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フィアンセバトル  作者: きなこ
3章 カミル
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カミル4

 ジェシカは大きく欠伸をした。レティシアに見られたらみっともないと怒られる事であろう。しかし、昨日はほとんど寝ていないのだから仕方がない。はじめてのクッキー作りは難航していたのである。


「お姉さまは料理の才なんて持ち合わせていない様ですので、素直に諦めることをお勧めしますわ」

 レティシアに嫌味を言われても、ジェシカは諦めずにクッキーを作った。そしてその完成品はジェシカの鞄の中に入っている。


「見てらっしゃい、カミル」

 ジェシカは彼が自分を賞賛する様を想像して、にへらと笑った。




 孤児院に着き、まずはメアリーに挨拶に行くため家の中に向かった。


「メアリーお婆さま。今日も遊びに来ましたの」

「あらあら。ジェシカちゃん、いらっしゃい。みんな、楽しみに待っていたんですよ」


 相変わらずの優しい口調のメアリー。ジェシカの後ろにいるふたりもぺこりと頭を下げる。

 ジェシカは微笑みながら、鞄の中から自作のクッキーを取り出した。


「まあ。ジェシカちゃんの手作りクッキーかしら?」

「はい。頑張って作ってみましたの」


 「嘘っ」と悲鳴を上げながらそのクッキーをのぞき込むのはシーガル。デュークはいつもの無表情の中に、僅かばかりの興味の色を含ませた瞳をクッキーへと向けていた。


「みんなに食べて貰おうと思いまして」

「ちょっと待て」


 隣の部屋への扉が開き、中からカミルが姿を現す。ジェシカ達が来たので聞き耳を立てていたのだろうか。彼は意地悪そうな顔をしてジェシカのクッキーを見る。


「ちゃんと食えるんだろうな? 変なモンを子供達に食わせるなよ」

「ずいぶんと失礼なことを言いますのね」

 口を尖らせてカミルを睨んでやるが彼はまったく気にした風はなく、ジェシカの手からクッキーの入った容器を奪った。

 「毒味」などと言いながら彼はクッキーをひとつ、口の中に放り込む。


 緊張した面持ちでジェシカはカミルの反応を伺った。

 彼はばりばりと音を立ててクッキーをかみ砕き、飲み込む。そして複雑そうな表情で、興味津々に自分を見ているシーガルとデュークに容器を差し出した。


「それって一体どういう事なんですの?」

 ジェシカはシーガル達を見た。促された彼らはクッキーをかじり、そろって眉間にしわを寄せている。


「私も食べていいかい?」

 こちらに近づいてこようとするメアリーを慌てて止めるシーガル。

「メアリー婆ちゃんは食べない方が良いよっ」

「ちょっと! どういう意味ですの、それっ」


 シーガルを怒鳴りつけると、目の前に容器が差し出された。食べてみろと言うことらしい。ジェシカはふてくされながらクッキーを食べようとしたが、このクッキーはずいぶんと硬く、なかなかかみ砕くことが出来ない。


「こんなもん、子供達の歯を鍛える事にしか使えないな」

 ずいぶんと酷い物言いだが、ジェシカは反論できずにうなだれた。そしていそいそと袋の中から別の容器を取り出す。


「これ、レ……妹が作った物ですわ。こっちをみんなにあげてください」

 「レティ」と言ってしまうと自分の素性がばれてしまう危険があるため、慌てて「妹」と言い換えながら、ジェシカはカミルに容器を渡した。


「気の利く妹だな。誰かさんとは大違い」

 レティシアの作ったクッキーを受け取ったカミルは機嫌よく微笑みながら、形の整ったクッキーを口に放り込んだ。

「ジェシカのと違ってうまいじゃん」

 悪気があるのかないのか、カミルは軽い口調でそんなことを言う。


 ぐさっと心に何かが突き刺さったような気がした。レティシアのクッキーの方が美味しい事なんて分かりきっていることなのに胸が痛む。


 先ほどカミルが出てきた部屋の扉が控えめに開かれた。かすかに開いた隙間からこちらを覗いているのは、おかっぱ頭の女の子。それに気付いたカミルは慌てて彼女に駆け寄った。


「あの人、だれ?」

「あれはジェシカ。最近遊びに来る奴だよ。……それより、ちゃんと寝てなきゃダメじゃねえか」

 少女は赤い顔をして、げほげほとたんが絡むような咳をしている。カミルは彼女を抱き上げて背中をなでてやっていた。


「あたしも遊んで貰いたい……」

「ダメ。熱が下がってからだ。ふらふらと出歩いていたら、治るモンも治らねえぞ」

 いさめるような口調で言って、カミルは少女の頭を軽く叩いた。少女は泣き出しそうな顔をして俯いてしまう。その様が何だか可愛らしく、そして可哀想でもあった。


「あ、あの。私、本でも読んであげましょうか? それなら、ちゃんとベッドで寝ていることになりますから、大丈夫ですわよね?」

 ぱあっと少女の表情が明るくなる。だが次の瞬間、彼女は不安そうな色を帯びた瞳でカミルへと視線を移した。

 カミルはジェシカと少女とを交互に見比べ、仕方がないといった表情で笑う。


「よし。そんじゃ、そうしてもらうか。そのかわり体はちゃんと横にすること」

「うん」


 嬉しそうに微笑む少女。カミルは少しだけ照れくさそうにジェシカのことを見て、

「ありがとな。よろしく頼むわ」

 早口にそう言って部屋の中へ入っていった。

 カミルに感謝されたという事が、どういう訳かジェシカにはこの上ないほど嬉しかった。




 少女のために本を読み始めてどれくらいの時間がたったのか。

 喉が疲れて声が枯れてきてしまったが、嬉しそうな少女の顔を見ていると、そんな事には構わずにたくさんの話を聞かせてあげたくなる。


 何冊か物語を読んで聞かせていたら、女の子はいつの間にか眠ってしまったようだ。

 ジェシカは微笑みながら本を閉じ、少女を起こさないようにそっと部屋を出た。

 隣の部屋に戻るとカミルが椅子に座っていた。本を読んでいたらしい彼はジェシカに気付いて視線を上げる。


「寝た?」

「ええ」

「そっか。今日はありがとな。助かったよ」

 珍しくきちんと礼を言うカミルにジェシカは驚いて、慌てて首を振る。


「私にも出来ることがあって嬉しいんですの。クッキーは失敗してしまいましたからね」

「ちゃんと味見してから持って来いよ。あの堅さは異常だぜ。ある種の才能だよ」


 ジェシカは頬を膨らませるが、カミルは気にしたふうもなく笑いながら視線を本の上に戻した。何となく興味をそそられてその本をのぞき込むが、ジェシカには全くと言っていいほど本の内容は分からなかった。

 カミルは思い出したように顔を上げ、テーブルの上に置いてある容器を指した。それはクッキーを入れていた物だ。


「妹さんによろしくな。……あと、クッキーを作ってまた持って来いよ。何度でもけなしてやるぜ」

 カミルは片手を上げ、本を持ったまま少女の寝ている部屋に入っていった。


 ジェシカは容器を見つめた。レティシアが作った分はともかく、自分の分まで綺麗になくなっている。テーブル上には飲みかけの紅茶の入ったティーカップ。もしかして彼がクッキーを食べてくれたのだろうか。


 ジェシカはくるりときびすを返して、軽やかなステップで歩き始めた。

 外に出るとシーガルが近づいてくる。

 ジェシカの顔を見たシーガルは不思議そうに尋ねてきた。


「あれ、嬉しそうですね。何かあったんですか?」

「うふふ。何でもありませんのよ」

 ジェシカは頬がゆるむのを抑える事が出来なかった。



     *



 その後、ジェシカのクッキーは七回ほどけなされていた。だがそれすら快感になっている今日この頃。

 そのころにはあの少女の風邪も治り、一緒に外で遊ぶことも出来るようになっていた。

 ただし別の子が風邪を引いたらしいので、相変わらずカミルは孤児院に常駐していた。



 昨晩作ったクッキーは改心の出来だった。ちゃんと味見もしたし、レティシアも褒めてくれた。カミルもきっとおいしいと言ってくれるだろうと想像して、ジェシカは浮かれていた。


 ジェシカはクッキーを片手に、シーガルと一緒に城の廊下を歩いていた。


「今日は、デュークの奴は仕事です」

 げほげほと咳をしながら苦しそうに喋るシーガル。

「風邪がどんどん酷くなっているんじゃありません? 子供に移さないようにして下さいね」

「カミルにもきつく言われてますよ」

 ハンカチで口元を覆いながらシーガルはせき込んでいた。ずいぶんと状態は悪いようである。


「ジェシカ」

 背後から呼ばれてジェシカは振り返った。そこにいたのはロキフェル。シーガルは慌てて頭を深く下げる。

「そんなに堅くならないでくれ。シーガル君」

 とはいうものの、一国の王相手に堅くなるなと言う方が難しい。実際、シーガルは頭を下げたままである。だがそんな国王の威厳も娘には届かない物。


「どうしましたの、お父様」

「イ・ミュラー様に言われたから、お前が社会勉強に町へ行くことには反対しないが、何も毎日行かなくても……」

 語尾を濁すロキフェルに対し、ジェシカは胸を張って答えた。

「勉強熱心と言って欲しいですわ」

 ロキフェルは難しい顔をして唸っているが、ジェシカはさして気にとめた風もなく、歩いていこうとする。それを慌てて止めるロキフェル。


「たまには私の仕事も手伝って欲しいのだが……ダメか?」

「いつも通りレティにやらせれば良いじゃないですか」


 ロキフェルが忙しいときには、レティシアがその手伝いをするのが常である。もっとも仕事の補佐と言っても、ジェシカにも出来る簡単な物ばかりである。基本的にこの国の国王の仕事はハンコを押すだけの雑用が多い。


「レティはそのつもりみたいだが、風邪が酷いみたいだから少し休ませてやりたいんだよ」

「だったら、その分お父様が仕事を頑張ればよろしいのですわよ。そう言うわけで、行って参りますわ」

 物言いたげなロキフェルを残し、ジェシカは歩いていってしまった。シーガルはロキフェルに会釈をして、ジェシカの後を追いかける。


「いいんですか?」

「別に構いませんわよ。それより、早く行きましょう~」

 早くカミルにクッキーを食べて貰いたいジェシカは元気よく歩き出した。



     *



 ジェシカはカミルの顔を凝視していた。

 孤児院に着くなり、ジェシカはカミルの元を訪れてクッキーを差し出したのだ。


 目を伏せているカミルは口をもぐもぐと動かして、ジェシカの作ったクッキーを咀嚼している。そして、ゆっくりと目を開いた。


「まあ、このくらいならみんなに食わすことに許可が出せるな」

「……それって、美味しいって事ですの?」

 カミルは何も言わずに意味ありげな笑みを浮かべる。


「ま、お前の妹のクッキーの方がうまいけどな。だいたい、クッキーをまともに作れるようになるのに、これだけの時間がかかると、コメントもしにくいよな」

「もう、意地悪ですわねっ」


 カミルは笑いながら、ジェシカのクッキーとレティシアのクッキーをメアリーに預けて外に行ってしまった。

 その後ろ姿を頬を膨らませながら見つめるジェシカ。


「あまり怒らないであげてちょうだい。カミル君は素直じゃないだけだから。それにね、カミル君は好きな女の子には意地悪しちゃうタイプなのよ。本当、損な性格ねぇ」

 メアリーの柔らかいその言葉に、ジェシカは頬を染めた。彼女の口振りでは、カミルにからかわれているジェシカは彼に惚れられてると言わんばかりではないか。真っ赤になるジェシカのことを見て、メアリーはにこにこと微笑んでいる。

「もう。からかわないでください、お婆さま」

 はいはいとメアリーは頷いているが、ちゃんと聞いているのかは怪しい。


 子供達が家に入ってくる。手洗いうがいをし、手と口をタオルで綺麗に拭くと、子供達はメアリーの周りに集まった。

「おばあちゃん、お姉ちゃんのクッキー食べさせてよ」

 子供達に急かされて、メアリーはキッチンへ向かっていき、それを子供達が追って行った。


「みんな、ジェシカ様のクッキーが完成するのを楽しみにしていたんですよ」

 子供達を見ながらシーガルが教えてくれる。ジェシカがクッキー作りの特訓中であることは子供達も知っていたらしい。

 隣の部屋に入ると、子供達はジェシカの作ったクッキーを美味しそうに食べていた。


「お姉ちゃん、美味しいよ」

 その言葉を貰えただけで、ジェシカは心の底からクッキーを作って良かったと思えた。動機は少しだけ不純だったが、結果として子供達の笑顔を見ることが出来たのだから。




 子供達と思う存分遊んだジェシカは、夕方帰宅した。

 一週間以上も子供達の相手をしていると、それなりに体力も付いてくる物である。最近はデュークがいなくても歩いて帰ってこれるようになっていた。


 ジェシカはシーガルと一緒に自分の部屋に戻ろうとしていた。ジェシカの部屋まで送り届けて、ようやく彼の仕事は終わることになっているからだ。


 階段を上がろうとしたとき、二人はレティシアの姿を発見した。彼女はおぼつかない足取りで、手すりを掴みながら階段を上がっていた。

「レティ。ただいま戻りましたわ」

 声をかけると、レティシアは振り向いた。どことなく虚ろな目をしている彼女は、にこにことしているジェシカを見てぎこちなく微笑んだ。


「昨日の、クッキー……美味しいって、言っていただけたんですのね」

 ジェシカの表情からそう判断したらしい。ジェシカはその言葉を肯定しようと口を開きかけたが――

「レティ様、顔色が悪くないですか?」

 シーガルに言われ、ジェシカは首を傾げながらレティシアを見た。彼女は真っ青な顔をして、小気味に震えていた。手すりに捕まっていなければまともに立っていることも出来ないかも知れない。


「レティ、どうしましたの?」

「……別に。ちょっと、体調が優れない……だけ……」

 ふらっとレティシアの体が傾いた。ジェシカは口元に手を当てて、悲鳴を飲み込む。


 その時、横にいたシーガルが駆け出した。

「止まれっ」

 シーガルの声と共に、階段から落下しようとしていたレティシアの体が止まる。シーガルが近づくと彼女の体はゆっくりと落下し、シーガルの腕の中に落ちた。


 シーガルはほっと息を吐き、「失礼します」と一応断ってレティシアの額に触れる。

「熱が高いみたいですが……」

 ジェシカは慌ててシーガルに近づいて、レティシアの額に触れた。シーガルの言うとおり、ずいぶんと熱を持っているようだ。レティシアは目を閉じ、苦しそうに息をしている。


「どうしましょう。私、毎日レティに遅くまでつきあわせて……」

 狼狽えながらシーガルの腕を掴むと、彼はジェシカを安心させるように微笑みを作る。

「きっと大丈夫ですよ。とにかく、まずは寝かせてあげましょう」

 シーガルに言われてジェシカは泣きそうな顔をしながら頷いた。

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