蝶々魚とラッパウニ 外
遡ること1時間。
印度と太平のチョウチョウウオ一門が聖戦を終えた処。アラフラ海ではチョウチョウウオによる後夜祭、のような催しが行われ沢山の色あざやかなチョウチョウウオ達が自らの尾ひれを右に左に妖艶に振って青い海を彩っていた。
『これは本当になんなんだ……』
絶望と焦燥。
もはや目的も失い、戦意喪失状態のラッパウニは力なくサンゴに腰掛けその煌めく舞踊を延々と眺めていた。
ゴゴゴゴッ……!!
そんな折、突如として遠い海から何か巨大な物体が海を掻き分ける音がしてきた。とても巨大で絶対的な強さを誇る何かがきているとラッパウニもチョウチョウウオ達も本能的な部分でビビッと察知した。
『お、この音は!』
『あの方がやってこられたぞぉぉお!!』
印度一門のリーダーと太平一門のリーダーとが祝杯をあげるように自分の前ヒレを天高く掲げ、その謎の巨大生物が来ることを大いに喜んだ。
ただ、ラッパウニからしてみればたまったもんじゃないイベントだということには変わりはなかったが。
『今度はなんだよぉ……』
そう行っておもむろにラッパウニが振り返るとそこには山のように大きな岩肌な魚の顔があった。大きな顎から覗く鋭い歯は全てが犬歯のように鋭く、ラッパウニの体長の半分以上の大きさだった。その魚の目はまるでブラックダイヤモンドのように深淵の全てを結晶化させた黒色。
『貴殿が、第199回蝶々聖戦の審査員であるか?』
動く海底火山のような巨大魚。
喋るたびに海中に見えない波が広がり、硬直していたチョウチョウウオ達が何匹か吹っ飛ばされていく。
『ひぇ……そ、そうです、よ』
自然と体がこわばり声が上ずる。
ラッパウニは怖気付いて腰を抜かしていた。
その様子を側から見れば、巨大魚による人間捕食が始まる前のシーン。芸術的観点でみれば、大いなる捕食者と弱者の自然の摂理を描いたルネサンス時代の絵画のように神秘的な構図である。
『我が名は海世界を統べしチョウチョウウオの王、海蝶王。審判員に選ばれた汝の願いを三つほど叶えるために馳せ参じた』
『……へ?』
チョウチョウウオの聖戦の風習としてその踊りを披露する際には必ず1人の部外者を審判員役で拉致する。そして、審判員が正当なジャッジをした場合、チョウチョウウオの王である海蝶王がみずからその者の願いを叶えるために動くというのが習わしだったのだ。
『一つ目の願いを申されよ』
海蝶王とやらはその王という名とのギャップが激しい行動をとるらしい。別段ラッパウニを食べにきたわけでなく、むしろ丁寧にお礼をしようとしている。昨今の小説では物語のキャラクターは巻き込まれるだけ巻き込まれ、1円たりとも特をしないことが多いが、どうやらこの王は古い歴史ーー辿れば『鶴の恩返し』辺りに従う良き王のようであった。
『ま、まるで、アラジンの魔法のランプみたいだ……願い、願いなら決まっている…僕をスキーにじゃなくて、ナラタム島に連れてって!』
ラッパウニは叫ぶようにしてそう言った。
この思い、この希望に嘘はなく、自分の中にわだかまる謎のやるせなさを無くすには矢張り第一目標であったナラタム島に行く必要がある。
行かねば自身の命運は変わらないのだから。
暗夜のような静寂。
王はなにも言わず、他のチョウチョウウオ達も王に敬意を評しているために微動だにしなかった。そのため、ただ海中に響く微弱な波の音と海流の音だけがその場を生きるように埋め合わせた。
『………第1の願い、叶えようぞ!皆の者ナラタム島を目指すのだ!』
『うぉぉぉおお!!』とチョウチョウウオ達の歓喜の声が上がる。その声に驚いてまたラッパウニはまたも腰を抜かしそうになるが遅かった。王の号令とともに何万匹ものチョウチョウウオがラッパウニの周りを囲み、ラッパウニを祀り上げるように持ち上げて全速前進で突っ走りだした。いや、泳ぎだした。
『ぎゃぁぁぁあ!どぉーして僕だけこんな役回りにィィィイ!!』
巨大な黒い影。
それは神話に出てくるリヴァイアサンと称してもまるで違和感のないものだった。
クリスマスの4分の1の大きさはある巨大魚はあり得ないスピードであの甲殻類がいるナラタム島近海に案外早く着きそうだった。
2時間後。。。
ナラタム島近海。
暴君の乗った馬車のように進むチョウチョウウオの大軍隊はそれまでなんのトラブルもなく、海を越えることに成功した。
しかし、軍はナラタム島近海にはイカタコカニの三王の会談を、邪魔するものから防ぐためにコウテツキジンエビの幼体が大量にいることをまだ知らなかった。
『王!前軍の者たちが何やら海中ゴミか何かを吸い込んで窒息死致しました!』
『違うッ!これはエビだ!王、大量の鉄のエビが我らの進行を妨害してきます』
印度と太平の一門を統べるリーダー2人がモーゼのように群れを割って海蝶王にそれを伝えた。
流れに身を任せていた僕は成り行きで海蝶王の頭上に正座してその様子を見ていた。
これ僕怒られるんじゃないの……
『この先にヤシガニ王がいるのだろう。王が話をつけよう。ラッパウニ殿、一旦私の頭から降りてくれ』
僕は言われるがまま頭上から即座に転げ落ちるように退くと気をつかう対象がなくなった王の動きは今までの動きよりも若干滑らかになり、ヒレはより活発に動いているように見えた。
『皆の者どけぇぇえい!』
海蝶王が海中で叫ぶと衝撃波が飛び、チョウチョウウオの大軍隊はその量にもかかわらず遠くにまで吹っ飛ばされた。一部のサンゴや海藻、小魚も巻き添え事故をくらい王のいた真下は二次災害により無毛の大地と化した。
それだけならばまだしも、次により恐ろしいことが起こった。
ドォォバシャァンンッッ!!
美しく舞う巨大な魚。ヒレは空中でも太陽の光を受けて鮮やかに輝き、チョウチョウウオのなんたるかをダイナミックに示したのは言うまでもない。
海蝶王が跳ねた。
巨体はゆっくりと空中を舞うとそのままナラタム島に突っ込んだ。その際白い職種と赤い触手が伸びて捕まえようとしたが、滑らかな鱗とその流線型のボディに滑らされ、全く歯が立たず島を足場にしていたこちらも巨大なヤシガニに悪質タックルをかますように海蝶王は島に上陸した。
しかしながら綺麗に着陸した海蝶王とは違い、海中はその巨体が消えてできた虚ろを埋めようと海水が噴火するように荒ぶった。
『ボッボゴゴゴゴゴ!!』
荒波に揉まれ、意識を半分手放しそうになるラッパウニ。王の真下が無毛の大地などとの賜ったが、全てベイビースキンのように毛の一本からワカメの一本までないサラサラの砂地が広がっていた。
更に陸で行われていた会談でもパニックは止まらない。
「ぎゃぁぁぁあ!なんじゃなんじゃ!?なんなんじゃ!」
突如として現れた謎の巨大魚に吃驚仰天し王たる風格を揺さぶられるヤシガニ王。ナラタム島は海蝶王が跳ねた勢いでできた高い津波で一部の砂浜を飲み込むように削り取られた。島にいた生物達はそれはそれは凄まじいものを見た事だろう。ヤシガニ王の足場でもあるナラタム島はその大きさを一回り小さくした。
「ヤシガニ王大丈夫ですかな!?」
タコ王は慌てふためいてその触手を絡ませる。赤い顔がより混乱の色でチカチカひかり、焦りすぎて体の浮き沈みも激しくなる。
「その面妖なインスマス面は……あぁ!海蝶王殿!久しいのう、お主も誘おうと思ったったのだが連絡が取れなくてなぁ」
タコ王の慌てっぷりに反してイカ王はのんびりと海蝶王に挨拶をした。マイペースさだけが取り柄だと思われるイカだが、実はただ目があまり見えてなさいないだけなので、目の前で起こった度肝を抜かれるダイナミック着陸がただのスライディング程度にしか思ってないのである。
「蟹、小エビを退けさせよ。我が血族が命を落としたぞ」
島のごとしな軟体生物二台巨塔のリアクションを置いといて、海蝶王はその表情筋のない仏頂面をヤシガニ王の目とヒゲの先に据えた。流石の甲殻類をすべしヤシガニ王もその時だけは恐怖を感じ、眼柄を殻に引っ込めたくなった。
「な!?そそ、それは…正体不明の来訪者に対してはそのように対応せよとは命令したが、まぁさかそんなことになるとは我も思っとらんかったし……」
これは魚類と甲殻類との戦争になると、即座に予見し甲殻類ならではの身のたたみ方で土下座した。それに対しても海蝶王は仏頂面をピクリとも動かさず、鋭い眼光を向けている。
修羅場が四王の間を通った。
「早急にせよ、蟹の王。我は今、聖戦の審判を運んであるのだぞ?それを妨げるとは何と心得る」
仏頂面の奥底からでもわかる怒りと憤り。
それをヤシガニ王の臣民を見る肥えた目が逃すわけもなく、その隠された怒りにいち早く築き急いで水面に顔を近づけた。
「海老どもさっさと退け!今日をもっていとまを出す!」
海蝶王との戦争になった場合、おそらく負けるのは十中八九四捨五入、ヤシガニ王率いる攻殻機動隊である。それ以外にも一般甲殻類に声をかけたとしても全国200億匹以上いるチョウチョウウオ族に勝てるかといえば絶対的に無理があるのだ。多勢に無勢、いくら個々が強くともやがては数に押し負けるのが戦いの常なのをヤシガニ王は辛くも知っている。
「ラッパウニ殿、第1の願い。叶えもうしたぞ。次の願いを言うが良い」
海蝶王のせいで発生した怒涛の海流に飲み込まれ、半分以上気絶していたラッパウニは漂着するようにナラタム島海岸沿いの浜辺に打ち上げられた。
完全に回復したのは海蝶王が三王会談に乱入してから1時間後のことである。
「なら、タム島……着いたぁ〜」
ヘロヘロな状態でゆっくりと立ち上がり、両腕を大きく広げて伸びをするラッパウニ。すると、シュノーケル型無線からジジッと繋がる音がした。
『……あらゆるところに海底基地を作…複製した私がまた私を………ます。そ……、MTAも。なので私だ……ジジ…倒したところで無駄だとい……』
この無線はパイプウニの個人無線だった。
集音レベルは何時もレベル3に抑えられる規定の無線機がパイプウニ側はレベル5に上げられ大抵の音が拾えるようになっているが、流れてくる声はなんとなく機械音、ボイスロイド風なものを感じる。
「海底基地……?」
「海底基地とな?地を這うものの仲間よ、貴様もラムシュアの海底基地に行きたいのか?」
ラッパウニの独り言を耳聡く聞いていたのは島の主たるヤシガニ王だった。島に生えている原生樹林に隠れるようにしながらも、顔だけ出してラッパウニのことを見つめている。
「その名はたしか……その海底基地とやらを知っているんですか?」
「この島の下にあるものじゃからなぁ。さっきも貴様の仲間が入っていった。ここには自然にできた海底洞窟があるのじゃ、そこに行けば繋がっておろう」
ヤシガニ王はたわいもないと言わんばかりにことの重要性に気づくことなく話した。
しかし、ラッパウニはパイプウニがたかが無線とはいえ、ありえない規定違反をしているのと、その無線の内容から第六感でその海底基地になんらかの邪悪な黒幕がいると判断した。
「海蝶王様……二つ目の願い、決まりました」
ラッパウニは髪の毛をかきあげると、決心のついた覚悟のある顔と声音で海蝶王に向き合った。
「それはなんだ?」
海蝶王もその眼差しを受け、よりどっしりと真剣にことを受け止めようと努める。
「このナラタム島の付近にある海底基地を破壊してください……今やらないと、取り返しのつかないような事態になる気がするんだ!」
「……承った!」
そうして、ラッパウニの二つ目の願いは聞き入れられ、海蝶王はズズズッと海中に沈むようにしてゆっくりと消えていった。その様子は水平線に沈む夕日のようで、その時ちょうど海蝶王の沈んだ向こうに沈みゆく夕日が見えた。