第2章 第11話 サイレント・マーダー
鳴り止まないパトカーと救急のサイレン。
これはいったい何だ?この光景を見た誰もが呟いた。
様々な猟奇的殺害現場を経験してきたベテランの鑑識員までが、異常な光景と異臭を目の前にして口を押さえて嘔吐いた。
綺麗だったのは表のロビーのみ。
裏口から続く異変は、ビルの地下室、中階段、3階、7階、最上階に至るまで死体と意識不明の重度の薬物中毒者の山がゴロゴロと転がり続いていた。
壁は無数の銃弾痕、日本刀で撥ねられた首や手足。分厚い壁越しに貫かれた男。ガラス片で蜂の巣にされ重なる組員。股間を潰され注射器を両肩に刺された組長。
腹胴だけ抉り取られた高名な議員。頑丈なカウンター台に顔面と後頭部を埋めた男たち。
分離した胴体からはみ出た背骨が3枚先の壁から垂れて。
大きな浴槽には4人の女性自殺者が浮かび。
これが地獄です。実は夢でしたと言われたほうが余程現実的だった。
3階のサーバールームで肩を寄せ合って震え、警察に助けを請う6人が居なければ。
地下室に軽度の薬物中毒でレイプ被害に遭った女性たちが生きていなければ。
被害女性のスマホから、ボイレコ音声データが見つからなければ。
カメラの残骸から、犯人の男の声が拾えなければ。
俺だけじゃなく、現場に駆け付けた警察の皆が夢でも見ているのだろうと思い込みたかったに違いない。
6人の生存者は証言した。
犯人はたったの1人だった。
映像データは脅され消してしまったが、犯人は踊るように銃弾の嵐を避けていた。
会話をすると普通の青年のようだった。
身体付きは特別強そうでもなかった。
港の爆破事件も自分がやったと言っていた。
何故かは解らないが自分たちの住まいや、家族構成を知っているらしかった。
各々証言に表現の大小はあれど、食い違いは無かった。
そして彼らは口を揃える。
「彼は、人の皮を被った神様だ。私たちは、救われた」と。
ただの人間が至近距離の弾丸を避けられるはずはない。
ただの青年が素手で30mmの強化アクリルガラスを破れるはずはない。
ただの男がスチールロックのノブを錠前ごと引き抜けるはずがない。
ただの人が汗一つ流さず、躊躇わず、心も壊す事無く、何十人もの男を殺戮出来るはずがない。
あっていいはずがない。
男は悪魔ではなく、サイコパスでも、愉快犯でもない。
神様?馬鹿げた表現だが、他に浮かぶ表現の仕様が無いのも確か。
犯人は至って普通の精神を持ち、さも当然の事のように、手慣れた作業のように人を殺した。
有り得るのか?彼が殺したのは凶悪な犯罪者であっても、平然と殺人を冒せる人間が居るなんて。
殺し屋、サイコキラーは裏家業には、少なからず存在はしている。
彼らは殺しを職業とし、金で人を殺す。入念に用意周到に準備をし、確度が頂点のタイミングで遂行する。証拠や物証を極限まで残さず、精密に人の命を刈り取る。
稀に捕まる犯人たちの共通事項。皆精神が病んで壊れていた。ある者は狂喜、ある者は荒んで冷酷になど、形は様々。生まれの境遇や、生きて来た環境に依り病んだ者。隠し持ってきた負の感情を吐き出す者たち。中には無感情で殺しをする輩も居るには居るが。
凄惨たる現場を見ただけで感じ取れる矛盾。
大胆であり、精密であり、銃火器の扱いにも精通する。一部を除いて殺意すら感じない。目出し帽で顔半分を隠していたらしいので、衝動的な犯行の影も無く。
組織の内部崩壊や仲間割れ、取引相手との決裂なども考えられたが、現場状況からは読み取れず。
港で相手組織の幹部も含めて場に居た組員は全員爆死。1km離れた廃ビルの屋上に捨てられたライフル。犯人が自ら用意した物ではなく、組織から奪った物だと判明。
一方でビルでは何割かの組員は生きてはいる。高濃度の薬により、脳が焼き切れてしまっているので植物状態としてにはなってしまうが。
金品の類いにも手を付けていない。組長部屋奥の金庫が開けられ、何かを探っていた形跡はあったが、散乱して放置され何を読んでいたのかも解らない。あれはもしや・・・俺たちに読めと言っていた?考え過ぎだろうか。
支離滅裂過ぎて、犯人の目的が理解出来ない。
山のような証拠品は本庁の1課と4課に丸ごと没収されてしまった。是非とも生々しい現場写真や映像でも眺めて震えて欲しいものだ。
最速で駆け付けた所轄の俺たちが得られた情報を整理する。
情報部に居た6名の証言者。彼らは自らと被害者、犯人に繋がる情報データ一切を、自分たちで完全消去してしまった。特別措置で重秘匿室に勾留中。罪人として起訴は難しく、時期を見て釈放される見込み。彼らが一番に狙われそうなものだが、恐怖を微塵も感じさせない笑顔を浮かべていると聞く。あの余裕はいったい何処から。
彼らが犯人と最後に何を話したのかは、皆一様に口を閉ざし黙秘していた。
爆薬も銃も日本刀も、武器の類いはその場に在った物を奪っては使っている。武器の線は消えた。
地下で生き延びた2名の被害女性からも証言は得られていない。薬からの厚生を計る為、現在は特別施設に収容されている。2つの組織からの報復の恐れがある為、半隔離されて警察関係者でも近付けない。被害者の線も今は使えない。
地下で身体を割られて死亡した高木議員のお陰でマスコミが騒ぎ、ネットも荒れている。憶測と推察が飛び交い、若い夫人が風評に晒されていた。可哀想だが注目を浴びている間は、逆に身は安全。2人の間に子供が居なかったのが、この時ばかりは救いとなるか。
特殊な手袋を装着していたと思われ、指紋は採れていない。
血みどろで歩き回り、各所に付着した下足痕も、世界チェーンの一般品で追えない。
目出し帽を購入した店を当たったが、背体格だけでは絞り込めず、全国各支店の監視カメラデータは、事件当日前3日分の映像がハッキングを受けて復元不能。これはあの6人が仕掛けた物で間違いない。然りとて販売履歴消去までは難しかったようで、目出し帽の購入店と時間が割り出せた。
販売実績から、近月中に目出し帽を購入したのは13人。内ポイント会員カードを使用せず現金購入したのは1人だけ。事件の3時間前、ビルから最寄りの支店。犯人の足取りが掴めたのはそこまで。手掛かりの映像無しでは話にならない。
該当時間のバイトたちに聞いて回っても、客足が混み合う時間帯で客の顔など一々覚えていないと話す。
そんな中で明確な物証と呼べる物。
唯一自殺した被害女性のスマホから復元出来た、男の音声データ。
「出たら警察を呼び・・・、上の奴・・・は潰します。それま・・・我慢ですよ、お嬢さん」
彼の声は、普通にしか聞こえない。声紋鑑定でも、精神的異常の色は微塵も出なかった。
「これから私たち4人は、自殺します。これだけは彼のせいじゃないから、声だけ残します。ごめんね・・・たくちゃん」
最後に残った持ち主の肉声。こちらの声紋からも恐怖の感情は出なかった。燻る薬が起因していたかも知れないので、何とも言えない部分は残る。
告げられた名前は当初、犯人の名前なのかと思われたが、彼女の婚約者であり、5日前から海外出張中の一般社会人だと直ぐに判明した。
薬が切れた僅かな時間の間に、彼女たちは決断し、カメラの類いを指から血が出るまで掻集め、共に風呂に入水後、感電自殺を決行してしまった。
重度の薬物依存は、本人の意志に関係なく激しい禁断症状をもたらし、消しきれない残留物に身体の芯から蝕ままれて行く。最悪の場合、将来出来る子供にも影響してしまう。
後日、ご遺体と対面した時の泣き崩れる婚約者の震える背中に。
思わず刑事として在るまじき言葉を囁いてしまった。
「私たちは間に合いませんでした。でも、彼女を苦しめた奴らは全員何者かに殺されました。誰か心当りは、ありませんか?」
「・・・彼女は、親も兄弟も居ない天涯孤独の身でした。ぜったい、僕が絶対幸せにするって誓ったのに・・・。知っていたとしても、助けてもくれなかった警察なんかに、あんたらなんかに!言う訳がないだろ!!」
彼は俺の胸倉を掴み上げ、激しく揺さぶって来た。殴られても罪に問う積もりはない。
普通の筋力。激しい怒りの感情。証拠データの声とは全く違う。
朝倉 琢馬。小柄で小太り。証言者たちから聞いた風貌とは懸け離れている。
あなたでなくて、本当に良かった。
「・・・すみませんでした」
「謝るなよ・・・。謝らないで、くださいよ・・・」落ち着きを少し取り戻し、俺は解放された。
「何かを思い出したら。見知らぬ誰かが、あなたの前に現れたら。気が向いたらで構いません、こちらまで連絡を」
彼の手に俺の名刺を握らせた。
「復讐・・・してくれた人を、捕まえるんですか?」
「捕まえるのは、難しいでしょうね」
「・・・捕まえない?」
「正確に言えば、捕まえられない、です。日本の警察機構は疎か、戦時国家の軍隊でも捕らえられるかは疑問です。たったの数時間で、撃ち込まれる銃弾の嵐の中を押し進み、1人で50人近くの組織の人間を、無傷で殺せる程の人を、私たちは捕まえられません」
「・・・人間、ですか?」
「人ではないと、聞けたなら。安心して追えたのにと思います。これからあなたは、組織の残骸に付きまとわれると思います。勿論私たちも全力を尽くします。ですが、彼のほうの出方は解りません。助けてくれるのか、見放されるのか、排除されるのか。助けてくれるほうだと願いたい」
「・・・僕に、囮になれと?」
「肯定も否定も出来ません。刑事がこんな事を言ってはいけないのでしょうが、やっては貰えませんか?」
胸ポケットから、メモリーチップを出して見せた。
「何ですか・・・それは」
「彼女が、最後にあなたに残した、音声データです。やってくれるなら、渡しましょう」
驚いた彼は、安らかに眠る彼女の顔を見ていた。
「この、卑怯者!」
「やって、貰えますね?」
「く・・・そぉ・・・」
再び、彼は彼女の前で膝を崩して泣いていた。
霊安室から出た後、デスクに戻り、書類の整理をしていると課長に呼び出された。
「柏田君。君はまだあの件を嗅ぎ回っているのかね。あれはもう本庁に移った案件だぞ」
ここ数日の決まり文句。薄い頭がストレスで進行する勢いで捲し立てる。
「落ち着いて下さい、藤田課長。御輿の迷惑にならないようには動いてますし、掴んだ情報も求められれば渡します。ただでは渡しませんけど。面倒事となれば僕の首切るだけでしょ?課長がストレス溜める必要ないですよ」
課長は偏頭痛からか、側頭を抑えて唸っている。風邪なら移さないで欲しい。
「君ねぇ。殺されるのが怖くないのかね」
「怖いですよ。ヤクザ者を相手にするのは。暴対の皆さんが頑張って下さっているので、然程心配はしてませんが」
「そっちじゃない」
「化物のほうですか?特に怖いとは思いません。捕まえられない者を捕まえようとも思いません。でも興味があります。あんな化物が何処に潜み、何を望み、何が目的なのか。僕はそれが知りたい。それを知らなければ、僕はもう二度と安眠出来ない」
あの日からよく眠れなくなったのは本当の話。
恐怖よりも、高揚感で。ある日突然に出会えるかも知れない。将又向こうから会いに来てくれるかも知れない。そんな曖昧な期待感から。
「君もか・・・。私だけではない。この件に関わった者が皆そうだ」
「心配したって無駄です。僕らがか弱き市民の味方である内は、きっと彼に殺される事はない。僕はそう断言します。根拠は全く無い、勘ですが」
室内の面々を見渡し、俺は高らかに唱えた。
「・・・市民の味方である限りか。担がれる上には、さぞ耳が痛い言葉だろうな」
「上は上で勝手に踊り出すでしょう。放っておけばいいんです。僕らは謎の化物の邪魔さえしなければいい。実に簡単でしょ?」
「法を守り、法に従い、市民を守るのが警察の本分。完全に刑事の台詞ではないが、くれぐれも化物を刺激しないでくれ。もう止めしないが、認めてはいない。慎重にな」
後ろから、後輩の刑事が声を掛けて来た。
「そうですね。認められません。これ以上の単独行動は。私も捜査に同行します。先輩」
「安西。体調はもう?」
あの現場を目の当たりにした女性警官は彼女1人。あれから体調を崩して寝込んでいた。
「大丈夫です、とは言い切れませんが。私も化物を知って、安眠したいです」
身体は付いて来ないが、気力でカバーと言った所か。
「課長。暴対に伝えて下さい。餌は、撒いたと」
「か、柏田君!」
「先輩・・・。あなたと言う人は」
「こうでもしないと、きっと彼は出て来ない。引けるのはキングかジョーカーか。全ての責任は僕に在ります。仮に殺されるとしても、自分1人だけなら全く問題ありません」
「・・・大ありですよ・・・」
「私は、もう知らんぞ」
これから始めるのは違法捜査。上に知れたらクビだろう。1課よりも先に彼に辿り着く為に、一般市民を巻き込もうとしている。
自分1人の首か命で賄えるといいのだが。許すも許さぬも、化物次第。
私は安西 寛美。所轄刑事課に配属されたのはつい2年前。
同課の中でも女性は自分1人だけ。しかも一番の若手。
他の課の人間になめられ、セクハラ紛いの言葉も吐かれる事もあったけど、理解ある上司や先輩方に恵まれ元気にやってきた。
あの事件に関わるまでは。
サイレント・マーダーケース。別名、黙殺された惨劇。
犯人は日本人男性。推定年齢は20台。身長は180前後。証言から得られたのはそれだけ。
姿の見えない彼は、ほんの数時間で、総勢52名の命を刈り取った。
日本で3番手の蒼竜会、東京本部を始まりとして。数ヶ月の間に関東全域の支部が次々に襲われ潰された。
東北や北陸、東海支部にまで暴風は波及する。
各地の所轄、県警が掴み切ってはいなかった隠れ家、関連施設に至るまで。
狙い潰されたほぼ全ての組員や構成員が死亡、又は意識不明の重体。
死傷者の総数はもうすぐ4桁に突入する勢い。
庁でも次官級の職員が首を吊って亡くなった。組織との繋がりを示す遺書を残して。
政治屋の大臣補佐官も何名も自ら命を絶った。闇を示唆する書類を突付けられて。
繋がっていた大臣たちは罷免辞任。当時の内閣は総辞職。
日本は揺れに揺れていた。
世間は彼をヒーロー扱い。打つ手を失った警察機構は崩壊寸前。
蒼竜会は日本から消滅。被害者遺族はぶつける相手の居ない怒りを募らせた。
怒りの矛先は、犯人を見つけられない警察に向けられた。
日本TOPの雲流会。蒼竜会の主要取引相手だった、2番手の活土会を巻き込んでの全面戦争が始まった。
各署も交番も白昼に襲われる始末。収拾が着く場所も見つからず。
日本の治安が一気に悪化した。
海外からの渡航者、観光客が遠退き。アメリカ、中国、ロシア、韓国、周辺国は警戒感を表明し始めた。
各地の抗争が過激化して行く反面で。引き金を引いたはずの彼の、蒼竜会を飲み込んだ暴風は、ある日を境に唐突に止んでしまう。
世間一般の国民は恐怖し、ヒーローの再来を求め探した。
一向に見つからない彼の姿形。それもそのはず。彼の活動のピーク時に同じく姿を消した、あの6人が情報を操作していたのだから。
彼らも家族と共に痕跡を消してしまった。
日本の何処かには居る。探したくとも探す宛てが無い。彷徨うように進まぬ聞き込み。集まらない情報。
警察とはいったい何だろう。暴対に自衛隊が駆り出される法案が、先日満場で可決されてしまった。止められない私たちを、嘲笑う勢いで。
「助けてよ・・・。責任、取りなさいよ・・・」
建設中の高層ビルの屋上。
彼が現れると言う組織のガセ情報に踊らされ、のこのこと来てしまった。
柏田先輩は傍らで、脇腹を撃ち抜かれて倒れている。急所は外れているようで呼吸は安定しているが、早く処置をしないと失血量は看過出来ない。
私の手にはどちらかの組織の、暴漢を撃った拳銃が握られている。
下へと向かえる工事用エレベーターは、撃ち損じた仲間の一人に奪われてしまった。
女の力で先輩の身体を下まで運ぶのは難しい。
救急隊は呼んだが、こちらに人員と車両を回して貰えるかは解らない。
不意に開かれた階段側のドア。驚いた私は、銃を向けた勢いで発射してしまった。
「ちょ、あぶなっ。バカ剛!この二人、ホント青なの?女のほうが撃って来たんだけど!」
銃弾を身を翻して避けた女性が1人現れた。彼女はピンクの目出し帽を被り、インカムで誰かと話しているようだった。
「ごめんなさい!組織の人間かと」
「まーいいわ。寝起きだし、特別に許す。剛、2,4,7,10。ギャラリー多いよ」
何事かをマイクに叫んでいる。直後に隣接ビルの上層フロアーが吹き飛んだ。
私たちは監視されていた。彼を釣る為の餌にされた。先輩が朝倉さんでそうしたように。
「ちょい寝て起きてみたら、平和な日本どこ行ったの?」
「あなたは、いったい・・・」
「始めた責任、取りに来たわよ」
遠方で響く数発の発射音。彼女はステップを踏むように、後ろへ一歩下がり、また半歩前へ。
彼女の横を何かが移動した。
私の横にも何かが駆け抜けた。間違いない。彼女は銃弾を避けている。
「あなたが、サイレント、なの?でも、男の人だって」
「主犯は彼のほう。私はサポ専」
しゃがんだり、反転したり。まるでダンスを踊っているかのよう。
全ての軌道が見えている。だけじゃなく、速さにも対応している。主犯ではないと語る彼女もまた、化物だった。
不思議な感覚。恐怖は微塵も感じない。やっと出会えた化物に。
寧ろ、この感情は。高揚する気持ちで、応援している。刑事である私が、犯人に向かって。
茜さんが起床。
現実世界のお話はこれにて終了です。
悪い人たちにも家族は居て、その人たちの日常まで壊す権利は誰にもありません。
復讐は復讐を呼び。憎しみの連鎖は・・・という仮のお話。
次からは異世界集結編~魔神編~魔神討伐編
の予定です。