を見て、眉間にしわを寄せた。
「二人して何をなさってるんですの。少しは社交的に振る舞ってと、いつも言っているではありませんか」
ジェシカとヒツジは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「ねぇ、レティ。帰りましょうよ。飽きてしまいましたわ」
「お姉さま。そんなことを仰らないで下さい。今日はモーガン殿のご子息のお誕生日パーティですのよ。ちゃんと挨拶はいたしましたの?」
「一応、最初におめでとうの言葉は言ってきましたわよ」
それなら良いんだけど、という表情のレティシアは、何かに気付いて頭を下げた。ジェシカとヒツジがのんびりと振り返ると、そこにいたのは噂のモーガン夫人と、その息子である。今日の主役である息子は、ぼんやりとしていていまいちぱっとしない感じである。血色の悪い顔に、がりがりに痩せた体。ジェシカがあだ名を付けるとしたら病的息子である。
「嫌ですわ。お顔を上げてくださいませ、レティシア姫」
「この度はおめでとうございます」
にっこりと微笑みを作ってレティシア。モーガン夫人はにこにことしながらジェシカ達にも頭を下げる。ジェシカとヒツジは適当に会釈を返しただけだったが。
「先程はあまり時間が取れず申し訳ありませんでした、レティシア姫。お噂は色々とお聞きしていましたが、本当に可愛らしい方で驚かされました」
病的息子がレティシアに挨拶をする。
「こちらこそ慌ただしい時間に声を掛けて申し訳ございません。……私、モーガン夫人のご子息がこんなに利発そうな方だなんて、存じ上げませんでしたわ」
どの辺が「利発」なのだろうかと、ジェシカは首を捻った。
自分の子供を褒められて悪い気はしないらしく、モーガン夫人は機嫌が良さそうに微笑んでいる。
夫人が話す内容に対し、レティシアは機嫌を損ねないような返答を返している。ジェシカもヒツジもそんな会話には興味はなく、近場にある肉やら野菜やらにがついていた。
「そう言えばジェシカ姫にガルディーガ殿。ご結婚はまだですの?」
突然話をふられ、ヒツジは背筋をしゃんと伸ばして微笑みを浮かべる。ヒツジの家の家名はガルディーガと言う。
ジェシカはワインを飲みかけたまま顔だけを夫人へ向けた。レティシアに目で訴えられ、微笑もうとするが失敗した。その結果引きつった笑みを浮かべる事になってしまう。
「なかなか、良い巡り合わせがありませんで……」
「私の親戚に良い子がいるのですけれど……」
見合い話にうんざりとしたようなヒツジ。彼は適当に相槌を打ちながらワインを飲んでいた。
「そういえば、こんな噂も立っていますのよ。ガルディーガ殿には人の道ならぬ恋のお相手がいて、その相手を田舎に囲っていらっしゃるって」
ぶほっとヒツジが口に含んでいたワインを吹き出す。汚いなぁと思いながら彼にハンカチを渡すジェシカ。
「い、一体どこからそんな噂が……」
引きつった笑みを浮かべながらヒツジは衣服に付いた液体をハンカチで拭う。
夫人は探るような視線を向けて、持っていたセンスで口元を押さえた。笑うのを堪えているのかも知れない。
「それにジェシカ姫、あなたは……」
「モーガン夫人。あちらにみなさまが集まっておりますわ。ご挨拶に参りましょう」
レティシアに声をかけられて、夫人はまあと声を出した。レティシアが指した方には有名貴族の夫人が集まって話をしているのだ。
夫人と病的息子、ついでに話を振ったレティシアはそちらに歩いていく。彼女たちの後ろ姿を見つめながら、ヒツジは心底疲れたように息を吐いた。
「あ~あ。人の醜聞を探すのだけが生き甲斐みたいな連中だからな。それにしても、人の道ならぬ相手って一体何だよ……」
「レティのことで風当たりが強いみたいですわねぇ~。お父様はレティに悪い虫が付かなくて良いって喜んでいますけど」
「影で何言われてるか、ホント、わかんねえなぁ。俺も、お前も」
同感とばかりにジェシカは頷いた。
表面上は優雅に笑って楽しくおしゃべりをしている貴族達ではあるが、内心何を考えているのか分からない。たいてい、みんなバカみたいにプライドが高いので、相手の欠点を見つけだそうと躍起になっているのだ。
生まれてからずっとこの社会で生きてきたジェシカだが、こんな雰囲気には慣れずにいた。その辺が変わり者と言われる所以であって、陰口を叩かれる原因にもなっているのだが。
「あ~あ。貴族って面倒だよなぁ~」
妙に実感のこもったヒツジのセリフに、ジェシカは大きく頷いた。
*
ジェシカはシーガルとデュークと共に町を歩いていた。
町の人々は忙しそうに動き回っている。忙しいはずなのにハツラツとした店のおばさんの笑顔を見ていると、何となく心が和んでくる今日この頃。いっそのこと町人になろうかしらと考えてしまい、そんなのは無理だと頭を振る。
「はぁ……癒しが欲しいですわ」
「じゃあ、何か食べにいきますか?」
そんなシーガルの提案に、ジェシカは半眼になって彼のことを睨んだ。一体自分を何だと思っているのだろうか。まあ、美味しい物が食べられるならそれもいいかも、なんて思ってしまうジェシカではあるが。
「何かお勧めはありますの?」
「ええっと。そうですねぇ……」
考えを巡らすように上を向いたシーガル。
ぽろん、と弦を弾いたような音が響いてくる。
ジェシカとシーガルはきょろきょろと周りを見た。
少し離れたところに人だかりを発見し、それに近づいて行く。二人の後に億劫そうなデュークが続いた。
徐々に鮮明に耳に入ってくる音。吟遊詩人でもやってきたのだろうか。
道行く人々は皆足を止めて、その歌に耳を傾けている。
ジェシカは音楽の事はさっぱり分からないが、その伴奏はテンポのいい調子で、沈んだ気持ちを和ませてくれるようでもあった。
優しい竪琴の音と共に聞こえる歌声は、ちょっと甘い感じの男の人の物だった。その詩は聞いたことがない物語であるが。
「何の詩でしょう?」
シーガルはさあと首を傾げた。
「英雄の冒険を歌った詩ですね。……確か、ドラゴンを倒して、国を救うとか何とかという話だったと思いますが」
ジェシカは驚きながら説明をしてくれたデュークのことを見上げた。シーガルも意外そうな顔をしている。デュークに芸術など似合わないのだ。これがシーガルの言葉だったら、「シーガルは物知りですわ~」と感心して話は終わるのだが。
デュークは少しだけ後悔したようにため息をつき、視線を吟遊詩人の方へやった。
ジェシカは期待に胸を高鳴らせながら物語を聞いていた。ちょうど騎士がドラゴンと戦っているシーンだったのだ。
やがて物語は終了し、ポロンという音と共に音がとぎれた。今まで美しく響いていた伴奏と歌声の変わりに拍手喝采がわき上がる。
その場に止まっていた人達は、吟遊詩人の前に置いてある箱の中に小銭を入れていた。
「何をなさっているんですの?」
「演奏を聞かせてくれたお礼ですね。吟遊詩人は、それで生計を立てているんですよ」
シーガルの説明に、ジェシカは自分の鞄の中から財布を出した。
「どのくらい差し上げれば良いんでしょう? 美しい音色に心が癒された様な気がしますわ~」
「まあ、それは気持ちの問題ですから好きなだけ……と言いたいところですが、ジェシカ様は金銭感覚がないですから……。これは俺からの分です」
シーガルは自分の財布から銀貨を一枚取り出して、ジェシカの手に乗せた。ジェシカは頷いて、自分の財布からも銀貨を一枚取り出し、吟遊詩人の前に走っていく。
吟遊詩人は帰り支度をしているところだった。箱を鞄にしまっている彼に向かって銀貨を持った手を差し出すジェシカ。
不思議そうにジェシカのことを見上げる吟遊詩人に笑顔を向けた。
「はい、これ。受け取ってください」
だが、彼は苦笑いをしながらそれを拒否した。
旅人とは思えないほど、華奢な感じのする青年だった。銀色の髪に白い肌。瞳の色は灰色。派手な美男子ではないが、控えめな美しさを持つ綺麗で優しそうな面立ちである。
「受け取れませんよ。あなた方が聞いていたのは、詩の最後の方だけだったでしょう?」
「でも、とっても綺麗な声と竪琴の音に、心が癒された気分ですの。ちょっとブルーな気持ちでしたので、とっても感謝しているんですのよ」
お世辞でも何でもなく、心から思ったことを熱心に語ってみると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
手を差し出したままでいると、彼は困ったようにそれを見つめ、仕方なさそうにそれを受け取る。ジェシカは嬉しくなってにこりと微笑んだ。
「それでは、また明日、もう少し早い時間にここに来てみて下さい。その時は、あなたのリクエストにお応えしますから」
「本当ですの? 絶対に来ますわっ」
浮かれながらどんな曲をリクエストしようかと思いを馳せていると、彼は荷物を片手に立ち上がった。
「あ、お名前をお尋ねしてもよろしいですか?」
「私の名は、コーネルと申します」
「私はジェシカと言うんですの。よろしくお願いしますわ〜。それじゃ、また明日」
手を振りながらジェシカはかけだした。
シーガル達の所に戻ると、彼らはご機嫌のジェシカに気付いて不思議そうな顔をする。
「何を話したんですか?」
「明日、私のリクエストを聞いて下さるって言われましたの」
るんるんと浮かれながらジェシカは嬉しそうに微笑んだ。




