タンシア
空気がたわんだと感じた瞬間、霊獣がお二方目の前にあらわれた。
「タンシアか」
唐突に部屋に押し入った霊獣が嬉しそうに顔を覗き込んできた。覚えの無い顔なのだが、あちらは私を知っている?
こくこくと首を縦に振っていたら、もう一方が首根っこを引っ張り上げて距離を取ってくださった。こちらの方は、見覚えがある。
「久しぶり」
穏やかな顔つきで声をかけられる。遠い昔、学府『セシリ』でお会いした時はいつも仏頂面で睨みつけられてばかりいた。
挨拶を返そうと口を開きかけたところで、我に返った御方が蹴りをいれていた。もちろん、お二方とも見事によけている。
目の前で、霊獣達が戯れあっている。『セシリの』『ライツの』『タンシアの』と互いに呼びあって、楽しそうで何よりだ。
掴んでは投げあったり、蹴り上げたりしてどったんばったんとしているのに、静かなのが不思議。
小突きあいに満足しあったのか、ぞろぞろとこちらに戻ってきた。
「具合が悪いのか」と、新顔様が。
「最近は眠ってばっかりです。どこもしんどくないのに眠くて」
「たぶん護玉のせいだろ。スティルもしんどくないのに眠いとよくぼやいてた」
懐かしそうに遠い目をして、亡き人の名を呼んだ。
記憶の混乱というか、真っ新になった記憶に押しつぶされていた時、
「一緒に歌ったんだよ」
そう言って賑やかな歌を聞かせてくれた人はもうこの世にいない。
スティルが亡くなったと伝え聞いた時、あの国はどうなってしまうのだろうと恐怖した。荒れ狂うままに、破壊されてしまうのではないかという想像ばかりした。
守護から手を引いただけで、確かにそれはとても痛手だったに違いないけれど、破壊の鉄槌を下さずに立ち去ったと聞いて安堵した。
「で、お前達は何しにきたんだ」
よくぞ聞いてくれましたと、新顔様が滔々と喋り出した。
「読み物にいくつもの『タンシアの恋物語』があったんだ。『二獣を従えたタンシアの恋』なんてのもあった。『放浪のタンシア』よりも『流浪するタンシア』の方が読み物としては面白かった。けれどどれが本当なんだろうって近くで見ていた『ライツの』に聞こうと思ってね」
「引きこもりの『セシリの』がやってきたから何事かと思ったら、本当に下らない理由で唖然とした」
「尋ねたら本人に聞けばいいと返されて、まだ生きていたのかとびっくりした。これだけたくさんの読み物に書かれた人物に直接会うのは初めてで興奮する」
「……帰れ。お前らいますぐ帰れ」
また、どたばたが始まった。
追いかけっこの合間に、器用に問いかけてくる。記憶のあるものは答えられるけれど、失くしたものは答えようが無い。そして古いできごと全てを覚えているわけでもない。
そんなまだらな答え一つ一つに、興奮しなくてもいいと思うのだが歓声をあげられた。
欲しかった答えを手にしたのだろう。
「また来る」
「来るな。二度と来るな。来ても、突然、ここに入ってくんな」
「どうして」
「繋がっているの見せたくない」
背もたれにしていた大きな枕を霊獣達めがけてぶん回した。ばふんと顔に直撃させる。私は急に動いた頭がくらりときた。
慌てて寝かしつけられたが、怒っているから背中をむけた。その背中をとんとんとんと手の平が優しく律動する。
眠気に潔く飛び込んでいけば、静かな声が耳を通り過ぎていく。
「眠ってばかりなのに飽きないのか」
「飽きない」
「飽きなかったな」
「退屈じゃないの」
「読み物は波瀾万丈が続くけれど、人との暮らしはそれだけじゃない。側にいるだけで楽しい日々を過ごせる」
「何の変化もない営みでも全然飽きなかった。スティルの面白さなら未だにいくらでも語れるよ。もう老いぼれてるのに現場に混じろうとしたから説教したりとか、いくつになっても土木工事が好きだった」
喪失感を乗り越えて、スティルの思い出を愛おしげに披露してくる。
このままだと馬鹿な子自慢が始まりそうで、当事者としては面はゆいばかりである。
みっともなくてもできる限り長く生き続けるつもりだけれども、私が亡くなった後、破壊衝動に走らないでいて欲しい。
できれば大人しくしてくれてたらいいのだけれど。
私との思い出がよすがになればいいのにと、願っている。