カミル5
部屋の中にいるのはジェシカとロキフェル、そして医者のマックス。シーガルは風邪が酷そうなので、帰らせた。
ベッドに寝かされているレティシアは注射を打って貰ったためか、部屋に運ばれて来たときよりも呼吸は安定していた。
「先生。レティは大丈夫ですの?」
恐る恐る尋ねてみると、マックスは呆れたような顔でジェシカとロキフェルを見つめる。
「レティ様を働かせすぎなのが原因でしょう。風邪も引いていたようですし、少しは病人をいたわってやりなさい」
彼も風邪を引いているらしく、マスクごしにもごもごと言い、禿げ頭を撫でながらため息をつく。
「はい。今後気を付けますわ」
「あまりレティに頼りすぎないようにします」
怒られた二人は落ち込んだような表情で反省をする。
「とりあえず薬は置いておくから、また足りなくなった頃に誰かに届けさせるよ。何かあったら、城の医者を呼びなさい。わざわざ私を呼び出す事もないだろうに」
「いや、レティが倒れたと聞いたから、一大事だと思って……」
申し訳なさそうにロキフェルが言うと、マックスはやれやれといった面もちで肩を竦めた。
マックスという医者はレティシアが生まれる頃までは王城に勤務していた医師で、現在は町で開業医をしている。ロキフェルは彼には絶大な信頼を寄せているようで、主にレティシアが体調を崩すとわざわざ町から呼び出すのだ。
「とにかく、風邪が治るまではゆっくり休ませるように」
念を押して彼は帰っていった。
落ち込みながらレティシアを見つめるジェシカ。彼女が風邪をひいているのを知りつつも、毎晩遅くまで寒い厨房でクッキー作りを手伝わせていたのは自分だ。彼女が倒れるときにたまたまシーガルが一緒にいたから良かったものの、あの場にジェシカしかいなかったら、または誰も通りかからなかったら……取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
そしてそれはレティシアに甘えて、日中仕事を手伝わせていたロキフェルも同じこと。
「ごめんなさい、お父様。私、自分のことしか考えていませんでしたわ。風邪を引いているレティにクッキー作りを手伝わせたり、仕事を押しつけたり……。明日からは、私がお仕事を手伝いますわ」
「良いんだよ、ジェシカ。今までのお前は目先のことばかりで、周りにあまり興味を示さなかった子だから……」
苦笑いしながらロキフェルはジェシカの頭を撫でた。そう育ててしまったのは自分の責任とばかりに――
「孤児院の子供達のためにクッキーを作っているそうだな。少しは変化があったようで、嬉しく思っているんだよ。だから、自分の好きなようにしなさい。仕事は、私ひとりでも何とかなるから」
「ありがとうございます、お父様」
礼を言うと、ロキフェルは少しだけ照れたような顔をして頷いた。
*
翌日。
ジェシカはシーガルが居候している家の前にいた。
彼が風邪で寝込んでしまったというので、見舞いにやってきたのだ。
その家は町の大通りから少し離れた場所にあった。住宅地の中に他よりもやや大きめの屋敷が立っている。少々質素な感のする貴族の邸宅であり、綺麗に整った花壇のある庭が妙に広い。
「前の家主の趣味だったらしいです。シーガルがよく花の世話をさせられています」
デュークの説明を聞きながらジェシカは物珍しげに周りを見ていた。
この家の持ち主はフィクスラムという名の貴族で、イ・ミュラーの娘の子供、つまりは孫が現在の当主らしい。聞くところによればシーガルとデューク以外にも、騎士団の副将軍もこの家に下宿をしているそうだ。
玄関に案内され、ジェシカは家の中に入った。
ぎしっと上から床のきしむ音がする。
二人は視線を階段に向けた。そこから下りてくるのは見知った顔である。
「あら? カミルじゃないですの」
階段から下りてきたカミルもきょとんと目を瞬かせていた。まさかジェシカ達が来ているとは思っていなかったのだろう。
「シーガルが寝込んでるから診てくれってキャロから頼まれたんだ。ただの風邪だから、休ませときゃ治るよ」
いつもは悪ふざけばかりしているカミルだが、病気や怪我のことになると真剣になる。たまに見せるそんな表情に、ジェシカは何故かどきりとしてしまう。
「あいつも上か?」
「キャロ? さあ。朝、メアリー婆さんの孤児院に顔を出してたけど?」
かちゃっと音を立てて玄関の扉が開いた。
何気なく振り向いたジェシカは思わず息を飲んだ。
「あれ、お客様ですか?」
妙に聞き心地の良い優しそうな声。背はシーガルより少し高いくらいで、体の線は男にしては細い方である。柔らかそうな金髪。碧色の瞳。整った顔立ち。一瞬女性かと見まがいそうな、とんでもない美人が目の前に立っていた。
彼は白いマントを羽織っていた。白色のマントは、騎士団所属の人間の物である。
持っている物が両手一杯の買い物袋だろうと、綺麗な人は絵になる。そんなことを思いながら、ジェシカはにへらっと笑った。綺麗な男の人も大好きなのだ。
「はじめまして、キャメロンと申します。よろしく」
「こちらこそ。ジェシカと申しますの。いつも、シーガルとデュークにはお世話になってますわ」
友好的な微笑みを浮かべるキャメロンと握手を交わす。赤面しながら、ジェシカは浮かれていた。
「あ、カミル。シーガルの具合はどうでした?」
「別に大したことねえよ。寝てれば治る」
「そうですか。それじゃあ、栄養のある物を食べて貰わないといけませんね。ひーちゃんに事情を説明したら、早退を許してくれたんですよ」
楽しそうに鼻歌を歌いながらキャメロンはキッチンへ向かって歩いていく。そして、思い出したように振り返った。
「皆さんはシーガルの部屋に行っていてください。お茶を持っていきますから」
玄関先に立っていた一同は、そろって頷いた。
目の前に出されたのは、紅茶とケーキとクッキー。ケーキは紅茶ケーキとチョコレートケーキ。クッキーも色々な種類が取りそろえられている。驚くべき事に、これら全てがキャメロンの手作りだというのだ。
「ああ~。美味しい」
幸せに浸りながら、ジェシカはケーキを口に運んでいた。
にこにこしているジェシカとは対照的に、カミルはむくれた顔のまま頬杖を付いている。
「どうしましたの、カミル。ケーキ、美味しいですわよ」
「……お前、そんなに食ってると、ブタになるぞ」
ブタと言われ、口に運ぼうとしていたフォークがぴたりと止まる。
そんなジェシカの様子を見ながら、カミルは意地悪そうに笑った。
「分かりやすいよな、お前って」
「だって、美味しそうなんですもの」
涙を拭うようにジェシカは手を目の下に当てる。
「……あの、みんなは俺の見舞いに来てくれたんですよね」
横からシーガルに問われて、ジェシカはにっこりと微笑みながら頷いた。デュークとキャメロンも頷いている。
「だったら、ここを談話室代わりしないで、俺をゆっくり休ませてください」
「一人で寝込んでいると寂しいと思ったので、みんなで楽しいお話をしているんですのよ?」
あなたのためと言われると、シーガルには文句を言うことなど出来なくなる。
ふてくされたように口を尖らせたシーガルは、ぼんやりとしているカミルに気付いて声をかけた。
「カミル? さっきから様子が変だけど、どうかしたのか」
「別に。何でもねえよ」
ぶっきらぼうに返してそっぽを向くカミル。ジェシカはきょとんとしながらそんなカミルを見ていた。
すると、カミルの変化に心当たりがあったのか、デュークが意地の悪そうな顔をして笑う。
「誰かさんがキャメロンに見とれていたから、焼き餅を焼いているんでしょう」
「っな! 誰がこいつなんかに!!」
カミルは怒りながらジェシカのことを指した。
ムキになるカミルとは対照的に、デュークは涼しい顔をしてお茶を飲んでいる。
「またですか……」と呆れる様な顔でこちらを見ているシーガル。それを横目で見て、ジェシカはぺろっと舌を出した。
「そう言えば、メアリーさんが言ってましたよ。カミルがまた好きな子に意地悪ばかりしているって」
からかうようなキャメロンの口調。
「好きな子」という単語に反応して、ジェシカは赤面する。からかわれているカミル自身も真っ赤な顔をしてキャメロンのことを睨みつけた。
「いつまでも人を子供扱いするんじゃねえよっ。だいたい、誰がお姫様なんかに惚れるかっ」
お姫様、という単語に気付いたジェシカは強ばった表情でカミルを見つめた。ジェシカの変化に気付いたカミルは、慌てて口を塞ぐ。
「……お前、知ってたのか?」
やはり驚いているらしいシーガルが尋ねると、カミルは少しだけ冷静な顔になり、ぺろっと舌を出した。
「お姫様に仕えているシーガルの知り合いの、ジェシカという名の育ちの良さそうな女……。誰だって気付くよ」
シーガルはぎくりとしてデュークへと視線をやる。一方のデュークは予想済みだったのか、特に驚いた様子はないようだった。
「じゃあ、どうして知らないふりをしてたんだよ?」
「そりゃ……」
カミルはそこで一度言葉を止めてジェシカのことを見た。視線が合うが、ジェシカはその視線から逃げるように俯いた。
「本人が身分を隠そうとしてるから、余計なことはするべきじゃないかと思ってさ」
それは多分カミルの優しさなのだろう。だから今まで騙されていたとしても悲しいはずはない。そもそも、黙っていた事についてはお互い様だ。責めること自体間違っている。
それなのに、ジェシカの気持ちは沈んでいた。「お姫様なんかに惚れるわけがない」その言葉は、ジェシカのことが好きだと否定しているばかりか、今後の可能性すらも……
そう思い至ったところでジェシカは首を振った。
「だって、カミルは違いますもの。トルタさんの時のように話しているだけで嬉しくて、好きだなって感じることなんてないし、デュークの時みたいに胸がドキドキしてうっとりしちゃうなんてこともないし……デュークのは何かの間違いだったんですけど」
心の中でぶつぶつと呟きながら、ジェシカは口の中にケーキを放り込んだ。
ケーキは甘くて美味しくて絶品だ。それなのに、何故か胸が締め付けられるような思いがして、ジェシカはキュッと唇を噛み締めた。
*
ジェシカは悶々とした気分のまま帰宅した。気になっていることはあったのだが、それをカミルに尋ねるわけにはいかない。だが、その答えを知っているのもカミルのみであり……。そんなことで悩んでいると、まるで自分がカミルの事を好きみたいだと反発をして思考を止める。だがすぐに同じことを考え始めてしまう。
フィクスラム邸で会った翌日から、カミルは孤児院に姿を見せなくなった。たしかに孤児院での風邪の流行の波が去った今、カミルが孤児院にいる理由はないのだが、何もこんなタイミングでなくてもいいではないか。
自分自身の気持ちがさっぱり分からないため、ジェシカは自分よりも人生経験が豊富であろう少女の元に相談に出向いた。
「お姉さまはその方が好きなのではないのですか?」
彼女、レティシアは事なさ気にあっさりと言った。
「そんなに悩んでいるなら、普通、気付きますわよ?」
嫌味を言うのも忘れない。我ながら、とんでもない妹を持った物だとこめかみの辺りを引きつらせた。未だ彼女は寝込んでいるが、ずいぶんと元気そうではないか。
「でも、お姫様なんかに惚れないって……」
「身分違いを気にするなんて、自分に自信がない証拠です。そんなつまらない男、止めてしまえば良いんですわ」
「そんなことありませんわっ。カミルは意地悪だけど優しいところもありますし、孤児の子供達を大切にしていますし、とってもいい人ですわ!」
カミルのことを悪く言われたことに腹を立ててムキになって言い返すと、レティシアが呆れたように息を吐く。
「ほら、やっぱり惚れているんですわよ」
何も言い返すことが出来ずにジェシカは頬を染めて俯いた。そして少し話題を変えてみようと話をふってみる。
「ねえ、レティは誰か好きな方とかいませんの?」
「いませんわ」
ずいぶんときっぱりと言い切るレティシア。ジェシカは何だか不安になって、レティシアの瞳を真っ直ぐに見つめた。レティシアは少しだけ気まずそうな顔をして、ジェシカから視線をそらす。
「どうせ自由な恋愛なんて出来ませんもの。貴族社会なんて、のんきそうに見えても水面下では権力闘争が繰り広げられていますし。下手な方と結婚すれば、そこから諍いが起こらないとも限りません。どうせ決められた人と結婚するなら、恋をする必要なんてありませんわよ」
彼女の言っている立場はジェシカにも当てはまる。ジェシカと結婚する相手は時期国王になる可能性も高いのだし。
「でも、そんな青春寂しいですわよっ! 好きでもない人と結婚して子供を産むだけの人生なんて、つまらないですわ!」
「それは、価値観の違いですわ。私は別にどうでもいいですもの」
前々から冷めたところがある妹だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。とてもではないが、年頃の娘の言葉とは思えない。だが、同時にそんなレティシアが哀れにも思えてくる。
「あなた、誰かを好きになった事がおあり? 知りもしないくせに、つまらない物と決めつけるなんてっ」
「別にお姉さまの生き方を否定しているわけではありませんわよ。私には私の……」
レティシアは言葉を止め、戸惑ったような瞳にジェシカを映す。
興奮するあまり、ジェシカの双眸からは涙が溢れ出していたのだ。
「どうして、お姉さまが泣くの?」
「だって、そんなの悲しいじゃないですの。王家の娘に生まれたからって、そんなの……」
「……だから、私はどうでも良いんですけれど」
困ったようにレティシアがため息をついたとき、
「シア? 寝てるのか?」
聞き覚えのある声にぎょっとしながらジェシカは振り向いた。のぞき込むように扉から顔をひょっこりと顔を出しているのは、いつもよりもきちんとした服を着ているカミルだった。手には紙袋と花束を持っている。
驚愕のあまり、涙も一瞬にして乾いた。
カミルは泣いているジェシカを見て、まずいタイミングで来てしまったのかと狼狽えながら、愛想笑いの様な物を浮かべた。
「えっと、ノックしたけど返事がなかったから、寝てるのかなと思って、ドアを開けたら……」
「あなた、女の子が寝ている部屋に勝手に入り込む気だったんですのっ」
ジェシカのつっこみに、カミルは赤面しながらそれを否定した。
「っば、ばかっ。誰が寝込みを襲うような真似するかよっ」
カミルのその言葉にジェシカとレティシアも赤面した。言葉を発した本人はお姫様達のその反応を見て、手で顔を覆った。




