第38話
予想はしていた。人の身で魔剣を握ればどうなるのか、と。ランキング最下位のブシファーの力をそのまま宿していると仮定。何をどう考えたってそうでしょ。ではその小汚い魔剣を握りたいか?答えは否だ。断じて否。曲がり無き、一直線の否。
なんだ、握らなきゃいいんじゃね?
俺は風のイメージで剣の鍔部位を摘まみ上げ、BOXから取り出して冷たい石畳の床に放り投げた。汚物はゴミ箱へ。見渡す限り何も無い。居るのは魔王に取り憑かれたゲップスのみ。
クレネは打ち合わせ通りに、ウィーを連れてここを離脱している。そちらの心配は不要。
自分の中でのイメージでは確かに魔剣を投げ捨てた、積もりだった。俺の次の認識では裏切られていた。すでに己の意思が奪われ始めていた。
舐めていたと言えばそれまでだろう。魔王の力の尊厳を。その緒言、魔王足る力。
憑依と従属。確かに自分の右手でしっかりと握られたそれは、鉛黒い泥暗い屈折した剣。ブシファーが持っていた時と、BOX内で監視していた時とも違う、異形な形。最早剣であるとも言えない姿。
魂が宿る武具は、持ち主(宿主)との繋がりで形を変えるらしい。今の形が、自分本来の魂を現わしているのか、ブシファー本来の意思を表わしているのか。謎は深まる。
「・・・」暫く言葉を失ってしまった。マップでの鑑定も上手く機能していない。
「他愛もないな。ブシファー如きに取り込まれおって」魔王ゲップスは不適に笑っている。それは、こっちの台詞だが。本体知らんけど。
右手の魔剣は、俺の根底に在る盡力をある程度吸うと、黒い瘴気をスモッグのように吐き出し、周囲一帯に飛散させた。直ぐに玉座からも溢れ、廃城を包み、城下町を飲み込む。その一部はすでに脱出しているクレネたちを追っている。そう感じた。
剣の柄からは黒い蔦が無数に生えて、指の隙間から伸びたそれが手首まで射し込み、激痛を伴う浸食を果たした。
「貴様・・・なぜ、平然としている」対面する魔王が、俺を見て躊躇していた。あいつは後回しで充分だ。躊躇いは一瞬。遠距離での操り人形に、直接的な攻撃力は無い。基本ゲップス以上の動作は引き出せない。だから放置で結構。
現在進行形で喰われつつある俺の身体。浸食はある程度想定内。こちらの体力を奪い切った後でゆっくりと魂を喰らい尽くす算段。浅はか。その一言に尽きる。
右手は取られた。左手は無事。脚も動く。首だって回る。俺に与えられた選択肢は3つ。
右腕を放棄する。大損だ。こんな豚にくれてやるには勿体ない。
残りの盡力での魔術対抗。体感で半分を切っている。だけではやや歩が悪い。
己の全力でねじ伏せる。寧ろ、これしかないだろ。ねぇ、師匠。
「剣が折れた。魔の術も尽きた。お前に残るのは何だ?」師匠の言葉が蘇る。左の拳を握った。迷わず右の魔剣の胴芯部に叩き込んだ。
魔剣の抵抗が窺える。浸食は右肘まで進んでいる。打撃毎に痛みが走り抜けた。だが、それだけ。神経まで同化しているに違いない。面白い。実に笑止。この程度で、俺が怯むとでも?
「師匠の拳のほうが、よっぽどいてぇぇぇ」全身全霊、全力全開。左拳を止める気はさらさら無い。
ささくれ立つ魔剣の幾本が拳に刺さった。だから?
掌手に変え、また幾本が手を貫通した。それで?
皮が裂け、肉が破れる。未だ骨は在るだろ?
俺は笑っていた。単純明快に。魔剣を折る単純作業を繰り返す。感覚的には自分の指を逆折りし、関節から引き千切っているみたいだ。両腕から夥しい出血を確認。
剣山みたく咲き開いた、魔剣の刀身の悉くを生えてくる側から叩き折る。数十分間、作業の終了。
一際頑丈な胴芯を砕き終わると、周辺に拡散した黒い瘴気も晴れていた。
「待たせたな。別に待ってろなんて頼んでなかったけど?」俺は大人しくなった魔剣を肩に担いでゲップスに挨拶した。魔王は律儀にも固まったままだ。あいつも大概馬鹿な奴だな。
わざわざ待っててくれたのだ。何か礼をせねば・・・。手元の魔剣の柄の先端部が目に留った。前々からデザイン的に気に入らなかった小さな髑髏。俺はこんなファンキーなデザインの趣味は無し。
「おぉ!」取れそうだったので捻ってみた・・・すんなり取れた。先程の逆調教が効いているに違いない。しかし、ばっちぃのでポイだ。俺はそれを魔王の足下まで投げて転がした。
魔王の躊躇いは瞬間だったが、硬いブーツの踵で踏み擦り潰していた!え?いいの!?それって豚野郎の本体とかじゃ?魔王の反応と動揺をこっそり楽しみにしていたが、特に何もないようだ。
魔王が躊躇う一瞬だけで、身体の傷は嘘みたいに塞がって消えた。当然破損した骨まで完治。なぜって?そりゃ貰ったもん。ゴラちゃんの超再生・・・嘘みたいにな!
「余裕振ってはいるようだが、流れた血までは戻らないのではないか?」ご指摘通りに。
魔剣を床に突き立て、ふらつく身体を支えた。魔王はゆっくりとした動作で近付いて来る。
「ゲップス。本当は意識はあるんだろ?抵抗しなくていいのかよ」
「・・・」ゲップスの身体が僅かに揺らぐ。「無駄な事を・・・」
「そんなクソ下郎の三下魔王風情の言いなりとは、おれの買被りだったのか!」
2人への同時挑発でも魔王の歩みは止まらない。操る奴の切り札はこれだけじゃない。
「安い挑発に乗るほど若くもない。人質がこやつだけとでも?」どうやら説明してくれるらしい。
「どう言う事だ!」俺のほうが乗ってやる。
「簡単な話だよ。我はすでにこのムールトランド大陸と周辺に住む者全てを掌握しているのだ」
なーんだ、そんな事か。今更丁寧に説明されなくとも解り切った話。
「何て事だ!」心底驚いた振りを返した。魔王ゲップスが笑っている。「どうぞご自由に!」
魔王の歩みが止まった。驚いてくれたのかな。「なん・・・だと?」
「どっちにしろ、お前はおれが殺す。精々魔王城で首でも洗ってろ」首が在るのかも知らないが。
「仲間の人間が、どうなっても構わないと?」
「だから、好きにしろ。おれのやる事は変わらん」
奴の抱く罪無き人質は、優しき勇者には有効だろうが俺には全く関係無い。俺が救う対象は、関係を持った人たちだけで充分。家族とかクレネが困るって言うなら話は変わるが、赤の他人を救う?馬鹿言っちゃいけないぜ。そいつは俺の仕事じゃない。
「救う救わないは、お前の仕事だろ?ゲルトロフ!」ゲップスの身体が完全に停止した。