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フィアンセバトル  作者: きなこ
4章 トリスタン
18/89

トリスタン5

 闘技場では試合が続いている。


 観客達の声援を遠くで聞いているような心地で、シーガルはレティシアの事を見つめていた。


「当時、南方に居城を構えているターチルという部族と戦っていました。私たちは『蛮族』などと呼んで蔑んでいましたが」

「ええ、覚えています。俺の故郷は南の方でしたから」


 昔のことを思い出して苦虫を噛みつぶしような顔をしているシーガル。シーガルの家族は、そのターチル族が食料目当てで村を襲撃して来たとき、彼らに殺された。


「国土の南が深い森林地帯なんです。だから、騎士団が砦を構えても、森の木々に紛れてあいつらは攻めてくる事ができました」

 ターチル族とアリア国は領土を争って長い間戦ってきた。レティシアが家出した六年前は、ちょうどアリア国が優勢だった時期である。


「すべての始まりは、国王であるおじさまが殺されたことでした……。おじさまは厳しい方だったので、近くに恨みを持っていた人がいてもおかしくはなかったようですが」

 遠い目をして空を見上げるレティシア。シーガルはおやっと眉を上げてレティシアの事を見つめた。


「ターチルの刺客が先代の国王陛下を暗殺したと聞いていますが……」

「ええ。でも、手引きをした人がいたのも事実ですの。でなければ、容易く国王の元へ刺客を送り込むことも出来ませんわ」


 怒りのためか、レティシアの握りしめた拳が小気味に震えているのにシーガルは気付いていた。だがあえて気付かない振りをしてそっと視線を外そうとして、次の言葉でそれも失敗した。


「手引きをしたのは当時の大臣のひとりだと分かったんですの。……ディラックのお父様でした」

「え?」


 わぁぁぁと試合を見ていた観客から歓声が沸き上がる。試合場ではちょうど副将軍がランスを掲げているところだった。だがそんな喧騒もシーガルの耳には入ってこなかった。


 レティシアは静かな瞳で副将軍の事を見つめていた。こちらを見る彼に手を振ることで応えている。


「運が悪いことに、伯父様が殺された日の国王警備の人員にはディラックもいたんですの。……彼も共犯と見なされて責任を取らされました」

「責任って、まさか」

 聞くまでもない。国王暗殺など重罪の中の重罪だ。それを企てた人物はもちろん、その家族まで処罰されてもおかしくはない。


「トリスタンもイ・ミュラー様も、必死でディラックをかばっていました。でも、処罰は覆すことは出来ませんでした」


 淡々と事実だけを述べるレティシアにいたわるような視線を向けていると、彼女は苦笑いをしながらシーガルのことを見つめた。


「お気遣いは無用ですわ。もう、昔の話ですもの」

 言葉とは裏腹に寂しそうな瞳をして、レティシアはシーガルに微笑みを送った。



 レティシアがそんな話をしている頃、ジェシカは最前列の手すりに身を預けて、ぼんやりと試合場を見つめていた。

 騎士達の一騎打ち。彼がいなくなってから、ジェシカは意図的にこの場に来るのを避けていた。

「お兄さま……」

 ジェシカは軽く息を吐いた。




     *     *     *     *     *




 アリア国王でありジェシカにとっては伯父であるアルビオが死んだという報せはその日の内に聞いていた。だがジェシカがディラックのことを知ったのは、それよりずいぶんと後のことである。


 ジェシカの周りでそのことに一番ショックを受けていたのはレティシアだった。彼女が信頼を寄せ、理解してくれていた二人を同時に亡くしてしまったのだ。


 レティシアは割と感情表現の激しい方であったのに、その彼女が泣きも怒りもしないのだ。ジェシカは不安でならなかった。しかし彼女は妹を見つめるだけで何もしてやることは出来なかった。

 彼女は体調を崩し、信頼する医者のところに預けられることになった。少し環境も変えてみようという配慮もあったらしい。



「お兄さま。レティは元気になりました?」

 トリスタンは仕事帰りに毎日レティシアの様子を見に行っている。ついでに病院近くのゼリヴの家にも寄っているそうであるが。


「今日は大変だったみたいだよ」

 きょとんとしながら背の高いトリスタンを見上げると、彼は苦笑いをしているようだった。


「マックス先生が自分の息子に、レティがご飯を食べるのを手伝えと言ったそうだよ。レティが全然食べないものだから、彼は力ずくで口の中に押し込んだそうだ。……そうしたらレティの奴が怒り出して、大喧嘩を始めたらしい」

「まあ。レティったら、喧嘩が出来るくらい元気になったのですわね」


 素直に感動しているジェシカを見て、トリスタンは複雑な顔をして笑っていた。


 ジェシカは思い出したように小脇に抱えていた袋をトリスタンに渡した。体の弱いレティシアが風邪を引かないようにと心を込めて編んだマフラーが入っている。実は裁縫などの類は苦手なのだが、編み物だけは得意なのである。レティシアはバカの一つ覚えと言ってバカにしてくれるが。

 ただし冬のはじめに作り始めたこのマフラーであるが、冬はとうに終わっているため役に立つかどうかは分からない。


「レティに渡してください。マフラーを編んでみましたの」

 トリスタンは中を見て、素直に感動している様だ。ジェシカの頭を撫でてくれる。


「暖かそうなマフラーだなぁ」

「お兄さまの分も作ったら、付けて下さいますか?」

「ああ、もちろんだよ」

「じゃあ、来年までには、完成させますわね」


 ジェシカは頬を染めながら微笑んだ。

 冷気を帯びた風が吹き抜けていく。寒さを感じて身を縮めると、トリスタンはジェシカの事を手元に引き寄せ、マントで包んでくれた。


「城に戻ろう。春とはいってもまだまだ寒いからな。外で立ち話なんかしていたら、風邪を引くぞ」

 いつも優しいお兄さん。ジェシカはただ、彼の側にいられるだけで幸せだった。


 ゼリヴの様な女性になると心に決めても、なかなか積極的な行動がとれないジェシカであった。




 そして、しばらくして、トリスタンは戦いの最前線である南の砦に赴くことになった。


 ロキフェルも大臣達も、もちろんジェシカもそれを止めようとした。現在はトリスタンは勉強不足だからと言って一時的にロキフェルが執務を執っているが、最終的に国を継ぐのはトリスタンなのだ。だが、彼はターチル族との戦いに終止符を打つために、自分も戦場に行くと言ってきかないのである。



「やっぱりお兄さまはターチル族を憎んでいますの?」

 馬の用意をしているトリスタンに問いかけてみると、彼は曖昧な顔をして天井を仰いだ。彼は純白の鎧などの戦装束を身に纏っている。


「憎んでないって言ったら嘘になるなぁ。国民や父上を殺された恨みもあるからな。……でも、いつまでもこんな事を繰り返す訳にはいかないと思わないか?」

「そりゃ、そうですけれど……」

「俺はさ、今は憎み合って戦ってるけど、和解の道ってのも模索できないかなぁって考えてるんだ。だから、現場に王族の俺がいると、役に立つかも知れないだろ?」


 トリスタンは馬を引きながら歩き出した。慌ててジェシカもそれを追う。

 良い天気だなぁ~とのんきに呟きながら、彼は空を仰いでいた。ジェシカは心配そうに彼のことを見上げた。その視線に気付いたらしいトリスタンはジェシカに微笑みを向けてくれる。


「心配するなって。ちゃんと帰ってくるから」

 頭を撫でられるが、心配するなという方が無理な話である。


 騎士団本部は慌ただしい様だった。

 トリスタンはゼリヴとヒツジの姿を見つけて彼らに近づいていく。ジェシカはゼリヴを見て驚いた。彼女は白い鎧を身に纏っていたのだ。つまり、彼女も戦場に赴くと言うことを意味している。


 ジェシカに気付いた彼女は優雅な仕草で膝を折り、ジェシカに挨拶をする。

 挨拶を返しながらジェシカは不安気な瞳で彼女のことを見た。彼女はあれだけディラックを愛していたのだ。まだ彼の死から一ヶ月ほどしかたっていないと言うのに、彼女はもう立ち直ったのだろうか。


「ゼリヴお姉ちゃん~」

 聞き慣れた声に顔を上げてみれば、少し離れたところからレティシアが歩いてくる。彼女の手を引いてくれているのは見知らぬ黒髪の少年。病院の関係者だろうか。


「シアちゃん。わざわざ見送りに来てくれたの?」

「うん。あたし、退院する事になったの。城に帰るなら、こっちを経由しても同じだからって連れてきてもらったの」


 ハッキリとした口調で物を言うレティシア。ジェシカは安堵しながら彼女のことを見つめていた。


「ねえ、お姉ちゃん。ディラックのことは、もういいの?」

 ぎくりとしたようなトリスタンとヒツジの顔。ジェシカもぎょっとしてレティシアのことを見ていた。誰もが気になっていたが聞くことが出来ないでいた疑問だ。


 だが、当のゼリヴはさっぱりした顔をして微笑んだ。


「今でも私はディラックのことを愛しているわ。でも、家の中でうじうじしているのって性に合わないのよねぇ。どうせなら、外で暴れている方が気が紛れるし。そう言うシアちゃんこそ、大丈夫? キャロも心配してたわよ」

「あたしも、もう平気だよ」


 微笑みを返しながら、ゼリヴに抱きつくレティシア。そんな彼女をゼリヴは優しく抱きしめてくれていた。


「ディラックはね、ターチル族との和平を望んでいたのよ。だからその志は私が継ぐの」

 ジェシカはふと気付いてトリスタンを振り返った。ジェシカと目が合うと、彼は赤い顔をしてごほんと咳払いをする。


 やれやれとため息をつきながらジェシカは肩を竦めた。

「適いませんわね」

 トリスタンがターチル族との和平なんて言い出したのはきっとゼリヴの影響だろう。もしかすると、戦場に行くのもゼリヴが行くからかもしれない。結局、彼の目にはゼリヴしか映っていないのだ。


 やがて出発の時間がやってきて、トリスタンとゼリヴは馬にまたがった。騎士達は二列に並び、順々に出立していく。

 ジェシカはレティシアやヒツジたちと一緒に城門でそれを見送っていた。


「お兄さまっ」

 もしかしたらこれが最後かも知れない。そう思うとたまらなくなって、彼のことを呼び止めた。彼は馬を止めることは出来なかったが、顔をジェシカの方に向けてくれる。


「絶対に帰ってきてくださいね」

「ああ、もちろんだ。レティのことは頼んだぞ」


 ジェシカはうんうんと頷いて大きく手を振った。

 彼の背中を見つめながら、ジェシカは彼の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。



 結局、それがトリスタンとかわした最後の会話となった。




     *     *     *     *     *




「結局、お兄さまには好きだって言えなかったのですわよね……」


 ため息をつきながらジェシカは手すりにもたれかかった。


 何気なく試合場を見つめていると、1人の騎士が力強くランスを振るっている姿が目に入った。その力強いランスさばきはトリスタンによく似ていた。

 勝ち名乗りを受けるその騎士。


 ジェシカはるんるんと鼻歌を歌いながら、騎士の控え室に向かっていった。




「トリスタンったら、いつも最前線で戦っていたんですって。無鉄砲なところはお姉さまと良い勝負ですわ」

 話を聞く限りでは、レティシアも大して変わらなさそうな物である。そんなことを思ったが、シーガルには口に出すことは出来なかった。


「でも、あの人がいろいろと働きかけてくれたおかげで、ターチル族の中でも和平派が立って、今の平和があるんですもの。その点では感謝するべきですわね」


 あっけらかんとした口調。それが悲しさを隠すためだと言うことに気付いて、シーガルは頭を下げた。


「……申し訳ありません。辛いことをお話させてしまったみたいで」

「良いのですよ、私が勝手に話したんですし。それに私、シーガルさんには感謝しているんですのよ」


 身に覚えがないその言葉に、シーガルは不思議そうな顔をしてレティシアを見つめた。彼女はにっこりと微笑みながら、シーガルのことを見つめ返す。


「トリスタンが死んでしまって、お姉さまはずっとふさぎ込んでいましたの。でも、シーガルさんがお話相手になってからは、ずいぶんと笑うようにもなって、活動的になりましたの。……今はちょっとはじけすぎという気もしますけれど」

 シーガルは赤くなりながら、レティシアから視線を外した。


「これからも、お姉さまをよろしくお願いいたしますわね」

「あ、はい。最善を尽くします」

 シーガルは立ち上がって、頭を下げた。


 レティシアはおもむろに視線を前に戻し、意味ありげに微笑んだ。


「早速で申し訳ないんですけれど、お姉さま、いなくなってしまいましたわよ」

「しまった!」


 シーガルは周りを見た。確かにジェシカはいない。走り出そうとして、慌てて横にいるレティシアに頭を下げた。

「失礼します」

 レティシアも軽く頭を下げた。それを確かめてから、シーガルは走り出した。




 ジェシカは騎士達の控え室の入り口にいた。


「ねーねー、ひーちゃん。さっき戦っていた騎士、紹介していただけません?」

 ジェシカの応対に出てきた副将軍に笑顔を向けると、彼は苦笑いを浮かべた。


「お前は、こんな事ばかりやってるんだな、本当に」

 そう言いながらも、彼は試合場から戻ってきた騎士を呼んでくれる。


「ジェシカ姫がお前をご指名だよ。デートにでも行って来てやれ」

「まあ、ひーちゃんったら、話が分かるんですから☆」


 きゃーきゃーとひとりで浮かれながら、その騎士に近づいていくと、

「嫌ですよ。そんな面倒なこと……」


 知ってる声で、聞き慣れたセリフを口にされ、ジェシカは悲鳴を上げた。

 兜を取った下から出てきたのは、億劫そうなデュークの顔。


「な、なんて事! 紛らわしいですわよっ」

「……知りませんよ。そっちが勝手に勘違いしたんじゃないですか……」


 そんなやりとりをしていると、副将軍の影からロキフェルがぬっと姿を現す。彼は疑わしそうな視線をジェシカに向けていた。


「君は……。もしかしてこんな事ばかりやっているのかい?」

「おほほほ。き、気のせいですわ。それじゃあ、私、シーガルを待たせているので、失礼しますわ」

 ジェシカは慌ててその場から逃げ出した。

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