第4話 逃亡
これが転移だと仮定する。自分の持ち物が手元の魔剣のみ。何を疑うべきかは明白だ。
「おれは、何か魔法が使えるのか?」
「憑依と従属の魔法だと聞いている」イヤらしい魔法だ。魔剣の柄を掴み、瞑想してみた。・・・特に何も起きない。
「ここの近くに、火山とかはないか?」
「この大陸には中央にデラウェア火山があるが・・・」何かに付け惜しい!
「近いのか?遠いのか?」
「馬車で20日程の距離だ。・・・お前、炎のマナを吸収する気か!」とても親切な勇者だ。
怪しい奴の質問にもほいほいと答えてくれる。性根は優しい。
俺は逡巡した振りをする。握られた魔剣が僅かに震えた気がした。
「マナの吸収か。それはいい事を聞いたぞ」言い放った時点で、急におれは立ち上がって開け放たれたここの入り口、と思われる扉に向かって走り出した。裸足のままで。不衛生なお前が悪い。ブシファー。魔剣がまた僅かに震えた。今度は気のせいではない。
「ブシファー!待ちなさい!」遙か後ろに勇者の声がした。
理論はない。理屈でもない。折角転移したのなら、一度は魔法を撃ってみたいじゃないのさ。それが厨二ってもんでしょう。ここが剣と魔法の世界ならば。
直ぐさま目の前に壁が現れた。魔剣を引き抜き力任せに叩き付ける。自慢じゃないが剣技なんて物は習ったことなどない!
「折られたくなければ切り開け!」
魔剣から僅かに震えを感じて、更に壁に叩き付けた。今度は弾かれることなく豆腐のように素通りした。「やれば出来るなら初めからやれ!」殊更震え出す魔剣。
剣の柄に鎮座する小さな骸骨の眼の奥が怪しく光り出した。白でも赤でもないピンク色である。「キモいぞ!」その場の床の座面に柄の先を叩き付けた。何度目かの打撃で、骸の頂点に皹が入り、怪しい光が収まった。
「待てーーー、魔王」振り返ると勇者の一団が追い着いて来そうだった。勇者の振りかぶりで目前にまで迫る閃光の波。レディーファーストを重んじる紳士として、颯爽と避けてお見送りを咬ました。この先は勇者が自動で切り開いてくれるようだ。
間口を拡大させた通路に飛び込んで前転で着地後、直感に従い左手の角を曲がった。
「ブシファー様!」眼前に2匹の牛頭の屈強で巨体な化け物が飛び込んで来た。
「後ろの勇者とやらの足止めは任せたぞ。勿論殺しても構わん」
「御意に。むしろ僥倖」生まれて初めて聞いたぜ!口を揃えて通路に立ち塞がった。2つの隙間を悠然と通過した途端、脇道からワラワラと牛仲間が数体追加された。内の1つが別の通路を指差した。「ブシファー様、どうかご無事で」外見と言葉が合わない。
「当然だ。貴様らならやれると信じて居るぞ」「はっ!!!」
「待てーーーま・・・」遙か後方で勇者の一団とモンタさんの集団がかち合った。さぞ驚いたことだろう。勇者の行きがけは反対側から来たに違いない。
どれだけ全力で走っても疲れない。息さえ切れない。強さの判定は兎も角、この身体の強靱さは比類無き物のように感じた。一本道に躍り出ると、更に一段加速させた。通路の先に小さく夜空が見えだした。形容し難い化け物数匹とすれ違ったが、無視をして外へと躍り出た。
出口の先は一筋の下り坂。身体に当たる風がとても気持ちいい。余裕は皆無だが、この鼻孔を擽る自然の空気の香りは、日本の都会では感じたことがない程清涼で落ち着いた。
「空気が美味い」田舎に帰ると必ず呟く台詞。
魔剣を鞘に収めると、下り坂を一息に下った。1つ谷を越えて小高い丘に辿り着いた。一度だけ振り返って魔王の城を確認した。
「?」一言で言えば、ダサいより何よりも「汚ねぇ」
外観は下の下で、4階建てのボロアパートの小窓部だけ残し朽ち果てた、酷い有様だった。ブシファーのセンスの無さはこの際どうでもいい。
一切合切見なかったことにして、丘から見渡し高い山を探した。
「あれか!」どれ位に距離があるのかも不明瞭だが、連なる山々の真ん中で絶賛噴火中の黒天を突き刺す火を噴く山を発見した。遠目でもその場所だけ明るい。
「ま・・・」振り返らない!すぐに走り出した。
魔王ならば休憩も睡眠も必要ないはずだ。勝手に決め付けた。豪快に決め付けた。夜空に広がる満天の星々をもう少し眺めていたかったが、どうやら時間が押している様子。夜通し走れば流石に付いては来れまい。勇者と言えど人間ならば。
魔王城とも思えない場所から、魔王ブシファーが逃走した。夜の闇に舞うでも紛れるでもなく、ただただ早く走っていた。自力自走で引き離される勇者一行は、ブシファーの背を見失うまで目で追うしか出来なかった。彼女たちの目にはどう映っていたのかは、英雄記にも描かれない永久の謎となった。