第71話 堕天使として
嫌みな程に真っ白な病室に、うんざりしていた。
一向に目を覚まさない彼の寝顔にも飽きてきた。薫さんの身体のほうが心配ではあるが、もう来るのを止めてしまおうかとも考えた。
彼の本は読み尽くしてしまった。本当にやることが無い。
個室から大部屋に移ってしまったので、気軽にスマホも弄れない。
衰弱し切った彼の身体では、必要なしだと簡易の拘束具も外されていた。確かに、こんな身体ではすぐに歩き出すのも難しいと判断されて。
結果的に、その判断は間違いだった。
夕刻になり薫さんと交代するように見舞いを切り上げ、一般病棟から屋上へと出た。帰る前に夕焼けに染まる空を眺めたいと思ったから。
高いフェンス越しに見える、望んだように淡い茜色。以前はあまり好きではなかったが、彼の妹さんの話を聞いてからは好きになっていた。自分の色を教えられてるみたいで。
薫さんの顔からは、もう笑顔も余裕も無くなっていた。日課だった肩揉みすらさせてはくれなくて。折角仲良くなれたのに、全て彼が台無しにした。
「いい加減にしてよ。バカ剛。いつまで寝てるのよ」
空を眺めながら、私はそう呟いていた。声に出てしまったのか、近場の人と目が合って気恥ずかしくなってしまった。
その場に居辛くなって、やっと帰る気になれた。薫さんに一言告げてから帰ろうと、病室を覗くと薫さんが彼のベッドに伏せて寝ていた。彼女の背中に毛布を掛けて、そっと部屋を後にした。相部屋の人たちとその家族の皆さん、担当の看護師さんにそれぞれ声を掛けてから。
暖房は効いていても、本気で寝てしまっては風邪の元。使えるのは気持ちだけ。
ますます私の不要さが身に染みて来る。
直近のエレベーターが不調のメンテで停まっていたので、階段を使う羽目に。悪態を付きたい気もあったが、他の皆さんも同じだろうから我慢我慢。こんな事で文句を言っていたら、私よりも疲れている薫さんや足腰の不自由な方々に怒られてしまう。
病室がある5階から、のんびり降りようと手摺は使わず最初の一段目に足を降ろした。
私は足腰には自信があり、反射神経だって人並み以上に鋭いほうだ。
父は空手と柔術の師範をしている。地元では結構有名な格闘家で知られている。私が生まれる前には、神埼流とか立上げの話もあったそうだが、父はどうせ一代で終わるだろうしってそれは断ったみたい。何も世襲に拘らなければ、優秀な御弟子さんたちに皆伝すればいいのに。
子供は私以外出来なかった。だからなのか両親の私への溺愛っぷりは凄かった。
急に私が剛と同棲すると言い出した時には、二人とも気絶しそうになったり。童蒙家にこぞって乗り込んだり。普通逆でしょ。各両親ともすぐに打ち解けてくれて良かったけどさ。
道場云々は置いておいて、昔から私も他の子供たちと一緒に武芸を教わった。同棲前は護身術の類いを重点強化された。だから同棲だって・・・。
私が病院の階段を降りようとしたその時。背後から首打ちされて、悪意ある誰かに背中を突き飛ばされた。人が居たような気配はなかったのに。結構反射に自信を持っていても、気絶させられたらムリ。
刈り取られる意識の中、広い階段を転がり落ちる最中に、私を突き飛ばした犯人の顔を見た。
「・・・つよし・・・」どうして彼が起きているのかの驚きと、起きてくれた喜びと、突き飛ばした事への怒り。いろんな感情が入り乱れた。
「こっちに来てくれ、茜」こっちって何?そこで意識は暗闇に落ちた。
こっちの意味を理解したのは、クサレ女神に導かれ、魔王になった彼の腹心にされてから。あの時は怒りが頂点限界MAX越えしてたから、紫魔族になってしまって現在に至る。
私を呼んだ事も忘れ、クレネと堂々と浮気を繰り返し、イチャイチャがBOXの中にまで伝わって来て、怒りのリミッターはぶっ壊れた。だから彼を本気で殺そうともした。
いざ冷静に戻ると、色々と疑問点が沸いて来た。今の剛は元居た世界での彼とは少し違う。私をこちらへ呼んだのは、本当に彼なのか。
女神様ってのもあるかもだけど、私の転移自体には彼女は何も教えてはくれない。
彼自身に何度か探りを入れてみても、彼は本当に知らない様子だった。覚えていないとかではなくて。じゃあ誰よ・・・私をこっちへ呼んだのは。
人が考え事をしているというのに、敵は溢れ返り行く道を塞いで埋めている。彼に近付く度にその数はうなぎ登り。
「黒き雨、天駆ける刃、滅槍・黒天」
マップによると私が剛に一番近い位置に居る。彼には聞きたい事が山ほどある。二人きりになれるチャンスは早々ない。のんびりしているとあの人が絶対に追い付いて来るに違いない。
現在彼女は大陸の西端に居はするが、早くも移動を開始し始めた。言うまでもなく剛目指して爆進中。距離はあっても油断は出来ない。
真っ黒い雨のように槍が敵影諸共大地を穿つ。それでも残り立つ者が疎らに居る。通常なら有り得ないが、これももう一本の魔剣の効果と考えれば納得だけど。
東への道が幾分開けた。意外にも生き残りの敵兵は襲い掛かって来ない?寧ろその場で膝を落として苦しんでいる始末。私の滅槍にそんな追加効果が・・・ないと思うんだけど?
「なぜお前に我がスキルが効かぬのかと思えば、成る程豚の腹心か」
前方の空から巨大な蝙蝠が飛来して、首から下が人の姿へと変化して地に降り立った。
奴の顔はもち仮面じゃないし、タイトなボディスーツも着ていない。中身が大金持ちの超イケメンだったら私も萌えたかもしれないけど。生まれたままの姿って。キモい限度を超えてる。
「私の邪魔するの?誰だか知らないけど、取り敢えず服着たら?」
「これは失礼した。暫し待て」近場の兵士の屍から服を見繕っていた。
変質者に待てと言われて待つ人いるかなぁ。無視でいいでしょ。
追加で槍の雨を降らせつつ、蝙蝠男には構わず道を進んだ。
「お、おい。待たぬか!堕天使の分際で、このペルチェを無視するとは」
ボロボロ皮パン姿の上半身裸の魔男が再び進路に立ち塞がった。南の大陸だからってバカンス気分で来られても。
「上着は?そのままでいいの?」
「上着もか。暫し待て」再び服を探しに行ったみたいだ。私もまた槍を降らせて歩き出した。
魔男にも何本かは当たっているはずなのに、奴は痛がりもしていない。ペルチェと言えば確か中央の怠惰の魔王だったかな。きっと槍も当たる寸前で無効化されている。あまり関わりたくない相手だわ。変態で露出狂だし。どっか行ってくれないかなぁ。
「待てと言うに」願い虚しく、奴はやる気の様子で立ち塞がった。
「お話したいだけなら後にして。私今急いでるの」
何が可笑しかったのか、ペルチェは盛大に引き笑いを発して震えていた。
「これ程の屈辱。実に久しい。やはりお前はここで葬らねばならいようだ」
キモい上に、自己中。本気で吐きそう。
「何の用?私は貴方に接点なかったはずだけど」
「魔神様からのご命令でな。お前は献上品として所望しておられる」
「魔神?女神様じゃなくて?」
「何故我らが、忌々しい女神の言う戯れ言を聞かねばならぬのか」
何が何だか、話がさっぱり見えない。てっきり今の現況は女神が仕組んだ事だと思ってた。言われてみれば、私たちの結婚式が終わった後も私は鞘に戻されていない。変だなとは感じていたが魔神のほうの力が加わったの?意味不明すぎ。
「精々我を楽しませてくれ給えよ。生死は一対、全ての普遍平等。スクリッド・ライフ」
ペルチェの突進が始まった。速い!充分に取れていた距離が一瞬で詰められた。
ライフと唱えたからには、即死系の技と見ていい。私にスキル効果が無いと知った上での直接攻撃。当たるとヤバいに違いない。
繰り出される鋭い爪を当て身で躱した。速さを殺し切れずに右腕を浅く抉られた。
「つー」抉られた傍から、傷の周辺が腐り始めた。言わんこっちゃないわ。あれ喰らったらダメなやつだ。
前蹴りを数発打ち込んで、僅かに距離を稼ぎ即座にポーションを口に含んで吹き掛けた。
剛から受け取っている自動再生でも追い付かない壊死。自動再生が逆に働いているようにも思えてきた。ポーションのお陰で腐敗が止まり、完治した。
手持ちの薬は限られている。防衛だけではやがて死ぬ。攻撃の有効手段が見つからない。
これまで何度も消滅寸前で女神に救われてきたが、次も助けてくれる保証はない。現に今は女神に反発してこの場に居るのだから、救われる道理がないのよねぇ。
「堕天使であるのに、翼はどうしたのですか?」半笑いで問い掛けて来た。
クレネの弓のトラウマよ!あれから飛ぶのが怖くなった。とは正直に答えないけどさ。
「魔力の消費を抑えるためよ。決まってるじゃない」たっぷりと悪態で返してやった。
「種族スキルでは魔力消費は無いにも等しいと思いますが・・・」
へぇ、それは良いこと聞いたかも。
「念の為よ、バカなの?」
「・・・さてと、そろそろ死んで貰いましょう」
追撃が開始された。先程よりも速さが上乗せされて、猛烈な風切り音が寸前で舞った。全力回避と動体視力と反射だけで見切ろうとしたが、そもそも動きに統一性の欠片もないので、根本の動きは読めない。それでも順応は出来る。狙いは首元。
何十発目かの拳を避け切り、裏手で親指を逆取りした。
「くっ、小賢しい」
相手が人間だったなら止めていただろう。指を逆取りしたまま奴の肘を肩支点で背負い車。丈が足りないので、腰帯に両足突きで蹴り込んで身体ごと回転を稼ぎ出した。
柔道と柔術の合わせ技。で、倫理を捨てて肘を全力で逆折りし続けたらどうなるか?
「きさまぁぁぁ」答えは肩口から腕が千切れます。
紫色の返り血を浴びて気持ちが悪い。今更ながら剛が漏らした感想にも頷ける。
何が起きるか解ったもんじゃないから、すぐに千切った腕を投げ返した。
予想どおりペルチェは切れた腕を抱えて、上空へと飛翔した。そう、奴は飛んでしまった。
「左の翼は白き聖人。右の翼は黒き闇人」
ここは望んだ物を望んだまま出せる世界。手法は剛の傍で学んだ。私の背には天使の白い翼と悪魔の黒い翼が生えた。奴の蝙蝠の羽ではない光沢ある鳥の羽根。
「空中戦ですか?大いに結構です」
でも、だからってこちらも飛ぶ訳ではない。飛んだら負けなのよ。彼女の弓の前ではね。
西方から無数の弓矢が飛んで来た。それを放った者はたったの一人。音速を遙かに越えて火を纏い、ペルチェのスキルの反応よりも速く、それは深々と身体中に突き刺さった。
彼女自身の過去の対戦経験がなければ成立しなかった技。
「ぐっ、断じて否!せめてお前だけでも。生死一対、万物の心象、スクライド・オーバーライフ」
背水突貫かぁ。怠惰にしては見事かな。
「聖邪合際、必滅の雷槍!スピアーズ・ブロークン」ウィートちゃんの技を少しパクり。
翼の羽根を撒き散らし、自分を中心に一つ一つを灰色の魔槍にして上空へと放った。高速で向い来るペルチェを面で迎え撃つ。雷は実体の無いエネルギーの塊。怠惰で素子の動きさえも阻害されれば通じる当てはないが、果たして一スキルがそこまで対応出来る物だろうか。
雷で繋がれた槍での面放射。逃げ場が無い事を悟り、ペルチェは己を信じてか突撃を中止しなかった。
とても短い断末魔の後、ペルチェは消え去る前にこう言った。
「クククッ。それでこそ、魔神様に相応しい・・・」
意味不明な言葉に首を捻りながらも、私は立ち上がってポーションを飲みながら、来るべき人を待った。種族固有のスキルは魔力の消費が無いのは本当らしく、白黒の翼は元通りに元気に羽ばたけた。
「ハァハァ・・・、あなたを先には行かせない・・・」息を切らせて、珍しく汗ビッショリに。
「そんな事しないよ。来るの解ってたしさ。邪魔が入らなければ先越そうとは思ってたけど。もしも私が飛んでいたら、クレネは私を殺してた?」
「あなたを・・・?なぜ?私の腕を疑ってるの?仲間に誤射するほど下手じゃないよ」
「そうじゃなくてさ・・・、まぁいいや。これからどうする?剛まではまだ距離あるけど」
疑っていた自分が馬鹿らしくなってきた。ホントこっちの人って。
「背中、乗せて。ちょっと疲れたから」
「えー、私だって疲れてるのに」
本当は背中に誰かを乗せるのもトラウマなんですけどー。
第5コース。堕天使さん。
過去話も少しだけ。