うちのダンナさんは、「半分こ」とねだっておいて、あとで「皆んなお食べ」を言ってくる
うちのダンナさんには、妙なクセがある。
お店で最後のデザートが届いたとき、冷蔵庫に冷やしておいたスイーツを前にしたとき、ときおり横から言ってくる。
「なぁー、半分こな」
いつもいつもの毎度のことなら、お店の人が「ご注文を確認させていただきます」の前や1週間の買い出しの買いもの籠ふたつ入れたカートでレジに並ぶ前に先回りして聞けるのに、3っつにひとつ7回に1回よりも少ない頻度だから、始末が悪い。急に思いついたような、いまのいままでそんな「質の悪い癖なんかよう知らん」顔で、それを言ってくる。
わたしは心の中で、濁音のついた「はいはい」を言いながら、黙ってきれいに半分こしてあげる。
「おまえさん、いっつもきれいに半分こする・・・・・なぁ」と、いつもの決まり文句が還ってくる。「いつも」なんか使ってるあたりで芝居がかってるのは見え見えなのに、・・・・・のあとにくっつく女、女子の辺りはようよう口の端に昇らせない。
口の端についたゴハン粒を取らせないのは、このひとの悪い癖だ。
今のところ、それを問い詰めるきっかけや尻尾の諸を見せたことはないが、匂いくらいは嗅がせてくる。
ワザとの芝居か、子ども時分の一時だけの育ちの良さからくる鷹揚か。
そのどちらもあるようだから、本人だって混ぜこぜにして分からなくなっているから、「半分こな」のクセと同様に始末が悪い。
世間がいうところの高級レストランの「半分こ」は、飲んだワインが醒めるような冷や冷ややものだ。
チョコレートには一切興味ないウチの前で、ビターだけの小さなかけらを選んだうちのダンナさんは来たらすぐにその丸々を一口で片付け、コーヒーで流す。そして、季節の果実にピッタリの、カットしてピカピカにコーティングした桃を紅芋を花芯に丸ぁるく作り込んだモンブランに巻き付けて、手毬寿司になった宝石うっとり眺めとるうちの視線の真ん中に、ビターの小さな四角い欠片のついた皿を、指で押し出してくる。そして、いつもの呪文を囁く。
「なぁー、半分こな」
廻りのきちんとコーディしたスクエアなお客たちが、その低い呪文に気づいたらと思ったら、気が気ではいられない。
家のキッチンだと、そうした心配はいらないが、安心はできない。
いまは、冷凍ものでも、ピスタチオの入ったライムグリーンの美しいケーキなんてのがあるから、「食べたい」と思いついたらLDKの動線だけで紅茶と一緒に口の中に運んでいくのは可能だ。
凍ってるのを出して溶けるまで1時間と少しかかるから、今日だってちゃんと聞いのだ。
お気に入りのスコッチを二本並べて交互にワンショットづつ飲んでるから、もう一度ちゃんと聞いたのだ。スモークのかかったチーズとオイルサーディンを交互に食べてる口はむにゃむにゃしてたけど、まだまだ続けるからの返事はちゃんと返ってきたのだ。
それなのに、オイルサーディンをモグモグさせながら、美しいライムグリーンの球体を目にしただけで、なんの衒いもなく、それを言う。
「半分こ、な」
こちらの顔なんてみないで、グラスにカルバドスの香りの混ざった方のスコッチを二度に分けて継ぎ足し、新しい酒で溶ける丸氷にうっとりした顔で、それを言う。
うちだってイイいい大人なんだから、大したことでないのは分かっている。ついでの楽しみ程度のことが半分になるだけのことだと言葉通りに読み上げても、こう二つ三つ無神経な顔したイライラをこうも気前よく重ねられると、右の腹あたりがムズムズする。
なにか手を打たないと、せっかくの週末のこれからが台無しになりそうな暗い雲のムカムカが立ち昇る。
それを収めるため、わたしは平然と美しいライムグリーンの球体を半分に切り分ける。
いつも、ダンナさんが褒めてくれるように、美しい断面を拵えるための作業を行う。片側の空いた二つの白い皿に半分こしたのが並ぶ。
そんなときだ。もうひとつの決まり文句を添えるのは。
3っつにひとつ7回に1回の「半分こ」のあとの、うちの片腹のムズムズ、部屋着のワンピまくり上げてすぐに覗いて気づいたみたいに言ってくる。
「オレはいいから。・・・・もう半分の方も、お食べ」
そしたら、もう、なーんにもいらない。ピスタチオのライムグリーンも、カルバドスの薫るスコッチも皆んな食卓に残し、ベッドルームへ一目散。
ウチより2度体温の高い腕にしがみついて、シャワーなんて終わってからでいいと、ふたりの身体のほかは、セミダブルのベッドを覆う白いシーツだけあればいい。
週末がそんな夜から始まったら、もう最高。