フロード4
キャメロン達が外に出ていったので、ジェシカ達はそれを追った。
キャメロンがフロードを案内したのは川辺に位置する広場だった。子供達が遊んでいるのを眺めながら、二人はほのぼのと話をしている。
隙を見てフロードがキャメロンの体に触ろうとしているが、彼は絶妙な間合いでそれを拒んでいた。それを除けば美男美女のカップルののんびりとしたデート風景に見える。
「フロードっ!?」
そんな怒鳴り声が聞こえ、ジェシカ達はそちらを向いた。
見ればジェシカ達とは逆方向から歩いてくる集団があった。数人の女性達である。何故かその中に紛れ込んでいるカミルは木の陰に隠れていたジェシカ達に気付いて、癖のある笑みを浮かべながら手を振ってきた。
女性達の殺気だった視線はキャメロンとフロードに集中している。
女性の中の一人が小走りでフロードの方に詰め寄って行き、それを合図に皆が一斉に駆けだした。
フロードは驚愕しながら彼女たちを見つめている。
おそらく彼女達はフロードの恋人なのだろう。
「誰よっ、その女っ」
不作法に指を指されたが大して気に留めた風もなく、キャメロンはにこにこと微笑みながら、
「フロードさんの恋人のキャロルと申します」
などとのんきに自己紹介をしている。
そのセリフがどれだけ女達の神経を逆撫でするのか、彼は計算しているのだろうか。その割には全く邪気のない顔をしている。
フロードの恋人達はそんなキャメロンからフロードに視線を移した。
「あなた、私に誓った愛は偽りだったのっ」
「フロードさん、私への愛が本物ですよね」
「ちょっと、この女は何なのよっ」
様々な罵声の飛び交う中、フロードは狼狽え、キャメロンはその状況を楽しんでいるように微笑んでいた。
女達の剣幕に押されて狼狽えているフロード。さしもの女たらしもここまで壮絶な修羅場は体験したことがないのだろう。
フロードは何とか言い逃れを試みているようだが、現場を押さえられているのでそれも難しい。
ジェシカは狼狽えながら、シーガルは呆然として、そしてデュークは関心がなさそうにそれぞれフロード達を見ていた。カミル辺りはその修羅場を楽しんで観戦しているようだが。
穏やかにそれを見ていたキャメロンはおもむろに女達とフロードの間に入った。
「待って下さい。彼は私とつきあうためなら、今つきあっている全ての女性と縁を切るって言ってくれましたの。……そうですわよね?」
魅惑的なその笑みに、フロードは戸惑ったような視線をキャメロンに向け、まるで操られているかのように頷いた。
耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
キャメロンは変わらず微笑みながら真っ直ぐにフロードを見つめている。だが、フロードは何も言い出すことが出来ずに、目を泳がせていた。
「ちょっと! それはどういう事よっ」
じりじりと後退していくフロード。彼はキャメロンの前まで下がり、すがるような瞳をキャメロンに向けた。
今まで穏やかな顔をしていたキャメロンだったが、その視線を受けてわざとらしく口元に手を当てる。
「そんな。私への言葉は嘘でしたのね」
ショックを受けた様な彼を見て、フロードは慌てて言いつくろうとするが、うまい言葉が出てこないようだ。
女達の哀れみの視線がキャメロンに向けられた。そして、騙していたことに対する怒りの矛先は無論フロードに。
「……期待した私がバカでしたわ」
艶っぽく髪を後ろに払って顔を背けるキャメロン。
フロードは露骨にショックを受けたような顔をしていたが、キャメロンはそれにも構わずにすたすたとジェシカの方へ歩いてくる。
彼はぱちんとジェシカに目配せを送った。復讐はこの壮絶な修羅場でいいかと聞いているのだろう。ジェシカは微笑みながらそっと頷いた。
「待って下さい。キャロルさんっ。私は、あなたを諦める事など出来ない」
キャメロンは軽く息を吐き、くるりと振り返った。
女性達の囲いの中から必死で這いだし、彼は歩いてこようとする。
げんなりとそれを見ていたキャメロンだが、一瞬だけ悪戯を思いついた様な表情を漏らした。そして、その視線をジェシカに向ける。その表情に何か悪戯を思いついたカミルの顔が重なり、後ずさろうとしたが、失敗した。
「やっぱり男なんて信用出来ませんわ」
敵意むき出しの冷ややかな視線に、フロードは不思議そうな顔をしている。
キャメロンはにっこりと笑い、ジェシカの肩を抱き寄せた。ついでに変装用の眼鏡を外される。
「私、本当はジェシカさんのことが好きだったんです。でも、ジェシカさんがあなたが良いって言うから、私、諦めましたの」
ジェシカは鼓動を高鳴らせながらキャメロンの言葉を聞いていた。姿格好はどうであれ、キャメロンはれっきとした男である。その彼は、今ジェシカのことを後ろから抱きしめている。耳に微かにかかる息がくすぐったくて、ジェシカの胸は爆発寸前である。
「耳に入ってくるあなたの噂は悪い物ばかりでした。でもジェシカさんはあなたを信じて耳を貸さないから浮気現場を見てもらおうとしたんです」
彼は目をすっと細める。ぞくりとするほどの色気と、殺気のこもった眼差しに、フロードはヘビに睨まれたカエルのごとく硬直していた。
しばらくすると、気を取り直したフロードは髪を掻き上げながらふっと鼻で笑う。
「貴女も人が悪い。本当は私を困らせようとしているだけなのではないですか?」
キャメロンは呆れたような顔をして、フロードとジェシカを見比べた。そして、ジェシカの体を自分の方に向ける。
キャメロンとジェシカが向き合うと身長はちょうど同じくらいになる。真っ直ぐに瞳を見つめられ、ジェシカはそこから視線をそらすことが出来なくなった。
頬を両手で包まれ、その手の温かさにドキリとする。
「ジェシカ様、目を閉じて……」
姿は女だが、その時聞こえた声はキャメロンの地声であった。甘い感じのその囁きに、ついついジェシカは瞳を閉じてしまった。
しばしの間の後、ジェシカの唇に何かが当たった。その感触に驚いて目を開けると、そこにあるのはキャメロンの顔……。
「ジェシカ様っ!?」
悲鳴じみたシーガルの声を聞きながら、ジェシカはぼんやりとキャメロンの瞳を見つめていた。彼は微かに顎を引き、優しそうな面もちでにこりと微笑む。
どきりと鼓動が高鳴り、ジェシカの思考はそこで止まった。
キャメロンはジェシカを後ろから抱きしめる。
「あなたみたいな男に渡すくらいなら、私がジェシカさんを貰いますわ。ね、ジェシカさん。あんな男より、私の方があなたを幸せに出来ますわよね」
ジェシカは頷いた。何故か頭が勝手に動く。もしかすると、キャメロンの仕業なのかも知れないが。
それを見てますますフロードが目を見開く。キャメロンはジェシカの頬に軽く口づけをし、挑発的な視線をフロードに送った。
「私は本気ですの」
フロードは呆然とキャメロンを見つめていた。全てから逃避したい……そんな感じの瞳で。
「さようなら」
にっこりと微笑んで、彼はジェシカの手を引いて歩いていく。ジェシカはぼんやりとしながら彼に導かれるがままに歩いていった。
少し離れた場所まできて、ようやくキャメロンはジェシカの手を放した。
「まったく、お嬢様方も、あんな男のどこが良いんだか」
そんな呟きを聞きながら、その中にはジェシカも含まれているのかと少し考えた。が、思考は未だ正常には戻っていないのでそんなことはどうでも良かった。
「まあ、人の精神に介入する魔法を使ったのは少しやり過ぎたという感じもしますが。他ならぬレティシア様の頼みですし、身から出た錆ということで……」
そんな言葉を聞き流しかけたジェシカは我に返り、驚いて顔を上げた。
「どうしてレティが?」
「ジェシカ様のために協力してくれって、頭を下げられてしまいました」
レティシアはフロードに騙されたジェシカを小馬鹿にするような事ばかり言っていた。ジェシカが復讐に燃えている時も、馬鹿馬鹿しいとばかりに冷めた瞳で見ていただけだというのに。
「フロードさんの恋人達を引き合わそうと考えたのも彼女ですから、あとでお礼を言っておくと良いですよ。騎士団の方に手を回して彼女たちの居場所を見つけたらしいです。おかげで、ひーちゃんの雑用係一週間らしいですけれどね」
楽しい悪戯をした後のように機嫌良く語るキャメロン。
おそらく、フロードの恋人達を案内していたカミルもレティシアに頼まれたのだろう。
城に戻ったらレティシアを抱きしめちゃおうなどと企んで、ジェシカはへらっと頬をゆるめた。
にこにこと微笑んでいると、シーガル達が歩いて来た。
「あ、フロードさんはどうしました?」
楽しそうに彼らに問いかけるキャメロン。カミルとデュークは顔を見合わせ、苦い顔をしている。
「責められるは、女同士でケンカが始まるはで散々だよ。きっと、あいつ、今後は女嫌いになるぜ」
ジェシカ達が去った後何があったのか、カミルは哀れみを含んだ口調でそう言った。
何気なく無言のシーガルへと視線をやると、彼は不機嫌そうな面もちでキャメロンのことを見ている。見ているというか、睨み付けているというか……。
どうしたのだろうと首を傾げるジェシカ。
「ところで、キャメロン。さっきの、あれは……」
変な具合に抑揚のない声音。
「ああ。ジェシカ様とキスをした事ですか?」
にこにこと笑いながらシーガルを見るキャメロン。ジェシカは真っ赤になって、デュークとカミルは少しだけ興味を持ったような顔をして彼らを見つめる。
「大丈夫。未遂ですって」
あははと無邪気な顔をして笑っているキャメロンを、疑わしげに見つめるシーガル。
「ほら。今見えている体格って、魔法を使って像を変化させているだけじゃないですか」
シーガルはあっと口を開けた。そう。今のキャメロンは普段よりも背が低く見える。それは彼の体格を魔法で小さくしているわけではなく、そう見えるように錯覚させているだけで、つまりは、現在見えている彼の口が、本当の彼の口の位置ではないのだ。
「自分で何かに触れるときはいくらでもごまかせるんですけれど。他人から触れられる時はそうも行かなくて。それなのに、あの人はすぐに人の体に触れようとするから、大変でしたよ」
さほど大変ではなかったという口調で語るキャメロン。
「じゃあ、ジェシカ様のあの反応は……」
声を上擦らせながら尋ねるシーガル。ジェシカは頬染めながら唇に手を当てた。
「だって、目の前にキャメロンさんの顔があるんですもの~。口と口が触れた訳じゃないけれど、なんだか、キスをしている感じがしてうっとりしてしまいましたわ」
「紛らわしい反応しないで下さいっ」
ジェシカはぺろっと舌を出した。
何故か気まずそうな顔をしてシーガルは髪をかいている。それに対し意味ありげな視線を送り、キャメロンは何かを企んでいるような顔をして笑った。
「あ、ジェシカ様。ちょっとシーガルをお借りしますね」
そう言い残して、キャメロンはシーガルを連れて歩いていってしまう。訝しげにそれを見送るジェシカ達。
「一体どうしたんでしょう?」
ジェシカの問いにさあと首を傾げるカミル。そんな中で、デュークだけは億劫そうな面もちでため息をついていた。
* * *
角を曲がったところでキャメロンは歩みを止めた。のこのこと後を付いてきたシーガルは不思議そうな顔をしたままである。
「ジェシカ様って純粋で可愛らしい方ですね。もし、僕があの方に告白をするって言ったら、どうします?」
開口一番、そんなことを言ってみると、シーガルは険しい顔のまま硬直した。キャメロンはにんまりと笑って目を細める。
「別に、俺に断らなくたって……。お前だったら、ジェシカ様も喜ぶと思うけど」
しどろもどろと言葉を紡いでいくシーガル。キャメロンは呆れたようにため息をついた。そして、シーガルの鼻をつまみ、顔を近づける。
「いいですか。今回のことだって、あなたがもう少ししっかりしていれば未然に防げたはずですよ」
「……分かってるよ。これからは、ちゃんと見張っておくよ」
「そう言う意味じゃなくて。まあ、それはいいとして。……単刀直入に聞きますけれど。あなた、ジェシカ様が好きですね?」
虚を突かれたような顔をして、シーガルは口をぽかんと開く。
ややあって、彼はぶるぶると激しく首を振った。
「俺は、ジェシカ様のお目付役って、だけで……」
「身分とか立場の問題じゃないでしょう。まったく」
ため息混じりにそう吐く。シーガルと言い、カミルと言い、どうしてそんなつまらないものにこだわりたがるのか理解できない。まあ、理解したくもないが。
「ま、僕には関係ないですけれどね。ああ、あと、さっき言ったことは冗談ですので、気にしないでください」
ジェシカ達の所に戻ろうと歩き出すが、シーガルは硬直したまま動かない。仕方なく、キャメロンはシーガルを引きずって歩き出した。
「あ、シーガルはここに置いておきますね。それじゃあ、ジェシカ様。僕たちはこれで」
「ええ。今回は本当にありがとうございました。今度、何かお礼をさせてくださいね」
「お気になさらずに。それでは」
キャメロンはカミルとデュークの腕を引いてその場から去った。
ジェシカ達の姿が見えなくなると、おもむろにデュークが口を開く。
「何か言っていたか?」
キャメロンは苦笑いをしながら首を振った。
「ジェシカ様に惚れていると思うんですけれどね。あの調子では本人は絶対に自覚していませんよ」
「誰が?」
怪訝そうなカミルの言葉に、呆れたようにため息をつく。
「……鈍いですね。シーガルですよ。シーガル」
カミルはやや考え、思い当たる節でもあるのだろうかぽんと手を打った。
「ちょっとだけカマをかけてみたので、これからおもしろくなるかもしれませんね~」
何が楽しいのか、キャメロンは微笑みながらそんなことを呟いた。
* * *
シーガルは放心しているようだった。
ジェシカは訝しげな面もちでシーガルの肩を叩いてみる。肩を震わせながら振り返った彼は、何故か赤い顔なんぞをしている。
「……どうしたんですの?」
尋ねると、彼はぶるぶると音がしそうなくらいに激しく首を振った。
首を傾げながら挙動不審な彼を見ていたが、それにも飽きてジェシカはため息をついた。
「シーガルにもお礼を言っておきますわ。あなたがフロードさんへの復讐を言い出してくれなかったら、私、泣き寝入りするところでしたもの」
結局の所、男を見る目がなかった自分が悪いのだと思いながら、ジェシカは肩を落とす。
「はぁ。今回も失恋って事になるのかしら。……どうして誰も私を好きになってくれないのでしょう」
「そんなことないですよ」
真剣そのものの口調で否定され、ジェシカは何となくどきっとしながらシーガルのことを見つめた。彼はいつの間にか立ち直ったらしい。
彼はいつも通りの優しそうな微笑みを浮かべて、真摯な瞳をジェシカに向けていた。
「みんなジェシカ様のために働いていたんです。それはジェシカ様の事が好きだからですよ」
ジェシカは微かに頬を赤らめながら、苦笑いを浮かべる。
「私が欲しいのはその好きではないですわ」
「でも、そういう人だって、貴重だと思いますよ」
確かにこうして愚痴れる相手も、自分のために一生懸命になってくれる相手も、今までのジェシカにはいなかった。そう言った意味ではジェシカは恋人よりも貴重な人達を得ているのかもしれない。
ジェシカは嬉しそうに笑って、シーガルへ手を差し出した。
「じゃあ、今日はやけ食いにつきあっていただけます?」
シーガルはジェシカの手を取って微笑みを返してくれた。




