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囚われのアゲハ蝶  作者: 蝶々ここあ
第一章 蜘蛛
14/57

14 幸せに……

––––初めて死にたいと思ったのは大好きな母が死んだ学生時代。


 私は幼い頃から家を転々として過ごしていた。原因はただ一つ、父がどこかで借金を作ってきてはそれを母と私に被らせていたのだ。私は幼いながらも父と母が離れて暮らした方がいいと直感的に感じていた。それを母に言葉で伝えたこともあった。


「ねぇ、お母さん……どうしてお父さんと一緒にいるの……?」


 子供の残酷で素直な気持ちは、今思えばお母さんを傷つけていたかもしれない。でもその言葉に対してお母さんは疲れ切った顔で笑顔を浮かべて私をただ抱きしめるだけだった。


 そこには否定も肯定もなかった。


 あの時、母は何を思っていたのだろうか……? 金がないなら働きに出ろと父は嫌がる母を無理矢理連れていくこともあった。父は私にも働け、働けないのなら俺の金を貪る足手纏いといい、数減らしに売り飛ばせといつも口癖のように言っていた。


 私は父が怖かった。怒鳴られてばっかりだったし、ことあるごとに殴られた。どんなに記憶の中を探してもいい思い出など一つもない。


 でも母は違う。どんなに父に怒鳴られてもどんなに暴力を振るわれても私のことだけは見捨てなかった。私を置いて一人逃げ出してしまうことだって出来たのに、絶対に私のことは見捨てなかった。


 二人で小さなおにぎりを笑いながら分け合って食べたり、寒い日はボロボロの布団にくるまったり、誕生日の日は手作りの白詰草の冠をくれたりした。私は幸せではなかったけれど、母と一緒なら幸せだったのだ。


 そんなある日、父がいつものようにパチンコに出かけた時だった。母は突然泣き出しながら「逃げるよ」と言って私の手を引いた。


 この時、私は初めて母の涙を見た。どんなに辛い時でも一度たりとも涙を見せたことのない母の涙にはどんな意味があったのだろうか? 今だにそれはわからない。


 それは私が15歳の時の出来事だった。それから数ヶ月、私たち二人は父から逃げるように細々と目立たないように過ごしてきた。父から逃げた後、母は私を学校へと通わせてくれた。私はお金もかかるし、通わないで働きに出ると言ったのだが、母がそれを許さなかった。


「絶対に後悔する日が来る、せめて今だけは普通の子と同じ人生を歩んでほしい」


 私はそれが母の願いなら聞き入れようと思った。15年以上生きてきてその時初めて友達ができた。初めて学ぶことの楽しさを知った。全部あの日私を連れ出してくれた母のおかげだ。


 そんな日常がまた父によって壊された。父から逃げ出して丁度一年、私が16歳の誕生日を迎えた日、学校を終え、家に帰るとそこには黒づくめの大柄な男たちが私を待っていた。


 彼らは父が死んだことを伝えにやって来たのだという。私は多分、父は殺されたのだろうと思った。そして黒づくめの男たちは口を揃えてこういった。


「借金が一億二千万、きっちりと返してもらう」


 それは父が最後の嫌がらせに母名義で勝手に作った借金だった。死んでもなお、母と私を地獄の底へ縛りつけようとする父に心底腹がたった。私は母に一緒にこのまま逃げようと言った。母は優しく「そうね」と微笑み私の手を取った。


「そんなことより今日は揚羽の誕生日だよ。その話は忘れてお祝いしなくちゃいけないね」


 そう言って母は誕生日プレゼントに手作りのお守りをくれた。淡い紫の光沢のある上質な生地に蝶の刺繍、中身は薄い木の板と厚紙に母の手書きで、揚羽が幸せになれますように、と書かれていた。そしてお守りと一緒に母は一枚の名刺を手渡した。


「どうしようもなくなった時、困ったことがあったら相談してみてね、きっと力になってくれるはずよ……」


 そう言って微笑む母はどこか寂しげで儚かった。


「明日、貴方が学校から帰ってきたら一緒に家を出ましょう。荷物を纏めて待っているわ」


 それは母の優しい嘘だった。次の日、母は近くの山へ行き自ら首を吊った。数年前から身を案じて多額の保険金をかけていたらしい。そのお金で最後に父が残した借金は全て返済することができた。母は最後まで父の尻拭いをさせられ、最後まで私のことを守ってくれたのだ。私は母が亡くなったことにショックを受け、学校に通うことが困難になっていった。登校しても今まで友達だと思っていたクラスメイトは皆目の色が変わり、ことごとく私を罵った。


「借金まみれの貧乏人」「お前、本物の貧乏神なんじゃないか?」「保険金で大金持ちになれてよかったね」


 何も……何も知らない癖に……っ! 貴方達みたいに最初から幸せな人達に、私達の何がわかるっていうの……? どうして私とお母さんは……幸せになることすら許されないの……?


 それは幼い頃から何度も何度も父にかけられた呪いの言葉が答えだった。


『お前は幸せになんて絶対になれない、俺がお前を一生呪って不幸にしてやるからな』


 脳内に忌々しい父の笑い声が響く。




––––ああ、お母さん……ごめんなさい……やっぱりだめだよ……私一人じゃ生きていけない……




 呪いの言葉が私を苦しめる。


『役立たずの出来損ない。この足手纏い。やっぱり千夜子にお前を産ませるべきではなかった』


––––やめて……


『お前と千夜子は死ぬまで俺の奴隷だ、何がなんでも離さないからな」


––––もうやめて……


 この呪いはきっと私が命を絶つまで消えてはくれない。ならいっそ……今、楽になった方が……。そんな考えがよぎり自然と足が台所へと進む。しまってあった鈍く光る包丁を手に取り、首筋に切先を突き立てようとした瞬間だった。


 ピンポーンと軽やかな音をたてチャイムが部屋中に鳴り響いた。一体誰が尋ねてきたのだろう……? まさか、また黒づくめの男達だろうか……? 揚羽は息を潜めてそっと覗き穴から外の様子を伺う。


「ごめんください」


 そこにいたのは揚羽が通う学校と同じ制服に身を包んだ青年だった。青年は少しだけ恥ずかしそうに言葉を続けた。


「これ、今までの授業のノート、暁さんのために持ってきたんだ」


 そう言って覗き窓越しに青年はニカっとぎこちない笑顔で笑って見せた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

貴方にとって、特別な物語になれますように。


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