Shake Your Fist
僕が彼女と出会ったのは、夕焼けが空を照らしていた日、彼女は教会の前でぼんやりと赤い空を見つめていた。
…ああ…またか…
僕は少し離れた所でそう思った。
彼女は、教会の門の前に座って空を見つめていた。
僕の瞳には、いつも彼女のようなさびしい人々が写る。
―それは、時間を旅している僕の枷。
僕は、胸にかけていたロザリオを握りしめて、゛彼女゛の苦痛に耳を傾けることにした。
「どうしたんだい?」
彼女の隣に、僕はひっそりと立った。
不意をつかれて、チラッと僕の方を見る彼女。
僕は、夕焼けの空を見つめている。
セーラー服にルーズソックス、短いスカートの十七、八歳の高校生の彼女。
「あのね、開かないの…」
彼女が、僕の方を見て言った。
今にも泣き出しそうな、彼女の声に、僕は彼女の方を見た。
彼女の顔は、諦めたような笑いを含んだ表情でもう一度言った。
「…扉が、開かないの…」
彼女はそっと立ち上がり、眠らない街へと走って行ってしまった。
彼女はハチ公の前にあるベンチに座っていた。
僕はその傍らに座った。
「…あなたどこから来たの?」
雑踏を掻き分け、僕の耳に彼女の声が届く。
僕は彼女の言葉に躊躇した、本当のことを言おうか嘘を付こうか。
でも、彼女の黒い瞳を見ていたら嘘は付けなかった。
「違う…時間から来た」
僕はストレートにそう答えた。
他人は、僕達のことなど気にも留めていない。
「…違う、時間?」
彼女は二、三回瞬きをしながら、不思議そうに僕を見ていた。
疑うかと思っていたが、彼女は僕の言葉を素直に受け止めている。
「そう、違う時間から…このロザリオを使って、時間の旅をしているんだ」
彼女に納得させるように、僕は言った。
「時間の旅…」
そう呟いた彼女に、僕は胸に掛けていたロザリオを見せた。
「そう、僕は時を行き来する者。時間を旅する妖精…時を司る妖精」
僕はロザリオから手を離し、ネオンが光る夜空を見つめた。
「時を司る…妖精?」
彼女が僕を見つめる。
「時間の流れの中に生き、時と共に生きる者。それが、この僕の…」
僕は言葉に詰まってしまった。
―運命
そんな言葉を僕は軽く口にはしたくなかった。
僕は話題を変えた。
「そう、時間を旅していると、人間のいろいろな事が見えてくる。…君はどうしてあそこに居たんだい?」
僕はそっと彼女に尋ねた。
「あっ、うん。あのね、『心の声』を聞いてくれる人を待っていた…そう、待っていたんだと思う」
彼女は、手首を見つめた。
手首には、目を背けたくなるような痛々しい傷が付いていた。
「聞いてあげようか?」
僕がそっと彼女に言った。
「えっ?」
彼女が驚いた声を出して僕を見た。
「君の『心の声』をこの僕が…」
僕はそっと彼女の方に手を伸ばした。
―時が歪む。
僕の中に彼女の心が流れ込み、場所を変化させる。
「あのね、地下鉄のホームを歩くと、いつも踊りたくなったの…」
ここは地下鉄のホーム、無数の人々が僕と彼女のことを気にも留めずに歩いて行く。
彼女は一人楽しそうステップを踏み踊り始める。
僕はそれを黙って見ているとまた時が歪み、アスファルトの道に出た。
「アスファルトの上を、裸足で歩いて見たかったの…」
彼女は、履いていた靴と靴下を脱ぎそっと冷たい地面に足を伸ばした。
「果たされなかった無数の夢…私の叶えられなかった夢と願いが、この都会に、私を縛りつけている。勇気さえあれば、夢は、願いは、叶えられたのに…」
彼女は、手首の傷を見た。
僕は彼女の中に一歩踏み込んだ質問をしてみた。
「今、一番やりたい事はなんだい?」
彼女は少しためらった顔をしながら、そっと手を握りしめそれを高く上げた
「拳を…拳を上げて見たいのよ」
彼女は、高く上がった拳を見つめる。
「拳を?」
僕は彼女の拳を見つめた。
力強くもあり、弱々しくも見える彼女の拳。
「そう、開かないあの扉を開けるために…」
彼女が空高くある、扉を見つめた瞬間―。
また時が歪み、人通りの多い繁華街へ出てしまった。
ガヤガヤとした雑踏が彼女を苛立たせている。
「五月蝿い、ノイズ達」
彼女は耳を塞ぐ。
「貴方にも聞こえる?この五月蝿い声…」
雑踏の中に紛れ込み聞こえる声。
「勇気を出せ…って言う声かい?」
僕が雑踏の中にあった一つの言葉を彼女に言った。
彼女はぎこちなく笑った。
「ええ、あなたにも聞こえるのね。みんな私に、「勇気を出せ」なんって言っているのよ。でも、ダメ、勇気なんて出せない!私は、自分で時を止めたの…そう、自分自身の思いを習慣に縛り付けたのは、自分。解かっている。自分のやりたいコトを習慣に縛り付けたから、扉は開かない…。私は、いつも一人だった、あんな声じゃ、私を動かすことは出来ない!」
彼女の叫び声と共に、ノイズが止まり全ての空間が止まる。
「このまま、止まった時の中を過ごすのかい?」
彼女は僕の質問に声を詰まらせ、僕をじっと見つめる。
―いいさ、急がなくてもいい。君の答えは、すぐに出る…。
僕は、彼女の心に届くように囁いた。
「えっ?」
彼女は、驚いた顔をして言ったが、僕は話を変えた。
「そういえばさっき、『地下鉄のホームで踊りたい』って言っていたね」
僕は止まった人々の間を通り抜けながら、ステップを踏む。
「そうよ。それが…どうかしたの?」
彼女が素っ気無く、僕に言った。
「いや、どうしてやってみないのかと思って…」
僕は、笑いながら彼女を見つめた。
「えっ?何故って…私そんな子じゃないもの…」
彼女は、俯きながら呟いた。
僕は彼女の側に行き、彼女の顔を覗いた。
「どうして、そんな事を言うんだい?」
彼女は顔を背け、僕から遠ざかり思いをぶちまけた。
「私、普通の良い子だった。それを演じていただけかも知れない。私ね、苛められていたの…。いつも、独り、教室の隅で…黙って人の話に耳を傾けていの…。そうあの日も、いつもと同じで…」
彼女の言葉を紡ぐように時が歪み変化していった。
ここは彼女の通う学校。
午後の教室は、にぎやかで活気があふれていた。
彼女は自分の席に座っている。僕はそれを黙って見ていることしかできない。
『そう、今日もいつもと同じで独りぼっち…教室は、ノイズで五月蝿い。ざわめきが、とても五月蝿くて…』
その時の彼女の感情が僕の中に流れている。
「はい!みんな、早く決まった席に移動して!」
先生の声が響き、皆が席を移動させている。
「…ちゃんと座ついたな!」
彼女は窓際の目立たない席。
「今日は進路についてのことを書いてもらいます…」
淡々と進める先生、彼女の周りには彼女を毛嫌いする人間ばかりだった。
彼女は、回りを見ないようにしている。
「ねぇ、どうする?」
彼女の前に席を構えている女が、隣に居る女に言った。
「一応、どっか就職しようかなって…」
彼女の前に居る女が気だるそうに言い、後ろにいた彼女をジロッと見つめた。
「あんたは、どこ進むの?」
見下すような女の目に、彼女は脅えている。
「この子、どこにも行けないんじゃないの?」
もう片方の女が、馬鹿にするような口調でそう言った。
反逆の言葉も出せない彼女を、僕は見ていることしか出来ない。
「何やっているんだ!静かにしろ!」
先生が怒鳴り散らした。
「その進路表は今週中に提出、きちんと期限を守ること…」
先生が通路を歩きなら皆に言い聞かしていると、彼女の前の女が手を挙げて言った。
「センセイー!修学旅行の部屋割ってまだ出てないんですか?」
先生が困った顔をして、質問をした女生徒を見た。
「…ああ、もう少し待っていろ。いろいろ揉めていな」
言葉を濁す先生に、釘を刺すように女は言った。
「先生、早く決めてもらえわないと困ります!」
彼女を横目に、女はまじめ腐った声で言った。
辺りでは、クスクスと笑う声が聞こえる。
「来週までには、何とか決めておくから…」
先生は深いため息を付いたが気を取り直し、声を張り上げた。
「まあ、とりあえずは、こんなもんだ…さぁ、授業始めるぞ!教科書出して!」
先生の言葉を聴き、彼女は黒い鞄の中を探るが、持って来たはずの教科書が無い。
彼女の周りの人間が小声で笑っている。
「センセイー!この子、また教科書忘れています!」
彼女の隣の席にいる、方耳にピアスを付けている女が言った。
「先生、この子やる気無いんじゃないですか?昨日も教科書忘れていましたよ…」
彼女の斜め前の席、ピアスの女の前に座っている女が言った。
「またか、おまえも毎回毎回…。なにしにここに来ているんだ?」
あきれ半分の先生に、彼女は強く言った。
「朝は、あったんです!ちゃんと鞄の中に…」
語尾が濁る、彼女の痛々しい気持が僕の中に流れ込む。
「今は、無いんだろう?」
先生の強いその言葉が、彼女の上に圧し掛かる。
「…はい」
呟く彼女を尻目に、女たちがコソコソと小言を言う。
「今、無くちゃ…駄目よね」
そんな言葉が彼女の耳を掠める。
「まったく、こんなんじゃギリギリの単位しかやれんぞ…テストはきちんと出来ているんだから、忘れ物をしなきゃ、かなりの単位が取れるんだぞ…ああ、そう言えば体育と科学の先生が参加して無いから単位落とすとか言ってたぞ…」
ガミガミと上から圧せられるその言葉が、彼女の心を苦しめる。
「先生、その子のお説教は後で授業始めて下さい…」
一人の真面目な女がサラリと言った。
キツイ一言、しかしその人間にはその一言が彼女を傷つけたとは思っていない。
「ああ、すまん…」
苦々しい先生の声と共に、時が歪み無の空間へと変化する。
「目立つ事は、私にとっての罪。いつも群れている人々達は嫌い。人と違った事をするぐらいなら死んだほうがまし…けど、私は人と同じことが出来ない。だから、地味にできるだけ目立たないようにしていた。そんな私が、彼女達には嫌味に見えたのかもしれない…」
言葉を絞り込むように彼女は呟いた。
「いつもあんな事、言われていたのかい?」
僕は冷めた目で彼女を見つめた。
「うん、いつも仲間はずれ。特に理由もなく、苛められていた…」
彼女は何処となくさびしそうな目をしていた。
「誰にも相談できなかったのか?」
僕は無駄な質問をしてみた。
「苛められているなんて、家の人間には言えなかった。それに、先生に言ってもダメだったの…」
時が歪み、夕暮れの校舎になる。
「君、修学旅行の班まだどこの班にも入ってないんだな。まあな、行く気がないならいいだけど…行くんだろう?」
キツイ先生の言葉、教師としては失格なその言葉。
しかし、現実にはこんなが腐るほど居るのは事実である。
「私もあんまり、がみがみ言いたくんだけどね…。少しは積極性を持って、自分から何かアクションを起こしたほうが、これから先なにかの役に立つかもしれないから…分かった?」
先生が一通り彼女を叱りつけ、いそいそと名簿を持って去って行った。
彼女はため息をつき椅子に座った。
そして頃合を見計らい、二人の女が入ってきた。
「あんた先生に、なんか言った?」
ピアスの女が、彼女に近づき睨み付けた。
「…人の言っている事聞いてんの?」
茶色に髪を染めた女が、彼女の胸倉を掴んだ。
「そうえば、あんた好きな人いるって聞いたわよ」
ピアスの女が、彼女を見つめた。
茶髪の女が、『こんなヤツが人を好きになるの?』という顔で彼女を見た。
「うちの学校なの?」
ピアスの女が彼女を見る。
何も答えない彼女に、茶髪の女が胸倉を掴んでいた手を放し、彼女の腹に蹴りを入れた。
「ぐがっ」
なんとも言えない叫び声が響く。
「しょうがない子だね。ちゃんと答えれば良いのに…ところで、お金持ってない?」
ピアスの女が、倒れている彼女を見つめる。
彼女は蹲ったまま、何も言えなかった。
ピアスの女が、茶髪の女に指示をして机にあった鞄の中から財布をだした。
「…三千円しかねえよ」
茶髪の女が苦々しく財布からお札を抜き取った。
「まあ、足しにはなるでしょ…」
ピアスの女がそんな言葉を彼女に浴びせ、教室を後にした。
僕はそっとその中へ入っていった。
「いつも苦しかったのかい?」
蹲っていた彼女は、そっと立ち上がり僕を見つめた。
「苦しかった。心の声を誰かに聞いて欲しかった。私の本当の願いは、『誰かに心の声を聞いてもらいたかった』ただそれだけだった。それだけで、私は幸せになれたのに…」
彼女の目からは涙が流れていた。
「それが、君の本心だね…」
僕はそっと囁いた。
彼女はしっかりと頷いき、僕を見つめていった。
そして、また時が歪み、僕と彼女は教会の前に居た。
彼女は、しっかりとした口調で僕に尋ねた。
「ねえ、時間を旅していて、幸せな人なんて居た?」
彼女の瞳は、漆黒の輝きをしていた。
僕は、そんな彼女から目を逸らした。
「いない…みんな、何かしらの問題を抱えていた」
重々しい言葉を紡ぐ。
「そっか。本当の幸せなんて何処にもないのかもね…」
セーラー服姿だった彼女は、今は白い服を着て向かうべき場所へ向かおうとしている。
「本当の幸せがあるとしたら、それはその人にしか分からない事だし、それを叶える為には誰かを犠牲にしなきゃいけない時もある」
僕はロザリオを掴みながら彼女に言った。
「そうね…ありがとう、話し聞いてくれて」
彼女は、僕に微笑んだ。
その微笑みは、完全に吹っ切れたような表情であった。
「君の幸せが叶って良かった。これで、扉を叩きに行けるな…」
彼女はゆっくりと扉の方を見た。
「そうね。でも、生きている時にこの幸せを叶えたかったな…。恋もダメ、友達もいない、学校の先生ですら信じられない…私は、ダメな人間だったのよ」
彼女は扉を見つめながら、過去の自分を振り返る。
「人間なんてダメだらけさ。失敗して、やり直して成長する。人と交われば、裏切りや憎しみや嫉妬や苦しみが生まれてくるのは、当然の事なんだ…。すべての人が幸せになれる方法なんて無いんだ…」
僕は彼女の背中に、向かって言った。
「そうね。結局人間なんてみんな独りぼっちなのよ…。独りじゃさびしいから群れをなす。けど、私は群れに入れない。だから…切った。でも、叶わない願いが邪魔して、私をこの世に縛り付け、扉を叩けなかった…でも叩くわ、拳を上げて思いっきり!」
彼女は、罪を背負った手首を見つめ、目の前の扉を見つめた。
「ああ」
僕は強く頷いた。
彼女は扉を叩こうとしたが、ふと何か気になり僕の方に振り返った。
「ところで、貴方は今…幸せ?」
振り返って彼女に言われたその言葉が、僕の胸に突き刺さった。
「幸せではないな…」
僕の曖昧な発言に彼女は心配そうな顔をしたが、また笑顔になった。
「あなたに会えて良かった。また、会えると良いわね…」
僕は、彼女に本心を悟られないように複雑な表情をした。
「どうしたの?」
彼女が首を傾げる。
何も知らない彼女に僕の本心は伝えられなかった。
「いや、なんでもない」
そう、僕の本心は知られてはならないものなのだから。
僕は、精一杯の笑顔を作った。
「元気でね。貴方にも幸せ見つかりますように…」
そう言い彼女は僕に背を向けて、扉を叩いた。
遠くで救急車の音がした。
彼女は手首を深く切って死んだ。
もう、ニ度と彼女には会わないだろう。
僕は幾人の人の心を見ればいいのだろう。
時を旅する僕に、安らぎの時間、本心を見る時間は果たしてあるのだろうか…。
拳を挙げ、自らの扉を僕は開け放つことができるのだろうか。
いかがでしょうか?
この作品は、数年前脚本として書いたものをかなり修正して小説にしました。
脚本の方も読みたい!という謙虚な(?)な方が居ましたら、作者までご一報を…。