魔王が生まれた日
「ベン」
「もし私が死んだら、代わりに学舎を創ってくれない?」
「なんだよ縁起でもない」
「後天的に霊が見えはじめる人って、私以外にもたくさんいると思うの。そういう人や勇者に夢を見る人のための学校」
「学校ねえ」
「ベンなら学長が似合うと思うし」
「……別にいいけど。学校の名前は?」
彼女は唇に人差し指を立てながら考えた。ぱっと表情が何かひらめいたように晴れる。
「トイワース」
〇
勇者の素性は秘匿されている。
誰が勇者であるのかはベンジャミン・ウィリアム・バートン学長と彼が信頼を置く一部教員しか知らされていないという話だ。
目的を果たすためにはトイワースの門を潜り、それを知る者に教えてもらう必要がある。
「本校で教員を務めております、エドワード・ダッチマンと申します」
校門傍の警備室に現れたのは背丈の高い黒髪の男性教員だった。
「警備の者から伺っております。勇者を取材なさりたいとか」
「はい、現勇者を取材できないかと思いまして。こちら私のお名刺です」
私は彼に名刺を渡した。
「“週刊勇者”?」
「近々創刊になります。初号に勇者の特集記事を載せる予定でして。あ、もちろん素性に関わる情報は伏せさせていただきますので」
「三大従者校の事件についてはご存じですか?」
ダッチマン先生が名刺から顔を上げた。
「生徒が立て続けに殺されたという……」
「3名ともそれぞれの従者校において最優秀成績を収めていた生徒です。正規従者に選ばれてもおかしくないと有望視されていました。そう簡単に殺されるような生徒ではなかったはずです」
私はメモを取り出した。ペンを走らせる際に「構いませんか」と確認するとダッチマン先生は頷いた。
「トイワースでも警備を強化していまして、ですから部外者を無暗に敷地内へ入れるわけにはいかないのです」
私はペンを走らせた。
「急なご依頼にはお答えできかねます」
私はカバンから書類を一枚取り出した。
「すみません、こちらを先にお渡しすれば良かったですね。すでにバートン学長から許諾を得ています」
「学長から?」
受け取るとダッチマン先生は書類を睨んだ。
「確かに……バートン学長の筆跡です」
「彼とは旧友でして。私がお願いするや否や一つ返事で許可してくれました」
「旧友……」
ダッチマン先生がもう一度名刺へ目を通した。
「私のことはカオリとお呼びください」
〇
「もちろん、謝礼はお支払いします」
「そういう問題じゃないの。あなた記者でしょ、従者校の事件を知らないの?」
他の生徒たちから離れたグラウンド隅で勇者セレスはインタビューに応じた。
「もちろん知っています」
「従者校は全部で三つあって、殺された生徒は一つの学校につき一人。順番に殺されていったのよ。つまり次は私ってことじゃない」
「そう、なりますか……?」
私はダッチマン先生に対応を任せたかったが、彼も微妙な顔をしていた。
「犯人が誰かもわかってないのに。犯人を刺激しちゃったらどうするわけ? 私が殺されたらあなた責任とれるの?」
セレスさんがインタビューに応じてくれない。
「わかりました」
私はセレスさんをなだめた。
「では特集記事の件は保留としましょう。初号には別の記事を掲載します」
「良いのですか?」
ダッチマン先生が気遣った。
「はい。融通は利きます。最後に一つ確認したいのですが、セレスさんは幽霊を日にどのくらい見られますか」
「幽霊?」
「はい」
「死んだ人ってこと? え、どういう意味?」
「そのままの意味です。霊を日にどのくらい……」
私は違和感を覚えた。
「ダッチマン先生、セレスさんは霊が視えますか?」
「セレス、どうなんだ」
「霊なんて見ません」
「あの、カオリさん。失礼ですが、霊が視えるか、とはどういった趣旨の質問でしょうか。変わった質問ですね」
私はダッチマン先生と勇者セレスの顔を見比べた。
「……失礼しました。質問は以上となります。お手数おかけしました」
彼女は勇者ではない。
〇
ダッチマン先生はバートン学長が信頼を置く教員の一人で間違いない。
しかし彼は霊が視えるかどうかという基本的なことすら知らず、何の才能もない小娘を勇者と信じて疑わない。
バートンめ……。
彼の小細工か。
私のような者が現れたときのために仕込んだか。
「ではこれで失礼させていただきます」
ダッチマン先生が敷地内へ引き返してゆく。門が閉まった。
収穫はゼロ。こんな状態ではまだ帰れない。
バートンの許諾書は偽物だ。そのうちバレる。
私がやって来たことをバートンが知れば警戒が強まり、今以上に警備が厳しくなるだろう。そうなると勇者に近づくことは愚か、素性を知ることすらほぼ不可能となってしまう
早急に誰が勇者であるのかを突き止める必要がある。
私は塀伝いにしばらく歩き、正門の位置と反対の裏手へ来ると高い塀を飛び越えた。
「侵入成功」
トイワースの敷地内へ侵入した。
ここからが難しいところだ。長居は出来ない。
私は記者に扮するため着ていたジャケットを生垣の傍に捨てた。
〇
一目見た瞬間から彼女が勇者でないと分かっていた。
勇者が何故強いのか、それには理由がある。
人気がないことを確認しながら私は大回廊を行った。今は実技授業の時間らしい。生徒たちはみなグラウンドや体育館へ出払っている。
『おいアユム、なんだか知んねぇがやべえぞ』
声が聞こえた。私は振り向いた。
低学年? 二年生くらいだろうか。
少年がぽつんと一人、巨大な大回廊のど真ん中に立っていた。
一人ではなかった。少年の左肩に何かいる。最初それは黒いボールのように見えた。目を凝らすとやや蠢いており、目や口がついていた。
「悪霊?」
かと思ったがそうではない。
ただの悪霊ではないと思った。
『間違いねぇ、こつゃ霊だ』
黒いボールと少年が私をじっと見ている。
「霊? あの人幽霊なの?」
『ああ、間違いねえ。だがただの霊じゃねえ』
少年が黒いボールと会話している。
少年には、あれが視えている。
私は思わず口元が緩んだ。緩みに抵抗したら引き攣った。
「見つけた」
〇
学長室の戸を叩く音がした。
「失礼します」
戸が開きダッチマン先生の姿が見えた。
「学長、記者の方がお見えになりましたが、こちらで済ませておきました」
「記者?」
「週刊勇者の記者です。なんでも創刊号が近々発売になるらしく、現勇者のインタビュー記事を掲載したいということでしたので」」
「取材の予定はない」
「え」
「従者校の事件がまだ乾いとらん。厳戒態勢を敷いておるんじゃ、取材など応じるわけなかろう」
「……しかし、学長の筆跡で許諾書がありましたし。名刺もいただきました」
儂は焦った顔のダッチマン先生から名刺を受け取った。
「週刊勇者……」
「カオリという名の記者です」
「カオリ……」
儂は自分の心臓の脈の速まる気配を感じた。
全身に熱が帯びる頃、気配にも気づいた。
「何か入り込んでおるな」
〇
『霊体でありながら生身の人間に視認される、そんな奴はこの世に一人しかいねぇ』
黒いボールが少年に耳打ちしている。
私はグリモワールを手に持った。黒紫色の厚い本だ。
少年の左肩にいる黒いものに波を送って弾き飛ばした。
「あ、ボッチ!」
少年は素っ頓狂な顔で私を見つめた。
「お姉ちゃん、幽霊?」
「さあ、どうだろう」
「でもさっきダッチマン先生やセレスと話してたよね」
「見てたの?」
「うん」
「あなたお名前は? 私はカオリ」
「僕はアユム」
「アユム……じゃあアユム、私からも一つ聞かせて。あなたが勇者?」
「勇者はセレスだよ」
「嘘つきは泥棒の始まりよ」
「嘘じゃないよ」
「……そう。アユムは知らないのね。でもあの黒いボールみたいなものは見えるんでしょ? 話もできる」
「ボッチのこと?」
「ボッチ?……そう、あれはボッチというのね。そうよ」
「お姉ちゃん、今ボッチに何かした?」
「その話はまた後にしましょ。あなたが幽霊になった後に」
私は頷いてグリモワールを勇者アユムへ向けた。その時だった。どこからか熱情の赤い波が押し寄せてきた。グリモワールで払いのけると廊下に枝木を構えるベンの姿を見つけた。
「……カオリちゃん?」
老人の声が震えている。
「久しぶりにあなたに名を呼ばれたわ」
ベンは今にも泣き出しそうな顔をしている。
「情けないわ。大人が、それも老人が女の前で泣くなんて」
「儂はカオリちゃんを……」
「聞こえない」
私はベンの声を一蹴した。
「対等な話し合いは、あなたが幽霊になってからよ。ベンジャミン」
〇
僕は廊下へ飛んでいったボッチを探した。
すぐに見つけた。壁際に落ちてた。
「大丈夫?」
『アユムか。手ぇ貸してくれ、アユムにやられた傷がまだ癒えてねえ』
僕はボッチを両手ですくった。
「バートン先生とカオリお姉ちゃんが喧嘩してる」
『カオリお姉ちゃん?』
「あの記者の人。ダッチマン先生やセレスと話してた」
『ありゃ魔王だ』
「魔王? カオリお姉ちゃんが?」
『よく覚えときな、アユム。ポラロイドに写ったりするなら別だ。極端なストレスを受けたり、疲れて死に近いところにいると視えたりするのとはな』
「ポラロイド?」
『霊体でありながら生身の人間にも視認される、そんな奴はこの世に一人しかいねえ。魔王だ』
「魔王……」
『犯人が誰か分かった。これでお前らも納得すんだろ?』
僕の傍で三つの人影が立ち止まった。
〇
「アユムを殺すつもりなのか、まだ枝木すら見つけとらんのに」
「だから来たの。その前に殺すために」
私の緑色の波が、ベンの赤い波とぶつかっている。
ベンは老いた。昔とは違う。
「生徒を囮に使うなんて思いもしなかったわ。それがあなたのやり方?」
「誤解じゃ」
「立派な学長になったわね。アユムに私を殺させようってわけ?」
ベンはばつが悪そうに黙った。
「酷いわベン。私たち親友でしょ?」
「親友以上じゃ」
「そうよね。私たちは親友以上だった。そうなるはずだった。そうさせなかったのは誰?」
「……儂じゃ」
ベンの波が弱まった。そのまま収束してゆく。
彼は枝木を下げた。
私は扮することをやめた。まやかしの術を解いて本当の姿に戻った。
11歳の頃の姿に。
「昔のままじゃな、カオリちゃんは」
ベンがじっと私を見た。
「ベンは老けたね。もうおじいちゃん」
「カオリちゃんにもそうなって欲しかった」
「そうさせなかったのは誰?」
「……儂じゃ」
「そうよね。私はベンの生贄だものね。あなたという人生の」
「カオリお姉ちゃん」
アユムの声がして私は振りかえった。
アユムが歩いてくる。身体の前で丁寧に添えられた両手の平にあの黒いボールがぐったりしている。
その背後に、三つの人影があった。
『神はわたくしたちをお救いになりません。ですからわたくしたち自身でわたくしたちを救うのです』
女子の霊が胸の前で拳を重ねている。彼女は聖職者の白い正装を着こなしている。
『この先へは一歩も通さん。それが魔王であってもな』
男子の霊が鈴を鳴らしている。彼は筋骨隆々な重装備に大盾を構えている。
『霊力は死人のものにあらず、それは原初より生者のものなのです』
女子の霊の前で人形がカタカタと音を立てている。彼女は魔法使いのとんがり帽子とローブを着こなしている。
つい先日まで三大従者校に通っていた主席生徒たちだ。
私が殺した。
まるでアユムに後光が差しているかのようだ。
霊体が回廊の窓から差し込む日差しを受けて光を放っている。
「バートン先生から離れて」
「アユム、私の話を聞いて。あなたは彼に騙されているの」
「駄目だよ悪いことしちゃ」
まるで小さな行進だ。
アユムがゆっくりこちらへ歩いてくる。
〇
大回廊の真ん中に座り込むバートン学長の姿を見つけた。
傍にアユムの姿がある。
「学長」
「おや、ダッチマン先生」
学長が私に気づいた。
「全教員に指示を出しました。あの記者はすぐに見つかるでしょう」
「もうよい。すべて片付いた」
「片付いた?」
「魔王は去った」
「魔王?」
私は二人を見比べた。
「魔王?」
もう一度同じ問をぶつけていた。
体が熱くなり冷や汗が出ると寒気がした。
「あの記者、魔王だったのですか?」
私は眩暈がした。そのまま気絶してしまいたかった。
なんという失態だ。欺かれただけでなく、魔王を校内へ招いてしまうとは。
それよりあの記者に扮した女は魔王だったのか? 全然そんな感じがしなかったが。
「アユムが助けてくれたんじゃ」
気のせいか。バートン学長がどこかいつもより幼く見えた。
〇
『ありがとうございます、アユム様。これで心残りはありません』
聖職者のお姉ちゃんがお辞儀した。お姉ちゃんはずっと目を瞑っているように見える。
『一度は勇者と戦えたんだ。死んでからだけどな。相手に不足なし、なんてったって宿敵魔王だ。この鍛えた肉体も無駄にならずに済んだ。感謝する、勇者アユム』
ムキムキなお兄ちゃんが僕の頭をくしゃくしゃにした。
「僕は勇者じゃないよ」
『またそんなこと言って』
魔法使いのお姉ちゃんが呆れた。
『まさかあの通り魔が魔王だったなんて……少しはやり返せたし、勇者と戦えたわけだからこれで諦めもつくわ。勇者と会える生徒なんて一握りだし』
「みんなが助けてって言うから、僕は助けただけだよ。勇者はセレスだよ。セレスに会いたい?」
『言ったでしょ、あの子は勇者じゃないわ。何かの間違いよ』
「お主ら、従者校で亡くなった生徒たちか」
バートン先生が訊いた。三人はそれぞれ頷いた。
「そうか……助けられんで悪かったのお」
『わたくしたちは役目を終えました。しばらくトイワースで暮らしても良いでしょうか』
「もちろんじゃ、好きなだけいるがよい」
言葉少なだった。
三人は僕を見て微笑んだ。それから回廊の先へ歩いて行った。
〇
「どうしてカオリお姉ちゃんは行っちゃったの?」
「逃げたんじゃ」
バートン先生は中庭の前で立ち止まった。遊んでいる男女二人の生徒を見ているみたいだ。
「カオリちゃんと儂は、同じ小さな島で育った。歳も同じじゃった」
「先生と歳が同じ? でもカオリお姉ちゃん若かったよ」
「魔王は歳をとらん。カオリちゃんは11歳で魔王になった。その時から歳をとっておらん」
「魔王ってことは……勇者の敵ってこと? セレスに教えないと」
「よい」
「え」
「セレスには何も言わんでええ」
「でも」
「よいかアユムや、魔王は勇者を恐れておる」
「……カオリお姉ちゃん、セレスが怖いの? 確かに口は悪いけど」
「魔王が勇者に殺される宿命にあるからじゃ」
「さだめ?」
「勇者に殺されるために、魔王は生まれてくる」
「ふうん……じゃあ僕からセレスに言っとくよ。カオリお姉ちゃんを殺さないでって」
バートン先生の目とお髭が微笑んだ。
「お主は優しいのお」
先生は僕の頭を撫でると廊下の先へ行ってしまった。
僕は何だかぽかーんとして、返事を忘れた。




