日常の終わり
目が覚める。目覚めはよくなかった。
唯一の一張羅ともいえるスーツを引っ張り出す。
確か入隊の時に買ったんだったか、サイズが少しきつい。
準備もほどほどに家を後にする。
いつもの道、いつもの通行人。何をとっても日常だ。
病院だっていつも通り今日の桃井さんも豪快にエレベーターに挟まれた。
「今日はスーツなんですね。剣崎さんお仕事で使いましたっけ?」
書類を拾い終わった桃井さんが尋ねてきた。
「転職ですよ、転職。結局のところ金がなきゃ何にもできません。こっちにも暫くこれなくなるかなぁ」
「そうですか・・・沙織ちゃんも寂しくなりますね・・・」
当たり前だ、引き取り手の俺がほっぽり出すということだ見方によっちゃよっぽど無責任だ。
「ええ・・・、だから桃井さんも沙織の事よろしくお願いしますね」
何がよろしくだ、自分で言っておきながら吐き気がする。
「わかりました・・・その・・・どうかお体は大事にしてくださいね!」
わかっている。言われなくとも仕事内容から危険は察しが付く。
廊下をパタパタと走る桃井さんの背中を見送る。
気が付いたら病室の前に立っていた。
ドアノブに手を掛ける。
これは沙織を守るため、約束を守るためだ。大丈夫、きっといい方向に向く。
唾をのみドアノブを回す。なんだかいつもより滑る気がした。
いつもの場所、いつもの笑顔あの時からというものいつだって沙織の存在に救われてきた。
「あっ、りゅうじだ!」
「おう、元気してたか?」
「りゅうじいつもと違うねー、どうして?」
「ああ・・・それは」
言葉がつっかえる。これは選択なんだ。必要な事なのだ。言葉を飲み込むな吐き出せ。
「実はな沙織、俺、仕事変えるんだ」
「へぇー何するの?」
「世界の色んなところを回る仕事だ」
「楽しそう!私も連れてって!」
「そうだな・・・治ったら幾らでも連れて行ってやる。でもこの仕事は多分ここに来られる事が少なくなっちまう。でも約束する。戻って来たら必ずここに来るって」
「えー!それだけじゃやだ!何かご褒美がほしい!」
誰に似たのか欲張りだ。
「わかった、それも約束しよう。そのかわり、いい子にしてろよ。あと、来たら元気な顔見せてくれ、それだけでいい」
「うん!」
無垢な笑顔。人間全員これくらい素直で優しければなんて素晴らしいのだろうと思う。
沙織の頭を軽く撫で病室を後にする。
さようなら、俺の日常。
都心部ともなると警察の巡回が多く感じられる。
まあなぜかと言われれば、ここ何年も居酒屋に通う感覚で都心に来るテロリストやらなんやらが増えたせいだが。
それに腰回りも半世紀ほどタイムスリップした。
自動けん銃に予備弾倉、防弾チョッキ。装備品の質が一気に高まった。
だがそれは比較的予算のある警察で地方自治体の警察はまだ数をそろえられていないしそもそも訓練に使う弾薬の調達にも苦労しているそうだ。宇都宮でも自動けん銃と回転式けん銃が横並びしていた。
都心のど真ん中、しかもビルが丸ごと本社というのだから恐ろしい。
渡された資料の中にきっちり入場許可証を仕込んでいるあたりは気が利く、こんな都心で駐車場を探すのなんかごめんだ。
前もって許可証は掲示しておいたが警衛に止められる。
許可証が有効かどうかまで、要件等々を聞かれる。
許可証の確認中、ふと警衛の腰回りをみると自動けん銃をこれ見よがしにぶら下げていた。
「確認できました。お好きなところにお停めください」
「わかりました。ご苦労様です」
許可証を受け取る。警衛の手のひらには豆があった。
もしかしたらこっちの警衛の方が警察より強いかもしれない。そうだったら力関係の逆転だ。笑えない。
適当に車を止め、入り口に向かう。
入り口に見たことのある2人組が立っている。
「やあ、来たね。ようこそ我が社へ。僭越ながら本日は私、左右田真紀がご案内致します」
「・・・別の人間が来ると思ってましたが、あなた人事じゃなかったでしょう」
「まあね、だが君は私の客人だ。そこいらの人間に任せてもいられなくてね」
面倒そうな人から好かれてしまったものだなぁ。
「何か考えてないか?」
「いえ、何も」
しかも洞察力が優れてるタイプ、面倒くささ5割り増しだ。
「まあ、今日は軽く書類の引き渡しとかちょっとしてもらいたい事に付き合ってもらうだけだから。入社意思はあるんだろう?」
「無かったら来ません」
それにしても飲み屋の時からあの少女の目線が刺さる。明らかにこっちのことを信用していませんという顔だ。
秘書?にしても若くないか?成人してるかも怪しい年代だ。
エレベーターに乗る。ボタンの数だけでいかに大きな会社かよくわかる。
扉が閉まり落ちる感覚がしたどうやら地下に行くらしい。
「まあ、今からしてもらうのは簡単な射撃テストだ。何、ブランクもあることだ結果は気にせず違う武器に慣れてくれ。採用はもう決まってるしね」
じゃあ何のためのテストなんだよと聞きたくはなったがいきなり慣れない銃で仕事をするのも癪だ。大人しく従うとしよう。
「やるのはいいのですけれど、服はどうするんです?まさかこのままやるとか言うんですか?」
「大使館警護とかはスーツだぞ?実戦に近くていいじゃないか」
「いやそうじゃなくて、これ俺の自前です。硝煙まみれとかは流石に勘弁願いますよ」
「新しいのを買え、経費で落ちる。そんなサイズも合ってないのよくもまあ着てきたなと呆れていたとこだ」
流れるようなdis、俺じゃなきゃ聞き流しちゃうね。
扉が開く。目の前にはよく銀行などで見るタイプの受付があるが奥に置かれている銃が普通のそれではない。
「警察がうるさくてね、武装警備は大丈夫な癖に武器の移送一つ許可の山だ」
「面倒だからこんな場所に射撃場を?」
「そうだよ、距離は無いがね」
金持ちだなぁ、そんな儲かるのかよ羨ましい。
渡された銃はアメリカ軍がよく使っている銃だった。確かM4だったか等倍の光学照準器のみとさっぱりとした具合だ。ベストを着込みゼロインも簡単に済ませる。
「準備完了です。始めるならどうぞ」
「よし、なら始めよう。我々は自衛戦闘しか認められていない、よって交戦規定は武器を所持している者のみに射撃を許可する」
自衛隊の時とあまり変わらないというか当たり前のことである。
安全装置を外す。
ブザーが鳴り的が上がる。薄いベニヤ板に紙を貼り付けただけの代物だ。
照準器の中に的を収める。
覆面姿に両手に小銃。よし、引き金を絞る。
次、ぶかぶかの上着の下に拳銃、ホルスターから抜く動作を見せている。よし、引き金を絞る。
次、大柄の男が目を丸くして驚いている。武器は確認できず。だめ、人差し指を止める。
次・・・
調子は良かった。銃も発砲炎が少し気になるかなといった具合で充分になじんできた。
弾倉を引き抜きダンプポーチに突っ込む。新しい弾倉を取り出し槓桿を引く。
再装填の間に出てきた的を狙う。
若い女、両手に小銃を持っている。射撃してよいか?よし。歯を噛み締める。少し遅れた。
本当だったらかなり危険な状況だがそれでも死なないのが訓練だ様様である。
倒した的の陰から小さなシルエットが浮かぶ。静かに狙いを定める。
シルエットは少女だった。さっき撃った女と同じ銃。武装している。
人差し指がエラーを起こす。あの光景が甦る。
撃て、撃て、撃て心の底から声が聞こえた。回路がショートする。同時に発砲、着弾。
息を吐く。的はもう上がっていない。周囲を確認していると終了のブザーが鳴る。
弾倉を抜き槓桿を引く。よどんだ色のコンクリートに銃弾が落ちていく。
そうだよな。またあんなような場所に行くのだこんなことも起こるのだろう。それを素直に飲み込めない俺も認識がまだ甘いのだろう。
「お疲れ様、なかなかじゃないか。自衛隊の教育が良かったのかな?」
「お世辞は要りませんよ。もっとうまい奴ならごまんといる」
落ちた銃弾を拾い上げる。一発幾らのこんなもので人間の人生を奪うというのだから銃弾というのは嫌だ。
残弾と銃を返却する。
「わがままに付き合わせて悪いね。君は実地に出る前に訓練施設に行ってもらう。日程、場所は追って知らせるよ」
返事も適当に今日は帰路につくことにした。外に出ると空はすっかり暗くなっていた。
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長いことこの人に付き合ってきたがやはり何を考えているのかよく分からない。
「それでどう思う?」
「悪くはないですね、射撃技能自体はですが」
悪くないのだがこの特にずば抜けてというわけではない。わざわざ足を運んでまでスカウトするような人間だったのか。それにこれは傷物だ。
「やっぱり最後のが気になる?」
「ええ、私自身この手の人間は何人も見てきましたがこういった状況では碌な事になりませんでした」
「貴方がここにいられる以上、そうなのでしょうね」
私のことを見た敵の中には動揺して撃てなくなった奴もいた。そうなった奴は私の知る限り生きてはいない。これはその典型だ、死にゆく人を増やしてどうするのだろう。
「そんなところです。それにしてもあなたは面白そうですね、そんな思い入れるような人材ですか?」
「面白いというか楽しみだな。まあ、まだ内容は秘密だがね」
またこれだ。この人は興味本意で行動に移す時がある。
それに付き合わされる側としては厄介なのだが。
だが私は逆らえない、それに救われた身で仕えているのだから。