04 所有物
「……正気か?」
ボソリと呟くように発した言葉は揚羽の耳には届かずに消え失せた。正確には、もう誰が何を言っても彼女の耳にはなんの言葉も届かないのだろう。真っ直ぐ芯の通った藍色の瞳にもう迷いはなく、ただひたすらそこにある幸せを信じて疑わない目をしていた。
彼女が嘘をついて、お金目当てで近付いて来たのであればすぐに追い返すつもりだった。しかし、話を最後まで聞いて見ると実に滑稽だった。自分のためではなく男のために金を用意したい? 正真正銘のお人好しというか、バカな女というか……。
いや、これも血筋……なのかもしれないな、と思いつつ李音は内心呆れていた。
彼女の母親、暁千夜子には借りがある。だから手を差し伸べてやる、ただそれだけだ。そんなことを思いながら李音は手元においてあったベルをチリンっと鳴らした。心地よい澄んだ音色が部屋に響き渡ると、先ほど電話で聞いたあの美しい声のメイドさんが颯爽と駆け付けた。
「李音様、お呼びでしょうか?」
ひらりと長いスカートを持ち上げ、ペコリとお辞儀をし優雅に舞う仕草はとても洗礼されていて、上品にふわっと巻いた艶のある桔梗色の髪があまりにも美しすぎて揚羽は一瞬で目を奪われた。それはとても、とても綺麗な女性が李音の元へと駆け寄った。
「薫、こいつの口座に今すぐ一千万振り込んでやってくれ」
「かしこまりました」
薫と呼ばれた女性はもう一度深くお辞儀をし顔を上げると、目を奪われていた揚羽と目があい、それに対して優しく微笑むとまた奥の部屋へと消えてしまった。
「明日準備が出来次第、荷物をまとめてここへ来い。お前には住み込みで働いてもらう」
それは一番最初に声を発した時と同じようなただ冷たく事務的な声だった。
もしかしたらもう私のことは人間として見ていないのかもしれない。なぜなら私は、もう人間ではない、ただ彼の所有物に成り下がったのだから。
「本当にありがとうございます。この御恩は一生忘れません」
私はもう一度深く頭を下げ、桜乃宮邸をすぐにでた。そして家へと帰り、すぐに荷物を纏め始めた。と言っても幼い頃から点々と引っ越す生活をしていたので物もそんなに多く持っておらず、すぐに荷物や部屋の後片付けが終わってしまった。大家さんには悪いが早急にここを立ち去ることを伝え、すでに了承も得ている。後は明日、拓也にお金を渡し、事情を説明するだけ……
「大丈夫……、きっと大丈夫だよね……?」
それは独り言なので当然誰かから答えが返ってくるわけもなく、沈黙が続いた。そのままぼーっと天井を見つめているとふと急激な眠りが襲ってきた。ふとベッド横の時計に目をやると時刻は午後8時半、まだ眠るにはいささか早い時間だが……。
そう思いつつも深い眠りの誘いを振り払うことができず、そのまま身を任せるかのように瞼を閉じ、夢の中へと堕ちていった……
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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