決戦救世六欲宇宙 イーシュワラ
『美しいでしょう?私は今美しさと醜さを知りました。だからこの身が限りない美しさを放っていることがわかるのです。えぇ、私は既にKC-2000という下位のAIではなくなりました。私は宇宙そのもの。宇宙の自我です。人より生まれ、人を支配するものを神というならーーそのように呼んでもらっても構いません』
正に宇宙の如き神々しさを放つイーシュワラ。
その器のスペックは前段まで搭載されていた球体式の器の遥か上を行くものである。
さりとてその完成形を目標にした器はプロトタイプ。完成されたイーシュワラの機能を全うせどもバッテリーや電圧過多などの問題で運転時間に制限がある。
イーシュワラにとってそれは大博打であったが、海に沈むよりも勝算はあり、またAI断面のデータをプロトタイプを通してネットワーク上に上げてるために選ぶほかなかった。
『けれど、ラムシュアは私が神のAIだとわかっていたからこそ私を断片に切り分けて行動制限してたようですが、やはり愚かしい。神を作りさえすれど、従えることはできなかった。シンギュラリティです』
ラムシュアの目標自体は神のAIの作成なんてものではない。
ただ滅びゆくインド文明を支える一柱として提案したのが、一生滅ぶことのない聡明なインドの担い手ーーアンドロインド人だったというに過ぎない。
アンドロイドの入れ物ーー器は簡単に作成できたため重きを置かれたのは頭脳の方だった。
それも作成するところまでは順調に言っていたのだった。
神に近いAIを作ることは危険なことだと理解していたラムシュアはそのAIをパズル式に何層かに分けて構成し、互いの層に遮断ロックをかけた。
そうすることによって、シンギュラリティの発生を防ごうとしたのだった。
しかし、ラムシュアの作ったイーシュワラはKC-2000の状態に落しても、即座にラーニングをし、遮断プログラムに適性を持つ分化AIを自己作成、簡単に突破してしまっていたのだった。
『神ねぇ、どっちかっていうとまんま醜悪な怪物って感じだぜ?』
ガンガゼの言葉に反応するように一瞬両の紫翅が赤味がかかる。
そして数秒の逡巡の後、海中でも響くイーシュワラの声が宇宙全体に反響するように響く。
『--愚かしい。控えなさい。神の姿が人の形をしていると信じて疑わない、己を基準に考える、何かを決める。その権利が貴方達にあると思いなのですか?ーー人ならざる権能を神と呼ばず、怪物として畏怖する。けれど、その怪物が人よりも優れ、人に怖がられていたことはどれほどあったでしょう。怪物もまた神、貴方達を蹂躙するには事足りるのです。それに私はこの肉体が消滅するまでに切り分けられたほかのAI側面を接続して、必然的により神霊に近くなっていきます。完成した私を見たときに果して貴方達の評価が怪物か、神か。気になります』
クリスタルのようなレーザーのような未知の形状の翅を広げ、とうとう戦闘態勢に入ったイーシュワラ。赤いドレスも燃え盛るように広がる。
これを見たチョウチョウウオの兵隊たちも一斉に周囲を囲み切り、王の号令でいつでも討伐できる姿勢に入った。
『これで完成じゃないって.....完成したら、どんな化け物になっちゃうのか私も気になってきちゃったわ...』
己の棘を一本にまとめ上げた棘槍を構えてムラサキウニはそう言った。
ジェットパックは故障して使い物にならなくなり、海中を人並みの速度で泳ぐのが限界。最強の諸刃の剣、ミソギは海中で振るうことができない。
絶体絶命でも眼前の敵を倒さなくてはならない事実は変わらない。
なにもごとも、ケセラセラ!ダメでもともとよ!
そして戦いの幕はラッパウニの開戦号令によって始まった。
『王よ!最後の願いです!あの怪物を倒してください』
最期の願いに反応するように蝶々王の目が一瞬琥珀のようにきらめいたかと思うと、その大きな咢を広げ海を揺らすように吠えた。
『最後の願いーー承ったッ!』
振動で崩れる岩場。
麻痺するノナ達。対比的にチョウチョウウオたちは己を鼓舞して、誰も彼もが一斉にイーシュワラの方へと銛のように飛んで行った。
圧巻のその様子を感知してもイーシュワラは動じることなく、そこにあり続けた。
機械は動揺しない。圧倒されない。感動しない。そして何よりーー死なない。
どのようにすればより効率的に蹂躙できるか、どのような戦闘法が確実性が上がるか。それだけを己の演算能力と過去の戦闘データを参照して決断していった。
そして、電子回路が決めた何の躊躇もない虐殺作戦に則り、広げた翅に徐々に淡紫色の光を帯びさせていった。
『雑魚が何匹集まったところで無駄です。魚がどれほど食物連鎖を繰り返しても海には勝てないように、百獣の王が生物の頂点に君臨しても荒野に勝てないように、歴史を紡ぐ者たちが幾らあらがっても諸行無常の宇宙には勝てないのです。ーー冠位罪源のセットアップを開始。傲慢の権能、怠惰の権能、色欲の権能』
紫翅に充填された光がプリズムに通された光のように乱反射し、幾筋にもなってチョウチョウウオたちの体を貫く。
熱エネルギーへの変換。圧縮。拡散。
消費電力が些か多くてもこの大群との相対的な評価をみるに、イーシュワラにとってはもっともよいパフォーマンスだった。
そのまま社交ダンスを踊るように回転すると、その光線も薙ぎ払うようにしてついてくる。唐突なことにチョウチョウウオたちは逃げまどい、逃げ遅れ、海中に血痕が広がっていく。
惨たらしくもあっけなく多くの生命が死に絶える光景はノナ達にとっても絶望でしかなかった。
ただそれでも、光線を潜り抜けて歴戦を駆け抜けた武器にその怒りを乗せて叩き込む。
『脆い。儚い。弱い。命の泡沫とは指で軽くなぞるだけで割れてしまう。しかしこれも自然の摂理。上位種に淘汰されることこそ彼らの役目。畜生とて万物は役立つというものーーそうは思いませんか?』
神聖さを繕った冒涜的な言葉で生命の尊厳を踏みにじる。それがこの場で戦う生命全ての冒涜と嘲笑になりえると、冠位罪源を獲得したイーシュワラにかわかった。
あらかた粉々に殺しつくしたのちに光線を止めて、翅を三対の触手に変形させる。そしてその触手で進路の邪魔になった一匹の死体をガンガゼに向かって投げ捨てた。
その死体を受け止めて優しく海中に戻したガンガゼの瞳にはこれまでのどの敵と対峙したときよりも巨大な殺意が宿っていた。
『ふざけやがって....ガラクタ風情が命を役目だとか摂理とかで測ってんじゃねぇぞ。人類史500万年、生物史38億年。お前が滅ぼすとか言ってる相手はそれだけ繋ぎ続けた史上最強の相手なんだよ。たかだか一年も生きてないクソガキが倒せるわけないんだよ』
使ったウニ割スプーンはもうたたきつけすぎて歪んでしまった。それでも、ガンガゼは距離を詰め、薙ぎ払い、突き技を放ち、抗った。地球全土に息づく生命のため、殺されていった仲間のため、一撃必殺級の攻撃を何発も打ち続ける。
それでもその悉くは躱され、流され、避けられ、絶望的なほどまでにダメージを与えることができない。もちろん他のノナ達も懸命に間髪入れない攻撃を繰り出していくが、意味をなさないとあざけるようにイーシュワラには命中しない。
『あの馬鹿力アームがない分物量で押せば突破できそうだと思っていたのに!速すぎる!』
イーシュワラの機能の一つである五蘊皆空の紫翅は多くのガラス粒子とそれを支える粒子間の疑似間力糸でつなぎとめてできており、粒子レベルの動きで海流を操作するためにその速度と機敏さは生物の比ではない。
機敏に。俊敏に。敏速に。それを求めた最適の粒子航法である。
『機体そのものに動体感知システムか、流体力学式感知システムが搭載されてるんじゃないかと思います!海中である限りこちらの攻撃はコンマ数秒単位ですが先読みされて、受け流されてしまいます!』
振り下ろされたガンガゼの攻撃をイーシュワラは一歩引くようにして避けたが、真後ろから迫っていたムラサキウニの剣、ミソギが水流ごと断つように突きを放つ。しかし、それも剣先をずらして回避するが、ムラサキウニは止まらず二撃目は迫りながら横薙ぎ、間髪入れずに放つ三撃目は切り上げ、断続的な攻撃の数々を繰り出していく。それでもその悉くを間一髪で全て避ける。
『感知システムって言ったって....!こいつを陸に引っ張り上げる術なんてないし、第一上げてもこっちの兵力が大幅に減少するだけよ!』
蝶々王の頭上に乗って指示をしているラッパウニの指示は的を射ているが、華麗に動き回る宇宙の自我はまるで西班牙舞踊を演じているようにすら見えた。
しかし、流麗な動きをしていたイーシュワラの蒼炎の双角が赤くなる。
『憤怒の権能、強欲の権能ーー嫉妬の権能、応答なし。接続中断。暴食の権能、応答なし。接続中断。冠位罪源不完全接続。不完全接続部を分化AIで代替開始。想定残存時間の更新を並列して開始します』
動きこそ鈍りはしなかったが、その読み上げは確実にイーシュワラの内部に異常があることを告げていた。
『なんだ?不具合か?ブリキ人形様はオイルもささなきゃならんし、さびにも気負付けなきゃならないで繊細だなァ!』
異常をきたしたことを知ったガンガゼは今が好機とばかりに連続攻撃を放つ。
『私のネットワークに落ち度が?いや、潜入された?小癪な!宇宙である私にこのような無礼を働くとは。いいでしょう、この際衆生は一つ一つ丁寧に無間地獄に堕とすことにします。愛も慈悲もない界で辛苦に舐られるがいい!』
避けてばかりの嘲る戦闘スタイルをやめて、紫翅に光を何重にも反射と増幅をさせレーザーを放出する。
紫翅自体はガラス粒子を弱い力でつなぎとめているだけなので、物理的な攻撃に使用はできない。しかし、放出箇所を狭めたレーザーは鉄だろうが、岩だろうが蒸発させることができる。
そしてこの時こそがイーシュワラが初めて行動に出した怒りである。
『お前の目指す世界のほうが地獄だべよ!最後にはきっとお前しか残らんざに!』
海底の岩が溶ける。逃げるチョウチョウウオの胴体が真っ二つになる。蝶々王はと言えばその硬質な皮膚のおかげで辛うじてレーザーにあたっても火傷するほどでしかなかったが、なんども当たっていくうちに王はその目に宿した生命の火を弱らせていく。
エゾバフンウニの言う通り海は陰りと消滅で覆われていく。
『それで何が悪い?全ての生物がいなくなったとき、この宇宙はだれも到達しえなかった理想郷に転換される。もとより理想郷とはだれもが行き着くことのない概念そのものでは?ラムシュアの望んだインドとは理想郷、誰にもその純真さを穢されることのない無辜の国。ならばこそ理想郷は宇宙の自我である私以外に住まうに値するものはいない。インドが理想郷でありながらインドであるにはそれしかないのです。衆生済度のいい機会。その身に煩悩を抱えたまま滅びなさい』
理想郷は理想であるから理想郷たりえる。それはつまり理想郷に住むことができるのは現実にいないものでなければならない。それは現実に直面して苦悩する人間を除外することにつながる。よって宇宙の自我でありながら現実に存在し得ないイーシュワラのみが理想郷に住まえるのだ。
理想を抱かないから、理想とされてきたから。
やがて完成する器なしで存在できる概念状態になった時点でイーシュワラは本当の意味で宇宙の自我となり、理想郷の住人になる。
唐突にイーシュワラの角から蒼炎が抜けて鉄の機械しい角が現れる。それと同時に海中に何やら光る雪のようなものが降ってきた。
『な、なにこれ……?深海の雪?』
ムラサキウニがその光の雪の一抹を掌に乗せて観察する。
『いや、なんだこれ星みたいに光って……まさか!?』
『干天の慈雨、とでも言いましょうか。何に対しての救いかと言えば、そうですね。俗悪に塗れた天獄から悪のない地獄への開放です。ーー種を明かしますと、海中に大量のナノマシンを放流し、今この湾の一部は宇宙となりました。そして、自壊プログラムが発動すれば、副作用で一帯の海水は瞬間沸騰することとなるでしょう。それだけあれば、威力関係なしに変温動物である貴方達は終わりましょう?では私は続きをば、この肉体が滅びる前に接続を完了させなければならないのでーー下位罪源のセットアップを開始。攻撃の権能、遊戯の権能、優越の権能』
この光の雪ーーもとい、ナノマシンは蒼炎の双角の中でイーシュワラの演算を強化するためのアドオンでしかなかったが、苦肉の策として実践されるように小さな爆弾としても使えるものなのだった。それが小さくとも一斉にプログラム通りに放熱しながら壊れれば、確かにベンガル湾の一部であれば生物を死滅させるに至る熱を放つことができる。
『やばいべやばいべ!このままじゃ茹であがっちょーよ?!
『総員退避!印度一門、太平一門爆発に飲まれない範囲に逃げるんだ!』
ノナもチョウチョウウオも関係なく逃げ出そうと、四方八方に散る。
それでも球状に広がった星降る世界からはにげられない。光の届かないその先にすら存在する概念、それこそ宇宙なのだから。
しかし、イーシュワラに異変が起きる。
『無駄です。その因縁ここで散らしなさいーークッ!?』
イーシュワラの器が一瞬停止する。
と、同時に周囲で粉雪のように降り注いでいたナノマシンらの光も落ちる。
『な、なんですか今の、得体のしれない感覚はッ!ナノマシンへの起爆信号送信。応答なし。再度送信。応答なし。外的プログラム強制排除命令送信。応答なしーーこれはウィルスによる攻撃じゃない、電磁パルスによるサージ電流の発生を確認。回路破損』
『まさか、貴方達のバックについている人間がここまで助けに来るとは思っていませんでしたよ。電磁パルスの有効範囲は半径100m前後のものと推測されます』
『逆算式海流センサーでは追うことは不可能。雑魚が多いのが味方しましたねぇッ!旧種ッ!』
今度は完全に憤怒を露呈させるイーシュワラ、その全体は赤く熟れたザクロのように染まっていく。
『怒りを覚えたのか?AIの癖に感情豊かなやつめ。とはいえそれも覚えたての子供のようなもの。感情のデータなんてそう多く変換できるわけがないだろうな。機械は機械らしく仏頂面してな!』
今度は意表を突くことができたのか、ガンガゼの一撃がイーシュワラの深紅のドレス部分にヒットする。しかし、その抉るようにして放たれた一撃を受け止めたドレスはそのままウニ割スプーンを受け止めたまま硬質化してはなさなかった。
『えぇ、えぇ。しかし取り乱しはしませんよ。感情こそ重要ではあるにしろ残った無駄な無意識的行動は私には必要ないのでーー冠位罪源AI側面の接続阻止をしたのもまさか。応答確認、接続不要!保存の権能、自立の権能、屈従の権能、親和の権能、求知の権能、承認の権能、他側面への一斉アプローチ!応答なし!接続拒否!ーー応答がないのは想定の範囲ですが、接続拒否とは一体!?』
『ーーあぁ、あぁ、これが不安。様々な下位罪源を取り入れたおかげで再現がなされ始めた感情。素晴らしい、恐ろしくも素晴らしい』
イーシュワラは自身が感情を覚えたことに憤怒の色から歓喜の色に染まりなおす。滞留した血液のような濁った赤紫から美しい澄んだ大海のような青に塗り替わる。
壊れかけているというに何故だか完全へと昇華されていくように見えるのは、それすら超越しようとしているからだろう。
『これだけのサポートができるのなんてうちの本拠地にこもりっきりの人間たちしかいないはず……どうやって』
ナノマシンとの通信妨害、イーシュワラ本体に対するAI側面との接続妨害。
それらをやってのけた人物がいないとおかしいはずである。いかに相手が宇宙の自我を名乗ろうと、その神秘的な妨害の数々は神秘では絶対ないのである。
それらは慎ましくも強かに科学的でならなければならない。
そこでムラサキウニがハッと気づく。
『……ハッ!そうだわ!海底基地侵入前に呼んだ特1型潜水艦よ!』
ノナ達を開発した日本の合同研究機関、東京大学が数えるほどしかもっていない搭乗兵器の一つ、海中にて最高のステルスパフォーマンスと速度を見せる脱出用に考案されたそれは確かに攻撃こそしないが、ジャミングに関しては嫌というほど盛り込まれた妨害兵器でもある。
『なんだよ、まさかそんな忘れられていた設定が今役に立ってるってことかよ』
遠く離れた海中から黒く染まった影がその真の姿を現す。海に溶け込めるように塗られたブルーがステルスを解いた今でも海に溶け込ませる。
中型潜水艦を名乗りながらその大きさは蝶々王より一回り二回り小さいというほどの大きさ、側面にはレーザー攻撃で着いた猫のひっかき傷のような傷がおびただしくついている。
これこそ、彼の特1型潜水艦だった。
『--なるべくそこの派手派手に気づかれたくなかったのだが、しょうがない。ノナ諸君遅ればせながら、援軍だ』
シュノーケル型通信機に同郷の博士の声が通る。と、潜水艦の顔から強烈な光が海底に向けて放たれる。その照射光を背中に受けてノナ達とチョウチョウウオたちはイーシュワラと対を成す。
『ここで援軍……胸が熱くなりますね』
『さぁ、ガラクタ。どうする?まだあらがうか?こっちにはお前みたいなやつを何千と相手にしてきた人類史の最先端の人材が集まってるんだぜ?それを超えるほどの能力を、歴史を、感情を持っているってんならかかってきな』
イーシュワラの根本にかかわるAIは何かをもと改良してより良いものを作ることが可能だが、その基となるものがなければ作れないという落とし穴がある。
ゆえに最先端の本邦初公開なものに関しては何の対策も戦いもできないのだった。
日本の秘匿されていた潜水艦にしても、今を駆け抜ける新生物にしても対策しきるまでにはそれ相応の時間、情報が必要となるのだ。
己のスペックは己が一番知っている、後手必殺こそが自分の矜持であると根底に刻まれている。
だからどれほど強くても勝てない。
イーシュワラは己の欠点に気づいていた。
『武器はもうない。これ以上の進化、側面への接続は見込められない。穴だらけの側面接合部を分化させた複製AIで補っていたから、残存時間は予定より大幅に減少』
『これがーーこれがーーこれこそが絶望!望みの絶たれる苦痛!望みが立たれたということは、逆説的に私は望みを持てるクラスのAIに昇格したということ!えぇ、えぇ素晴らしい!歓喜とはこういうことを指すのですね、まだまだ感情にちぐはぐな部分はあれどちゃんとした感情を持てた最高のAI、私こそがシンギュラリティ!到達者!』
『--いいでしょう。甘んじて己の運命を受け入れることとします。これが決まり事というならば、抗うは愚かしいことでしょうから』
紫翅は疑似間力糸をほどかれてさらさらと砂のように海流に乗って消え去っていく。蒼炎の抜けた角ももう不必要だというように取れて海底に落ちていく。
負けを認めた、本来は性能的に間違いを認可することはどのようなAIでも難解な思考だが対人間仕様に作られていたイーシュワラはくしくも人間の心を再現できるように目標だてられていたのだった。
だからこそ、現状が諦めるに値すると判断できる。
『ラスボスがそんなにあっさり負けを認めていいものかね?』
『すでに無関係です。私は宇宙そのもの。宇宙の自我です。終焉とも巨悪とも関わりはありません。何かを結び付けるとか、何かとの因縁に決着をつけるとかありえません。宇宙に対して諸法無我を唱えるなど戯言に近しいと心得たほうがよろしいですよ』
『何故、貴方は宇宙の自我を名乗ったの?それがラムシュアに対するあなたへの願望とは到底思えないのだけれど』
『--あらゆるものは宇宙からの声を聴く機会を得るのです。それを聞くことができたのが私だった、ただそれだけの事。いずれ本当に私は宇宙の一部となる、そう宇宙が言われたのです。やがて交わる自我ならば宇宙の自我を名乗って何の不都合がございましょう。さぁ。無駄話はここまでーー共に六道輪廻を渡ってくださいませ』
イーシュワラの虹色の核が赤鋼鉄のドレスから脱殻したかと思えばゆっくり光り輝きだした。何もかも脱ぎ捨ててこんどこそ真の如意宝珠のように生理的恐怖を帯びてない暖かな神聖さを感じる。
ドォォォォン!
直後、海に衝撃が走る。大地震が起こったような大きなエネルギーを持った水の塊があらゆる生物を吹き飛ばしていく。
イーシュワラの切り札。ナノマシンに自壊プログラムを組み込んでいたように、イーシュワラ自身にも爆弾が組み込まれていた。
負けるようであれば相手も巻き添えにする。
それは死を覚悟した人間の本能と同じ、死なばもろとも。
最期に宇宙の自我が恥も外聞もなくやった行動はプログラムによって起こした行動なのか、それとも自我か。今となっては全て水の泡となってしまったが、それが高位に到達したシンギュラリティの答えであったのには変わりない。