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フィアンセバトル  作者: きなこ
4章 トリスタン
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トリスタン2

 夏の暑い日の出来事だった。


 ジェシカが持ち込んだ手紙を囲み、大人達が難しい顔をしている。そんな様子を盗み見しながら、ジェシカは胸を不安で一杯にしていた。


「捜索願は出しておいたから、あとは騎士団に任せよう」

 冷たくそんなことを言ったのはアルビオ。現在のアリア国王である。


「たいした行動力だな。男だったら将来が楽しみだったが……」

 あごひげをしゃくりながらのんきに呟く父王に、トリスタンは険しい顔をして詰め寄った。


「レティに何かあったらどうするんです。あいつ、体が丈夫じゃないし、城から出たこともないし」

「……だからといって、ここで話し合いをしていて何かの進展があるわけでもなかろう? ロキフェル。お前は、レティが心配なら探しに行っても良いのだぞ? 政務は儂1人で何とかしてみせるよ……」


 自分の言いたいことだけを伝え、アルビオはさっさと部屋から出ていってしまった。

 ロキフェルは頭を抱えながらうなだれる。


「申し訳ありません、叔父さん」

「いいや、トリスタン君。君が謝る事ではないよ……。それじゃあ、私はちょっとレティを探してみることにするよ」


 疲れた顔をしてロキフェルもまた、部屋を出ていった。


 残されたジェシカとトリスタンは沈黙したままその場で俯いていた。二人の間に沈鬱な空気がが落ちるが、すぐにその重い空気を振り払うような眩しい笑顔を浮べてトリスタンはジェシカの肩を叩いた。


「心配するな、ジェシカ。必ず俺がレティを見つけだすから」

 いつだってトリスタンはジェシカとの約束を守ってくれた。だから彼がそう言ってくれるなら、きっと大丈夫なのだろうという信頼感がある。

「ありがとうございます、お兄さま……」

 ジェシカは控えめに笑った。



     *



 それから一ヶ月の月日が流れたが、レティシアはまだ見つからずにいた。


 彼女が何かの事件に巻き込まれたという話も聞かない。だが、発見されていないという事実はジェシカを不安にするには十分すぎた。もうすでにこの国を出ていってしまったのか、悪い人に捕まってしまったのか、それともすでにこの世には……そんな想像をしてしまい、ジェシカは慌てて頭を振った。


 レティシアが消えてから、アルビオは表面的には普段と変わらないし、トリスタンは暇を見つけては城下町に降りて捜索を行っている。ロキフェルは政務には戻ったものの、娘から見ても塞ぎがちだ。


 そしてジェシカは毎日のように騎士団の本部を訪れていた。レティシアの捜索はここに委託されているからである。トリスタンの計らいで、ジェシカは受付近くの個室を借りそこでレティシア発見の報せを待っていた。城で待っているよりも、騎士団本部で待っている方が早くに報せを受けることが出来る。ただそれだけの理由でジェシカはそこに通っていた。



 自室から騎士団の本部へと向かう途中、亡き母の部屋の前を通った。その扉がかすかに開いていることに気付いて中を覗くと、母親の肖像画とその前でしゃがみ込んでうなだれるロキフェルの姿が見えた。

 肖像画に描かれているのは淡い金髪の美しい娘。レティシアが大人になったらこうなるのだろうな、というほどによく似た面立ちをしている。彼女はレティシアを産んですぐに亡くなってしまったので、当時三歳だったジェシカはあまり母親を覚えてはいなかった。


 見てはいけないものを見てしまった後ろめたさからか、ジェシカは父親に声をかけることもできずに音を立てないように扉を閉め、そして騎士団本部へと向かった。



 騎士団本部の個室で待機していると、外からトリスタンとヒツジの声が聞こえた。

 窓から覗いてみると、二人はすぐ側を歩いている。


「結婚ねぇ~。そういや、俺達ももうそんな年だねぇ」

 のんきに呟くのはヒツジの方。トリスタンは神妙な面もちで首だけを動かして肯定した。

 彼らが目の前を通っていったので、ジェシカは慌てて頭を下げた。


「お前はこの国を継ぐ身分だもんなぁ。見合いでもするのか?」

 結婚という言葉を聞いて、ジェシカは険しい顔をした。いつかはこんな日が来ることは分かっていた。彼はこの国の世継ぎだ。いつまでも独身でふらふらしているわけには行かない。


「でも、レティが行方不明になっている、この大変な時でなくても……」

 ぷうっと頬を膨らませて、ジェシカは腕を組んだ。


「見合いの話はたくさんあるんだけどな」

 語尾を濁してトリスタンが呟く。ジェシカは聞き耳を立てた。


「でもさ、自分の嫁くらい自分で見つけたいよな……」

「へえ~。じゃあ、ゼリヴにプロポーズでもするか」

「ゼリヴって誰?」


 ジェシカは眉間にしわを刻みながら唸った。トリスタンに恋人がいるという話は聞いたことがない。


「……まあな。受けてもらえるかどうかは分からないけれど」

 それは紛れもなくトリスタンの声だった。

 その後も二人は何かを話している風だったが、ジェシカの耳を素通りしていった。


 トリスタンには妻に迎えたい人がいる。その事実だけがジェシカの頭の中を占めていた。彼が自分を妹としてしか見ていないことくらい分かっていた。他に好きな人がいるのも、仕方のないことだった。


「……どんな人か確かめなくちゃ」

 思い立ったら行動せずにはいられない。レティシアの事も心配だが、優先順位が上書きされてしまったジェシカは部屋から飛び出した。



「ゼリヴについて、教えろって?」

 訝しげな顔をしてジェシカを見下ろすのはヒツジ。彼はトリスタンと別れて、騎士団の訓練場にいた。


「ああ。そういえば、さっきの話、盗み聞きしてたんだっけ」

 ぎくりとして強ばった顔をすると、ヒツジはひらひらと手を振った。トリスタンは鈍いから気付いていないだろうと言って。


「あいつなら、ほれ、あそこ……」

 ヒツジに指された方を見ると、騎士が剣を合わせていた。ひとりは白色のマントを羽織った騎士。もう一人はその騎士よりも二回りほど小さい、華奢な人。赤いマントを羽織っているということは、聖騎士なのだろうが、それにしてはやけに小柄だ。


「女だてらに聖騎士まで上り詰めた将軍の愛娘って、有名だろ?」

 ジェシカはあっと口を開いた。


「さすがはお兄様ですわ。自分と対等な立場の女性を求めるなんて」

 ジェシカは唸りながらゼリヴという名の女騎士を見つめた。剣を持って戦っているはずなのに、その動きはダンスでも踊っているかのように優雅である。

 彼女は相手の突いてきた剣を落ち着いてかわし、その手の甲を剣の柄で叩く。ぽろりと剣が落とされたところに、喉元に剣を突きつけた。


「ゼリヴの勝ち。……相変わらずの腕だ」

 素直に賞賛するヒツジ。ジェシカは難しい顔をして、彼女のことを見ていた。


「お~い、ゼリヴ~」

 ヒツジの呼びかけに気づき、彼女はこちらに歩いてくる。


 ヒツジの説明によると、彼とゼリヴ、トリスタン、ディラックの四人は同じ剣の師に付いている兄弟弟子の関係らしい。


 歩きながら彼女は兜を取った。その下から出てきた顔に、ジェシカははっと息を飲む。碧色の瞳の整った顔立ちの美人だったのだ。汗をかいて湿っている柔らかそうな金色の髪が、また彼女の美しさを際立てている。


「お兄様ってば。面食いでしたのね」

 容姿にあまり自信のないジェシカは落ち込んでいた。こんな美人には太刀打ちできない、と。


 彼女は女性にしては背が高かった。筋肉も付いているため体の肉は締まって見えるが、それでも女性特有の柔らかさを備えている。


「あら、可愛らしいお客様ね。はじめまして。私、ゼリヴと申します」

 極上の微笑みを浮かべながら彼女はジェシカの前に跪き、ジェシカの手を取ってそこに口づけをする。なり振る舞いまで騎士のそれである。

 相手が女の人だというのに、ジェシカは赤面してしまった。


「彼女、トリスタンのいとこのジェシカ」

「ああ。ジェシカ様でしたの。トリスタンから噂は聞いておりますわ。とっても可愛らしい自慢のいとこだって」

 可愛らしいと言われ、ジェシカは恥ずかしそうに俯いた。トリスタンが自分のことを他人にそう紹介していたとは思っていなかったからだ。


 彼女はころころとよく笑い、はっきりとした物言いをする人だった。



「叶いませんわ……」

 それからしばらく彼女と話をしていたジェシカは落ち込んで俯いた。


 何をとってみても自分ではゼリヴに叶わない。女の自分でさえ、彼女の美しさや人柄に惚れてしまいそうである。理想の女性の具体像と思えるのだ。


「お兄様が選んだ人なら、仕方がありませんもの……」

 ゼリヴは非の打ち所のないような完璧な女性だった。だから、仕方がない……ジェシカは自分の心にそう言い聞かせた。


「だったら、せめて……お兄さまの応援をしてあげなくちゃ」



     *



 そしてその一週間後。事態は急変した。

 いつも通りジェシカが騎士団本部の個室で待機していると、口をへの時に曲げたヒツジが入ってきた。


 そして彼は一言、

「大変なことになった」

 と呟いた。かなり疲れているようであるが一体何があったのだろうか。


 不思議そうに瞬きをしながらその理由を尋ねてみると、ヒツジは椅子に座りながら説明をはじめる。

 その説明を聞いて、ジェシカも悲鳴を上げた。



 彼がもたらした情報はこんな感じである。


 トリスタンは意を決してゼリヴにプロポーズするも、玉砕。彼女は自分には好きな人がいると告白。そして彼女はトリスタンの思いを受け止めなかった代わりに自分の想い人に思いを伝えたそうだが、そのゼリヴも玉砕してしまったそうな。


「あのゼリヴさんをふるなんて、一体どんな方ですの?」

 驚愕しながら声を絞り出して問うてみる。


「ジェシカもよく知っている奴……」

 疲れたように呻くヒツジを見て首をひねる。

「ひーちゃん?」

 しかしヒツジは首を振って否定した。よくよく考えてみれば、ゼリヴの想い人がヒツジであったなら、彼はこんなところで腐ってなどいないだろう。


「じゃあ……」

 ジェシカの脳裏に浮かんできたのは、青いマントを翻しながら優雅に歩くレティシアのお目付役。顔だって甘い感じでかっこいいし、人当たりもソフトである。レティシアから聞いた話によると、剣の腕も魔法の腕もトップクラスで、父親を大臣に持つ彼は頭脳明晰でもあり……つまり、何でも出来る人間なのだ。顔が平均並みなトリスタンとは異なり、確かにあの二人ならば美男美女でお似合いだ。


 トリスタンがふられたと聞いてジェシカは少しだけ大好きなお兄さんに同情した。だが、ゼリヴまでふられたと言うことは……


「お二人はどうなさるのです? お兄様とゼリヴさんが結婚するのかしら……」

「そうだったら、俺だってこんなに疲れないさ」

 うんざりとしたように天井を仰ぐヒツジ。


「ゼリヴはディラックのことを、トリスタンはゼリヴのことを絶対に諦めないと言い張って、どっちが折れるか決闘で決めるって話になったらしい……」

「けっとう……」

 ジェシカは開いた口が塞がらなかった。そういうことは本来話し合いで解決すべき問題ではないのか。人の気持ちの問題なのだし。


「理屈としては、ディラックにはまだ決まった人がいないから、ゼリヴにもチャンスはあるって事で。ゼリヴがふられればフリーになるから、トリスタンにもチャンスがあるわけなんだけど……」

 そう説明してくれるヒツジの声も何だかやけに遠くに感じられた。


「あ~あ。ヤになるぜ。あいつらとのつきあい長いけど、脳筋過ぎて何考えてるのか全くつかめない……」

 心底呆れたようなヒツジの呟きを聞きながら、ジェシカは机に突っ伏した。



 前言撤回。ゼリヴは完璧な女性ではなかったようだ。

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