第64話
「お兄ちゃん。だーいすき」
あの日の妹の言葉だ。ふとした瞬間に思い出してしまう。それは毎年3月中頃に多い。
妹が事故で死んだ、あの日以来毎年のように襲い来る。俺を責め立てるように。
俺の罪を責め立てるように。
「お兄ちゃん。どうして、突き飛ばしたの?」
ニッコリと笑う笑顔とは真逆の言葉。俺を責める言葉。
違う。俺はお前を助けようと・・・。
こっちの言葉だけが聞こえていないのか、妹の笑顔は消える事はない。
「私が、嫌いなの?」
違うんだ。嫌いな訳がないじゃないか。大好きだったさ、本当だ。
何の変化もない笑顔。あの日の最後の笑顔。太陽のような眩しい笑顔。
何度となく思い出す。無闇に俺の後ろを追い掛けて来ては、抱き着こうとする姿。
「どうして?」
離れて行く妹の小さな腕。俺は、妹を押し返していた。道路の方へと。
正直ウザかった?違う。
俺が思春期だったから?違う。
ほんの些細な出来心だった?違うって言ってんだろ。
否定しようと思っても、起きた事実は変わらない。妹は、車に轢かれた。俺の目の前で。
くの字に曲がって飛んで行く。まだ小さかった妹の身体。俺が突き飛ばしたから。
警察にも正直に話した。両親にも正直に話した。ただただ許して欲しくて。
誰も信じてはくれなかった。誰も、俺を責めてくれなかった。許してはくれなかった。
硬い台の上に横たわる妹。純白のシーツが被せられていた。小さな鼻にはガーゼが詰め込まれ、もう息をする事もないのだと理解した。理解はしていた。俺がそうさせたのだから。
妹の葬儀を終えた頃からだったと思う。俺が、自傷行為に走り出したのは。
読みかけていたラノベを、また開いた。
並び立つ、ご都合主義的な展開にウンザリするとまた本を閉じた。彼の好みは決まってる。
纏めて言えば、死者蘇生物。それは秘薬だったり、魔法だったり、死霊だったり、吸血鬼だったり、神の御業だったり。何でもアリの異世界。彼はそれが好きだった。
付き合い初めの頃は、ちょっと引いたりもしたが。その訳を母親の薫さんから聞かされると、とても納得した。死んだ人が生き返る世界。この世では実現不可能な世界に抱く、強い憧れ。
初めて彼の実家に遊びに行った時に、楽しそうに父親と連れだって出て行く彼を見送り、薫さんと2人切りになった時のこと。半端なく気まずかったのを覚えている。
嫌みの一つでも言われるのかと思っていたが、美味しいお茶とクッキーで楽しく世間話をして過ごした。2人切りだが立派な女子会。私たちは意気投合。直ぐに仲良くなれた。
内心すっごく安心した。これからも大丈夫だと。
大きくはないリビングに、夕日が差し込む。その茜色の空を薫さんは何処か眩しそうに眺めながら呟いた。
「娘が居たの。妹がね。事故で死んだのよ。あの子の目の前で」
辛そうに拳を強く握る薫さん。もう言わなくていいですと、私は震える拳に手を添えた。
彼が強く憧れ、強く望んでいる物の姿が、その言葉だけでハッキリと解った。
「茜さん、優しいのね。あの子とお付き合いしてくれて有り難う。本当に感謝しているわ。でもね、きっと別れたくなる時が来てしまう。だからその時は、私に正直に言ってね」
「そんな事絶対ないですよ。私たち超ラブラブですから」
涙まで流して感謝してくれる薫さんに、言うべき言葉が見つからず。そう言い切った。
「私たちの娘の名前も、茜、なのよ」
「え・・・」茜という名前の子は、決して多くはないが割に居る。特別不思議な事はない。
「何の皮肉かしらね。あの子があなたを好きになったのは、もしかしたら名前が切っ掛けかも知れないわ」
「関係ないですよ。切っ掛けがそうだとしても、今やこれからが幸せならそれで」
亡くなった妹さんと同じ名だから?私は気にもしなかった。
「違うの。違うのよ・・・」
「何が、ですか?」
「あの子はね。妹を思い出すと、豹変するの」
「暴れて、暴力を振るう、ってことですか?」DVかと思ったが。
「いいえ。その逆。周りに危害は加えないけど、自殺を図ろうとするのよ」
それは決まって妹さんの3月の命日からの1ヶ月間に集中するらしい。
葬儀を終えた日の夜に、最初の兆候が見え始め、彼の自殺行為は日増しにエスカレートして行った。リストカットから始まり、首吊り。ロープで縛ってみれば手足が引き千切れんばかりに引っ張りだし。気晴らしになればと海へ連れて行くと、目を離した瞬間に入水を。
改善の道が見つからず高い治療費を掛け、カウンセリング施設にも入れた。それが功を奏しやっと回復の兆しが見えた。腕の良い精神科医にも巡り会え、逆光催眠で妹の存在を彼の記憶から消した。良く見渡せば、娘さんが居た形跡がない。彼の為に、捨てたのだと思う。
「今は、もう大丈夫なんですよね?」
薫さんは小さく首を振った。
「娘の写真だけはどうしても、捨てられなくて・・・」
それが見られてしまったのだ。一番見られてはいけない人に。
「でも、彼は今、独り暮らしを・・・」言ってしまってからでは、もう遅い。
「私たちも、もう、限界なのよ。許して、茜さん」許して欲しいと繰り返し。
「来年の3月までに、あの子と別れて」と言って来た。
「それは出来ません。私が何とかします」
詳しく聞けば、昔程症状が継続する事はなく、妹さんの命日の夜さえ乗り切れば問題ないからと告げられた。でも、私が傍に居れば解らないとも。
「大丈夫です!私に任せてください」と胸を張って、そう言ったのに。あの日を迎えてしまった。
彼の自殺を止められなかった。
私の疲れが溜まっていたのもある。上手く行かない就活、単位不足の補修講義、バイト、卒研などで2月辺りからピークが来ていた。
同じベッドに潜り込み、強く手を握り締め、私は油断してた。
まさか、警戒していた夜ではなく。朝にやるなんて思ってもみなかった。
私が寝ている隙に、キッチン手前にバナナの皮を置いて。笑い話じゃない。彼は、皮の下のフローリングに大量の油まで仕込んでいたのだから。
それだけじゃない。朧気ながら私は聞いていたのだ。大きな激突音と呻き声を、2回も。彼は自分の意志で、自害した。自らの後頭部をコンクリに2度も打ち付ける、奇抜な発想で。
警察で聴取も受けたが、彼ら家族を昔から良く知る刑事さんの手助けもあり、当日中に私は釈放された。
それから1ヶ月。彼はまだ目を覚まさない。
一命を取り留め、脳も無事。コンクリにも負けない石頭なのに、意識だけは戻らない。ご両親や私が戻って来いと、どんなに願っても。どれ程の迷惑を家族に掛けているかも解らずに。
そして、この異世界で迎える新年に、彼から受け取ったドレスの色は。
私の名前を模した、夕焼け色した茜色。
澄み渡る青空、降り注ぐ太陽、闇に落ちる紅の前。そうか、だから私は3番目なのか・・・。
って、納得出来るかバカーーー。
短めです。
彼自身と彼女、家族との認識のズレ。
ワザとです!
彼女が飛んで来た経緯も、
ラストへと繋がる事項なので。
後日とします。