第31話
漂っていた。意識だけでなく、身体諸共に。
揺らめいていた。上方に木漏れ日のように差し込む光さえも。
強靱な肉体を持っていた。それが柔らかな熟れた果実でも切るかの如く、簡単に切断された。突然目の前に現れた人間の男の手に依って。
ここは海?口に入って来る水には、苦い塩味を感じる。強靱さ故に呼吸の必要は無い。それでも海の中に何時までも入っている訳には行かなかった。多少の息苦しさは感じる。切断された腕や脚はすでに生えている。自慢の尾は・・・まだのようだ。
私を撃退した男を思い出す。生存体の少ない竜族に生まれて数百年もの長き時を生きて来た。人間の国の数々を見て来た。けれど、あんなに強力な個体をこれまでに見た事が無い。こちらの話を全く聞こうともしない人間も初めてだった。
強者を見つけると、挑まずには居られない。それが私たち竜族に定められた命題。
言わば本能。勝つ事が大事なのか、戦いが重要なのか。その明確な理由を知る者は居ない。族長が残した少ない掟の中には、決して手を出しては成らぬ者が居た。それが魔神と呼ばれる者。
よもやあの男がそうではないかと考え始めた。
戦闘本能に突き動かされるままに、あの場所に引き寄せられた。
あの場所に向かえば、心躍る何かが居ると、内から囁き掛ける声に導かれるままに。残り僅かになってしまった戦える者たちを連れて。仲間の全ては、男の魔術で屠られた。先の果実同様に。
悔しさは勿論有る。しかし後悔は感じてはいない。
あの場所にはエルフの里が在るのは知っていた。本気の戦闘になれば、こちらも無傷では済まない事くらいは覚悟の上。真逆、横から現れた人間風情に負けるとは、露程にも思わなかったが。
魔に囚われ墜ちて、数年の時が流れた。魔神に次ぐ力を手に入れ、自分たちは強いなどと自惚れに溺れ溺れて。確かに私たちは強かった。東の大陸全土を焦土に変える事など造作もない。なればこそ、心の何処かで自身を越える強者を求め続けた。
乾いた喉が水を求めるが如く、私は本能には抗えなかった。
陸地からどれだけ離れてしまったのか。私は身体が動くのを確認すると、海面から顔を覗かせた。かなりの距離が在る。翼が動かせれば2の時でも有れば充分だっただろう。しかし今の私の背に、象徴足る黒き翼は無かった。
生えた腕や脚を見た。全身が小さな人型に成っていた。
急激に力を失い過ぎたせいだろう。この姿ももう何年振りだろうか。
我らの伝承には、こんな笑い話がある。太古の昔にエルフたちと手を取り合って仲良く共存していたと言う御伽話。物語の最後は、1人の人間の男を取り合って仲間割れしたのだとか。
昨日の敗北までの私ならば、酒の肴に笑い転げていたに違いない。だが今は違う。
遠方の陸地の端を眺めて、私は思う。
尋常ではない強さを誇る人間の男。その隣で怯えて震えていたエルフの娘。そして私。こんな出来過ぎた笑い話があるのだろうかと、心の中で自嘲気味に笑った。
責めてもう一度だけ。私はあの男に会わなければならない気がした。
戦い勝とうとは思わない。ただ会って話をしてみたい。近しい将来、人間の勇者と戦わねばなるぬ宿命であるなら尚の事。
その前に。魔王ではなく、唯一人の「女」として。
私はゴライアイス・エム・レンド。滅び行く種の末裔にして、最後の女形。願わくば種の存続を。
叶わぬ願いと知りつつも、心躍らせる想い。その心は私を陸地へと誘った。