第10話
私は見てしまった。長く生きてきて尚、初めてとは心が躍る。感想を言えば、それはそれは美しい。感情で現わせば、そんな魔術は有り得ない。
アッテネートの町へと続く街道沿いで、8人の賊に絡まれた軽装の男が1人。種族特性である遠目を使い、索敵を兼ねて景色を楽しんでいた時に、たまたま目に捉えただけ。人間風情を助ける義理や意義は感じないが、妙に囲まれる男に意識が行った。気紛れに助けようかと一考。距離的に致命傷に至る前には間に合うだろう距離。無闇に近付くのは面倒で、私は弓を番えた。
岩場の高台に乗り移り、足場を固定し弦を最大まで引き絞った。2対の鏃を同時に扱えるのは、我が種族ならば容易い技術。遠距離のブレを抑える呪詛を練り込みながら。側面からの弓撃ならば半数くらいは楽勝だ。後の半分くらいは自分で何とかしろよと。
弦を手放す直前に、男の前でそれは突然起こった。燃え盛る目映い赤い炎の刃。対に現れる真っ白な矛。大地から沸き上がった砂塵。その全てが瞬きの瞬間の出来事。一瞬の幻想でも見たのかと弦を戻して己の目を甲で擦った。もう一度目を戻すと、賊たちの身体は現実をありありと語っていた。尚に驚いたのは、有り得ない魔術を放った男が、賊の死体を前に嘔吐していた事。
「な、なぜ?」あれではまるで、初めてではないか?同族殺しが?
私の心が疑問で満たされる頃、男は何かを飲み、その場から逃げるようにフラフラと歩き出した。暫く追うとまた蹲り吐いていた。2度目の嘔吐の後、男は突然空中から小瓶を取り出し、中身の薄赤い液体を飲み干して再び歩き出す。
俄然興味が湧いた。私が人間に興味を抱くなど、初めての経験だった。
離れた距離からその男を追い続けていると、不意に下腹部が疼いた。服の上から臍の下に手を当てる。
「そんな、うそ・・・有り得ない・・・こんな」何にしろ、このままでは捨て置けない。何にしろ、初めてというのは胸が躍るものだから。我が種族は否定を極力しない。
自然を愛し、美しい大地と共に歩み、木々を渡る。性の目覚めも自然に任せている。例え相手が脆弱な人間風情だろうと。感ずる相手とは極自然に不意に現れてしまうもの。種族としてはとても少ないが前例が無い訳ではない。人間と結ばれた仲間も過去には居たのだ。私は戸惑いを覚えつつも、直感に従う事にした。そう、否定はしたくない。
男は数刻休み無く歩き続けた。本人は気付いていないのか、普通の顔をして馬並の速度で歩いていた。それこそ有り得ないのだが、敢えて否定はすまい。そう、否定は断固したくない。もしかして彼は人間ではないの?降って湧いて来た疑問。この際だからもう種族は関係ない。私は全ての否定を拒絶する。
思考が追い着いていない。出来れば彼に追い着きたい。速い、速過ぎるだろ!こちらはほぼ全力だと!妙なプライドと対抗心が芽生えるが、これは否定ではないので許容した。
彼が幾人かの商人たちとアッテネータの町へと入った後、適当な荷馬車に潜り込んで町へと入場を果たした。本来なら人間の住む町には近寄りたくもないが、背に腹は代えられない。
一旦彼とは離れたが、本能的に位置を把握し、町の中央に聳える見晴し台に隠れ(裏に張り付いて)彼が居ると思われる人間の邸宅をじっくりと眺めた。夜ともなれば若干小寒い季節だが、今日の私ならば問題ないだろう。何せ身体が燃えるように熱い。すでに風邪でも・・・?いや違う。否定系ではあるが断じて違う。我が種族は風邪など引かないからだ!風邪という病気は知ってはいるがな!
私はクレネ・ドルイド・ファーマス。何を隠そう、今は隠れているが。人間種がエルフと畏怖する種族の一人。森で生まれ、森で育ち、外界に興味が湧いただけの旅人エルフ。自然の語り部。種の誇りは風の中に、種の生は清き水の中に、種の起源は大樹の根より。性は?永遠の謎ですとも!
「はぁ、明日。何て声を掛ければいいのかしら・・・」見張り台の上(真上)で警備に当たる警備員が頻りに首を捻っているのを感じつつ。お前には聞いてない。と心で呟くクレネであった。