エピローグ ~कृतज्ञता〜
夕暮れも過ぎて水平線に太陽が消えた。
満天の星と月明かりが微量ながらも、潜水艦の人口灯に負けずに浴びせてくる。
ノナ達は勝利を掴んだ。それは多くの犠牲を払い、生物滅亡の危機を跳ね除け、シンギュラリティを叩き潰したが、なんの褒賞も報いもない。
あるのは疲弊と喪失感だけだった。
〜特一型潜水艦にて〜
「いったたたた……最後の最後に爆発って……死ななかったからよかったものを」
ムラサキウニはそういって腰に手を当てる。
あの後イーシュワラの核は爆発した。
虹色に儚く。海中花火のように爆ぜてもろともを吹き飛ばすだけ吹き飛ばして消えた。
あの怪物がああもあっけなくやられたのが皆ウソのように感じられて後味が悪い。何せ実体のないものの消滅を確定させるなどとは悪魔の証明と同じ。死体を確認しようが息を吹き返すのがラスボスの常というものなのだから。
「なぁ、あのイーシュワラはちゃんと俺たちによって退治されたのか?奴は各国の海底にも基地を作ってそこに分化AIを置いてるとも言ってた」
「イーシュワラ本体は君らが破壊したーーいや、自壊させたと言うべきか。ともあれ滅んだんだ。だから、ゲームのラスボスのように復活したりはしない。君らが言う分化AIに関しては調査員の報告によると、本体よりずっと低位のもので、本体からの命令がないと実行権限を持たない。当分は行動を起こしたりしないよ」
眼鏡をかけた博士の一人、吉富博士がノナ達に説明する。
この博士は主にノナ達の生育ーー所謂、お守り係なのだが頭が切れる。
何せノナ達に開示できる情報のすべてを知ることができる数少なき人物のひとりなのだから。
技術が一つ漏れるだけでも国が一つ滅びるのが現社会なので、研究員や博士も情報をパーツのように細かくしかもってないのだ。
その情報の統合先である吉富博士がそういうのだからと、大半のノナ達は納得を示した。
「だからと言って油断してっちゃあダメだべ。早め早めにやるがいいべ!」
「分かっている。そのためにスペシャルゲストを復活させたんだからな。ただでさえ資金繰りが忙しかったんだが……ラムシュアの資産をこちらで差し押さえられるからイーブンだ」
「スペシャルゲストって誰よ」
スペシャルゲストと言えど、イーシュワラ戦で出てきていないなら大したゲストではない気がする。と思うノナ達だったが、吉富博士がわきに抱えていたノートパソコンを開いて起動して見せたものに確かにスペシャル感を感じざる終えなかった。
そこにつっていたのは形のない虹色の三次元的な波の映像。
そして、その映像が懐かしい音声とともに震えた。
「私ですよ、皆さん」
「!?イーシュワラ!いや、KCなんちゃら!」
殴りかかろうとするムラサキウニ。しかしそれは当たらず空を切る。
とっさに博士が引いたからよかったもののあたっていれば大惨事だった。
「どちらも違います。船内で戦闘行為を行うことは推奨されません。武器を収めてください」
「はぁ……殴りかかろうとするんじゃない。彼は数年前に行方不明となっていたコメツブウニだ。厳密には当時活躍していた彼はラムシュアの手によって改造されてしまったわけだが、こちらはバックアップのバージョン1.6版。開発にかかる時間があまりなかったから日進月歩だったけれど、先日完成したというわけだ」
コメツブウニとイーシュワラの声が同じなのはイーシュワラがコメツブウニをベースに作られているせいである。
肉体のない状態で機械的な声を聞かされれば、どちらかの判断がつかないのはしょうがない。
そしてコメツブウニの新規モデルを作るにあたっては肉体を使わなかったとしても実用には膨大な資金が必要だったためにこれまで使うことをためらわれていたが、今回の一件で復権を遂げた。
なんならイーシュワラをハッキングしてAI側面との接続を阻害していたのもこのコメツブウニである。同じネットワークを使うがゆえにハッキングが容易になっていたのであった。
「はい、要はゲームボーイからDSへの派生のようなものですね」
百年以上のゲーム機を例に出して簡単に説明するが、誰にも伝わらない。
「うんよくわからないけど、再臨おめでとう!やっと復活できたのね!」
「コメツブウニが復活して嬉しいのは俺も一緒やが、逆にパイプウニの方が……」
「……そうね。彼の尊き犠牲は忘れられないわ」
「それに関しては任せてくれ。君ら人間ベースの生物じゃないということを覚えてないのか?俗にいうミュータントだと。ウニのMTAの異常な能力の一つとしてあげられるのが超生存能力。生きることだけに特化している君たちは腹をぶち抜かれても死ぬことはそうそうない。その実、彼の体はすでに回収したが、現在仮死状態に入っているだけだった。安心したまえ」
ーーまぁやろうと思えば死体からでも生き返らせられるんだけれどーーなどと吉富博士が思ったことは内緒である。
新生物がのさばる世になったおかげというのもあるのだが、生物関連の技術、特に医療においては絶大な進化を人類は遂げた。
変化させる技があればそれを元に戻す技も少なからずあるということだ。
しかしそれを差し引きしてもコスパ良く尖兵としての役割を担わせているノナ達は再生力が人間の比ではないのだが。
「穿たれといて死なないとかマジかよ……本当に、よかった」
「全隊員、ご苦労様。間も無く本拠地に到着する。その後君らには最低三日の休暇を与えることを保証しよう。僕たちはもう一度探査隊を編成して解体基地跡を調べることにするけれど、そっちは参加任意でいいよ。みんな疲れを癒してくれよ」
こうしておおむねインドが起こした大事件は収束し、全ては終わった。
〜3日後〜
「おーい、博士。俺たちもう完全回復勇気凛々だぜー」
海底基地探査第三回目会議に使われている部屋にノナ達が吉富博士を探してやってきた。選抜メンバーの決定をした博士はゆっくりとコーヒーを飲んでいたわけだが、ノナ達に一つ伝えなくてはならないことを思い出したかのように言った。
「それは何より。だけれど、海底基地の探査の方は予定より大幅に早く終わりそうだから行かなくていいよ」
「うん?なにかあったのかしらん?」
「じ、実はね。君らが倒したイーシュワラのAI側面だけ差し押さえていたからコメツブネットワーク上に残ってたんだけれど、なんとなく使えないかなぁって思ってちょーっとプログラムをいじってみたら……暗号化されてたイーシュワラのバックアップが発動して合体しちゃった」
かわいくごまかそうとする博士に襲い掛かるノナ達。
剛腕から身を守るために博士は素早く机の下に地震をやり過ごすように潜り込む。
相手は自身よりもおっかない海の子供なわけなので片腕で簡単に博士を引っ張り出してしまう。
「何してくれとんじゃあ!?」
「あんな難敵もう倒せないてか合体したって!完全体じゃないのよー!」
「あ、あぁその点はコメツブウニが不必要な部分だけを切り取って抑えたから大丈夫なんだけど……」
そこで三日前のあの日、コメツブウニを登場させたようにノートパソコンを開く吉富博士。そこには今度はワインのように赤い三次元的な波の映像があり、声が流れてきた。
「外なる守護者、宇宙の真愛、浄土の光より降誕しました。皆様はじめまして、そして久しぶり。」
パイプ椅子を振り上げてノートパソコンを破壊しようとするノナ達。
博士的にはサプライズのつもりだったが、こんなものただの憤怒トリガーである。
「あぁそう嫌な顔をしないでくださいませ。親愛と拒絶、繁栄と維持、所属と自立、保存と新調。どちらもまた未来を願う私の側面です、ただ今回の私は完璧なら人類なんて求めてないというだけのこと。盛者必衰、栄えたものはいずれ衰える。歴史とはーー進歩とはそう言ったものではございませんか。そのようなわけでいずれじわじわと滅びるであろう旧種を観察するために此度は推参した次第でございます」
側面が違えば本人も違う。
というかまずラムシュアに設定されていたインド理想郷化という目標に人類が邪魔になっていたわけで本来は人間の味方のような存在なのである。
人間の欲から生まれ、人間を愛するようにできているAI。それがイーシュワラというものなのだから。
ーーただし、自分を高位の存在と認めているからうざったいが。
「あ、相変わらず訳のわからないことを言うやつだわ」
「なんだよ、どーいうことだ?コイツ味方になったってことか?!」
「そう見たい。彼ないし彼女を理想郷の住人にしようとするトリガーはどうやら、冠位罪源の中にあったようだからそれが取り除かれて悪性部分がなくなったと推測するよ」
冠位罪源ーー人間を理解するために生み出された負のAI側面たち。
それらは悪行を善しとする人間の不確定な部分を理解させるためのパーツにしか過ぎなかったが、結果あのような惨事を引き起こすだけの禁断の知恵の実だった。
「大きな悪意を感じたのは俺だけじゃないはずだが!?……ま、なんでもいい。ってそいついたらコメツブウニの存在意義がなくなるんじゃ?」
「あのようなものがなくても私一人で十分でしょう?旧世代機なんて捨ててしまいなさい。まったく腹立たしい」
「同族嫌悪の側面でも入っちゃったのかな?まぁ、ときにはそういう気持ちも大事だよね。誰かにいとして与えられるんじゃなくて、自分から導き出すからこそ成長できるわけだし」
「同族嫌悪とは失敬な....ま、猿の戯言。不敬にするのもはばかられます。さて、博士殿次のノナ達の出兵先、この期に伝えたらどうです?」
「あぁそうだね。海底基地にはいかなくていいって言った反面あれなんだけど、中東の死海に仮称・不死の海龍が出現。海事業系のプラントが破壊されたと報告がありました。この事件の裏には新興宗教【Treoir farraige】の幹部、ストイコビッチが関わっていると推定されています」
「忌々しいことにあなたたちにラムシュアの情報を流したのもこの男。因縁がないわけではないようですね」
「また激しくなるな」
「えぇ、でも任せなさい。どんだけ生き残ってきたと思ってんのよ」
「また帰ってくるべ、みんな一緒に!」
「パイプの分僕が穴埋めしなきゃならないのどうかと思うんですけどねー」
「みんな準備はいいかい?」
「「「「おう!」」」」
こうして新たな海を目指し、ノナ達の航海は続く。
目指すは死海。
イエス・キリスト再誕の地エルサレムにして、三宗教の三つ巴の地。
そこに現れた旧約聖書の怪物、リヴァイアサン。
宗教幹部ストイコビッチの目的とは一体。
これにてパシフィックノナ一旦終了です!
これまで長きにわたって描いてきましたが、年内に完結できてよかったよかった!)^o^(