スティルの獣
わずかでも興を覚えた人には、加護をかけた。それは、気の向いた時に見たり手を出したりするための便利な印に過ぎない。
スティルにつけた加護はその程度のものだった。
そんな加護を後生大事に抱えて国許へと帰参を急ぐ姿を見つけて、スティルに対する興味を深くした。
水鏡に浮かぶは、馬を疾走させる姿。受けた加護以上の速さで突き進んでいく。
スティルの故郷が東側にあったことにまず驚いた。
その上あんなところに住むという選択をした人がよくいたものだとあきれるくらい過酷な地だった。
あるのは厳しい風土だけ。
国内で処分すれば何かと騒動がおきかねないと、流罪に処された人たちが行き着いた土地のようだった。
東側では、流人の地と蔑まれている地がスティルの故郷だったのか。
帰り着いたスティルを出迎えた人々の暗い瞳が、少し潤んだように見えた。
加護持ちとなったスティルがその地にあるだけで、荒れ狂う自然がほんの少し人に優しくなった。
スティルを中心に暮らしの土台を積み上げていく。
一筋縄でゆかぬ人ばかりの集団は、この地を最後の砦と見定めて労力を惜しまなかった。
質実堅固な砦を築く男達の中に、線の細いスティルがいる。ついつい手を出そうとしては断られ、無理矢理座らされている姿に笑った。
あれでは、まるで説教を喰らっている小僧のようである。
巨石の切り出し現場に顔を出し、治水に奮闘していた。いつ見ても何かをやらかしていた。
身体が二つも三つもあればいいのにという声が聞こえてくるようだった。
気づけば、スティルの様子ばかりを覗いていた。
彼は既に自分が死んだ後のことまで考えているのか。
急ぎ建築したのは、いくつもの頑丈な建物。暴風雨に耐え、大地の鳴動に倒壊せずに済みそうなものを。
スティルが亡くなっても、人々がなんとか暮らしていけるような環境を必死に作ろうとしていた。
とうとう水鏡越しに見るのに耐えきれず、スティルの元に降り立った。
唖然としていたスティルに、そのまま憑く。
ぎくしゃくとした動きで土木工事の現場を確認しているスティルの後をついていく。その内、ひょいとどさくさにまぎれて混じろうとするので首根っこをつかまえていたら、
「そのまま押さえといてください」
あちこちから、声がかかった。
承諾の意をかねて、手を振っておく。こうして、スティルの生活にはいりこんでいった。
その夜、初めてスティルが寝具に包まれて眠り込んでいる姿を見る。
寝る間も惜しんで働き詰めだったのかと、気づかされた。
毎日が土木や治水で明け暮れている。
そして、生活基盤が整い出した頃から不遇の渦中にあった家族を故郷より呼び寄せる者が増えた。ささやかな人並みの暮らしが始まった。
命に関わるような工事がほぼ終わったとき、スティルの側についていた理由に気づくことになった。
スティルは見てて飽きないのだ。
そうして、少年から成年と育っていくのを間近で見続けていた。
……いつの間に、スティルがこの世から消えてしまう恐怖を私は身の内に育てていたのだろう。
彼の子どもは、楽しませてくれるのだろうかとふと思った。
残念なことに、生まれてきた子ども達に興味は一筋も湧かなかった。
ならば血を濃くすれば、興味が湧くのかと考える。
掛け合わせて血を濃くしたところで、スティルが生まれてくるのではないと気づくのに少し時間がかかった。
血にこだわった結果、スティルが少しひねてしまった。
力の強い獣が終焉を迎える準備に入ったらしい。
スティルが東の最高学府『セシリ』の神官からの招聘に応じたのは、前途有望な領民達の入学の許可を持ちだされたからだ。
彼等の『セシリ』での学生生活の保障を確約させていた。
私は、スティルの命数を延ばす手だてを探したかった。『セシリ』は記録に長けた学府なので、欲しい知識のいくらかは手に入る筈だった。
しかし、『セシリ』に滞在する間、領土の守護を私が確約せねばスティルは動こうともしなかった。
相も変わらず重厚な作りの学府である。どん欲に知識を溜め込むためだけにある建物が並ぶ。
内殿の一つに、スティルを招聘する元凶が居座っていた。
元凶の気配の薄さよりも、加護を幾十にもかけられている女が目に入る。その加護をどこで、どのようにかけたのかを急くままに問いただした。
性が違うから全てを同じようにかけることはできぬが、いくつかはスティルにも施せるようだった。
地の移動はスティルが嫌がるから、護玉を集めるしかないか。
「護玉を埋め込んだ時かなり泣かれ続けたが、それすらも愛おしくて仕方が無かった」
奴がうっとりとのたまった。
側で一緒に聞いていたスティルの顔から血の気がひいている。
護玉鉱脈に飛んで、スティルに一番良く馴染むであろうものを取り出していく。
採掘してきた護玉の目利きを奴に頼み、及第点をもらう。
お前が女であれば、護玉を永久に身体の芯に仕込むことができるのだが、男であるスティルにどう仕込めばいいのだろう。
また来たのかとうっとおしがられながらも、方法を吐かせた。
並べられた護玉を前に、スティルと女がぽつりぽつりと会話をしていた。
「たぶん、これが一番痛いと思う」
「………」
「痛くしないっていうけれど、嘘なの。すごく痛いから」
「………」
女が指差した護玉は確かに、純度が高いものだった。深い藍色の瞳を変色させたくないから、心の臓に溶かし込むべく吟味したものだ。
護玉を凝視しているスティルには可哀想だが、今すぐにでも埋め込みたい。
奴らを追い出し二人きりになった。
スティルは領土を守るためなら、なりふりなど構わない。どれだけ屈辱を感じても苦痛にのたうちまわっても、護玉を受け入れる。
スティルの胸を音が鳴るように数度、人差し指で軽く叩いた。
「彼の地の守護を高めてやろう」
私の言葉に観念したスティルは、横たわり胸をはだけさせた。
護玉をつかみ、鼓動の上から押し込んでいく。
絶命するかのような悲鳴があがる。
この悲鳴すら私のもの。誰にも聞かせはしない。
終焉の介添えの報酬として、女の身体に同化している護玉をもらう約定を神官と交わした。あれほど見事な玉を私は見つけられなかった。
スティルとの相性も良さそうで埋め込めば百年近く、命数を延ばせるのではないか。
「これ以上は無理だ」
「あの女は我慢できた。まだこんなに残っているのに」
「そんなに入れたら確実に心の臓が止まってしまう」
止まってしまうのは困る。どうすればいいのか、聞いてこなければ。
人は短く散るからこそ見がいがあると思っていたのだが、スティルだけは少しでも長く側にあって欲しかった。
命数をたかだか数十年延ばし続けるために、私は奔走してしまうのだろう。
人としては、長くスティルは生きることとなった。老いてもなお、現場に出ようとする彼の見張り役を楽しんだ。
眠るように息を引き取るその瞬間まで、心惹かれた人だった。
スティルがいたからこそ守護していたが、彼が亡くなればここに用は何もない。
スティルが手塩にかけたものだと思えば、余計に腹立たしい。
いつだって私より、領地や民を優先していたことを思い出す。
私は『ライツ』の獣に戻るべく、西に転移した。