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フィアンセバトル  作者: きなこ
4章 トリスタン
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トリスタン4

 日も沈みかけようとしている闘技場。


 ディラックは騎士3人と子供1人に向かい合っていた。

「ひーちゃんを出すのは、ちょっと卑怯だと思うんだけどなぁ~」


 危機感をおくびにも出さずにディラックが呟く。剣の背でトントンと肩を叩きながら、彼は目を眇めて一同を見渡した。そして、軽く息を吐く。


「ま、いいか。言っておくけど、キャロ以外に対しては本気で行くからな。寸止めが出来なくて、うっかり殺しちゃったらごめん」



「ごめんですむのかしら……」

 ジェシカは観客席を移動しながら、そんなことを思っていた。向かう先は入場ゲート。……レティシアのいる場所である。



 決闘が開始され、ディラックの周りを聖騎士達が囲む。

 ディラックは相手の出方を待つように、その場から動かなかった。


 最初に動いたのはトリスタンだった。それからやや遅れてゼリヴとヒツジも動く。

 ディラックはトリスタンの攻撃を横にかわし、くるりと身を反転させた。


「風よっ」

 ディラックは片手をトリスタンの方に向けながら短く叫んだ。刹那、トリスタンの体が宙に浮かび、後方に吹き飛ぶ。その吹き飛んだ先にはゼリヴがいた。彼女は勢いよく地面を蹴っていたため、突然のことに対応できずにトリスタンと激突した。


 それを横目で見ながらディラックは剣を上げる。ヒツジの振りかぶった剣を受け止め、弾いて間合いを取る。

 ヒツジは間髪入れずに連続攻撃を繰り出すが、ディラックは器用にそれを避けていく。そんな彼の背後にトリスタンが回り込む。挟み撃ちにされたが、ディラックは涼しい顔をしていた。


 ヒツジとトリスタンが同時に地面を蹴ると、

「跳べっ」

 短い言葉とともに、ディラックのマントがふわりと宙に浮く。

 魔法の作用を受けた彼の体は地上から約十メートルのところまで持ち上がり、ぴたりと静止する。悔しそうにディラックを見上げる聖騎士達。


「さて、次はこっちから仕掛けよう……」

 ゆったりとした動作でディラックは両手を地面に向け、精神を集中させるために目を伏せる。


「空翔る黄金の竜よ。我が命に従い、その咆吼を上げよ……」

 ディラックの口が流暢にその文句を紡いでいく。彼が使おうとしているのは破壊力には定評のある魔法であるようだ。


 その時、今までは様子を見ているだけだったキャロが走り出した。ゼリヴをかばうように彼女の前に立ったキャロは、両手をディラックの方へ向ける。

「雷よっ」

 ディラックの声と共に、彼の周りから巨大な稲妻が試合場に降り注ぐ。


「水の加護よ。僕に力をっ」

 キャロの魔力が解放されると、地上から三メートルほど離れたところに水膜が現れる。

 ディラックが放った雷はそれに当たり、火花が散る。


「風よっ」

 キャロが手を振りかざすと、彼が展開していた水膜で帯電していた物がそっくりそのままディラックに跳ね返っていった。


 ディラックはこの試合で初めて慌てた表情を見せ、両手を前に出した。雷が彼の元に届くまでほんの数秒、逃げる時間はない。仕方なく、ディラックは手を下に向けて先ほどキャロが使った構成も真似て防御壁を作ってみる。跳ね返ってきた魔法の効力をうち消す程の障壁を作るには時間が足りなかった。


「風よっ」

 雷と目に見えない障壁がぶつかり、けたたましい音が響く。


 雷の半分は跳ね返り再び地面に向かって落ちていく。だいぶ効力の失われた魔法の範囲内にいるのはゼリヴのみだった。

 ディラックは当然キャロが降ってくる雷からゼリヴを守ると思っていた。しかし、先ほどまでゼリヴの前にいた彼の姿は消えていた。それを見止めたディラックはキャロにはめられたことを悟った。


「……あの悪ガキ」

 つまり、キャロはディラックがゼリヴを守ることを見越して、彼自身は別な場所で魔法の構成を練っているわけである。当たっても死にはしないだろうが、怪我人にこれ以上の傷を負わせるのも気が引ける。むしろこれがトリスタンやヒツジであれば、絶対に見捨てたというのに。


「これで、ゼリヴを見捨てたら何を言われるか分かったもんじゃないっ」

 その声と共に地面が隆起し――その文句が魔法発動の言葉だったらしい――ゼリヴの体を土で出来た防御壁が包む。


 雷は土の防御壁に当たって消滅した。ほっとしたのもつかの間、ディラックが使用していた重力制御魔法の効果がうち消されてしまった。


「くそっ」

 風の一撃を放って落下速度をゆるめて地面へ着地するが、そこを見逃す聖騎士達ではない。突かれたヒツジの剣を弾いて、横に飛ぼうと重心を下にずらしたところで、彼は動きを止めた。

 ディラックの背中と胸にはゼリヴとトリスタンのそれぞれの剣が突きつけられていたのだ。


 彼はため息をつきながら、剣を手放して手を肩の高さに上げる。

「あ~あ。剣では勝てないから、魔法戦に持ち込もうとしたんだけど、キャロ一人にしてやられた……完敗だ」

 そもそも、彼がこの決闘に勝つ確率などコンマいくつかのパーセンテージだったのだ。こうなることは予想していたとばかりに、全く悔しさの欠片も見せていない。


「じゃあ……」

 嬉しさがこみ上げてるのを必死で押さえようとしながら、ゼリヴは口元を緩めてディラックを見つめた。


「好きにしなよ。たった今から、俺は君の下僕になったみたいだし」

「最初に聞かせて。……どうして、私じゃダメなの? 私に足りない物はなぁに?」

 ディラックは両手を肩の高さに上げたまま、軽く息を付いた。


「俺からも君に尋ねても良いかな? 君の夢は何だい?」

「あなたのお嫁さんになることと、父上の跡を継いで将軍になる事よ」

「……俺はね、古風な考え方だと笑われても、奥さんには家庭に入って子供を守っていてほしい。君の夢とは矛盾しているから、俺は君と結婚することを拒否した」


 ゼリヴは泣きそうなほど顔を歪めて、剣をおろす。

 それを横目で見ながらディラックは手を下ろし、地面に転がっている剣を拾って鞘に収める。

 誰も声をかけることが出来なかった。皆ゼリヴに肩入れをしているが、ディラックを責めることも出来ないのだ。


 静かに時が流れていく。


 そして。

「……分かった」

 沈黙を破ったのは低く、しっかりとしたその言葉。彼女は目を伏せて、留め具ごと赤いマントを外した。


「私、騎士団に辞表を出す」

 ディラックは複雑そうな面もちでその赤いマントを見つめていた。そして、苦笑いを浮かべる。


「馬鹿だな、お前は……。お前が聖騎士を止めるほどの価値のある男じゃないぞ、俺は」

 ゼリヴはふるふると可愛らしく首を振って、満面の笑みを浮かべた。すべての男を魅了してしまいそうな、そんな表情。

「あなたの価値なんて関係ないわ。私はあなたを愛している。ただ、それだけだもの」

 照れているのか、ゼリヴを直視せずにあさっての方向を向くディラック。


「おまえら。いちゃつくなら別なところでやれ」

 トリスタンに言れて、ゼリヴはとろけそうなほどに幸せそうな顔で微笑みを作る。そんな彼女を見ているトリスタンは苦い表情をしていたものの、どこかほっとしているようだった。


 ゼリヴとディラックは今後のことを話すため、試合場から去っていった。

 その後ろ姿を眺めているトリスタンとヒツジ。



 ジェシカはレティシアを捕まえることも忘れて、一連のやりとりをうっとりとしながら見つめていた。


「素敵ですわ。ゼリヴさん。……愛に生きる女……ああ……私も憧れてしまいますわ」


 ジェシカはふと我に返り、慌てて階段を下りた。

「レティ」

 声をかけると、彼女はぎくりとして振り向いた。逃げられるかと思っていたが、意外と冷静に彼女はジェシカの事を見上げる。


「心配しましたのよ。無断で城を抜け出して、一ヶ月も連絡を入れないなんて何を考えてるのですっ」

 怒ったようにまくし立てると、レティシアは素直に頭を下げた。


「心配かけて、ごめんなさい。ディラックから聞いてたの。お姉さまが、毎日騎士団の本部に行ってるって……」

 まさか謝られるとは思っていなかったジェシカは、口を開いたまま呆然としていた。今までの彼女だったら逃げ出すか逆に怒り出すかだったろうから。


 ――ヒツジの言うとおり、レティシアは変わったのかも知れない。何が彼女を変えたのは分からなかった。だが、妹のその変化は喜ぶべき事のような気がしていた。

 ジェシカは心を落ち着けるように軽く深呼吸をした。


「あのね、あたし……」

「今日は帰ってきなさい。そして、お父様に謝って、今度は許可を貰って町に行きなさい。……私も一緒に頼んであげるから」

 ジェシカはレティシアの頭を撫でてやる。くすぐったそうにレティシアは目を細める。


「ひーちゃんに、もう少しあなたをそっとしておいてくれって頼まれてしまいましたの。それに、あなたが無事だって分かったら、それ以外のことはどうでも良くなってしまいましたわ」

 レティシアの目から涙がぽろぽろとこぼれている。ジェシカはそんなレティシアのことを抱きしめてやった。今はとにかく、彼女が無事だったことが嬉しいのだ。


 泣いているレティシアを連れて、トリスタン達の元に向かった。

 彼はレティシアを見て思い出したように立ち上がる。だが、ジェシカはレティシアを庇うように二人の間に入った。


「お兄さま。レティを叱らないであげて下さい。私からちゃんと言っておきましたから」

「……今までわがままばかり言ってごめんなさい」

 レティシアに素直に謝られたことに面食らったような顔をして、彼はぎこちない笑顔を作った。


「ひーちゃん。私、お父様にお願いしてみますわ。レティをもうしばらくゼリヴさんのお家に預けたままでいて下さいって」

 心配そうにこちらを見ていたヒツジは安心したような笑みを浮かべ、ジェシカの頭を撫でてくれた。


「ゼリヴのって、この一連の騒動で、俺、何度もあの家を訪ねてたぞ?!」

「あはは。トリスタンが来たときは僕達がシアを隠していたんです」


 にこにこと笑っているキャロを見ながら、肩を落とすトリスタン。そんなキャロの肩に手を乗せながら豪快に笑うヒツジ。

「全ての黒幕はお前の親父さんだから。苦情はそっちにな」

 その言葉を聞いて、トリスタンはますます苦い顔をする。


「お父様からお許しが出たら、また行くね。まだ落とし穴を完成させていないもの。絶対に遊びに行くからね!」

「ええ。楽しみに待っていますよ」


 落とし穴……レティシアを表に出さない方が良いのではないかと、ジェシカは一抹の不安を覚えたが、気付かないことにした。



 キャロとヒツジも家に帰っていき、真っ暗になった闘技場に残されたのはジェシカ達だけになる。


「キャロルさんの世話になっていたのか。いろいろ教えて貰えただろう」

「うん。悪戯した時は一杯怒られたし、良いことをするとちゃんと褒めてくれたの」

「そうか……」

「あたしね、みんながあたしとお母様を比べるのが凄く嫌だったの。だから、みんなの理想のお母様とは逆の行動ばかりしてたの。でもね、キャロルさんはあたしが良い子になればきっとあたしって人間を認めてくれるって言ってくれた」


 トリスタンは複雑な顔をしてレティシアのことを見つめていた。彼女の母を引き合いに出していたことが、幼いいとこを悲しませていたとは思っていなかったのだろう。


「あたしはあたしだもん。そのことをみんなに分からせてやるから」

 得意げに語るレティシア。トリスタンは優しい瞳で彼女のことを見つめ、そして抱き上げた。


「だったら、もう悪戯ばかりするんじゃないぞ」

「はぁい」

 元気に返事をするレティシア。あまりにも素直すぎて、どこまで当てになるのか分かったものではない。ジェシカとトリスタンは顔を見合わせて苦笑いをした。


 トリスタンが差し出してくれた手に自分の手を重ねて、ジェシカ達は手をつないで歩き出した。




 その後ロキフェルにみんなで謝り、レティシアの外出許可を貰うのは容易いことだった。ロキフェルが頭の上がらないアルビオやイ・ミュラーがレティシアの味方だったからである。

 そして、また代わり映えのない日常が戻ってきた。




 ジェシカは城の裏庭にあるベンチに座っていた。

 目の前ではトリスタンが素振りを行っている。レティシアはあと一ヶ月、ゼリヴの家に世話になることになったため、城にはいない。


「ジェシカも外に出たいと思うか?」

 唐突なその質問に、ジェシカは微笑みながら首を振った。


「私はここでお兄さまの稽古を眺めている方が好きですの。そうだ、お兄さま。私にも剣を教えていただけません?」

「何で、また?」

 不思議そうなトリスタン。ジェシカは胸の前で手を組んで、にっこりと笑った。


「私、ゼリヴさんみたいな素敵な女性になりたいんですの。だから、まずは剣の達人になって……」

 その先を続けようとすると、トリスタンに軽く頭を叩かれた。


「まったく、お前はいつもそうだな。すぐに形から入ろうとして」

「だけど、お兄さまはああいう活発な方がお好きなのでしょう? 私も、お兄さまの横に立って戦える様になりたいんですの」

 ぷうっと頬を膨らませながら上目遣いにトリスタンを見ると、彼は苦笑いをしていた。


「まあ、お前はもう少し活発になった方が良いとは思うけど、剣なんて覚える必要はないよ。……もし万が一のことがあったら、その時は俺が守ってやるから」

 兄としての何気ない言葉なのだろうが、ジェシカが赤面するには十分だった。多分、トリスタンは全く気付いていないだろうが。


「……ところで、お兄さまの結婚相手は決まりましたの?」

「いや。失恋を言い訳に少し伸ばして貰った。やっぱり、自分が好きになった人と結婚したいからな。見合いで相手探しからなんだろうけれど」


 うんざりとしたように髪をかいているトリスタン。ジェシカは意気揚々として、立ち上がった。


「じゃあ、あと四年待って下さい!」

「まあ、巡り合わせがなかったら、そのくらい経つかも知れないけどなぁ。でも、どうして?」


 不思議そうな面もちで尋ねるトリスタンに、ジェシカは満面の笑顔を向けた。あと四年経てばジェシカも結婚が出来る年になる。

「それまでに、私、ゼリヴさんのような女性になりますから」

 トリスタンはよく分からないと言った顔をして首を傾げていた。




     *     *     *     *     *




「と、言う私の初恋の思い出ですの」


 話し終えたジェシカは、当時を思い出したのかうっとりとした様子で手を組んでいる。


「つまり、今のジェシカ様のその性格は、ゼリヴさんのせいなんですか……」

 うんざりとしたようにシーガルが呟いている。なんて迷惑な人なんだろう、そんなことを胸中でぼやきながら。


 ジェシカはにこにことしながら立ち上がり、地に足がついていない様子で前に向かって歩いていく。

「ああ……。お兄さまに似た剣技を扱う方とか、素敵かも……」


 そんなことを呟きながら歩いていくジェシカを、シーガルは追いかける気にはなれなかった。まあ、目に届く範囲にいるならば良いだろうと高をくくって、その場に座り込んだままでいた。

 そんなシーガルの横にレティシアが座った。いつの間にか戻ってきていたらしい。シーガルは一応頭を下げた。


「まったく、お姉さまったら人の過去まで暴露して……」

 頬を染めながら文句を言っているレティシア。シーガルは横目でそれを見ながら、うーんと唸った。

 実は、その後のトリスタンに興味を持ったのである。五年前に王位が変わったが、それは息子のトリスタンではなく、弟のロキフェルへだった。そして、現在の第一王位継承権がジェシカにあるということは……


「それから約半年後になるのかしら? あの事件が起こったのは」

 その胸中を読んだのか、突然話し出すレティシアに、ぎくりとして顔を上げるシーガル。

 レティシアはそれを横目で見てくすりと笑ったようだった。


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