インド対ウニの世
『やぁやぁ、そこのエビくん。俺達はそこの島に入りたいんだが、このちりめんじゃこ達が邪魔をするんだぜ。俺たちの邪魔をしないように言ってくれねぇかな?』
ロブスター。
エビ界では有数のエビであることは言わずもがなであるが、むしろ一部の地方ではエビとの区別さえされるほどの巨大で力強い生物。その殻は鉄よりも硬く、その尾は扇のように優雅であるとも。
このナラタム島周辺海域を渦巻く小さなエビの幼生を操っているのもおそらくノナ達の目の前にいるロブスターなのだろう。
両腕のハサミがカニのように発達しており、さらにあの老人のような腰は猫背レベルまで背筋が伸びている。そして腹側の筋肉が肥大化し、背面側の殻が黒鉄のような光沢を放っている。
それを見てガンガゼがなんとなく思いついた言葉はエビボクサーだった。
『エビのような小物と一緒にしないでくれよなチミ。我輩はロブスター、ヤシガニ王の編隊なされた甲殻機動隊の切り込み隊長を任されてるのだよ』
潜水艦の潜望鏡のように飛び出た目でノナ達を生態系の下位種だと侮るように見ながら、ご自慢のヒゲをハサミで何度もしごくロブスター。
『隊長だか、エビだか、カブトガニか知らないけど、このチリメンジャコ達をどかしてくれないかしら』
ムラサキウニはその態度にイラつきながら、向かってくる小エビ達を平手打ちで弾き飛ばしていく。
『……それは無理だ、ナラタム島はこれから我らがヤシガニ王とイカ王タコ王との対談があるため、島周辺の強化の手は緩められない』
叩かれた小エビ達を冷徹に視界の隅で捉えながら、ムラサキウニの言葉に若干ヒゲを傾けたロブスター。潜望鏡のような眼柄を伸ばして不躾な態度をとるムラサキウニをジーっと見つめる。
『とは言いつつも、俺らみたいなやつでも簡単にここまで来られてるじゃないっすか』
火に油を注ぐようにパイプウニが小エビ達による攻撃を嘲笑しながら示唆する。事実、小さなエビのテールアタックなんてものは目覚ましビンタなんかよりも痛くない。ノナ達にとっては甲殻機動隊なんて仰々しいのは名前だけで有名無実というところだった。
『フンッ、ジャポンのクリ風情が我らの作戦なぞわかるわけもなかろう。よいか?小エビ達はあくまでセンサー兼伝達係』
『だから?』
『すでにこちらにはチミ達のような不穏分子を排除するための主力部隊が向かってきているのだよ』
ハサミをヒゲから離し、黒真珠のような眼に笑みを見せながらゆっくりと上昇するロブスター。
『何よ、私たちとやろうってんの?』
『もとより部外者を島に入れるなどという左向きな考えはないのだよ。それにたかが浅瀬を這うイガグリ連中に臆するわけもなかろう、我らはゆうに1万匹の軍団を誇るのだ。大人しくジャポンに帰るのだったら今のところは見逃してやろうぞ』
『なら集まる前にあんたを倒して俺たちは先に行かせてもらおうかぜ』
ガンガゼはすでに逆立っていた頭部の棘をさらに硬化させて、威嚇するように睨みつける。
しかしロブスターはそんな変身を全く見向きもせず、必要以上に緊張感を含んでいない余裕を持った声音でこう言った。
『なるほど、我輩相手なら勝てると踏んだかね、イタズラな赤ちゃんよ。インドの海原を知る大老として、その読みは大いに外れていることを教えてやろう』
上昇して、太陽光に照らされたロブスターの身体が仄暗く輝きだした。黒鉄色の外殻が熱された鉄のように赤く染まり、殻と殻の間から熱水が放出された。そしてその体は1.5倍以上に大きく膨れ、右鋏だけそれにともない巨大化し棘が何本も生えてきた。
『はっはっ!』
『えっえっ!』
パプアニューギニア近海、アラフラ海。
ラッパウニの目の前では太平と印度のチョウチョウオによる聖なる聖戦が繰り広げられていた。
しかし、聖戦とはいえどそれはとても非暴力的なものだった。
『はいやっ!はいやっ!はいやっ!』
『えいさっ!えいさっ!えいさっ!』
美しいシルクのようなヒレを右に左にとたなびかせるチョウチョウオ達。
美しい珊瑚の上、スリッドに差し込む太陽光の下、それはとても優雅で流麗な踊りの戦いだった。
『どうだぁ!イガグリよ!我ら太平のチョウチョウオと』
『我ら印度のチョウチョウオの踊り』
『『どちらが素晴らしいか!?』』
そう言ってラッパウニに詰め寄る太平と印度のチョウチョウオのリーダー2匹。
ラッパウニはその気迫に気圧され、逃げ出したい気持ちをこらえながら背中を反らせた。
どちらの踊りも派手で煌びやかで、一方を選べというのはとても難しく苦しい。
『えぇっとぉ……』
百色二百色の目が痛いほどギンギラな大型の魚に囲まれて、銀河の中心にいるよう気分になれそうだが圧迫感がすごい。そもそも喋る魚によって構成された虹色の銀河なんてB級映画の舞台、コズミックホラーの近未来小説に出てきそうだ。
『うぐぅ……ひ』
決心はつかづとも、そのプレッシャーに押しつぶされついポロリと口から言葉が漏れてしまった。あとはいくら零さないようにしても無駄で、数珠つなぎに吐き出してしまうのはほんの少し先のことだった。
『『ひ?』』
『引き、分け……どちらも100点カンスト、です』
ラッパウニにはそれしか言えなかった。
社交ダンスもフリースタイルもブレイクダンスも阿波踊りも踊ったことのないラッパウニにとっては両者の踊りも本当に100点カンストなのだが、そこにどんなスキルが使われているのかは見当もつかない。
下手に勝敗を決めるより引き分けに持って行った方が平和的な解決に持っていけるとラッパウニは判断したのだった。
『………また、引き分けか』
『……また、引き分けだな』
魚顔、というか魚そのものなのでその顔が落ち込んでいるのかどうなのかはラッパウニにはわからなかったが、確実に水中に響く声はトーンを落としていた。
リーダー2人の士気がさがったからか、あるいは引き分けからか、舞い踊っていたそっちの一門とあっちの一門のチョウチョウウオ達は静かにそのシルクのようなヒレを下げた。
『……ふは、ふははは!やはり西側最強の印度のチョウチョウウオ一門と対等に渡り合えるのは我らしかおるまい!』
『東側無敗の太平のチョウチョウウオ一門を我圧倒させる舞踊魚は我らだけゆえ、ほかのグッピーやグラスフィッシュごときにはまだまだ引けを取りませんぞ!』
『ふぇ?……えぇ』
最初からこんなものは茶番でしかなかったのだ。出川哲朗と上島竜兵、今いくよくるよ師匠。
先人達と同じく喧嘩をしてるように見せながらもその心中は阿吽の呼吸、以心伝心。
最初から聖戦というものはツンデレなお互いを褒め合う都合のいいご都合でしかない。
さらに言って仕舞えば、チョウチョウウオは東西に別れようとも種族は同じ。そして、お互いを1番強いと認め合っているからこそ、この聖戦においての勝者は大枠絶対にチョウチョウウオ。
プライドがタカアシガニのように高いチョウチョウウオは自分又は自分の種族が1番でないと気が済まないのだ。
つまりどう転んでも、どちらのチョウチョウウオ一門も喜ぶ茶番的展開にラッパウニは第三者目線という小道具として体良く使われたに過ぎなかった。
それに気づいたラッパウニはそった背中に身を預けて、背面に倒れこむ。水中のためにその倒れこみはゆっくりだったが、逆にそれがラッパウニのノスタルジックな気持ちと上手く合わさったようだった。
『ムラサキぃ……ガンガゼぇ……エゾぉ…パイプぅ!いったいナラタム島ってどこなんだよぉぉぉッ!』
どんちゃんぱらりら。どんちゃんぱらりら。
ラッパウニの未練がましい魂の絶唱は、チョウチョウウオの酔って酔わせてのお祭り喧騒に飲み込まれて潰され、その残骸はアラフラ海の潮に流されて後腐れも禍根もなく、消え去った。