第56話
速さ。人知を越えれば何者をも凌駕する。それは一つの可能性。
空気、音、光、重力、そして時間。人の身では制約が付きまとう。ならばと人は道具や機械を発明開発し、常に限界を破ってきた。
この世界、この場所、この時に。機械はまだ無い。あるのは精々力学動作を応用しただけの何かを飛ばせる道具だけ。初期や初歩と馬鹿には出来ない。全てはこれからの発展の始まりなのだから。
この世界には魔術も魔法もある。そちらの発展した姿は残念ながら想像も難しい。自分が持つのは、やはり元の世界の低レベルな知識のみ。工学には疎い。専門知識は皆無。何をほざこうと鼻で笑われるのは当たり前。
女神様から受け取った制限無しの魔術。とても便利で単純で、深く研究するのを忘れる程に。詰まる所、俺は甘えていた。その大きすぎる力に、頼り切っていた。
自分から魔術を取ったなら。いったい自分に何が残るのか。その答えが今明かされる。
「ご託は充分だな。行くぞ!壊れてくれるなよ、おれ」アダントの踏み込みから始まった剣戟。
「大きなお世話だっての」正面からの突入に備えた。
神速を越える速さ。目で追ってはもう遅い。半手遅れただけで致命傷。己が持つ自動再生・回復にも限度はある。首を落とされれば終わりだし、頭を根刮ぎ潰されれば自我は保てない。心臓を抜かれたって終わりだろう。
アダントの身体が分裂して見える。単純に速く、ただ速く動いているに過ぎない。技ですらない単純動作。
単刀の解。基点は一つ。終点も一つ。であるならば。一撃目で必ず捉える。
両腕で首を守りながら待つ。左腕に食い込む相手の魔剣。食い込みは腕を切断寸前で止まった。同時に始まる侵食には構わず。右腕一本で魔剣を振り抜いた。
「クソッ。肉を切らせて何とやらか。おれ的には、もうちょい斬り合いたかったんだけどな」
「おれも、暇じゃないんでね」
見事にアダントの胴中央に風穴を開けた。技量も速さもあちらが上手。なら最後に頼るべきは上げに上げた己の他のステだけだ。
左腕の侵食が終息して行く。
「お約束だ。魔王だけには、なるなよ」
アダントの身体が、持った魔剣と共に崩れて落ちた。風など起きぬこの場所で、風に巻き上げられる砂のように。全てが消え去る寸前に、最後に残ったアダントの手を取った。
指の間から零れ落ちる砂を感じながら、俺は深く目を閉じた。
急速に頭の中に流れ込む、それは自分自身の記憶の欠片。魔王ブシファーに至る前までの記憶。別の未来、過去、現在。
「帰りたい。茜に会いたい」その想いが強く伝わって来る。帰りたがっていた。元の世界に。
想いとは裏腹に初回の俺は、間違いだらけ。こっちの世界の事をまるで理解しようとせず、自分勝手に暴虐の限りを尽くしていた。ただ魔神さえ倒せば帰れるのだと、信じた挙げ句に。
ウィートや勇者の尊厳を踏み躙り、調子に乗って怠惰に敗北した。泣いて懇願したのだろう。慈悲深い女神様に。そのまま地獄に落としてくれればいいものを。条件付きで救ってくれた。
「ティアレス」
何度か過去に飛ぶ姿が見えた。途中途中は消えている。その最後の姿がアダント。不意に出逢って恋に落ちたのは、本当に偶然だろうか。それとも女神の悪戯か。
伝わって来た賢人たちの秘密。人間なら、死んだ姉が真逆本人だとは思うまい。この先の鏡の前での告白は、どう見ても懺悔。一方的に言われる彼女の身にもなれよ。
前世で何度も会って居たなんて。その記憶も引き継がれてるなんて。この後、どんな顔して会えばいいんだよ。まったく勝手ではた迷惑な俺だぜ。
「まったくだよ。本当にマジで勝手な男。どうして惚れちゃったんだか解んないよ」
「愛想尽きた?茜」
魔剣を収納し、鞘を外して地に置き、重たい身体で手前に座った。
「勝手に死にかけて、勝手に私をこっちに呼び寄せて、行き成り帰れって言われた私の気持ち解る?解る訳ないよねぇー」
茜は決して自分でこちら側に来た訳ではない。何度目かの転移の成功報酬として女神に強制召還されて来ていたのだ。俺に対する怒りが強過ぎて、堕天使で生まれてしまったのは・・・ノーコメントで。
「ごめん。解んないわ。ちょっとでも理解があれば、こんな事になってないし」
「はぁ・・・もういいわ。だいぶ怒りも収まったし、ちゃんと魔神倒して私を帰しなさいよ」
「勝手序でに、帰ったらちゃんと幸せになってくれ」
「もうーどうして一緒に帰ろうって言ってくれないのよ。これじゃ私だけ大損じゃない」
「ごめんごめん。マジで。でもおれ、こっちで幸せにしなきゃいけない人出来ちゃったから。守りたい人、助けたい人、助けるべき人。たくさん作っちゃったから。もう無理」
「ホント、あんな暴力女の何処がいいのよ」
茜も2度目には俺を殺そうと・・・。あれは無かった事にしよう。
「それから夜はちゃんと私をBOXに入れてよね。何故かは言わなくても解るかな?」
「・・・申し訳ない。今後はキッチリ収納させて頂きます」
胡座を正して、土下座して謝罪した。
「解ればいいのよ、解れば。そろそろ来る頃よ。覚悟はいい?」
「覚悟って言われてもなぁ・・・」
断片化していた記憶の欠片たちが、結合し始めた。やがて一点に収束する。
「がぁぁぁぁぁぁ!!!」耳裏で重低音のノイズ音が掻き乱れ、脳みその奧底が揺れる。
痛覚の無いはずの大脳がハンマーで叩かれたように痛み出す。脳髄が沸騰する。実際に全身の毛穴から汗が噴出していた。頭を抱えようと抑えようと、何も変化が見られない。
重苦しい目眩が襲い来る。このまま意識を失えたらどんなに楽だろう。外側からの痛みには耐えられても、内側から無限に湧き出る痛みが楽な気絶を許さない。
「いがいぃぃぃ、いがいぃぃよぉぉぉ」
目から鼻から耳や口から、あらゆる体液を巻き散り零れた。意識は薄いがきっと下からも垂れ流しているだろう。
「ちょっと・・・ここまでだなんて聞いてない!早く来なさいよ、バカ女!」
「バカとは失礼ね。にしても、これは・・・」
「やっぱ聞こえてたんじゃん。今までフリだったわけ?ねぇ。ムカツクわぁー」
「これでも侍女の端くれ。下の介助もお任せください」
辺りが何やら騒がしい。声が響いて痛みが増して行く。目が裏返って視点が確保不能。
「ヒールも意味は無い。薬も飲めない。これだけは自分自身で乗り越えるしか」
「お姉様、アカネ様。一旦距離を取りましょう。辛そうで、見ていられません」
3人が少し離れた場所に居る。クレネだけはこちらを見ている気がした。師匠の修行の時もそうだった。あの時もクレネはじっと見守っていた。
「助けて欲しいか?お前が守るべき人に。辛いから?好きな人の為なら?仲間だからか?恋人だからか?覚えの悪いお前に教えてやろう、何度でも。それは、お前の自分勝手な我が儘だ!自分の道くらい、己の手で切り開け!」
師匠の厳しいお言葉が思い出される。そうあの時も、心の何処かでは思っていた。見てないで助けてくれ。代われるなら代わってくれよと。師匠はそんな俺の醜い心を見抜いていた。
「あがぃぃあっぁぁあ」言葉にならない。
この痛みは何だ。これは過去の自分が創り出した罪への罰。運良くやり直す事が出来たからどうした?それで過去の罪が消えるのか?違うな。
俺たちが死んだ後、再起した勇者が何処まで行けたのかは解らない。解らないが一つだけ言えるのは、あの世界はあの後も続いている。結末がどうであれ。
俺が少し過去を変えたからって、都合良くあの世界の未来が消え去った訳はない。俺が犯した罪はそのまま残って、世界は平然と進む。こちらに来たから許された訳じゃない。
それがカルマ値、-200。の本当の意味。あれは魔王の分じゃない。あれは自分自身が築き上げた代物に他ならない。
再び問う。この痛みは何だ。これは、そうこれだけは。
「おれぇぇのぉ、づみだぁぁぁ」歯が噛み折れる程に食い縛る。反った首筋から血管が切れる音がした。
目を閉じる。瞼の上から両目を指で押し込んだ。眼球が潰れ掛けたかも知れない。
首を掴む。全力で絞り上げた。脳への供給を一時的に寸断した。僅かに痛みが引いた気がした。手を放して、肺深くまで深呼吸した。更に痛みが引いた。それを繰り返す。
まだ脳が熱い。自分自身だとは言え、数人分の記憶を一気に納めようとしたのだから無理もない。正真正銘オーバーヒート状態。
「ク、りえいト、うぉー、ター」イメージする言葉が上手く繋がらない。
「水遁!」離れた場所からウィートの声がした。頭上から滝のような水が落ちて来た。
冷やしたかったのは、頭だけだったんですがね。
冷や水を全身に被り、漸く自我が戻って来た。滝業ってこんな感じか。
身体は上手く動かなかったが、3人に向かって親指を立てた。
ナイス、フォロー・・・。そして、やっと意識が遠くに行ってくれた。
再び目が覚めると、クレネの胸と顔が上に見えた。何時もの膝枕。
「お帰り、ツヨシ。体調は?」
「ただいま、クレネ。まだ少し、頭痛いかも」
「薬、飲める?」
「飲めるけど。今は飲まない。誤魔化しちゃいけないから」
「お姉様ばっかり狡いですよ」反対側からウィートの顔が覗いた。
「何時も、ごめんなウィート」
「そうですよ。感謝してください。お洗濯したのはほとんど私ですからね」
「・・・有り難う御座います。ウィート様」赤ん坊でも、身体の不自由な老人でも、病人ですらないのに。ほんっと申し訳ないです。
「私さ。今度は物干し竿にされたんですけど?何でかな?私、鞘だよね?ね?」
「私の存ぜぬ事ですので、許せ茜」
「ウィートも聞こえてるんでしょ?絶対聞こえてるよね?ねぇってば」
ウィートの顔が茜の反対側へ向いた。正直者!こうして夜は茜をBOXに収納する事が義務付けされた。
下着も取り替えられ、衣服も整い、万全ではないが身体も普通には動く。真っ先にクレネをお姫様抱っこして上へと急いだ。
「ちょっとお待ちくださーい。次は絶対私ですからねーーー」
スピードスター恐るべし。これは真面に斬り合っていたら敗北も有り得たな。
図らずも踏破してしまったダンジョンは、魔物が沸かなくなっていた。安心してクレネを適当な場所に置いて、戻ってウィートを拾い抱っこした。自分でやり出した事ではあるけれど、先進んでもいいんだよ?何も待ってなくても。
途中から面倒になってきたので、両肩に担いで同時運搬に切り替えた。
「おー、こんな運ばれ方は初めてかも。楽しい」
「でもこれって、ただの人攫いでは?」
「このまま突っ走るぜ。さっさと怠惰ぶっ殺して、勇者たち助けに行くぞ」
広域マップ上、聖都のど真ん中で絶賛激戦中の勇者一行が居た。何もそんな場所でとも思わなくはないが、恐らくあいつが6つ目と踏み切ったのだろう。可能性は大いに感じるが、5つ目を倒さないと6つ目は魔王として表に出ないと推測。
勇者一行をテロリストにしてしまうか、正当な英雄に出来るかは俺たちに掛かっている。
もうちょっと慎重にねって言った積もりだったのになぁ。猪突猛進タイプを地で行く子だね。
そして忘れていけない。ウィートのスキル群に新たに加わった物。
勤勉 生まれ持った元来の真面目気質。努力家。なるほど怠惰の反対。正にウィートにこそ相応しい。これは師匠がある日突然持って来た物だとクレネから聞いたが、なぜそれを自分で使わなかったのかが気になる。いつか会えたら聞いてみよう。私は勤勉ではないからな、とか返されそう。
地上に戻る途中で、色欲を持った一団と遭遇したが、軽く殲滅してダイジェスト行きにした。それくらい今は時間が押しているのだ。隠れているのが見えてる敵に一々対応してられない。
日の光を期待したが、残念ながら夜でした。時刻はマップで解ってはいたけど。経度を跨いだ時のタイムシフトがどうやって算出されているのか?俺にも解らないので・・・。
最寄りの町で宿を取りたい所だが、そうも言っては居られない事態に転換していた。
何と魔王ペルチェが聖都目掛けて移動を開始していた。面白くなって来たじゃない。
「2人の盡力の残量は?」
「問題ないわ。私も前の借りを返したいし」
「同じく!個人的因縁はありませんが、私があれの動きを封じて見せますわ」
「別の世界であいつに踏み殺されてたけど?」
「寧ろ、私がぶち殺しますわ!!」大層お怒りです。煽ったのは俺だけど。
「んじゃ、行くぞ!アースシェイカー・スポット・デリバー!」手を向けたのは鋼鉄魔城の方角。マップで正確な距離を算出し、城の足元だけを崩しに掛かった。城は無傷でも足場はどうでしょう。魔王の動きが停止した。迷ってる迷ってる。
「迷いは隙だぜ、魔王!フレイムバースト・ヘヴィロングストライク」態とこちらの方角が解るように、明るい炎の流星を魔城にぶち当ててやった。今度は迷わず進路をこちらに向かって急速旋回して来た。「よし!釣れた」
「ツヨシ様。あれが花火ですか?」
「何時だったかの夜に言ってた物の事?」
「違うけど・・・、作れるな!今度トライしてみる」俺って結構クリエイト系行けるんじゃね?
「聖都で勇者様を助けたら、ぜひ聖都で打ち上げましょう。盛大に」
「それ、ナイスアイディア」
魔王との距離、凡そ200km。超特急だな。怒りと共に身体も摩擦で燃えてるぜ。きっと火耐性持ってるね。
ウィートが前に出た。
「お2人は後に居てください。出会ってからでは全てが遅いのでしたね?お姉様」
「確かにそうだけど。この距離から?」
「残念ながら私には魔王との戦いの記憶はありません。ですので先手必勝です。まだ姿は見えませんが、同じ方角から禍々しい気配は感じます。必ず当てます」
魔王との距離、160km。早過ぎる。マッハ越えてる?俺のスピードスターは?
方角を確信したウィートがその場で片膝を地に着いた。片膝立ちの姿勢で白剣を鞘に収納し直した。
「ツヨシ様の守りたい方に私も含まれるのなら、私だって愛する人たちを守りたい!国の再興は兄様の夢。私は責務から逃げました。私は自由を取りました。私も我が儘な人間です。決して勤勉ではありません。ですが!自由は誰もが持つ権利!フォース・フィールド!!」
ウィートを中心に数mの範囲で淡く白い光が地から湧き出した。
「ちょっと、ウィート?」
魔王との距離、100km。速度に上限無いのかよ!
「何が面白くないですか!何が詰まらないですか!貴方様だけを喜ばせる為だけに、私たちはこの世界に生きているんじゃない!遊び半分で誰かの死の上に立ってはいません!」
輝きを失ったはずの白剣は、再びあの時の光を取り戻そうとしていた。
「おい、ウィートさん?」
魔王との距離、30km。まだ上がるのねー。もうええわ。
「ランバルは良くて、ペルチェは駄目だなどと!そちらのほうが余程半端な考えです!」
「ちょっ、おれらの出番・・・」
「私のリベンジは?」
魔王はすでに視認可能な距離まで来ていた。大きな火の玉が見える。
ウィートの聖剣は鞘から光が溢れ出て、前回以上の輝きを放つ。
「同じ見るなら、もっと先の未来に夢を!全てを断ち切れ!セイグリッド・ブレイバーーー!!」
元日本名、居合い切り。抜き放った斬撃は音速を越えたその先へ。真っ暗な夜に輝く流星の如くに流れ、出会い頭に魔王であろう火の玉は、美しく真っ二つに割れ落ちた。
「おれらの苦労って」
「何だったのかしらね?気持ちの悪い奴だったからいいけど」
「あー、スッとしましたぁ。大体おかしいのですよ」
「何が?」
「女性に向かって、英雄はないですよ。どうせ付けて貰えるなら、責めて英雌ですよ」
「あ、そうだね。そうだよね。おれも間違えてたわ」
良い物は絶対にタダでは貰えせんと言うお話です。
話に意外性を持たせるのって難しいですね。