トリスタン3
夕方の闘技場。赤い太陽に染められた試合場は、燃えているようだった。
その中央に立っているのは、軽装の鎧と聖騎士の証である赤いマントを身に纏ったトリスタンとゼリヴ。二人は向かい合いながら、それぞれ腰に携えた剣に手をかけていた。
ジェシカは観客席からこっそりとその決闘を盗み見していた。隣にはヒツジがいる。
「……ところでひーちゃん。あの子は何ですの?」
何となく気になってジェシカが指したのは、入場ゲート付近にいる少年だった。ゼリヴによく似た顔立ちの少年だが、不自然なのは何故か縄で雁字搦めにされていることである。
「ああ。あれはゼリヴの弟。……多分、俺もディラックもゼリヴから逃げ回っていたから、代わりにこの決闘の見届け人をさせられてるんだろうよ」
「……でも、どうして縛られてるのかしら」
「そりゃ、見届け人を拒否したからだろ。当て身を食らって気を失ったところを引きずられてきたんだろうな。……キャロも大変だぁ」
同情したようにキャロと呼んだ少年を見るヒツジ。
ジェシカは眉根を寄せながら唸っていた。ゼリヴのイメージがどんどんと崩れていく。
ゼリヴとトリスタンは剣を抜き一礼をすると、互いに剣を構えて見つめ合った。
風が吹き、二人のマントが揺れる。静かに燃える炎のように。
「はじめっ」
キャロの合図で二人は動き出した。
先に仕掛けたのはゼリヴの方だった。地面を蹴って飛び出した彼女は素早くトリスタンに向かって剣を突いた。
トリスタンは難なくそれをかわし、一歩踏み込んで剣を振り下ろした。それを紙一重でかわしたゼリヴは横凪ぎに剣を振るが、トリスタンは剣で受け止める。
力では叶わないゼリヴは無理な力を加えず、剣を押し返してきたトリスタンの力を受け流し、大きく後ろにかわした。
一進一退の状態で二人は戦っていた。
ジェシカには二人の戦いは素早すぎて何が起きているのか分からなかった。
どちらが勝つのかと、興奮のあまり心臓はどぎときと鼓動を高鳴らせている。しかし試合自体は決め手に欠け、見た目は地味であるため素人目にはどちらが有利なのか分かりにくかった。
一方、隣のヒツジは真剣そのものの表情で、二人の動きを目で追っている。
決闘が始まって十分も過ぎた頃、今まで無言で決闘の成り行きを見守っていたヒツジが口を開いた。
「ジェシカ。お前、本当にいいのか?」
ジェシカは戸惑った様な視線をヒツジに向ける。言葉の意味が分からないのだ。
「このままじゃお前の大好きなお兄さんが勝っちまうぜ」
「お兄さまには好きな方と結ばれて……欲しいと思いますわ」
試合場で剣を振りかぶっているトリスタンを見つめ、ジェシカは胸の前で手を握りしめた。彼が誰か婚約者を決める事が避けられないならば、せめて彼の想いを遂げさせてやりたかった。ジェシカには祈ることしか出来ないのだが。
「残念だなぁ。あと五年早く生まれていたら、十分にゼリヴと張り合えただろうに」
ジェシカは複雑な面もちでその言葉を聞いていた。
「ひーちゃんは、どっちを応援していますの?」
「……俺は、中立。どっちが勝っても、それなりに複雑ではあるよ」
苦笑いしながらのんびりと呟いたヒツジ。次の瞬間、彼の表情が凍り付いた。彼の視線上には、試合場がある。
つられて、ジェシカもそちらへ視線をやる。
トリスタンの剣がゼリヴを捕らえていた。振り下ろされる剣をゼリヴは受け止めずに、体を斜めに引いた。トリスタンの剣はゼリヴの腕をなぞる。トリスタンは剣を完全に振り下ろす形になり、微かにバランスを崩した。
横にかわしたゼリヴは飛びながら腕を伸ばし、剣先をトリスタンの首元に突きつけた。
それらの動きはほぼ一瞬で、ジェシカには何が起こっているのか分からなかった。
二人はぴたりと動きを止め、見つめ合った。そして同時にキャロの方へ顔を向ける。
「判定は?!」
突然尋ねられたキャロは驚いたように瞬きをし、訝しげに首を傾げた。
「専門的な事は分からないんですけれど、今の状態を見ると、ゼリヴの勝ちのような気がしますけれど……」
ゼリヴの表情がぱあっと明るい笑みで彩られる。
トリスタンは苦笑いをしながら、剣を何度か振って血を払った後、それを鞘におさめた。
「負けたよ。ゼリヴ。こんな事なら、無理にでもひーちゃんを連れてくるべきだった」
「俺だったらトリスタンの勝ちって判定を下すなぁ」
苦笑いしながらヒツジが肩を竦めた。
競技としての騎士同士の決闘は、傷を負った方が負けという規定もある。トリスタンの剣は軽くなぞっただけだが、ゼリヴの腕からは血が流れ出している。少なくとも、放っておいても良いというレベルの怪我ではない。
結果的には審判のストップがかかる前にゼリヴがトリスタンに剣を突きつけているのだから、彼女の勝ちという判定もあながち外れではない。もっとも、騎士団の人間でないキャロ少年がそのことを知っていたかどうかは甚だ怪しいが。
「……お兄さま、負けてしまったのですわね」
トリスタンは爽やかな笑顔をゼリヴに向け、握手を交わしていた。そんな彼がいじらしく思えてくる。
ゼリヴは剣先をおろし、肩で息をしながらジェシカ達のいる方とは逆の観客席へ剣先を向けた。
「そこにいるんでしょ、ディラック! さっきからシアちゃんの頭が見え隠れしているわよっ」
突然の怒鳴り声にきょとんとしながら剣の指す方へ視線を向けてみると、現れたのはやれやれといった面もちのディラックだった。
「この通り私は勝ったわ。だから私はあなたに決闘を申し込む! 私が勝ったら、私の気持ちに応えて」
「……決闘は、いつにする?」
「今すぐ、ここでよ!」
彼女は今トリスタンと決闘をしていたところだ。その上利き腕に傷を負っている。そんな状態で決闘など無理だと、その場にいる誰もが驚いて彼女のことを見つめる。
そんな中でただひとり、ディラックだけは静かな瞳でゼリヴのことを見つめていた。
「俺はいつでも構わない。ゼリヴが怪我をしていようと手加減をするつもりはないし、もしゼリヴの体調が万全だったとしても、負ける気はしない」
「ディラック! お前、そんな言い方……!」
トリスタンが怒鳴りながらディラックの方へ詰め寄ろうとするが、ゼリヴはそれを片手で制した。かわりに、今まで隠れていた誰かがディラック足を蹴ったようだった。ディラックは苦笑いをしながらその人物を見つめ――ジェシカは思わず立ち上がって、その人物を指さした。
「レティ?!」
トリスタンとジェシカの悲鳴が重なった。慌ててヒツジはジェシカの頭を下げながら手で口を塞ぐ。
どうして行方不明だったレティシアがこんな所に、と狼狽えるジェシカの体を後ろから抱きかかえるようにしながら、ヒツジが説明をする。
「実は、レティシアはとっくに見つかってたんだよ」
「何ですって?」
険しい顔で聞き返すと、ヒツジは神妙そうな視線をレティシアに向けた。
「家出のあと、すぐにディラックがレティシアを発見したんだ。でも陛下が、レティシアの不安定さは生活環境から来ている部分もあるから、少し別な環境で生活させるって言い出して……。今はゼリヴの家に居候してる」
「そんなっ。私もお父様も、ずっと心配していたのですよっ。それなのに……」
「お前らにばれたら、レティシアは連れ戻されるだろ? こんな事でもなければ、ロキフェル様はレティシアを手放さなかっただろうし」
確かに同じ娘であるジェシカから見ても、父であるロキフェルはレティシアに対して過保護である。少し咳をしただけでも大騒ぎをしてベッドに寝かしつけたり、寒いからと部屋から出したがらなかったり。
「今のレティシアは精神的にもゆとりが出来て、良い意味で変わってきてるんだ。……だから、もうしばらくそっとしておいてやってくれ」
ヒツジにそう懇願され、ジェシカは戸惑っていた。
ディラックはレティシアを抱えて、試合場に降りてきた。そして彼女のことを下ろし、青いマントを後ろに払う。ゼリヴ達の燃えるような情熱の色のマントとは対照的な冷静さを感じさせる色である。
彼はゆっくりと剣を抜いた。だが剣を構える訳でもなく、切っ先を下に向けたまま射抜くような視線をゼリヴに向ける。
「じゃあ、始めようか」
その言葉と共にゼリヴは地面を蹴った。だが、進路をトリスタンに塞がれて立ち止まる。
「トリスタンっ! これは私とディラックの決闘よ、邪魔しないで!」
「うるさいっ。そんな状態でディラックに決闘を挑むなんて無謀だっ。お前は俺をふったんだ。そのお前が幸せになれなくてどうするんだよ」
ディラックはやれやれといった面もちで剣の腹で自分の肩を叩いていた。
「何なら、ゼリヴのかわりにトリスタンが相手をするか? 両方同時でも、別に構わないけど」
「私1人で十分よ。それに、これはトリスタンとは関係のない事よ。……こんな事まで手伝わせるなんて、申し訳ないし」
申し訳なさそうに視線を落とすぜリヴに対し、トリスタンは笑顔を見せる。
「良いんだよ。好きな人の幸せのために尽くすのが、俺の騎士道なんだから」
「あ~あ。本当に熱っ苦しい奴ら。……ディラックはかなり引いてるぜ? あいつ、こういうノリ、苦手だから」
けらけらと笑いながら彼らを指さすヒツジ。
「……お兄さま、カッコイイ……」
ジェシカは頬を染めてうっとりとしながらトリスタンを見つめていた。好きな人の幸せのために尽くすことこそ騎士道。その言葉の響きに、ジェシカは夢心地な気分でトリスタンを見つめていた。どうせなら、それをジェシカに対して言って貰いたかったが。
「ジェシカ。お前は、どっちを応援する?」
ジェシカは悩んだ。トリスタンの思いを叶えるためなら、ディラックを応援した方が良いのかも知れない。だが、トリスタンがゼリヴの幸せをと願っているのなら、彼女を応援すべきである。
その旨をヒツジに伝えると、彼はうんうんと頷いてジェシカの頭を撫でてくれた。
「あたしも、ゼリヴお姉ちゃんの味方だもん」
ディラックに向かって舌を出しながらレティシアはゼリヴの横に付く。
ゼリヴは微笑みながら弟の方へ視線をやった。
「もちろん、キャロも私の味方でしょ?」
「……みんなで勝手に盛り上げてるけど、当のディラックの気持ちはどうなんです?」
盛り上がっている場にそぐわしくない妙に現実的で冷めた意見。同意を示すのはディラックだけで、他の人間は沈黙していた。
「キャロ! あなた、姉の幸せを願えないって言うのっ」
ゼリヴは激高して弟に対して剣を向ける。
そんな事は慣れっこなのか、キャロは困ったような顔をして訂正をする。
「そう言う訳じゃなくて、ディラックがゼリヴを受け入れてくれなかったら、ゼリヴは幸せになれないじゃないですか。だったら、トリスタンの方が、ゼリヴを幸せにしてくれると思うんですけど」
眉をつり上げていたゼリヴは口元に苦い笑みを浮かべ、弟に向けていた剣を下ろした。
「良いの。ディラックの隣にいることが許されるんだったら。いつかきっと、ディラックを惚れさせてみせるから。そうすれば、私もディラックも幸せになれるでしょ?」
ジェシカは目を輝かせながら彼女のことを見ていた。彼女は自信に満ちあふれている。ジェシカの目にはそんな彼女の姿がとても美しく映っていた。
「だから、それまで絶対に諦めない」
毅然とした口調で言いきるゼリヴ。
私もあんな風になったら、お兄さまに好きになって貰えるのかしら。あんなに輝いていたら……
ジェシカはあこがれの眼差しで、ゼリヴのことを見つめていた。
キャロはため息をつきながら、申し訳ないという色の含まれる瞳をディラックに向けた。
「ごめんなさい、ディラック。僕はゼリヴの味方をします」
ディラックはひらひらと手を振った。もう、どうでも良くなっているのかも知れない。そして彼はキャロの縄をほどいているレティシアに声をかけた。
「シアはそこで見てなさい。お前を危険な目に遭わせるわけにはいかないから」
レティシアはゼリヴとトリスタンを見るが、二人ともディラックの言葉に同意を示している様だった。レティシアは残念そうにその場に座る。
ゼリヴ、トリスタン、キャロと3人を敵に回したがディラックは涼しい顔をしている。
「じゃあ、そろそろいいかな?」
と、ディラックが尋ねたとき、突然赤いマントを翻しながらヒツジが立ち上がった。彼は勢いよく階段から飛び降りて、試合場に着地する。
「俺もゼリヴの味方なんだぜ。悪く思うなよ」
突然のヒツジの登場に、ゼリヴ達の表情は明るくなり、逆にディラックは渋い顔をしていた。
ジェシカは突然のその行動に、ドキドキと鼓動を高鳴らせながらヒツジのことを見つめていた。
「もしかして、ひーちゃんが一番熱いノリが好きなんじゃないのかしら」
そんなジェシカの思いも知らずに、ゼリヴ達をかばうように立つ正義の味方もどきのヒツジ。
「……何か俺、悪の魔王みたいだね……」
ディラックは疲れたように呟いた。




