第54話 昔話
ティアレス。彼女の名が現わしているように。美しき賢人の娘は、この世に生まれ出でた時から滅多に泣かない子だったそうだ。
俺は元日本人。これが何度目かの転移だそうだ。その都度記憶を消されているので、戻りだと言われても、どれ位逆行しているのかは解らない。
町の文化水準は西洋文化と言うよりは、古代ローマやスパルタクルス民族と言った好戦的な血生臭い文化の香りが色濃い。古代ギリシャのようなピラミッドや王政信仰まではないが、各地にそれぞれが信仰する神への捧げ場所や、神殿信仰が根強かった。
正直信仰宗教の形には疎い。そういった文化の薄い日本に育ってしまっては、この異世界の
文化を全てを理解するのは難しい。詳しい人がこの場へ来たなら、狂喜乱舞していたに違いない。俺にはそんな心酔するような信仰心は無かった。
逆行中の記憶はないが、行き着く未来の記憶は大きな断片が幾つも色濃く残っていた。遙か遠い魔神への道筋。愛する者との旅。勇者一行。商人とその護衛。この歪んだ道を正そうとしてくれた誇り高き師匠。それらの断片を胸に。
女神様の御力により、数々の失敗を修正するチャンスを得た。それが今の逆行。腰に据えられた黒い魔剣。そして、おれは独りぼっち。仲間と呼べる者は居ない。
ここはアイアイキャッスル大陸の東方の国。ムルハマバード王国。首都クインゼラ。城下町の第3区画の安宿。冒険者プレートと魔剣、少ない所持金。目覚めた直後に鏡で確認してみたが、今回は中年の渋い男性。ワイルドな髭を設け目尻と眉間の皺は深い。若く見積もって30代後半の悪くない顔立ちだった。名前は、アダント・カルレと書いてある。普通で良かった。
冒険者プレートランクはゴールド-。これも程良い。レベル、ステ共にまずまずだ。今回与えられた固有スキルは、スピードスター。ただの早いだけの脳筋。パワータイプでありながら、剣術には越が付いている。なかなかの技巧派。レベル程の盡力は少ない。これで良く一人で戦い抜いたものだと関心する。
身体を動かしてみる。毎度のことながら違和感が全くない。
美しい女神様が、どうしてここまで自分に固執するのかは解らない。その理由を尋ねたような記憶があるが、問いに対してどう答えたのかまでの記憶は曖昧で朧気だった。きっと深い理由があるのだろう。
何にしても、今回はこれで何事かを成さなければいけない。歪んだ未来への正しい布石を打つために。しかし。
「くっせぇなぁ」このアダントの身体は、酒とゲロと男の汗臭がキツく鼻が曲がりそうだった。
数日は情報収集に努めなければ始まらない。真っ先に道具屋を訪ね、粗末な木製の歯ブラシを購入し、共同風呂で汗を流した。虫歯は無いようで、そこだけは安心材料。
初日はギルド事務所に立ち寄り、適度に稼げるクエストをこなした。何人かの顔見知り風の人々から声を掛けられたが、こちらにしてみれば全くの初対面なので曖昧な軽い挨拶に終始した。
クエストはこのレベルですれば問題無い。スキル群を確認しながらの討伐。
近隣の森に潜むリザード(大蜥蜴)を3匹討ち取った。時折街道まで現れては通行人たちを襲う厄介な魔物。毒耐性中の効果もわざと毒を受けて確認した。問題はなかった。
適度な軍資金はこれで稼げる算段は付いた。馬鹿げたスピードと魔剣を駆使すれば、もう少し上位の魔物も屠れる。ランク以上の魔物となると、多少面倒な受注手続きが必要となるので、あくまで討伐中のイレギュラーで片付けるのが手っ取り早い。運も必要だが、高位の魔石が出れば財政は安泰。旅の幅を広げるためにも早急に。
宿を拠点に、昼間は近場の狩りに出掛けては、毎晩酒場でこの国の情報を集めた。ギルド職員や露天商たちとの世間話も欠かせない。
判明した事は、現在は聖院歴495年、5の月。あれから200年以上も前に飛ばされた。随分と飛ばされたものだと思う。この国にいったい何が在るのかは解らない。あの女神様が全く関係ない場所に飛ばす訳はないので、絶対に未来に繋がる何かがある。
マップも無ければ鑑定も無い。BOXも与えられてはいないので、回復薬は下級ポーションが3本と解毒薬が2本、道具袋に入っているのみだった。資金に余裕が出来たら、回復薬を買い集めよう。中級を見付けても買えはしまい。そこは諦めるしかない。
問題があるとすれば、この国が信仰する宗教そのものにあった。
大樹教。賢人の森に在るとされる世界樹を信仰していた。憧れるのは解らなくはないが、エルフでもない人間が崇めるなど烏滸がましいにも程がある。その上で、神への捧げ物はエルフの首をと唱える、訳が解らない教義を掲げていた。何を罰当たりな。
王族が単なる馬鹿なのか、教会が賢人種と戦える手段を持っているのかは解らない。
最近になってより東大陸への侵攻を進めようと、国を挙げて兵力を増強しているらしい。可能であれば止めたいが、ただ早いだけの俺に国を止めるだけの力も名声も無い。寧ろこの馬鹿げた侵攻を止める事こそが布石の一環かも知れないが、どうにも確証が無い。何より、あの賢人が人間の軍を相手に負けるとはとても思えない。
愛する彼女が生まれているかは解らないが、若き師匠は必ず居るはずだ。あの異常に適う相手がこの国には居ないだろうし、未来でも森と里は健在だった。表立って敗北決定の戦争を止めようとは思わない。教会が持つであろう、対抗手段だけは気掛かりではあるが。
王城や王室への立ち入りなど、無名の冒険者が持つはずもなく。誰か要人との親交を深める程の時間も機会も無さそうだ。
疾風の黒剣士。それが俺の二つ名。響きは何気に格好良いが、その程度の冒険者は腐るほど居るだろう。特定の仲間も身寄りもなく、王族及び高官や貴族などとも繋がりは一切持っていない。戦争阻止への道が見えない。
来月には初陣を派兵予定だとの情報は掴んだが、今の所打つ手は皆無である。
初陣の人海戦術で深き森を焼き払おうなどと、ドンデモ作戦が立案されたとの噂もあったが流石にそれはないだろ。大樹を信仰する教義は何処へ行ったんだ。独り占めするエルフが許せないだとか、世界樹を有する資格があるのは我らだとかの声まで聞いたが、アホ過ぎて話にならない。賢人は世界樹や森を守りながら、健やかに寄り添い生きているだけなのに。
記憶は鮮明ではないが、確か世界樹は婚礼の儀の試練でのみ入場が許される、とても神聖な場所だったはずだ。眉唾な信仰や宗教を賢人たちは掲げてすらいない。
敵対国家の一員として師匠と会う訳には行かない。このままでは出会った瞬間に両断されても何も文句は言えない。背筋が寒い。この国からの早期離脱が望ましいが、それでは何の為に飛ばされたんだか解らない。もう暫くは様子を見よう。
彼女に早く会いたい。毎晩焦燥感に煽られる。何度も言うが人間如き小さな存在が神の真意は測れない。後何度繰り返すのだろう。俺が犯した罪を思えば、これが罰だとも考えられる。ならなぜ地獄に落とさない?この魂を消し去れば済む話だ。それでも女神様はそうしない。これが最後だと言われたほうが覆してやろうとも考えるのに。
「本当に慈悲深いんだか、性悪なんだか」安宿の窓から見える夜空は、何処までも光り輝いていた。この世界に生きる全ての人が、生命が短き生涯を煌めかせるかの如く。俺の光もあの中に在るのだろうか。
翌日、冒険者ギルドに立ち寄ると職員さんから声を掛けられた。
「何ですか?指名依頼ですか?」普通の対応をしているだけなのに、職員さんも顔見知りも絶句していた。こんな日課も小さな楽しみではあるが、そろそろ慣れて欲しい。このアダントの素行はすこぶる悪かったようだ。本当の意味で生まれ変わってしまったのだから仕方ない。
連日の討伐件数が目立ってしまったのか。吉か凶かは解らない。
「い、いえ。依頼ではなく。王国兵団直々の勧誘でして。優秀な冒険者を見繕えとのお達しですが、どうされますか?報酬的には日割りでリザード討伐の10倍以上の出来高だそうで。悪くはないかと」確かに額面は悪くない。だが。
「今日一日考えます。それすら待てないと言われたら断ります」
「しょ、承知しました。そう返答をしておきます」
他にも有力な冒険者は居る。鋼鉄城が座する大陸に住まうだけあって、他の大陸に比べて軒並み軍戦力は高い。正直、今の自分が参加しようがしまいが変わらない。戦力問わず頭数だけ揃える腹積りが見え見えだ。命を捨て去る額じゃない。
それでも乗る輩の考えそうな事も丸見えだ。美しき麗人たちを殺す前にどうこうと。虫唾が走るし反吐まで出そうだ。未来の俺なら、きっと国ごと焼き払うに違いない。
翌日も討伐に出掛けると、街道で盗賊に襲われている一団を発見した。襲い来る相手が人間だとは世も末。こんな内政状態で戦争を始めようとするのだから、笑いが止まらないぜ。
一団を助けようか暫く悩んだ末に、いざ踏み出そうとした瞬間、街道の反対側から急速に近付く2つの大きな気配を感じた。この感じは、間違いなくこの感じは。
そっと足を止めて、魔剣を鞘に収め直した。助太刀は不要。離れた草場の影から様子を伺う事にした。どうせ隠れたって相手からは見えている。堂々と寝ながら、状況の進展を待った。
「もし、そこの者。貴方はそこで何を?」2人の内の一人が、目の前に立っていた。見上げてしまった、その懐かしくも愛おしい顔は。
「ク・・・」出しかけた言葉に、慌てて口を両手で塞いだ。神様の悪戯も過ぎている。似ている何てレベルじゃない。思わず涙が出てしまった。
「な、何ですか?何処か具合でも悪いのですか?」心配そうな顔までそっくり。
「大丈夫です。貴女のあまりの美しさに目眩がしただけで」
「まぁ、お上手ですこと。私はティアレス。貴方は?」くすりと笑う、ティアレス。それは愛しき人のお姉さんのお名前。
「私は、アダントと申します。たまたま近くの魔物を討伐に向かっている最中、襲われているあの一団を目にしましたが、お二人が近付いているのを感じたので。ここで見守っておりました」
「だからって、そんなに寛いでいて宜しかったのですか?」
「お二人から強大な力を感じたので、私の出る幕は無いかと思いまして」知ってましたとはとても言えないが、全くの嘘ではないから大丈夫。
「そう、なのですか」小首を傾げる姿まで。
もう一人が、これまた美しき貴族令嬢を抱えて、客車を降りて来ていた。遠目でも解る、出立と雰囲気。若き日の、師匠その人。ならばその腕に抱えられる令嬢は、もしかしたら。
「何やら怪しいオーラを感じたが、君は盗賊の仲間かね?」彼の真っ直ぐな瞳に、全てをぶちまけてしまいそうになる心を抑えるのに必死だった。
「いいえ。彼は通り掛かっただけの冒険者でした。嘘は言っていないようです。私たちの接近に気が付いて剣を納めたようで」
「そうか。それは済まなかったな。この国の不穏を察知して。私たちは少々気が立っていたのだ。許してくれ」
「それは無理もありませんね。来月見当でこの国は戦争を仕掛けるそうですから、国内外共に乱れています」
「訳あって、この国の内情に詳しい人間を探しているのだが、誰か心当たりはないだろうか」
ええ、それならその腕で気絶中の令嬢に聞けば宜しいかと!
「あの客車の豪華さから、かなり上流の貴族令嬢だと思われます。一介の冒険者を当るより、余程有益な情報が得られる事でしょう」
眠れる令嬢にティアレスがヒールを掛けていた。彼女以外の従者は、全滅の模様。何気に生ヒールを見るのも初めてだったりする。自分が掛けられていた時は、絶賛気絶中の時だったからなぁ。目の前の誰かさんのお陰で。
俺が驚いていると映ったのか。
「身体的には問題ありません。目覚めるまで待ちましょう」
「そうですね。ところで貴方の名をお聞きしても?」
「おぉ私としたことが。私はブラインと言う旅人。彼女は友人。共に旅に明け暮れるだけの仲間だ。安心してくれ」何をでしょうか?師匠?そりゃ里の代表で、この国の偵察に来たとは言えんわな。
「もう、ブライン。また余計な事ばかり言って」全くの同意見です。
暫く待っていると、令嬢が目を覚ました。
「は、離しなさい。このぶ・・・うつくしい・・・」一目で落ちるとは。至近距離で師匠の顔を見てしまい、暴れ出した手がピタリと止まって凝視していた。
「盗賊は退けました。安心してください」ティアレスが声を掛けると、令嬢は彼女のほうを見て再び驚いていた。「負けました」と、顔に書いてある。無理もないな。
「わ、私は、カルエ・カポエラと申します」令嬢が名乗った。あれ?違ったーーー。良くも悪くもない単なる人違いでした。申し訳ないが、今の俺の家名と結構被ってる。どうでも関係ないが。
よくよく考えると、時間軸が合っていないことに気が付いた。ティアレス姉様が王国と共に亡くなったのは、彼女が生まれるもっと前だときい・・・。あれ?今俺は、何を?
これだ!これしかない!今回の自分が成すべき事が見えた。
だがしかし待て。姉様を救えたとして、後に生まれるはずの妹が、生まれなくなる可能性はないだろうか。長寿の賢人たちの多くは子を多くは望まないらしい。ご両親のスタンスまで聞けなかったのが悔やまれる。
可能性は細くなるが、姉様を救って恩を売り、ご両親と面会し、それとなく上級ポーションを渡して、頑張って下さいと言う。外道か俺は!赤の他人の人間が妹をおねだりするルートなんて前代未聞だぞ。何をさせる気だ、女神様よ。そもそも上級なんて買えるかよ!作れもしねぇよ。
ん?違うな。この国が消滅するなら、その時に国から横取りすれば良くね?何本かは貯蔵があるだろ普通。おいおいただの火事場泥棒じゃんか。どうすりゃいいんだよ。
見えない解答に葛藤しながら、話の輪を外れて一人身悶えしていると。
「どうしてのですか?やはり具合が悪いのですか?」姉様の優しい言葉。ヒールまで出そうとしている。
「いえ。貴女を好きになりそうな自分を抑えているだけなので、ご心配なく」よし、不合格!
ティアレスさんのお顔が赤い。好きです!いや違う!違わないけど違うぞ!落ち着いて考えろよ。今の俺は誰だ?未来の俺とは関係無くないか?その通りだ!
この際だ。姉様を救い。嫁に貰う。人間のままで死亡。ご両親には子作りを懇願・・・違ーーーーう。どんな鬼畜だよ!余りにも身勝手な考えだ。話が進まないようなので、考えるのを中断しよう。
「ティアレスさん。今の私の発言はどうか忘れてください。ところでカルエ様。あなたはかなりの上流のご令嬢とお見受けしますが?」ブラジリアンだったかのスポーツのカポエイラは何となく知っているが、現在集めた情報を精査しても、カポエラ家はヒットしない。強引に話の路線をねじ曲げてみた。姉様は少しだけ不服そうな顔をしていらっしゃるが、今は耐えてくれ。
「はい。父はこの国の上院の総代をしております」トップじゃねぇのさ。こんな重要項目、何処で情報を聞き漏らしたんだ俺は。
余りのフラグメントの乱立により、かなり昔の自分が蘇ってきている。懐かしいテンションだ。これは良い方向だと捉えましょう。
「まだ昼中とは言え、このような野原ではまた賊や魔物にも襲われましょう。出来れば何処か静かな場所で詳しくお伺いしたいのですが?如何でしょうか」
「それでしたら我が宅にお招きしたい所ですが・・・」従者と共に引いていた馬も斬り殺されていて召されていた。これでは帰る足が無いのだと、カルエ嬢の顔が不安に曇っていた。
「足に関しては問題ありません。こちらの方々は自走で町まで帰れます。ブラインさん、引き続きお願い出来ますか?」
「大丈夫だ。問題ない」腕の中のカルエ嬢に目を落とし、優しく抱え直していた。お気付きだろうか。嬢は一切地に降りてはいないのだ。流石は師匠。感服です。嬢も嬉しそうに師匠を見上げていた。
俺たちは徒歩での移動を開始した。馬以上の速さで城下町の外門前に半時掛からず到着出来た。
「どうして?私たちに追い付けるのですか?寧ろ貴方のほうが速いような気さえ」
「速いだけが取り柄の男ですからね。それを言うなら、ブラインさんのほうがお疲れでしょう」
「特に問題ないな。これ位の距離なら放手と変わらない」
「ブライン様。少々身体があつう御座います」嬢の顔が上気立っている。よく見ると師匠の手が嬢のお胸の辺りに添えられて・・・きっと気のせいかな。え?お胸が割に大きい女性を抱えて運ぶ時は、抑えていたほうが負担が少ない?俺の不勉強。師匠、疑って済みません。心の中で土下座して謝罪します。
大地に降りたカルエ嬢が持っていた家紋により、問題なく門を素通りして第1区画に在るカポエラ家のお屋敷にお邪魔した。
侍女たちが紅茶と洋菓子が乗った銀トレイを台車で運んで来た。トレイが重そう。そしてメイドさんが懐かしい。未来のあの子は一時的に戦闘用ミニスカ化していた事もあったが、旅をすると決めた時点でショートパンツに落ち着いた。かなり残念に思った記憶がある。賢人の嫁は?初期からスリット入りのミニフリだったので、慣れるまでは大変でしたよ。そりゃもう色々と。俺の視線を感じていたが、喜んでいるようなので恥ずかしいのを我慢していたそうな。平謝りしましたよ。
賢人種は寒さにとっても強く、熱いのは苦手といった特性で、北の大地に向かう時でも俺だけ厚着だったり。何もかもが懐かしく思える。遠い先の話なのに。
「お待ちください!」突然、師匠が運ばれて来た紅茶を飲もうとしたカルエを制止した。カップを奪うと舌を入れて一舐め。直後、紅茶を注いだ侍女だけが吹き飛び分厚い壁に埋まった。その侍女の手にはナイフが握られている。俺が妄想を膨らませている間の出来事。
「解毒薬、使いますか?」そっと差し出すと受け取ってくれたが、使いはしなかった。
「私には必要ないが、貰っておこう」一応貰うのね。いいんですけどね。俺から出しておいて返せとは言えない小心者。
「休まる場所がありませんね」侍女たち全員がナイフを持ち、俺たちを取り囲む。
「あなたたちまで・・・強行派の手がここまでとは」カルエが唇を噛み、悔しがって伏していた。
戦闘不能含めて侍女が8人。廊下と隣室に各3の従者。ここまで近接で殺気立てば、索敵が無くても捕捉は可能。この人数からすると、この屋敷自体全滅臭い。
「馬引きと護衛の従者だけの裏切りかと思いたかったのですが、少々甘かったようですね」
「外出理由をお聞きしても?」師匠が敵全員を瞬殺した後、ソファーに座り直して聞いていた。
俺の出番は、もういいです。壁に空いた穴を数えてみたり、毒入りシフォンと紅茶を暇潰しに飲んでみたりしていただけ。ピリリと苦いだけで異常無し。師匠の動きを目で追えたのが救いかも。ティアレスも静かに紅茶を飲んで、盛大に噴いていた。口端とお召し物の白いロングワンピが汚れてしまい、何故か俺を睨みながら拭き拭きしていた。染み抜き屋、あるといいですね。
「父方の叔父が危篤だとの連絡を受けて見舞いに向かったのですが、先方は健在でして、嫌な予感はしたのですが急ぎ戻った次第です」
親類筋まで焦臭いな。
「戦争の強行派からの手配だと愚慮した上で、反対派の動きは御父上だけですか?」
「はい。そのようです。始めは議会の半数以上が反対派でしたが、先月の間に反転し、現在では8割強が強行派に回ったそうです。最終的な議決権を持つのは父のみ。下院と上院からの突き上げ、国王からの圧力の板挟みに耐えながらも、必死で反対派を盛り返そうと奔走しております。私を拉致しようとしたのも、父への脅しと透けて見えます。無益な戦争など止めてしまえばいいのに。どうしてこの様な事になったのか・・・」
「そもそも、どうしてこんな馬鹿げた戦争などが立案されたのでしょう?」
「全く解りません。ある日突然に複数の議員から持ち上がり、国王自身も容認。実質の派兵決定と見なして、上流貴族が率先して徴兵しています。勝手に国の許可だとか嘘まで」
「議決していなかったのですね。昨日私も徴兵に勧誘されましたが、頗る胡散臭かったので受けませんでした。海まで越えて麗らかな森まで焼こうなどと、愚かな噂まで巷で流れている始末」
「既にそこまで広まっていましたか」
「アダントさんは、どうして愚かだと?」ティアレスが何かを期待している。
「単純な話です。大規模兵団を海越えさせられる船も金も有りそうにない。加えて冒険者一人一人に法外な報酬。証紙などの紙切れで渡されても困りますし、国が潰れてしまえばただの紙クズ。雲を掴むような話です。裏で教会が動いているみたいですが、大樹教を謳う信教が美しき森を焼いてしまおうと言っている時点で本末転倒。こんなにも臭い話に乗るとは、愚かとしか言えないでしょ」
「博識ですね。貴方のような方がもっと議員に居てくれたら、愚か者には成らなかったのに」
「アダントさんは、森に入った事があるのですか?」先程からティアレスが妙に突っ込んで来るな。
「かなり遠くから森の端を眺めただけですよ。世界樹の噂を耳にして、その夜の夢で浮かびました。勿論偽物でしょうけど、本物ってどんな感じかなぁとね」
「アダントさん。世界樹とは何ですか?」カルエ嬢からの真逆の質問が飛んで来る。
「大樹教が広めている教義の御神体でしょ?」
「大樹教の教義は森全体を指しているはずです。世界樹なんて私は聞いた事が御座いません」おやおやぁ、雲行きが怪しいぞぉ。俺はもしかしたら、得た情報を自分の中だけにある記憶で塗り替えてしまったのか。だとしたら、非常に不味い。
「世界樹の存在自体を知っているのは、私たちだけのはず。貴方は嘘をついていますね?」
ティアレスが悲しそうな顔をしている。師匠は至って冷静に黙っている。ピンチだ。この時代の師匠に全てを打ち明け、理解して貰うのは困難だ。これ以上嘘に嘘を重ねるのは愚策であり悪手。人間側に世界樹の情報が出回るのは、そう師匠が結婚してからなのだから。
「2人にだけ、話を聞いて貰いたい事があります。どちらでも構いませんが、少しの間カルエ嬢を眠らせてください」
「詳しく聞かせてください。スリープ・シークエンス」ティアレスが手を翳すと、カルエは見事に深い眠りに落ちた。魔法寄りの術まで使わせてしまった。これは、申し訳ないな。
「ちょっとだけ、深すぎません?これ」
「場合によっては、忘却を施さなければならない。多少深めに眠って貰わないとね」おお師匠がそんな隠しスキルを持っていたとは。多少の驚きと同時に得した気分だ。
「信じる信じないはお任せします。では先ず、私は遠い未来の記憶を断片として持っています。その未来では、世界樹の存在は人間側にも広まっています。ある出来事を切っ掛けに。見識として極一部の人間の間でのみの限定的に。訳あって未来の私は里のほうにもお邪魔をしました。そこで拝見したとしか言えません。遠目で見たのは本当です。お二人が賢人種であるのも知っています。里のほうでお会いしましたので。挨拶を交わした程度ですけどね。私の印象には深く残っています。長の娘。ティアレス・ドルイド・ファーマスさんと、副族長のブライン・ロズ・ワードさん」
2人とも言葉を失っていた。師匠の驚いた顔は珍しい。
「今の私の記憶を消そうが消すまいが、きっと未来は変わりません。どうするかは賢い判断に任せましょう。でも今の私を殺すのだけは是非お止め頂きたい。未来に会えなくなるばかりか、形も大きく歪んでしまう。皆が望まぬ結果に向かってしまいますので」姉様を救えなくなるので本当は記憶も消して欲しくはないのだが。
「望まぬ結果とは、何かね?」
「誰も幸せにならない世界です。種族は関係無く、この世の全ての生物にとって。それは全て私の取った過ちが切っ掛けではありましたが、それも早いか遅いかだけの違い。そんな悲しい未来を修正出来る機会を、慈悲深き女神様から与えられ、今ここに至ります」
「過去を、変えようと・・・、違いますね。今正に変えていると?」
「2人にこの話をしている時点で、もう未来は変わり始めているかも知れません。結果が出るのは未来なので、これが正解なのか不正解なのかも解りませんが」
「名前くらいでは信用に足らんな。それは鑑定を持っていれば可能だから。しかし全く信用出来ないと断じる根拠も無い」半信半疑。でも今はそのほうがいい気がした。
「無いと言って信じては貰えないかも知れないですが、今の私は鑑定能力も超人的な盡力も無制限の魔術も持っていません。全て持っているのは未来の私で、今の私は単に速く動けるだけの能力と、この腰の魔剣のみ。ブラインさんが違和感を感じるのは、この魔剣が発するオーラのせいでしょうね」
「私と未来で会ったと仰いましたね?では今日初めて対面した時の、あの悲しそうな驚きの目と、涙はいったい何だったのでしょう」姉妹揃って鋭い勘だ。賢人が賢人と呼ばれる訳だよ。
「それだけは言えません。一個人的な感情です」知恵比べでは勝てないなら、感情論で訴えるしかない。
「私が、死ぬからではないのですか?それも近い内に」
「・・・」無言はダメだと解っているのに、上手く言葉が出ない。自分自身で解を導いた彼女に対し、無言はそれが正解だと答えているようなものだ。
「死ぬのですね。朧気な予感はありました。この大陸に入った瞬間から。何時もブラインと共に居れば感じることのなかった不安感が、彼が隣に居てもずっと感じていました。ですが、貴方と出会った瞬間に幾分だけそれが和らいだのです」それが期待に繋がったと。
「出来ることなら救いたい。おれに任せろと言ってしまいたい。でも今の私は弱い。未来の力の一部でもあれば・・・」待て、俺はいったい何の言い訳をしている?ティアレスが死んでしまうのは、自分のせいではないとでも言いたいのか?やってもいないのに、負けた時の言い訳をしてどうするのだ。俺はここまで何をしに来た?未来で失う大切な人たちを救うためだろ。手の届く範囲で、手が届く距離に居るのに。
「ごめん。前言を撤回する。この手で君を救う。おれに任せとけ!」
「きゅ、急にどうされたのですか?」
「いやいや面目ない。少々言い訳が過ぎたのは謝ろう。態々過去を変えに来たのに、変えたくないなどと愚か者が居ただけさ」
「大丈夫、なのですか?改めてお聞きします。私の死因は何なのでしょう」
「正直それは誰にも解らない。未来に伝承として伝えられた内容には、君の肉体の一部のみが残され、王城を吹き飛ばす程の大規模な爆発の痕跡があったらしい。帰りが遅い君を心配した里の民が後日様子を見に来て判明したそうだ。どうかな、今のこの状況と何か食い違いがあるでしょ」
「ブラインと、貴方が居ません」
「正解。おれは・・・口調が安定しないな。まぁいいや。おれはその爆発に巻き込まれた可能性もある。でも間違いなくブラインさんはその場に居なかった。それどころか、当時は全く別の場所を探索中だったとかで、後々に君を救いに行けなかったのを後悔していたとか」
「そのお話は、誰から?」
「君のご両親から。主に御母様が喋っていた気がするな」
「里を訊ねただけの人に、そこまでの話をするでしょうか」ティアレスの顔が曇る。なぜだ。
「訊ねただけじゃないよ。おれ君の妹と婚礼の儀挙げたから」
「え・・・」
「口を挟んで悪いが、その人は本当にティアレスの妹なのか?」
「間違いないよ。ティアレスと瓜二つってか、双子と言っても良いくらい似てる。寧ろ同一人物と言って過言じゃない。性格気質は似てるけど、口調は今と時々真逆になったりして。それがまた可愛かったり。頼もしかったり。ひやひやしたり」
「そ、そうですか」ティアレスの顔が赤い。師匠は隣で複雑な顔をしている。何か不味い事でも言ったのだろうか。
「愛していたのかね?」
「ええ勿論。愛していました。大好きで、好き過ぎて。種族なんて関係無くて。厠以外は殆ど一緒。あー思い出すなぁ。早く会いたいなぁ。でも未来のおれなんだよなぁ。こんな臭いおっさんじゃなくて、さっさと戻りたいぜ」
「子供は?」
「も、もうこれ以上はお止めください」少々惚気が過ぎたな。顔を茹で蛸にして両手で覆い隠すティアレスが居た。妹の事なのに、随分とシャイな姉様だ。
「半年間、ほぼ毎日頑張りましたがまだ授からなかったですね」また話が進んでいないようなので、惚気話はここで切り上げた。
「毎晩、何回程度かね?」師匠に掘り返された。どことなく楽しんでいる顔だ。師匠も男っすねぇ。こういう無意味な所で張り合いたくなる生き物なのね。
「尋常じゃない精力の持ち主で、10回以上は軽かったですね」
「じゅ・・・」一時的にティアレスが気絶してしまった。刺激が強すぎたのかな。
知らないのは罪だと時には言う。実際俺は知らなかった。賢人種に子供が出来辛いのは確かだが、一組の夫婦には必ず一子のみしか実らない。その真実に辿り着いたのは、もう少し後になってからだった。
出来た子供には必然的にある特性が付く。その魂は固定化され、何度も繰り返すらしい。輪廻転生。その言葉がピタリと嵌る。悪い事ではない。不慮の事故や大怪我などで不慮の死を遂げたなら、再度同じ夫婦が設ければ前世の記憶以外の何もかもを引き継ぎ重ねられる。
もうお分かりだろう。ティアレスは未来のクレネその人であると。似ている何て生温いものではなく、そのままが本人だったのだ。
その詳細を知った時。それが同時に現世との別れである事も。生命にとって別れは必然。長寿により、どんなに遅く引き延ばされようとも、同じ人生を最初から始められる。それが幸運なのか不幸なのかは、元人間である俺には理解が及ばない。本人と共に歩む周囲の人が決めるべき事柄。赤の他人がどうこう言える話じゃない。然れど俺もその当事者の一人。彼女からの最後の願いに答えなければならなかった。
「未来の私を、どうか幸せに。どうか、離さないで」
「約束する。絶対に幸せにしてみせる。成功するまで何度だってやってやる。だからティアリス、暫しの、別れだ」
俺の腕の中で塵の如く消え去ろうとする彼女の頬には、一筋の涙が伝っていた。願わずには居られなかった。その久しぶりであろう涙が、嬉し涙であれと。
「済まない。アダント君。加勢も出来ずに」傍らで片膝を着いて、あの師匠が肩で息をしていた。
「仕方ないですよ。あれは、相手が悪過ぎた」
遙か上空で佇む者が一人。大きな蝙蝠の羽を広げた悪魔の権化。
怠惰の魔王、ペルチェ・ウルゴール。目で視認しただけでズシリと身体が重くなる。身体中を這い回る倦怠感。例え見ずとも接近されるだけでも効果は同じ。足も腕も上がらない。時間経過と共に怠惰は蓄積され、賢人2人とも弓が引けなくなってしまった。
本来の長距離攻撃も封じられ、魔剣であろうと勇者のように斬撃が飛ばせなければ届かない。奴は上空から俺たちを見下して、顎まで裂けた大きな口で薄ら笑っているだけ。
少しだけ遡って説明を加えると、大樹教の教会の秘密兵器は取るに足らない物だった。それには難無く対応し、安堵した次の瞬間。背後からの魔王の急襲であった。
寄せ集めの兵団が全員、東海岸に意識を集中させた瞬間に。
魔王は魔城から動かない。そんな勝手な常識など通用しないと、雪男や竜王で学習したはずなのに、全く予想から外してしまうとは。
上空遠距離からの空爆魔法。ティアレスが単独であれば状況は変わっていたと思う。3人分の盾役と回復を担っていたのだから、加わった俺たちのほうが逆に足を引っ張った。
「惜しいですねぇ。賢人の娘の魂をもう少しで食べられたのに」
遠くの未来でも言われた言葉。過去に戻ってまで聞くなんて。
魔剣を魔王に向けてみても、特に効果はなかった。まだ初期状態であるため、めぼしいスキルは備わっていない。倒した物と言えば地を這い回るしか能の無い物ばかり。レベル上げにばかり意識を奪われ、魔剣への吸収を考えていなかった。ダンジョン踏破時にでも率先して蝙蝠でも倒し捲れば、この結果も大いに変えられたと思う。
最初の俺の未来での失敗。その最後の相手も奴だった。
醜い豚を倒し、聖剣を勇者から強奪し、貞操まで奪い取った。無理矢理に強姦した。余りにも酷い醜態に、俺自身が豚だと罵られても反論はすまい。
あの醜悪な豚野郎が持っていたスキルの影響を受けすぎた。憑依、従属、淫行、陵辱。犯罪のオンパレードの前に簡単に俺の心は屈した。一夜で勇者を切り捨て、調子に乗った俺はアッテネートで太い商人から金で一番綺麗な侍女を買取り、奴隷化した。
奴隷化した侍女が南の魔王の支配を受けていたのに頭に来た俺は、2番目にランバルを葬った。侍女を強制強化した上で。烏合の雑魚はウザイだけで強さは並だったので然程の苦労はなかった。そこでも支配、傀儡、暴食まで拾ってしまう。
ますます調子に乗り、南の魔王を粉砕した足で東大陸へと渡った。紅の竜王を一撃で両断し、
回復と再生をそっくり頂いた。もう笑いが止まらなかった。魔王が弱くて。
美しきエルフの娘たちは、魔神討伐後の楽しみとして温存決定。賢人の森を避けて、北の大陸まで遠征した。到着直後に白き魔王を屠った。なかなかに骨のある奴だった。状態異常耐性を取り、ふと賢人の森への興味が再燃してしまう。東海岸の小さな小屋を見つけ、うっかり師匠と遊びに来ていたクレネと初めて出会った。
彼女の美しさに理性を吹き飛ばした俺は、何の考えもなく出会った瞬間に襲い掛かった。
賢人種が魔王よりも強いとは。完全に想定外で。クレネの魅了により侍女は沈黙。結果、師匠に骨の髄までボッコボコに粉微塵にされ、腐り切った心と、下半身の醜い竿まで叩き壊して貰えた。序でにスキルの制御方法も習得させて貰い、漸くにして普通の人間の男に戻れた。
そこまで連れて来てしまった侍女の奴隷化を解除し、非道の数々を泣いて謝った。それで許された何て思ってはいない。再起を果たした勇者にも謝罪をしたいとも。そちらは許される訳はないけれど。何も仲間の目の前で・・・この話は止そう。断罪斬首されても甘んじて受ける覚悟だ。
数ヶ月間の修行の期間寝食を共にして、芽生えたのは偽りの無い恋愛感情。何度目かの告白の末にOKを貰えたが、なぜ受け取ってくれたのかは今でも謎だ。こんなどうしようもないクズの何処が良かったのか。自分がどんなに慈悲深い女でも、こんなゴミを拾うことはしまい。
更に数ヶ月を過ごし、順調にクレネと侍女との親交を深め、賢人の里へと3人で向かった。
纏めて婚礼の儀を挙げて貰い、貴重な秘薬を頂いた。本来は試練があるらしかったが、無縁の侍女までは入れずに断念した。その時に世界樹を拝見したのだ。
一つの区切りが付き、勇者に会おうと中央へ渡った。しかし勇者は俺を避けていた。当然だ。彼女にもマップが付与されたに違いないのだから。態々レイプ魔には会わないさ。
一端諦めて鋼鉄の魔城へと挑む。奴を倒せば地上の5匹は消滅する。隠された6と7も見えてくるはずだ。意気揚々と駆け上がった。
開幕直後にカッターで翼を奪い、両腕を取った。超重力ダンパーで魔城の床に張り付けた。順調なのは、そこまで。過去の今現在と状況に大差はない。飛んでいるか地に居るかの違いだけ。奴は存在さえしていれば良いのだから。近付く者の全ての能力を堕落させる。身体の細胞まで生命活動をもセーブしてしまう。機能停止も時間の問題。
抵抗も出来ずに、大切な2人は目の前で踏み殺された。あんな光景は思い出したくもないが。
3人ではダメで、1人でなら食い下がれる可能性。いや、思い浮かばない。
この時代の勇者に討伐してもらう。現在生まれているかも、何処に居るかも解らない。先に聖都まで遠征するべきだったが、大陸を反対側まで横断するだけの時間は無かった。
残された手段は、俺自身が魔王となる事。魔王にはそれぞれに他からの魔王の影響を受けないと言う絶対耐性が備わっていた。まず奴を地に降ろさなければ始まらないので、現状を打破する手段ではないな。弱体化の進んだ2人で何が出来るのか。
逆にティアレス1人で何が出来たのか。答えは自滅自爆。己の肉体と魂を餌に、魔王を呼び寄せて巻き込み自爆。暴論だが一応筋は通る。現在の師匠には生き残って貰わなければいけない。当然俺に魔法を撃つ能力も盡力もない訳で。
八方塞がりだった。後、残された手は。
「ブラインさん。俺を殺してスキルは奪えるか?」
「可能だとは思う。だが、君はそれでいいのかね」
「ティアレスも救えませんでした。この上でブラインさんだけでも救う手段は他に浮かばない」
「君のスピードスターで、魔王から逃げ出せと?」
「ブラインさんのレベルとステータスを考えれば、それが最善です」
「解った。君の意思は引き継ごう。何か言い残した事はあるか」
「何か?では最後に。未来のティアレスとおれの事、宜しくお願いします。特に未来のおれは根性曲がってるんで、多少面倒掛けると思いますが」
「承知した。では、行くぞ!」
「はい!」胴に突き入れられた拳は、正確に心臓の真上を叩いた。
激しい痛みと共に、視界まで赤く染まった。全身の血流が止まるのを感じる。思考も停止し、苦しむ時間も僅かだっただろう。意識は冷たい闇の中へ溶けて行った。
急激な速さで東に逃げ去るエルフの男を、魔王は上空から見送った。
「傲慢と強欲ですか。流石の私も両方同時に相手にするのは骨ですかねぇ」
エルフが去った後、地に降りて人間の亡骸の横に置かれた黒い魔剣を手に取ろうとした。しかし魔剣は男の身体と共に、砂となって崩れて消えてしまった。
「収穫は無しですかぁ。残念ですねぇ。でも、餌は常に向こうからやって来る。我が城で優雅にお待ちしましょう。ヒヒヒ」引き攣った乾いた笑い声を上げ、我が家へと引き返した。
ふーっと一息。重たい息を吐き出した。
「次は、何ですか?あればですけど」目を開いて、前に座る女性に声を向けた。
「中途半端は嫌いですから。ぜひ挑戦して頂きたいのですが」
「では、何だと?」
「次は、お待ち兼ねの魔王ブシファーとなります」
「ブ・・・待ってないですけどね」淫欲の魔王の再来か。初回の失敗を繰り返すだけになりそうな予感しかしない。
「受けますか?断るなら、地獄行きとなりますよ」
「どうせやるんだったら、最後までって言うんでしょ」
「さぁ?それは貴方次第だと思います」彼女は生足を組み替えた。ミニから覗く黒い下着が脳裏に残りそう。ここで俺を悩殺して何が楽しいんだか、理解不能。神様の趣向は解らない。
「受ける条件を追加は可能ですか?」
「内容に依ります。条件とは?」
「おれの今までの記憶の消去と、ティアレスの魂を確実に未来に送ってもらいたい」
「消去?いいのですか?戦いの記憶も残りませんよ?彼女のほうは、すでに確定事項ですのでご安心を」
「問題ないですね。自分だけ都合の良い記憶を持っていたら、逆に食い違いそうで。何も知らない彼女に付きまとうとか有り得ないでしょ?確定なら」
「なら?」
「次の帰還時におれが何をしても許すとかは?」
「い、いいでしょう。何をしても?」
「神様が怖じ気づいちゃダメですよ。どーんと構えましょ、どーんとね」
ボカシの上からでも解る。彼女の顔が引き攣っていた。
「承認しました。それでは、良い旅を」
次は魔王だと言うのに。良い旅もクソも無いだろ。怠惰を倒せる方法が見つかるかも知れないが、絶対耐性は覆せるのだろうか。
この記憶も消えるのだから、考えたって無駄だけど。
何度目かの転移。俺は遂に未来をやり直す。意識は白い霧の中に埋没していった。
自分にしては詰め込みました。
ここで入れないと終盤が書けないので。