第61話
真っ白いベッドの上で、彼は今日も静かに眠っている。あれからもう1ヶ月にもなる。
硬直する身体。必要なリハビリは専門の理学士の人がやってくれる。オムツの取り替えも看護師や介護士の仕事だ。尿受けの管理も当然。栄養は今現在は点滴だけで良いらしい。
これ以上長引けば処置が追加されるとかも聞いた。
私には何も出来ない。この病室に来てみても、返事も出来ない昏睡状態の彼の顔を眺めるだけ。結婚もしていない彼女の立場では、彼に関する何もかも。その他の殆どはご両親の仕事。
私には何もする事がない。
「バーカ」何時もなら怒る彼は、死んだように眠り続ける。いっそ死んでくれればいいのに。
見舞いの花の取り替え、水の入れ替え、個室の空気の入れ換え。そんな簡単な作業が終わってしまうと、私はいよいよ暇になった。
ベッドの脇の小椅子に座り、彼が一時期嵌っていた何冊かのラノベを手に取った。なるほど確かに、これは暇潰しには丁度いい。しかし内容は殆ど男の子向けで、女の私には理解出来ない部分も多分にあった。
擬音で表現されたバトルシーン。暴力的なシーン。旅の仲間とのあれこれ。魔王やドラゴンやモンスター。都合の良すぎるレベリングやスキルの数々。そこまではいい。それらまでは普通の男の子の冒険活劇で終わる。
私が特に不快に思ったのは、美しいエルフの少女や奴隷の少女や懸命に働くメイドさんや敵だった魔族の女の子を、陵辱したり虐殺したりするシーンがオブラートに包まれたような言葉で書かれていた所。キッモ・・・。
確かにこれはエロを目的としたポルノ小説ではないのだから、直接的には書けないだろうし、踏み込み過ぎれば年齢制限にも引っ掛かる。じゃあさ、そんなの書かなきゃ良くない?
差し込みされた、妙に肌の露出の多い挿絵。例えラノベでも、何時も女は商品なんだ。男心や欲求を満足させられるだけの道具。不快を通り越して吐きそうになり、読み掛けの本を閉じた。
「あ、茜さん。何時も悪いわね。そんなに毎日来なくてもいいのよ。交通費だって大変でしょ」
彼の母親の薫さんだった。彼女として家に何度か遊びに伺った事もあるので、仲は悪くはないのだが、まだお母さんと呼んでしまうにはどうもしっくり来ない。
「薫さん。ちゃんと無理ない範囲で来てますから、ご心配なく」
「ごめんなさいね。お金に困ったら言って頂戴ね。ちょっとは余裕あるから」
嘘だ。まだ他人である私に掛けるような言葉じゃない。医療費も入院代もこれからどの位掛かるかも解らないのに。長期に及べば転院だってあるだろうし、最悪施設へ入れる事になれば費用は天井知らずになる。他人に金など渡している場合じゃない。
「お気遣いなく。ちゃんとバイトしてますから。交通費とかお花くらい余裕です。それよりも大丈夫ですか?薫さん」
「ええ、勿論。大丈夫よ」
苦く笑う薫さんの目の下には取れなくなった濃い隈がある。一頃よりはマシになったが、頬が窶れて身体は痩せ始めている。心労の現れ以外ない。顔色だって当然悪い。彼の入院前は健康的にふっくらしていたのに。たった1ヶ月で、眠るだけの彼より余程病人に見えた。
私自身は割と平気だった。何も、していないのだから。
ベッドの上の彼は、頑丈なチェーン付きの手足の革枷で縛られている。念の為に。
「こうしていると、静かですよね」
「そうねぇ。本当に寝ている時はこんなにも大人しい顔をしてるのに」とても寂しそうに。何処かホッとした表情で。
「椅子に座ってください。薫さん」何時ものように、母親を椅子に座らせて代わりに背後へと立った。
「ごめんなさいね、本当に。茜さんが、娘になってくれたら、どんなに良かったか」
「いえいえ。私にはこんな事しか出来ませんから」
父直伝の整体術で、薫さんの固まった首や肩を揉み解した。見舞いに来れる日の最近の日課だ。数少ない、私にしか出来ない事の一つ。
前よりも凝りが激しくなっている。新しくパートでも追加したのだろうか。やはり金銭的余裕は無いに違いない。丁寧に筋肉の繊維を解して正常な血流を促した。数分続けて行くと、幾分だけ表情が明るく落ち着いた。その表情に、私の心も安堵した。
「ダメねぇ。私までこの子みたいに眠ってしまいそう」
「隈凄いですよ。少しだけでも寝て下さい。剛君の事はしっかり私が見てますから」
こう言う時は直接的に言ったほうが良い時もある。隣に在る簡易ベッドを指してみた。
「そう、かしら。じゃあ、お言葉に甘えて。少しだけ」
これまでなら断って来たのに、今日は大人しく聞いてくれた。限界に近いのかな。
薫さんは横になると直ぐに、眠りに落ちて大きめな鼾を掻いていた。だね。
4月に入ったとは言え、日暮れ以降はまだ寒い。薄手の毛布と、共有して使っている膝掛けを合わせて掛けながら。私は薫さんから聞いた話を思い返していた。
彼のご両親はサラリーのお父さんと、専業主婦のお母さん。極々一般的な家庭。子供は今は彼一人。ずっと一人っ子だった訳ではなく、彼が13歳の時に7歳年下の妹さんを自動車事故で亡くしたそうだ。丁度その頃からだったらしい。
一時的に彼が、壊れるようになったのは。
私の意識はまた飛ばされた。かなり慣れたとはいえ、気分は優れない。
「で?今度は何の用?」
白い布地のソファー2つと、白石膏の小さなテーブルしかないこの部屋。そもそも部屋なの?
周りを見渡しても景色は一切無い。対面に座るのは、憎たらしい女だけだった。
「悔しい?」
「何がよ!」内心解ってはいるが、このストレスをぶつけられるのは、今はこいつしか居ない。
「彼、式やるみたいよ」クスクスと笑っていた。何時も顔だけは見えないけど。ムカツクわ!
「知ってるわよ。3人分ドレス作ろうとしてるんだから!だから、何よ」
「貴女も、着てみたいんじゃないかって?」
「んなの、ったりまえじゃない!!!でも解ってるわよ。私、今鞘だからね。後悔してるわよ!ノリで試したら、出来ちゃったんだから。でもさ、魔族の身体にも戻れないってどういうこと?」
「豚さんの相手してるから魔力が足りないのよ」
「あんたがそう仕向けたんじゃん。何?その私関係ありませんって顔は」
「え?見えるの??」
「見えてないわよ。別に性格ブスの顔なんて見たかないけどさ!前々から聞きたかったけどさぁ、何で同性にまで顔隠すの?そんなに顔に自信が無いわけ?」
「神秘性」キッパリと言い切りやがった。
「はぁぁぁ??」理由そんだけぇ。付き合い切れないわぁ。
「話戻すけど。一時的に戻してあげてもいいわ。条件付きで」
「嫌よ」即答で返してやったわ。
「?どうして?今なら間に合うのに」
「あんな紫色の肌で?神様のくせに頭可笑しいの?紫よ、紫。彼にだってキモいって言われたのに?あんなんであの美女軍団と戦えって?喜んで並べって?真っ黒な翼だってあるのに、バッカじゃないの」
「・・・困ったわ。断られると思ってなかったから。一応条件だけでも」
「聞かない!どうせ碌でもない御託並べて、いいように動かしたいんでしょ?もう乗らないわ。乗ってやるもんですか!」
「・・・」彼女が泣きそうになっている。少しだけ言い過ぎたかも。
「い、一応。聞いてあげるから。何よ、条件って」
パッと明るい顔に、なっていると思う。
「7つ目の魔王に彼の魔剣を渡して下さい。お肌が気に入らないのなら黄色に変えますし、翼も自在にしますので」
「却下!」
「ど、どうして?」
「どうしてって言った?今、どうしてって言った?考えてみなさいよ。私は彼にさっさと魔神をサクッと倒して貰いたいのよ?なんで彼でもない魔王を強くしないといけないワケ?それに、黄色って何?確かに私も元日本人だけどさぁ。赤いドラゴンの子だって、人に化けたら白なのに。私だけ黄色って絶対浮くわ。そんなのお断りよ」
「では、何色なら?」
「そうね。黒か褐色も悪くないわね」正直紫以外なら何色だっていいけど。元の身体に近い状態であれに並びたくはない。お母さん、ごめん。でも今だけ許して。
話の流れが、少しずつ女神側に寄っている事に怒れる私は気付かなかった。
「勇者が2人。聖剣も2本。彼が魔剣を持っている。バランス、悪いと思いませんか?」
「パワーバランス?知ったこっちゃないけど、言われてみると悪いわね」
「どうしたら良いのでしょう・・・」
「なら、あれがあるじゃない。アダント?だっけ。あの時の魔剣があ、る・・・」
やられた!彼女はこれを引き出そうとしていた。迂闊にもまた嵌められた。
「言いましたね。それでは良い旅を。戻れる期限は、貴女の式までとしましょう」
再び消されて行く私の身体。何度やっても交渉は苦手。結局最後は絡め取られる。と思いつつ、今回だけは女神様も余計な一言を、私に言った。
「・・・私の、式までね」消え去る直前に、女神様に向けて親指を立てた。
「あ!違います!あぁ、どうしましょう・・・」
悔しいけれど仕方がない。ここまで来て、やっと一手を取れた。それと解った事が一つ。
女神様は、一度自分で言った事を覆せない。何のルールかは知らないけど。
だから、私に言わせたかった。もう1本の魔剣の存在を。
鞘である時はあまり喋れない。魔力切れを起こすのだと思う。無理に連続で喋ると、一時的に飛ばされる。意識的な物か、ここへと戻されるか。
彼女に関するフレーズは一切伝えられない。曖昧なニュアンスさえも。女神が居るという概念以外は。
魔族の身体であった時は?あの時、あの場所、あのタイミングで、私は確かに彼に伝えられた。彼女の名前を・・・。名前、名前?あれ?消しやがったな!
私の意識はそこで途絶えた。
あの子の過去と現在。
本作はあまりキャラの容姿や服装を明確に表現していません。
読んで頂ける方のイメージ頼りにはなりますが、
美女、美人、美少女、イケメンとかって
人それぞれですし、序盤の3Sで膨らませて貰えればと
置いた次第です。
何よりも、書いちゃうと絶対ボロが出るので。