カミル6
「俺の親父は、禿頭の医者、マックスなんだよ」
出された紅茶を飲みながら、カミルはジェシカに説明をする。ここに来たのもマックスに頼まれてレティシアに薬を届けに来たのだと。
何となくカミルの髪を見つめながら、ジェシカは肩をすくめた。
「……私が病気を患って、マックス先生の所に預けられたことがあったでしょう? その時にカミルには勉強を教わっていましたの」
今でこそ健康になったが、小さい頃のレティシアは病気がちな子供だった。ロキフェルはマックスの腕を信頼しているらしく、レティシアに何かあるとすぐに彼を呼んでいたものだ。
「やっていることはハッキリ言ってバカですのに、お勉強だけは出来ましたもの、カミルは」
「……てめえ。小さい頃はピーピー泣いているだけだったのに、ずいぶんと偉そうになったじゃねえか」
言いあいをしている彼らではあるが、どこか楽しそうである。
カミルが挑発するような事を言い、レティシアが怒ってそれに反論する。またはレティシアが嫌味を言い、カミルが言葉に詰まるのを見てニッコリと笑う。彼らの会話はそんなことの繰り返しだった。
ジェシカもその場にはいたのだが、彼らの間に入ることができずにぼんやりとそのやりとりを眺めていた。
体を起こして長い時間喋っていたせいか、レティシアはこほこほと咳をした。するとカミルは慌てて立ち上がってレティシアの背中を撫でる。
「あ、うっかりしてた。ほら、寝てろよ。安静にしているようにって、親父も言ってたぜ」
「もう。過保護なんですから」
レティシアは苦笑いをしながら、カミルの手を借りてベッドに横になる。
そんな光景をジェシカは少し離れたところで見守っていた。ベッドに寝かしつける様子は、孤児院の女の子の時と大差はない。それなのに妙に腹立たしかった。何のことはない。妬いているだけだ。
「私、そろそろ失礼しますわね」
努めて平静を装いながら立ち上がると、カミルも体を起こす。
「あ。じゃあ、俺も帰るよ」
カミルはレティシアに別れの挨拶を述べて、ジェシカの後に付いてきた。
二人は並んで歩いていた。ジェシカはロキフェルの部屋に行こうとしており、城の出口に向かうカミルも途中まで同じ方向だったのである。
ジェシカはカミルのことを見つめた。思い出すのはカミルと話しているときにレティシアが見せた笑顔。
「レティってカミルのことが好きなのかしら?」
「は?」
唐突なジェシカの言葉に素っ頓狂な声を出すカミル。
「だって、あの子、家族や特別親しい人と話すとき以外は、猫をかぶった様な顔しかしませんもの」
だとしたら、恋をするなんて無駄だと言っていた彼女の言葉は嘘になり、姉としては嬉しいのだが、同時に複雑な心境でもある。
「それは好きとかそういうのじゃなくて、昔からの知り合いだからだろうよ」
自分の知らないカミルをレティシアが知っていると言う事実に訳もなく苛立ってくる。ぷうっと頬を膨らませながらジェシカは足を止めた。
「あなただってレティには優しいですわね。私には意地悪なことばかり言いますのに」
とげとげしい言葉を投げつけると、カミルは数歩進んだところで足を止め、くるりと振り返る。
「俺は病人には優しいんだよ。……変なこと勘ぐるなよ」
「変な事って何ですの? レティが好きだって事ですの?」
露骨に腹を立てたような表情で、カミルがジェシカのことを睨む。
「何でそうなるんだよ」
ジェシカもそのカミルの視線を真っ向から受け止める。二人は睨み合った。
「お姫様には惚れないって言ってましたのに、レティのことは好きなんですの? いいかげんですわね」
「……お前、何を怒ってるのかは知らねえけど、いい加減にしろよ」
「レティは自分がお姫様だからって、人を好きになる必要なんてないって言ってましたわ。あなたもお姫様には惚れないって……そんなに特別なんですの? 私達は王家に生まれましたけれど、中身は普通の女の子なんですのよ?」
泣きたいのを必死で堪えながら怒鳴りつけると、カミルは困ったように視線を浮かした。
「……まあ、確かにおまえは普通だよな」
「でも、もしも私があなたのことを好きだと言っても、あなたはお姫様だからって、私のことは恋愛対象とは見てくれないのでしょう?」
「……お姫様と俺じゃ、釣りあわねえしな」
ショックを表に出さないようにするため、顔を背けて歩き出すジェシカ。
「ただ身分が違うだけで恋愛も制約されるなんて、馬鹿げてますわ。あなたもレティも、実際に恋をしたこともないのに、否定ばかり」
「あのなぁ。そうは言うけど、俺にだって、多分レティシアにだって色々とあるんだよ」
「どんなことがあるんですのよ?」
どうせ言い逃れをするための適当な言葉だろうと考えて、険を含んだ口調で言ってやると、カミルが躊躇うように息を飲んだ。
「俺は小さい頃はレティシアのことが好きだったんだよ。でも、みんなが敬愛を寄せているお姫様としてのあいつを見てたら、神様に恋してる様な気分になってさ……。それで、やっぱり身分違いは止めようって思ったんだ」
あまりにもさらりと言ってのけたその言葉を聞いて、ジェシカは足を止めた。彼はレティシアが好きだったと認めた。今はどうだか分からないが。
泣いてはいけないと自分の心に言い聞かせた。カミルは自分の問いかけに答えただけである。何も悪いことはしていない。けれども涙は勝手にこぼれていく。一度あふれ出した涙は止めどもなくこぼれていき、絨毯にいくつものシミを作っていった。
「おい。何で泣くんだよ。俺、何かきついこと言ったか?」
カミルはやや慌てたそぶりで、心配そうにジェシカの顔をのぞき込む。
「そりゃ、俺は身分違いはごめんだけど、世の中そんな男だけじゃないからさ。気にすんなよ」
ジェシカが泣いている意味を勘違いしたのだろう。言い繕おうとするカミルに対して、ジェシカは首を振った。閉じていた目を開くと、いつになく優しそうなカミルの漆黒色の瞳とぶつかった。
「それじゃ、ダメですの……。カミルがダメじゃ、意味がないんです」
「何で?」
不思議そうな顔をしているカミル。
そんな彼を見ているとだんだんと腹が立ってきた。そりゃ、直接「好き」とは言っていないが、少しくらい察してくれても良いではないかと、自分勝手な気持ちも膨れあがってくる。ジェシカにはそれを止める事は出来なかった。
「もう、いいですわっ」
「お、おい。ちょっと待てよ」
カミルに腕を掴まれたが、ジェシカは乱暴にそれを振り払い、彼のことを睨み付けた。
「私はあなたが好きなんですのっ! カミルのばかっ!」
突然の告白に面食らったような顔をするカミル。
だがジェシカはそんなカミルの顔を見ることもなく、目をこすりながら走り出した。
ジェシカは泣きはらした顔でとぼとぼと騎士団の本部へ続く道を歩いていた。
「私って、最低ですわ……」
先ほどのカミルとのやりとりを思い出すと情けなくて泣きたくなる。レティシアに嫉妬をしてカミルに八つ当たりをしてしまった。
いつも愚痴を聞いてくれるシーガルは今頃家で寝込んでいるのだろう。ジェシカの良き相談役である妹君には愚痴れる内容ではない。とすると、あとはデュークしかいない。友達がいないから他に愚痴をこぼせる相手などいないのだ。
だがデュークも、次に頼りにしていた副将軍も留守中とのことであった。
ジェシカは待合室に通され、自分のためにお茶を入れてくれている青年をこっそりと見上げた。一度だけ喋ったことはあるが、そんなに親しくもない青年、キャメロン。
「あ、良かったら食べてください」
彼は慣れた手つきでクッキーを皿に盛り、お茶と一緒にジェシカの前に出した。
「他にも何か欲しいですか? なんなら、簡単なご飯でも作ってきます?」
ジェシカは首を振った。
そんなジェシカを見ながら、キャメロンは穏やかに微笑んでいる。そしてクッキーを盛った皿をジェシカの目の前に突きつけた。
「食べなさい。お腹が空いていると、余計にへこんできますよ」
有無を言わさぬ口調に、ジェシカはおずおずと従った。口に入れたクッキーは甘くて、なんだか切なくなってくる。
キャメロンは横から煎餅の入った袋を手に取り、封を開けた。
「これも食べますか?」
ジェシカは首を振った。
キャメロンは煎餅を取りだし、ばりばりと音を立てながら煎餅を食べる。美形なのになんだか勿体無いなと、そんなことを思いながらジェシカは無言でクッキーを食べていた。
ほのぼのとした穏やかな雰囲気に安心して、ジェシカは思い切って口を開いた。
「お姫様って、そんなに違うものなのかしら。私個人の名なんて意味はなくて、みんな『お姫様』としての私しか見ていないものなんですの? 私は、神様でも何でもないのに……」
キャメロンは煎餅をかじりながらやや考える様な素振りを見せた。
「まあ、個人の名よりも家名なんかが先行してしまうことは多いですよ」
しゅんとしながらジェシカは俯いたが、キャメロンは言葉を続ける。
「でも、シーガルやデュークは、お姫様だからではなく、ジェシカ様が好きだから仕えているんだと思いますよ。社会勉強の護衛は、いくらお爺様の命令とはいえ、本来の仕事からは外れていますので、拒否権はありますから」
ちなみに、キャメロンの言う「お爺様」とは、イ・ミュラーのことである。
「カミルだって多分、お姫様だからあなたと接している訳ではないと思いますし」
そんな風に言われると、悲しくなってくる。ジェシカだってカミルには「普通の女の子」として扱われていると思っていた。だが、彼は「お姫様」だから、ジェシカのことは好きにはなれないと言っていた。
「ねえ、キャメロンさん。もしも、キャメロンさんがお姫様に恋したら、身分違いだと言って諦めます?」
「そうですねぇ。多分僕は諦めませんね。本気でその人を愛していて、もしその人が好意を返してくれたら、さらってでもその人を手に入れます」
本気なのか冗談なのか、穏やかな顔をして情熱的な事を言うキャメロン。ジェシカは微笑んだ。そう言ってくれる人がいると、少しだけ嬉しい。
彼は立ち上がり、ゆっくりと窓へ向かって歩き出した。
「身分違いを理由に諦めるなんて、大馬鹿者ですね」
キャメロンはおもむろに窓を開いた。外から吹き込んでくる風のせいで、カーテンがひらひらと揺れる。
「で、その大馬鹿者君としては、何か言いたいことはありますか?」
意地悪そうな顔をしながら外にいる誰かに話しかけるキャメロン。ジェシカは慌ててキャメロンの横に駆け寄って外を見ると、窓のすぐ下にカミルがしゃがみ込んでいた。
「盗み聞きとは、悪趣味ですね」
カミルは気まずそうな顔をしながら、視線を上げた。
「昔と同じですね。好きな子をいじめて泣かせて。罪悪感を持って影からこっそり様子を見ていましたよね。素直に謝ればいいのに」
「……たいていの場合、その子は慰めてくれたキャロが好きって話になるんだよな。幼い俺がどれだけ傷ついていたか」
そんな会話を聞きながら、ジェシカは首を傾げた。
「それって、自業自得なだけですわよ。女の子を泣かせるあなたが悪いんでしょ?」
無言のまま俯くカミル。キャメロンは吹き出すのを堪えるように口元に手を当てていた。
しばらくすると、カミルは立ち上がり窓に寄りかかる。気になって駆け付けたものの、何を言えばいいのかは迷っているようで、ジェシカ達には背を向けたままだった。
先ほどよりは少しだけ落ち着いた気持ちで、ジェシカは彼を直視できた。
気を利かせたのか、キャメロンは部屋から出ていった。
「さっきはごめんなさい。カミルは悪くないのに……」
「……あの、さ」
カミルは気まずそうに何かを言いかけ、言葉を止めた。
ジェシカは意を決して、もう一度彼に自分の気持ちを伝えた。
「私、あなたのことが好きなんですの」
「……ごめん。気持ちは嬉しいんだけど、俺はその気持ちに応えることは出来ない」
「私がお姫様だからですか?」
カミルは無言のまま頷いた。
「もし、私がお姫様じゃなかったら、私のことを好きになってくれました?」
カミルは少し迷った風に間を空けて、ゆっくりと首を横に振る。
「そりゃちょっとは好きだったけど、恋人って感じじゃないんだよ、お前は」
「私がレティみたいに何でも出来る子だったら、チャンスはあったのかしら?」
「関係ねえと思うぜ。確かにあいつの方が特技は多いけど、お前ら、なんか似てるもん」
多分カミルにとっては何気ない言葉だったのかも知れないが、ジェシカにとっては悲しい言葉でもあった。カミルがジェシカにちょっかいをかけてきたのはレティシアの代わりだった様な気もしてしまう。そして確信したことは、どうあがいてもカミルは自分に振り向いてはくれないだろうと言うこと。身分という壁の他に、レティシアという存在もあるのだから。
「レティの姉じゃなければ、少しはチャンスがあったのかしら」
低い声で言ってやると怒ったのか、カミルが少しだけ怖い顔をして振り向いた。
「お前はさっきから……」
彼は言葉を止めて戸惑ったように視線を揺らした。そんな彼に抱きつくジェシカ。
「いつか見てなさいよっ。レティよりもいい女になって、私を振ったことを後悔させてみせますからね」
ふられたことが悲しくて泣きながらそう言ってやると、カミルは控えめにジェシカのことを抱きしめ返してくれた。
*
庭をかけまわる子供達を見つめながら、ジェシカはため息をついた。カミルと良い友達になろうと決めたものの、やっぱり切ない。
冷たい風が落ち葉を運んでいく。
「はぁ~。私の心も寒いですわ。どこかに優しくてかっこよくて、私を好きになってくれる人っていないのかしら」
そんな呟きを漏らしながら、ジェシカは手にしていたほうきで地面を叩く。
「ああっ、もうっ。せっかく集めた落ち葉が散って行くじゃないですのっ。シーガル! 風を止めてっ」
「そんな無茶な……」
「だってぇ~。これじゃあ、落ち葉掃きの意味がないですわ~」
泣き真似をしながらだだをこねていると、ちりとりを持っている男の子がジェシカの袖を引っ張る。
「おねえちゃん、我が儘言っちゃだめだよ」
その子は年は十である。なかなか可愛らしい顔立ちで、うまくすれば将来はかっこよくなるかも知れない。
ジェシカは満面の笑みを少年に向けた。
落ち葉を回収するために歩いていった少年の後ろ姿を見つめながら、ジェシカはほうと息を吐いた。
「今の内から、私好みに育てていくのもいいかも……」
べこっと何かに頭を叩かれて、ジェシカは怒りながら振り返った。背後にいたのはカミル。彼は手に持っていた銀紙のロールでジェシカの頭を殴ったらしい。
「ジェシカ様。お願いですから、子供に手を出さないでくださいよ」
侮蔑を含んだシーガルとカミルの眼差し。ジェシカはおほほほとごまかすように笑ってぺろっと舌を出した。
カミルは遊んでいる子供達に向かって、大声で呼びかけた。
「お~い、芋買ってきたぞ~。みんなで落ち葉掃きをして、焼き芋作るぞ!」
わぁいとはしゃぐ子供達。それまでは好き勝手に遊んでいた子供達は一斉に落ち葉を集めるために散っていく。
それを満足そうに眺めているカミル。
「焼き芋って何ですの?」
そう尋ねるジェシカに、カミルはさつまいもを手渡した。
「それをこのまま火にくべるんだよ。そうすれば、焼き芋のできあがりだ」
カミルの説明を受け、ジェシカはさつまいもを抱きしめながらにっこりと微笑んだ。
「分かりましたわ。どんな物ができるのかしら」
わくわくしながらジェシカは家の方を向いた。早速デュークが子供達に急かされるようにして落ち葉に火をくべていた。
「デューク~。私の焼き芋作って下さい~」
「うわっ。ジェシカ様っ。ダメですよ、そのまま入れちゃ!!」
慌ててシーガルがジェシカを追いかける。
そんな様子を見てカミルは楽しそうに笑っていた。




